“零落の末に残りしものあり”
古 文 書
自力で解読

文書名

西紀

記事

陸奥国田村守山庄安原村検地帳 1680 複写 1777 原書は新支配代官所へ差出
上欄検地帳の内容分析
陸奥国田村守山庄安原村林芝野御検地帳 1680 こちらは 原書
酉年御年貢可納取附之事 1693
〔支配領主交代に際しての申告〕 1701 1700 幕領から新設守山藩に改編
安原村未御物成割附帳 1703
安原村巳御年貢可納取附之事 1761
安原村御物成米金銭割付指帳 1782
戌之年御年貢割付之事 1790
和尚さま人事異動 連絡送迎式典等諸事控え 1793 複写 1993 原書は安養寺へ納蔵
郷蔵建替諸入用帳 1826
〔借用書の部分〕 1829
安原村午年御年貢割附之事 1846
安原村子御物成金總納通 1852
〔まじないの事典〕 1856
安原村辰年御年貢割付之事 1868


  上の各文書を総合的に見ると発見できることがいろいろあります。

一例(阿武隈川増水による被害)
被害 数量 資料
1681 決壊  6.5反 1693資料
1682 砂押  6.9〃 1693資料
1687 決壊  1.9〃 1693資料
1698 決壊  6.9〃 1701資料
1699 決壊・砂押 15.3〃 1701資料
1738 水除土手 200間 別資料

 このデーターから1699年以前は頻繁に氾濫による田畑の被害があったが1700年からはその記録がありません。
水除土手が造られて、1733年には土手が壊れたけれども田畑に被害が及ばなかったと理解します。
災害対策には村民が動員されその手間代は年貢の軽免によったことがわかります。(1761資料)
 また延宝8年(1680年)に行われた検地による石高236.61433という数値は絶対的なものとして領主が変わっても明治までの188年間年貢の基礎として使われました。
最小桁が全体の一千万分の一、米粒約60個分 何でこんな細かい数値まで掲げたのでしょう? 厳粛さと権威を示すため?
川欠けなどのマイナス分や開発によるプラス分は毎回この石高の数値を基に、それを増減して算出されていました。

解読文中黄色文字は未確 (各ページ共通)


お上の勘定お間違い

その他


徒然ながらも『世に、時を顧るしるべを提供する。』に徹した精神で綴っています。   2003 平成15年 6月25日  公 開_
2008 平成20年10月25日 見直し修正


他家から預かった古文書の内から

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