『草木塔』以後
種田山頭火


昭和十四年十二月〜昭和十五年


昭和十四年朧月十五日、松山知勇の厚情に甘え、縁に随うて、
 
当分、或は一生、滞在することになった。
 
一洵君におんぶされて(もとより身内のことではない)道後の
 
宿より御幸山の新居に移る。新居は高台にありて閑静、山もよ
 
く砂もきよく水もうまく、人もわるくないらしい、老漂泊者の
 
私には分に過ぎた栖家である。よすぎるけれど、すなほに入れ
 
ていただく。松山の風来居は山口のそれよりうつくしく、そし
 
てあたたかである。




   一洵君に
 
おちついてしねさうな草枯るる
  (死ぬることは生まれることよりもむつかしいと、
   老来しみじみ感じないではゐられない)


 
 
抜けたら抜けたまま歯がない口で


 
 
山裾やすらかに歯のないくらしも


 
 
空には風が出る凧あがるあがる


 
 
凧をあげると春風らしい子供の群


   或る老人
 
日向ぼこして生きぬいてきたといつたような顔で


   道後温泉湯瀧
 
朝湯のよろしさもくもくとして順番を待つ


 
 
大霜の人声のあたたかな日ざし


   護国神社
 
霜のきびしさ霜をふんでまうでる


   葉
 
牛が大きくよこたはり師走風ふく


 
 
寒空とほく夢がちぎれてとぶやうに


   机上水仙花
 
あすはお正月の一りんひらく


 
 
あすは元旦の爪でもきらう


   卓上の水仙花
 
一りん咲けばまた一りんのお正月


 
 
一人正月の餅も酒もありてそして


 
 
ひとり焼く焼き餅ひとりでにふくれたる


   このあかつき
   ――元旦、護国神社に参拝して――
 
このあかつき御手洗水のあふるるを掌に


 
 
このあかつきの大いなる日の丸へんぽん


 
 
正月二日あたらしい肥桶かついで


    石手川三句
 
をんなを岩にピント合してゐる若さ


 
 
正月三日お寺の方へぶらぶら歩く


 
 
しぐるるや郵便やさん遠くへ来てくれた


 
 
かへりはひとりの月があるいつぽんみち


 
 
ほどよう御飯が炊けて夕焼ける


   行乞途上
 
干せば乾けばふんどししめてまた歩く


   山口へ―九州へ
 
こんやはここにて雨ふる春雨


 
 
何の草ともなく咲いてゐるふるさとは


 
 
遠ざかるうしろ姿の夕焼けて


 
 
ほほけすすきがまいにちの旅


 
 
たばこやにたばこがない寒の雨ふる


 
 
ふるさとへ冬の海すこしはゆれて


   帰居
 
こしかたゆくすえ雪あかりする


 
 
ほつかり覚めて雪


   転一歩
 
身のまはりかたづけて遠く山なみの雪


 
 
春が来たわたくしのくりやゆたかにも


 
 
いま何時ともわからない春雨らしう降る


 
 
ひとりで酔えば啼くは鶲よ


 
 
酔うて闇夜の蟇踏むまいぞ


 
 
月の一枝ぬすませてもらふ


   或る月の一草庵は
 
雨をためてバケツ一杯の今日は事足る


 
 
枯れて濡れて草のうつくしさ、朝


 
 
寝ころべば枯草の春匂ふ


 
 
酒はしづかに身ぬちをめぐる夜の一人


 
 
なんときびしい寒の水涸れた


 
 
一人で事足る鶲啼く


 
 
塵かと吹けば生きてゐて飛ぶ


   街頭所見千人力
 
つぎつぎに力をこめて力と書く


 
 
墓地をとなりによい春が来た


   追懐
 
目刺あぶればあたまもしつぽもなつかしや


 
 
おとなりもをとこやもめのかさこそ寒い


   純一居二句
 
ほんに仲よく寄せ鍋をあたたかく


 
 
お日さま山からのぞいてお早う


 龍隠寺境内の孝子桜
 
咲いて一りんほんに一りん


 
 
膝に酒のこぼるるに逢ひたうなる


 
 
たまたま人が春に来て大いに笑ふ


 
 
春の山から惜しみなく伐りだしてくる


 
 
春の山から伐りだして長い長い木


   わが髯をうたふ
 
伸ばせば伸びる髯はごましほ


 
 
干物干して蕾はまだまだかたい


 
 
水もらひのゆきかへり花咲いて赤く


   道後湯町、宝厳寺
 
をなごまちのどかなつきあたりは山門


 
 
早春のおとなりから芹のおひたしを一皿


   自嘲四句
 
春寒ねむれない夜のほころびを縫ふ


 
 
縫糸なかなか通らないのでちよいと一服


 
 
やつと糸が通つたところでまた一服


 
 
糸のもつれのほぐるるにほどに更けて春寒


 
 
ふりかへる枯野ぼうぼううごくものなく


   老遍路
 
鈴をふりふりお四国の土になるべく


 
 
雪もよひたうとう雪になつてしつとり


 
 
雪あかりのまぶしくも御飯がふく


 
 
春寒く疵がそのままあかぎりとなり


 
 
ゆふべかたすみ消えのこる雪のほのかにも


 
 
聞いてしづかに、ぽとりと落ちた


 
 
だんだん似てくる癖の、父はもうゐない


 
 
逢へておわかれの大根もらうてもどる


 
 
水もぬるんだやうなどんこもをりさうな


 
 
墓二つ三つ芽ぶかうとしてゐる大樹


   母の第四十九回忌
 
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと


 
 
春の水ゆたかに流るるものを拾ふ


 
 
