トプカプ宮殿

トプカプ宮殿は15世紀に建てられたオスマントルコの宮殿だ。
厨房跡には世界の食器が集められ、まるでお宝展示場だ。また写真は禁じられたが、夥しい数の宝石類を展示した宝物殿、当時の武器を展示した部屋など博物館としても重要な存在だ。

厨房の名器のコレクションの中には「Japon Arita」や
「Japon Kutani」と説明されたものもある。
「Chaina Arita」という不思議なものもある。

何と武器の展示室に日本の鎧兜があるではないか。
明治期に当地へ来た山田虎次郎なる人物が自分の物を持って来たそうだ。

ハレム

トプカプ宮殿でも最も有名なのはハレムだ。宮殿とは別に入場料が必要で、かつ入場は予約制だ。
ハレムは男の天国といわれているが、確かにそのような面もあるが、女達の熾烈な争いの場でもある。いわば「大奥」だが、オスマントルコではさらに厳しい掟がありドロドロとした世界であったようだ。

右の写真は人形によるハレム内部の説明の一部である。説明によると、ハレムの中はスルタン(皇帝)と14歳未満のスルタンの息子以外は一切男子禁制。力仕事をするために黒人の宦官(去勢された男)が飼われていた。
存在がすぐにわかるように、また万一中の女との間に不倫の子供が出来たらすぐに識別できるように黒人を使った。

これがハレムの入り口。ここから先に入れるのはスルタンの母親、妻、妾のみ。女達は入れるものの決して出られない。出るときはスルタンが死んで交代したときか、何らかの理由で殺されたときだけだ。妾の中にも上下の位があり、それらを仕切るのは母親の役目。実質ここの長は母親だったらしい。長になるためには先ずスルタンの息子を産み、育てて次のスルタンにすることだ。400人いたといわれる妾たちに競争のすざましさが伺える。

妻の選び方が実に面白い。もともと結婚という概念がはっきりしないらしい。単なる後継者製造手段のようなことらしい。先ず母親が周辺諸国の奴隷市場から適当な女奴隷を買い集めてくる。このとき決してトルコ人を選ばない。トルコ内に血縁関係を作らないためだろう。奴隷といってもスルタンの妻の候補だから多分没落貴族の娘や敗戦国の姫君などある程度教養のある人物なのだろう。
その中からスルタンが気に入った女を先ず妾に加える。こうして400人の妾がそろえられる。妾といっても実質召使であり、後継者生産設備でもあったのだろう。その中で男子を産んだ者が妻となる。イスラムの教えにより妻は4人までと決まっているから先着4名様までである。こうして選ばれた妻は特別待遇となりその息子達には英才教育が施され将来のスルタン候補となる。息子達は外国人との混血であり、スルタンになるとまた外国人の妻を持つから結局オスマントルコのスルタンはトルコ民族ではないのだ。
14歳を迎えた息子達は直ちにハレムを追い出される。そして父スルタンが死んだときに重役達により息子の一人が次期スルタンに選ばれる。漏れた息子達は大体一生幽閉される。幽閉だけでは済まず殺されることもしばしばあったそうだ。女達は全てハレムから出され改めて次のハレムが構成されるのだ。
実際には皇位争いのためにスルタンや息子達の暗殺も繰り返され闇の深さは想像を絶するものだったそうだ。
525年の間に37代もの皇位継承があったのもそのためだろう。

女達の居住区域。
2階が4人の妻の部屋で、一階が妾たちの部屋。
これらの中は見れなかった。

ハレムの中は贅を尽くしたものだ。
右はスルタンのベッドルーム。まるでブルーモスクのようだ。

息子の勉強部屋だそうだ。一人一人の息子達に別々の部屋と、専属の教師団がつけられ英才教育が施された。

右はスルタンの浴室。格子の向こう側に現在のトルコ風呂とよくにた設備がある。

ここにオスマントルコの特長がよく現れている。浴室そのものも厳重な扉で守られているが、さらに浴室の中にもこのように格子の仕切りがあり、内側から鍵がかかる。
つまりスルタンといえども裸で入浴中がもっとも無防備で暗殺されやすいのだ。女といえども恨みを持つものも居る。周囲は妾ばかりで信頼できるSPはいない。絶対安全のためにはこのようなことも必要だったのだ。

写真は禁じられたが展示された宝物の中には世界四大文明展で日本でも展示された短剣もあった。これには卵大のエメラルドがついている。