ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第二日(下)


 南大門で降りて、昨日眼鏡を注文した店に行く。眼鏡は注文通り出来ていたが、残念ながら昨日の店員は店にいなかった。
 同じく、昨日立ち寄った店「のり世界」に再度立ち寄った。昨日と同じ店員がいたので、「疲れた。休ませてくれ」と言ったところ、小さい紙コップに試飲用の「ざくろジュース」を出してくれ、店内の椅子で一休みしたのだが、その後間もなく、4、5人の若い日本人女性が店の前を通りかかったのを呼び込むなり、彼女等に付きっきりになってしまった。せっかく、日本語が通じる相手と、世間話やら今日一日のことなどを話せると思ったのに、まるでこちらは放置状態。商売だから仕方がないか、と、ほどなくして店を後にした。
↑夜の南大門
 南大門からソウル駅までは10分程度の徒歩圏。疲れてはいるものの歩いてみることにした。
 途中、歩道に高齢のホームレスが転がっていた。車は多いが歩道の人通りは疎ら。俺と目が合うと彼は、火のついていない煙草を俺に見せて、火を貸してくれないかと俺に聞いてきた。(英語でファイヤーと言ったのか、それとも言葉ではなく、身振りだったのか、どちらだったのかは覚えていない。)快く、持っていたライターを差し出したら、持っていた煙草に火を点けた。が、ライターをそのまま懐に仕舞い込んでしまい、その上で俺に「ギブミー?」と聞く。「だったらはじめから『貸してくれ』じゃなくて『欲しい』と言えよと思ったが、ライターのひとつくらいプレゼントして、日本人の心が広いことを見せてやろうと思い、日本語で、「いいですよ」と言い残して立ち去った。


←ソウル駅東口の地下道。柱の間に毛布と人が点々と。

 やがて、暖かみのあるオレンジ色にライトアップされた、旧ソウル駅舎が見えてきた。近付くと、駅舎の周囲の至る所にホームレスが寝そべっていた。車道を横切るのに地下道を通ったら、そこにもホームレスが何人も横たわっていた。ただ、これらだけをもって、日本と比べて韓国の貧富の格差が激しいと断定することは早計だ。日本でも、ここ以上にホームレスの多い地区はいくつもあるのだから。
 さて、旧ソウル駅舎。「利用客の増大に伴い、現在は駅舎としては利用されてはいない」ものの、幸いなことに、歴史的建造物として残してくれてはいる。しかし、その説明書き(これも4ヶ国語表記)を読むと、「日本は、中国本土侵略の足場として鉄道を建設し、ここに駅を設置した〜云々。」半島人お得意の「正しい歴史」が記されていた。仮に100%侵略目的だったとしたら、誰がこんな、石造りの立派な駅舎を建てるだろうか。

東京駅より小ぶりだが、上品な感じの旧ソウル駅 説明書き


 駅前の、ロッテストア ソウル駅前店に立ち寄る。高級百貨店ではなく、大きな食品スーパーという品揃えの店。主に、お土産用の飲食物を買う。ハングルを読めないので、商品名はおろか、パッケージに絵が書かれていないと、そもそも何の商品なのかが分からないのが痛い。それでも、疲れきった足を引きずって、いろいろなものを品定めした。スナック菓子と、朝鮮人参ドリンクは安かったが、他は期待した程には安くはなかった。

 両手に大きな荷物を抱えてソウル駅から明洞まで地下鉄に乗る。ホームの片隅に、工事の概要を示した銅版が埋め込まれているのが目に付いた。二文字だけを除いて漢字で記されている。「特別市」の前に二文字だけあるハングルは、前後関係から考えて「ソウル」に間違いないだろう。何の苦労もなく、100パーセント意味が分かった。でも、こんなの読めたって何の足しにもならない。スーパーの商品に漢字が使われていてくれたらいいのに。もともと韓国語の語彙の7割は、漢字語なんだから、と思った。(ちなみに、日本語の語彙のうち、漢字語は5割と言われる。地理的に中華に近かった分、韓国語の方が、自国語彙に占める漢字語の割合が高いのだ。)

   ホテルに荷物を置いたのは11時過ぎ。実はまだ夕飯を食べていない。とても腹が減っていたが、同時に、疲労感でそのまま寝てしまいそうだった。しかし、明日の活力のためにと外に出た。ホテルから徒歩5分余りの焼肉屋。名物「保身湯(ポシンタン=犬肉スープ)」を出す店である。
「工事名」「工事区間」「工事期間」「施工者」など、お馴染みの文字が→


 入って一言。「ポシンタン」と言う。店員のおばさんは、俺が日本人であることをお見通しと見え、「物好きの日本人がやってきたな」という表情でニヤッと笑う。数分後、真っ赤なスープが運ばれてきた。ただ辛いだけのスープの中には、びっくりする程たくさんの肉片が入っている、スープのダシを工夫して、あと、肉はもっとボリューム少なめでいいから、一種類の野菜だけでなく、いろいろな野菜が入っていれば、もっと美味しくなるだろうになと思う。
 食べ終わる頃にはほぼ閉店時刻の12時。おばさんが、サービスと言って俺を含めて3、4人残っていた客全員に、梨をくれた。その気持ちは嬉しかったが、小さく、水分が少なく、石のような代物だった。日本で売られていたら、きっと誰も見向きもしないだろうものが、この国では商品価値を持って流通していることにびっくりした。
 会計の時、おばさんが、身振りで力こぶを作って俺に見せて、笑顔で何か話しかけてきた。「保身湯を食べると力がつくのよ」ということを伝えたかったのだろう。笑顔だったのは多分、外国人である俺が、保身湯を食べたという事実それ自体にあるのだと思う。
←保身湯。本来寒い冬に、肉で栄養をつけると同時に、その辛さで体を物理的に温めることを目的とした料理である。

 どこの国、どこの地方にも、郷土料理、名物料理というものは存在する。本来、何を食べるか、どうやって食べるかは、ひとつの民族なり部族なりが置かれてきた過去の自然環境や歴史を反映したものであり、それに優劣など無いし、つけるべきものでもないのだが、現実には、「保身湯」は、国際的に「ゲテモノ」と思われ、時には非難、嘲笑すらされている。それどころか、そうした海外(主に欧米)からのいわれの無い非難、嘲笑を真に受けて、韓国政府それ自体により、犬肉を食べるのは野蛮だからやめようなどと、愚かなキャンペーンが行なわれた経緯がある。
 そして、実際、辺りのテーブルを見渡した範囲では、普通の焼肉を食べている客が大半で、保身湯を頼んでいた客は俺だけのようであった。(ちなみに、犬肉を使ったメニューは保身湯のみであり、犬肉に他の調理法は存在しないようである。)
 そんな経緯があるからこそ、一外国人が、たとえ好奇心本位であったとしても、自らの伝統食品である保身湯を、残さず食べてくれたことがきっと嬉しかったのだろう。

 腹いっぱいでホテルに帰り、このまま寝たらもたれそう・・・と感じつつ、横になり寝た。

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