春のよるのみほとけのひかり


   路傍の乞食
 
貰ひ足りて地べたべつたり寝てゐるいびき


   孫がまた生まれたとて
 
生まれてうれしく掌を握つたりひらいたり


   満州の孫をおもふ
 
この髯、ひつぱらせたいお手手がある


 
 
けふはよいたよりがありさうな障子あけとく


   松山城
 
生えてなずなとして咲いてつつましく


 
 
ふと触れてなづな華ちる


 
 
おちついて死ねさうな草萌ゆる


 
 
てふてふちらちら風に乗つた来た


 
 
さむざむ降る雨のひとりに籠る


 
 
干物ひろげる枝から枝のつぼみ


 
 
春はたまたま客のある日の酒がある


 
 
与へるもののよろこびの餅をいただく


 
 
春風のちよいと茶店が出来ました


 
 
食べものあたたかく手から手へ


   無縁墓碑整理さる
 
てふてふひらひらひらかうとしてゐる春蘭


 
 
今日いちにちのおだやかに落ちる日


 
 
うらうらほろほろ花がちる


 
 
青麦のなかの街街のなかの青麦


 
 
春の水の流るるものを追つかけてゆく


 
 
なければないで、さくら咲きさくら散る


 
 
ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ


 
 
名もない草のいのちはやく咲いてむらさき


 
 
蝿があるいてゐる蝿取紙のふちを


 
 
降つたり霽たりおのれにかへる


 
 
しばらく歩かない脚の爪伸びてゐるかな


 
 
あらしのあとの空のしづもるふかさ


 
スキハラ
空腹を蚊にくはれてゐる


 
 
むなしさに堪へて草ふむ草青し


 
 
草のたくましさは炎天さらにきびしく


 
 
外米も内米もふつくらふいた


 
 
誰にも逢はない道がでこぼこ


 
 
おもひだしては降るよな雨の涼しうなる


 
 
どこからとなく涼しい風がおはぐろとんぼ


 
 
かたすみの朝風に播いてをく


 
 
活けて雑草のやすけさにをる


 
 
蛙になりきつて跳ぶ


   述懐
 
この一すぢをみなかみへさかのぼりつつ


 
 
天の川のあざやかさもひえびえ風ふく


 
 
月夜の水に明日の外米浸けて寝る


 
 
ぽとりとおほらかにおちる花


   破戒
 
もくもく蚊帳のうちひとり飯喰ふ


   雑草礼賛
 
生えよ伸びよ咲いてゆたかな風のすずしく


 
 
日ざかりの赤い花のいよいよ赤く


 
 
雷遠く雨をこぼしてゐる草の葉


   一草庵裡山頭火の盆は
        て
トマトを掌に、みほとけのまへにちちははのまへに


 
 
盆の月夜の更けてからまゐる足音


 
 
をりをり顔をみせる月のまんまる


 
 
よい水音の朝がひろがる


 
 
朝霧こぼるる畑のものどつさりもろた


   絶食の日
 
月のひかりのすき腹ふかくしみとほるなり


 
 
日ざかりの空腹は鳴る


 
 
食べるものがなければないで涼しい水


 
 
かなかなかなかなやうやく米買ひに


 
 
御飯のうまさほろほろこぼれ


 
 
ゆう焼けしづかなお釜を磨く


 
 
夕立やお地蔵さんわたしもずぶぬれ


 
 
蚊帳の中まで夕焼の一人寝てゐる


 
 
夕焼雲のうつくしければ人の恋しき


 
 
椰のみどりの青空のふかさ渡る鳥


   禁酒したいが
 
蝉しぐれの、飲むな飲むなと熊蝉さけぶ


 
 
とんぼとまつたふたりのあひだに


 
 
濁れる水の流れつつ澄む


 
 
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし


 
 
掃くほどに散る葉のしづか


 
 
こころさびしくひとりまた火を焚く


 
 
芋粥のあつさうまさも秋となつた


 
 
炎天おもきものを蟻がひきずる


 
 
待つといふほどでもないゆふべとなりつくつくぼうし


 
 
打つても打つても蝿がくる蚊もくる蜂もきて


 
 
月から吹きおろす風のすゞしさに


   仲秋名月
 
酒はない月しみ/゛\観てをり


 
 
酒のうまさのとろとろ虫鳴く


   抱壷君の訃報に接して
 
たへがたくなり踏みあるく草の咲いてゐる


 
 
貰うて食べ秋ふかく拾ふて喫ふ


 
 
銭がない物がない歯がない一人


 
 
祈りて仏にたてまつるお花もひがん


 
 
朝月のあるぎんなん拾ふ


 
 
皆懺悔その爪を切るひややかな


 
 
いつ死ぬる木の実は播いておく


 
 
水がとんぼがわたしも流れゆく


 
 
風にみがかれみがかれ澄みわたる月は


   子規忌ちかく
 
紫苑しみじみ咲きつゞく今日のこのごろとなり


 
 
けふは仲秋すゝきや団子もお酒もちよつぴり


 
 
供へまつるお彼岸のお彼岸花のよろしさ


 
 
夕焼うつくしく今日一日はつつましく


 
 
ふとふりかへる山から月がのぞいたところ


 
 
おたたも或る日は来てくれる山の秋ふかく


 
 
しんじつ一人として雨を観るひとり


 
 
おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて


 
 
朝は澄むきつておだやかなながれ一すじ


 
 
晴れて風が身ぬち吹きぬけて澄む


 
 
もらうて食べるおいしい有りがたさ


 
 
生える草の枯れゆく草のとき移る


 
 
三日月おちかかる城山の城


   先夜今夜の犬猫事件に微苦笑しつゝ一句
   十月五日夜
 
秋の夜や犬から貰つたり猫に与へたり


 
 
焼かれる虫の香ひかんばしく


おわり
[種田山頭火] [文車目次]