ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第二日(上)


 ネットで予約しておいた「非武装地帯&都羅山ツアー」への参加。出発の一時間前に起床。朝風呂に浸かっていたら、朝飯を食べている余裕がなくなり、仕方なくコンビニでおにぎり&缶ジュースを購入。集合場所に来たら、馴れない日本語のおばさんガイドが声をかけてきた。ここに集合したのは俺一人とそのガイド一人。他の参加者と合流するため、ガイドに案内されタクシーに乗る。だったら俺の泊まっているホテルに迎えに来てくれたらいいのに。
 タクシーは南西方向に2、3キロ走り、米軍基地前に停まった。観光バスの姿はまだ見えず。俺は待っている間、先程のコンビニおにぎりを食べた。味以外は日本のコンビニおにぎりと一緒。普段コンビニおにぎりを買わないので、海苔のビニールのはずし方をうっかり忘れていていたところ、ガイドが「こうやるのよ」とばかり、やけに得意げに教えてくれた。まさか「「日本にはコンビニおにぎりってないのかしら?」とでも思ったわけじゃないだろうな。

韓国のパトカー。米軍基地前にて。 黒胡麻ドリンクと思われる飲み物
観光施設「帰らざる橋」の前にて。
38度線の観光施設「第三トンネル」
で売られていたスナック菓子。
ケロロ軍曹と思われる。
日本の版権は一応取ってるみたい。

 10分くらい待ってマイクロバスが到着。そこで、米軍人とその妻とみられる参加者数名、中国語を話す、30代くらいの男性二人組、英語のガイド一名を乗せた。バスは郊外に向けて走り出し、途中でさらに、若い日本人女性一人を乗せた。
 いきおい、バスの中での説明は英語となる。日本語ガイドは、「日本人同士の方がいいでしょう」と、その若い日本人女性を俺の隣に案内すると、自分は一番前の座席に行ってしまった。、一番後ろの座席の俺のところまで聞こえてくる大声で、しかも身振り手振りを交えながら何やら豪快に運転手としゃべり込む日本語ガイド。英語ガイドの発する英語を即時通訳する気など更々ない。どうしても良く分からなかった部分だけ、バスを降りた際などを利用して後からガイドに聞いて、日本語でしゃべってもらう程度。でも、英語に比べて説明されている分量が少ない。

 しばらく行くと、川沿いの高規格道路に出た。川は漢江。それは明らか。でも、タダで揃えた地図は、どれもソウル中心部のもの。まともな郊外マップが手に入らなかったので、それ以上のことが分からない。
 走っているうちに、道路と河川敷の間に鉄条網が現れた。時々、歩哨の監視小屋まであったりする。河川敷は既に軍事境界線なのか?結局分からずじまい。

 漢江はいつまでも続く。どこからがそうなのか分からないが、もはや川ではなく、入江のようである。結局、だだっ広い駐車場のある、閑散とした観光施設に着くまで、道路の左手に「入江」は存在し続けた。
 (尚、バスに乗っている当時、これはすでに海で、対岸に見えている陸地は江華島なのだろうか?とも考えたが、帰国後、調べたらそうではなく入江だった。)

 閑散とした観光施設には、デパートの屋上にでもありそうな陳腐な遊園地が併設されていた。こんな、硝煙の臭いが漂ってきそうな雰囲気の場所に、遊園地を作ろうと考え、しかも本当に作ってしまった感覚に唖然とすると共に、果たして遊びに来る親子連れなんているのだろうかと余計な心配をしたくなる。日本語ガイドに聞いたところ、休日は賑わうんですよとのこと。平日で、しかも開業時間前だからなのかもしれないが、見たところ一人も人はいなかった。

駐車場前景 遊園地入口


 施設には、展望台と公園があった。展望台は3階建て程度の建物だが、近くに高い建物がないので、一応辺りを見渡すことが出来る。そして公園。朝鮮半島の形をした池があり、木の橋(「帰らざる橋」)とがある。木の橋は、朝鮮戦争当時存在していたものとの説明書きがあり、途中で鉄の柵によって阻まれている。というか、橋自体がそこで途切れている。柵には、北の家族に向けた、様々な思いの丈を綴った白い布切れやら何やらが結び付けてある。一言で言えば、韓国版「嘆きの壁」である。ガイドの説明によると、南北間の緊張が今より強かった昔は、民間人はここまでしか来ることが出来ず、ここで北の家族に向けて思い思いの言葉を綴った布切れを柵に結びつけたのだという。
 柵の向こうは、橋の上から眺めたのでは藪が生い茂っていて分からないが、展望台から公園を見下ろすと様子が分かる。柵のところが堤防となっており、その先が河川敷。川の名は臨津江。 成る程、これが演歌「イムジン河」で有名な臨津江なのかと納得。現堤防は、南北分断の後築かれたもので、昔は、この公園の敷地自体も河川敷となっており、木造の橋が川の対岸まで続いていたらしい。が、こんな木の橋が、本当に対岸まで延びていたのだろうか?

 しかしこの、布を巻きつけた鉄柵と木の橋、以前、夢の中で同じものを見たことがある気がするのだが、どうしてだろう?

