上田敏「海潮音」

 しるしぶみ
 銘文

  アンリ・ドゥ・レニエ




                 こみち   よつつじ
 夕まぐれ、森の小路の四辻に
                        しようよう
 夕まぐれ、風のもなかの逍遙に、
 かまど       さいげつ   う   つか
 竈の灰や、歳月に倦み労れ来て、
 じようごう
 定業のわが行末もしらま弓、
     たたず
 杖と佇む。
 

  みち
 路のゆくてに「日」は多し、
 
 今更ながら、行きてむか。
 
 ゆふべゆふべの旅枕、
 
 水こえ、山こえ、夢こえて、
 
 つひのやどりはいづかたぞ。
              せいねい        おほかみ
 そは玄妙の、静寧の「死」の大神が、
 
 わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
  おうごん           たへ   ふう
 黄金の、浦安の妙なる封に。
 

  たかがし せきりよう
 高樫の寂寥の森の小路よ。
         けたい
 岩角に懈怠よろぼひ、
          あしよわ
 きり石に足弱悩み、
      ごと
 歩む毎、
 
 きしかたの血潮流れて、
  こがらし  さつさつ        たかがし
 木枯の颯々たりや、高樫に。
  ああ       う
 噫、われ倦みぬ。
 

 はんのき  らくよう
 赤楊の落葉の森の小路よ。
            このは
 道行く人は木葉なす、
               はぢ
 蒼ざめがほの耻のおも、
 
 ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
 
 かたみに避けて、よそみがち。
 ぬかりみ
 泥濘の、したゝりの森の小路よ、
 ゆうしゆう
 憂愁を風は葉並に囁きぬ。
              つきしろ          こもりぬ
 しろがねの、月代の霜さゆる隠沼は
                             よど
 たそがれに、この道のはてに澱みて
 
 げにこゝは「鬱憂」の
       す
 鬼が栖む国。
 

  とねりこ    まさご
 秦皮の、真砂、いさごの、森の小路よ、
 そよかぜ
 微風も足音たてず、
  こずゑ
 梢より梢にわたり、
 やまみつ
 山蜜の色よき花は
  こんじき  すなご
 金色の砂子の光、
 
 おのづから曲れる路は
 
 人さらになぞへを知らず、
 
 このさきの都のまちは
 
 まれびとを迎ふときゝぬ。
 
 いざ足をそこに止めむか。
 
 あなくやし、われはえゆかじ。
      しよう  みち
 他の生の途のかたはら、
           なきがら
 「物影」の亡骸守る
       がん   つや
 わが「願」の通夜を思へば。
 

  たかがし
 高樫の路われはゆかじな、
  とねりこ    はんのき  みち
 秦皮や、赤楊の路、
 
 日のかたや、都のかたや、水のかた、
 
 なべてゆかじな。
  ああ  こみち
 噫、小路、
 
 血やにじむわが足のおと、
 
 死したりと思ひしそれも、
 
 あはれなり、もどり来たるか、
  じひびき
 地響のわれにさきだつ。
 
 噫、小路、
         しゆうじよく
 安逸の、醜辱の、驕慢の森の小路よ、
                          ふくかぜ
 あだなりしわが世の友か、吹風は、
  たかがし このしたかげ
 高樫の木下蔭に
 
 声はさやさや、
 なみだ
 涙さめざめ。
 

 
 あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
 
 あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
 
 あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。



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