エフェソス

エフェソスというのは昔の名前で現在はエフェスという。EFESという地元のビールもある。
紀元前16世紀頃ギリシャの植民地として建設され、その後ペルシャ、アレキサンダー大王、などなどいろいろな勢力による破壊再構築が繰り返された。アルテミス神殿を中心に栄え、紀元前2世紀には25万人の大都市だったといわれる。
当時の建築物が数多く見られるが、まだまだ発掘されたのは一割にも満たない。現在の発掘は埋蔵物に傷をつけないように、スプーンや刷毛で行われるので、この調子だと全部発掘するには数百年はかかるとのこと。もともと地中海貿易の中心として栄えたが、キリスト教にとってもパウロ、ヨハネ、ルカなど聖人との縁がも深く、また聖母マリアが晩年をすごした地として大切な場所でもある。

エフェソス大遺跡

往時の銀座通りか、ヘラククレスの門といわれる石柱の門を入ると石畳で両脇に神殿、住居などいろいろな建物の跡が並んでいる。多分当時の貴族達の生活空間だったのではないか。

2世紀頃の神殿。殆んどが崩れた瓦礫のままだが、ここはかなり形を残している。前の四角い台座の上には当時の4人の皇帝の石造があったがこれらは現在は博物館に収納されている。

住居の跡なのだろうか、床にこんなに美しいモザイク模様が残されている。

このように立派な彫刻を施された石が、至る所に転がっている。

銀座通りの中心に図書館がありこのあたりにいろいろな公共の建物があったらしい。また数々の芸術が産まれたところでもある由。クレオパトラとアントニウスが歩いたところであろう。下の写真は復元された図書館の入り口だが、ここには多くのパピルスの書物があったが、クレオパトラが全部持ち帰ったとか。

中心にはローマ風呂もあり、公衆トイレもあった。石の上では冷たいので、ここに座って温めている奴隷がいたとか。

現在発掘中。市場の跡といわれているが、まだまだ何が出てくるかわからない。

中心部から劇場へ通じる大理石の道路。道路の下には下水道もある。

道路わきにこんな彫り物が。足の右に書いてあるのが綺麗なお姉さんで、足の向く方向に娼館があるというしるし。人類最古の職業はちゃんと定着していたのだ。国際都市であったこの町にはいろいろな言語があり、これが共通語だったということか。多分識字率が低かったのだろう。

大劇場。25000人収容できるという。ローマ遺跡は何処へ行っても浴場と劇場がある。しかもその規模は尋常ではない。市民の一割が入るのだそうだ。

アルテミス神殿

この街の発展の基礎となったアルテミス神殿跡だが今は柱が一本あるだけで、殺風景なものだ。
紀元前7世紀に建立され、7度建てられ7度壊されたという。最後の遺物は殆んどドイツへ持ち去られたそうだ。