上田敏「海潮音」

 
 燕の歌

ガブリエレ・ダンヌンチオ




  やよい              つばめ
 弥生ついたち、はつ燕、
 
 海のあなたの静けき国の
 たより                ふみ
 便もてきぬ、うれしき文を。
                        と
 春のはつ花、にほひを尋むる
 
 あゝ、よろこびのつばくらめ。
           そめわけじま
 黒と白との染分縞は
 
 春の心に舞姿。
 
                きさらぎ
 弥生来にけり、如月は
 
 風もろともに、けふ去りぬ。
  り す   けごろも
 栗鼠の毛衣脱ぎすてて、
 りんず          いまよう
 綸子羽ぶたえ今様に、
 
 春の川瀬をかちわたり、
 
 しなだるゝ枝の森わけて、
                  あしばや
 舞ひつ、歌ひつ、足速の
 
 恋慕の人ぞむれ遊ぶ。
              すみれ
 岡に摘む花、菫ぐさ、
 
 草は香りぬ、君ゆゑに、
 
 素足の「春」の君ゆゑに。
 
             にひづま
 けふ野山に新妻の姿に通ひ、
                      あ こ やだま
 わだつみの波は輝く阿古屋珠。
       やぶかげ  くろつぐみ
 あれ、藪陰の黒鶫、
            そら  あげひばり
 あれ、なか空に揚雲雀、
 
 つれなき風は吹きすぎて、
 ふるす くは
 旧巣啣へて飛び去りぬ。
 
 あゝ、南国のぬれつばめ、
  お ば   や ば ね        ね  つる
 尾羽は矢羽根よ、鳴く音は弦を
 
 「春」のひくおと「春」の手の。
 
                 うまどり
 あゝ、よろこびの美鳥よ、
           すいかん
 黒と白との水干に、
 
 舞の足どり教へよと、
 
 しばし沼がむ、つばくらめ。
               れいじん
 たぐひもあらぬ麗人の
 
 イソルダ姫の物語、
     えが        との
 飾り画けるこの殿に
 
 しばしはあれよ、つばくらめ。
 
 かづけの花還こゝにあり、
 
 ひとやにはあらぬ花籠を
 
 給ふあえかの姫君は、
 
 フランチェスカの前ならで、
                       おおきみ
 まことは「春」のめがみ大神。



BACK戻る 次にNEXT
[上田敏] [文車目次]