手前の緑が公園。横に白く伸びているのが
「帰らざる橋」、奥は臨津江。橋の向こうは
北の国かと思いきや、実はまだ韓国領
「民間人統制区域」
半島の形をした池。「帰らざる橋」の上から。


 さて、ここで、一旦乗り換えとなる。今までマイクロバスでここまで来たが、他のツアーの客と合流して、一台の大型観光バスに乗り換える。先程の日本人女性とは、最初しばらくは話をしたものの、それ以上会話が盛り上がることはなかったので、ばらけて座ることに。その女性以外に日本人はいないので、単独旅行者と思われる人を探し、その隣に座ることにする。ひとりだけ浮いて見える、小柄の南アジア系の人。「Iam Japanese.Where are you from?」と聞くと、バングラデシュから来たとのことで、今まで何度も英国やシンガポールなどに行っているが韓国は初めてだとのこと。片言の英語でいくつか話し、結構楽しかったが、もう少し俺に英語力があればなあと惜しまれた。別に韓国語はこれからも話せないままでいいけど。途中で、「私は少ししか英語が話せません」と俺が言ってから、話が途切れてしまって残念だった。どうせお互い通じる言葉は英語しかないんだからそんな言葉、言わなければ良かった。そうすればもう少し楽しく会話を出来たかもしれない。

 臨津江を渡ると検問。兵士が乗り込んできて乗員のチェックをするが、手馴れたもので、緊張感はあったが、緊迫感まではない。英語ガイドが、「あそこに見える集落は一般人居住制限区域で〜」とか説明しているが、それ以上は聞き取れず。後はバスを降りてからガイドに聞いて初めて詳細を知る。また、「あそこに見える○○は朝鮮人参畑です」といった説明については、「○○」の部分が分からないために、どれがそうなのか結局分からず仕舞い。多分、寒冷紗で覆ってあった畑がそうなんだろうが。

北朝鮮が軍事用に掘ったと言われる
「第三トンネル」の観光用入口。
トンネル内での撮影は不可。
北の国を望める展望台。撮影場所に白線があり、
ここより壁寄りでの撮影は禁止されている。

 目的の観光地についてはおおかた予想通り。ネット上でいくらでも似たような感想記を読めると思うので割愛。
第三トンネルの中はひんやりと涼しくて気持ちが良かった。トンネル内に、飲用できる湧き水があり、ひしゃくまで用意されていたのでたくさん飲んできた。事前に知っていたら、空いているペットボトルのひとつやふたつ持ってきたのに残念。お土産に「どんぐりの粉」が手に入ったのは大きな収穫だった。買う際にガイドに、「このどんぐりの粉は、あく抜きが必要ですか?」と聞いたら、「あく抜き?その日本語を私は知りません」と言われた。

なだらかな山が都羅山(「トラさん」と読む)
(北の国を望む展望台がある)
都羅山駅。
駅前は全て造成地。
民間人統制区域なので定住者はいません。
駅構内。一応、列車の運行が日に4回。
いるのはほとんど、ツアーバスで来た観光客。

第三トンネル拝見後は、都羅展望台、そして都羅山駅観光。歴史の歯車がちょっと違っていら、
語呂合わせで「日本寅さん村」なんてテーマパークがここに出来ていたかも?!」なんて考えた。
 再び大型バスは駐車場に戻ってきて、マイクロバスに乗り換え、同じ道を通ってソウル市内に向かう。その車内では、日本語ガイドが居眠りしてしまい、起こして、英語ガイドが何と言ったのかを聞くと、「何で起こすんだよ」みたいな表情をされる。こいつプロ意識あるのか?と思う。他の現地ガイドも似たり寄ったりなんだろうか?韓国人のプロ意識ってもともとこれで普通なのだろうか?きっとそうなのだろうとその時あきらめの境地に達し、何も言わなかった。

 しかしガイドから更に衝撃的なことを通告された。ツアープランには集合したホテルでの解散とあったが、今回のツアー参加者の大多数の都合上、梨泰院までしかバスは行かないので、他の参加者と共に梨泰院まで行って地下鉄に乗るか、もしくはひとつ前の地下鉄駅付近でバスを止めるから、そこから地下鉄に乗るかして帰ってくれとのこと。あまりに豪快な「ケンチャナヨ」精神に開いた口がふさがらなかったが、運転手との普通の会話でさえ、私から見たら「まくし立てるような喧嘩腰」の口調の彼女と渡り合うだけのエネルギーを浪費する気力はなく、言われるまま路上で降りた。

 降りてすぐに、「1000ウォンショップ」が目に入ったので、帰国後の会話の種にと、ニセリポビタンDなどいくつかの飲み物、菓子類を買った。で、店員が入れてくれたレジ袋、一昔前のごみ袋さながらの、無地の真っ黒なビニール袋だった。どういう色彩感覚しているんだろう?
ニセリポビタンD。味も同じ。

 さて、道路のカーブと起伏の関係で、地下鉄(緑莎坪駅)入口を見つけるまで15分かかった。
 駅構内では、比較的乗客の少ない日中、省エネをしているらしく、それらしき標識があって、動く歩道は止まっているし、照明も落とされていて薄暗い。照明がついていれば、天井に配管が浮き出た東京の地下鉄なんぞと比べて立派に見えること間違いなしなのだが。改札脇の広告スペースには何故か一畳分くらいの大きさの韓国旗。

緑莎坪駅入口付近 薄暗い構内(同駅) 多分省エネのため(同駅)

 ちゃんとチェックしたつもりなのに、一駅先の乗換駅(三角地駅)にて、逆方向に乗ってしまい、そこから二駅でソウル駅の筈が、あれ?この駅名(二村駅)、戻っているのでは?と気付いた時には既に遅し。まごまごしているうちにドアは閉まり、地下鉄は地上へ。漢江を渡って「銅雀」という地上駅に着いた。何やら曰くありげな駅名だが、地上駅。地下と違い、当然冷房はなく、蒸し暑いホームで5、6分上り列車を待っているうちに、体から汗が滲んできた。
 ようやく冷房の効いた車内に戻り、今度こそは間違いなくソウル駅に到着。そのまま二駅先の明洞で下車。ホテルに戻った。多分、乗り換えミスで30分くらいロスしたことだろう。

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ケンチャナヨ精神・・・「ケンチャナヨ」とは韓国語で「いい加減」の意味。