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 ☜ マグネトロンの理解には ☜
旧海軍電波実験場の遺跡が発掘された場所は静岡県を流れる大井川の西側(右岸)で真東名高速道路橋梁(新大井川橋)のすぐ上流側です。
ナマコ状の半島が右岸台地から北東に向かって山鼻と称されながら流れを遮る形で突き出ていました。氾濫対策で半島は削り取られて
根元だけになりました。遺跡はその半島の尾根で高さ約20メートルの鞍部にありました。

静岡県島田市教育委員会の『第二海軍技術廠牛尾実験場跡遺跡』調査報告書を通読して、感じた疑問について、
嘗て会得した電波体験を復習して裏付けとしながら謎解きを試みました。


 海軍強力電波実験場

 

装置は電波常識から全然問題になりません。【理論上、殺人光線は有り得ても、殺人電波は不可能】
電波でエネルギーを送れるのは至近距離だけです。拳銃にも及ばない!電波はレザー光のように遠距離まで集束ができない。

調査報告書59ページから引用
「飛行機のどこか主要部分を溶かしはしないか というのが一つの希望ではありました.(中
略)大井川の対岸に自動車を置いてそれをとめるとか,そんな風なくらいのことは考えまし
た.大井川の上流の牛尾というところに疎開し,山を切り開いてW型の窖{あなぐら}を作っ
て,そこに{パラボラ}を据えて大井川がぐっと曲がっている向うまで約一万五千メートルほ
どあったが,そこへ目標をおき,こっちから強力な電波を出してやろうということで,疎開を
兼ねて,そこへ建造することになり,引越したところで終わった.」(前掲『殺人光線』).

 最初に読んだとき これが伊藤庸二さんの仰せられたこととは気付かなかった。当初は伊藤さんもこのように信じておられたのだろうか?
  違う ! 「強力マグネトロンができれば、殺人光線は不可能でも殺人光線に匹敵する何らかの新兵器に発展できる」と期待されたに違いない!

 同箇所にもう一つ
 「・・・約一万五千メートルほどあったが,そこへ目標をおき,・・・」
この場所から15000mを地図で調べるとざっと大井川河口迄の距離で、反対方向は山また山で手前にはもっと高い山があるので15000m隔てた地点は陰になっています。
伊藤さんは記者の取材に真剣でなかった様子が窺えます。

 「殺人光線」というのは強大な電力を電波に変えてパラボラ反射鏡で電波源の実像を目的対象物上に結ばせて焼いてしまおうという考え方です。
探照灯からの思い付きでしょうが極超短波では、あの光芒のようにビームを鋭く絞ることは無理です。
探照灯の反射鏡もパラボラ(回転放物線体)ですが光は波長が1マイクロメートルよりさらに短いのであのような鋭いビームが可能なのです。
マグネトロンがつくる電波の波長では、エネルギーを集中するポイントが波長に相応する面積を持ちます。波長が更に短ければピンポイントの言葉どおりに小さくてエネルギー密度を高めて対象物を焼くこともできるでしょう。
面積が放射した時の大きさ※ ならばそれが可能であろう・・・けれども実像は距離に比例して大きくなります。エネルギー密度は距離の2乗に反比例して弱くなって、仮に直径27mのパラボラ反射鏡を作って焦点距離8.1mとすると、16.2m【】前方に結ぶ実像は放射口と同じ広さですので物を焼くのが可能です、10倍の81m前方ではエネルギー密度は100分の1に薄れますが人が浴びれば危険です。500mにもなると暖房程度で人は殺せません。
 仮に超巨大な直径100mのパラボラを作り、出力1000kwが実現したとして、それでも『約一万五千メートル』先では暖房程度!
更に波長を2cmに短縮成功させたら、火傷を負わせられる?
 いや、まだまだ!サーチしながら途中でチラッと浴びせた程度じゃ駄目!フラフラも駄目! 移動に合わせて狙いを外さず撃墜まで持続させなければ!
       そんなことできると思いますか? 一万五千メートル先に、電波先端の大きさは数センチ!
       102×10×102 = 10 5   ・・・なにをかいわんや・・・


電波でエネルギーを送れるか

殺人光線はともかく殺人電波は不可能
電波、赤外線、可視光線、紫外線、X線、γ線、これ等は電磁波上の区分です。

    から引用

電磁波のうち電波は専ら情報の送受に適していますが、エネルギーの伝送には向きません。
波長が特に短い電波は光に似ていると言われていますが、センチ波と可視光線の間には10万倍の隔たりがあります。
センチ波でもエネルギーを送るには、すぼまり方が足りません。届くのは僅かの距離です。
電波のエネルギーは空間に拡散しますが、1千倍~数千万倍にも受信側で増幅することがが可能なので情報の伝送に適しているわけです。
赤外線、可視光線も情報の送受に利用されますがこれは、エネルギーに情報を強弱の形で搬送する間接利用です。
電波では指向性アンテナといえども、進行するにつれて先に行って広がるのです。ビームの太さは波長に比べれば 50倍程度でしかないので外側からの剥離が芯まで及んで束が膨らむのです。
 【電子レンジのように受け渡しが数波長以下の至近距離の場合は伝送と考えておりません。】
電磁波のうち電波電波以外との明瞭な違いは、交流電圧・電流によってその交流と同じ周波数の電界・磁界が発生するのが電波です。そしてその逆に電波を受信したら元と同じ周波数の交流電圧・電流に戻せます。
電波以外の電磁波では、電波の場合と違って波動エネルギーを届いた側で別形態に、又はその逆に変換されるのです。
※パラボラ反射鏡を2次アンテナといいます。対して、1次アンテナとはパラボラの焦点にあって鏡面に向けた電波の放射口で、放射口の形状を調整して電波を反射鏡の全面に吹き付けます。( なるべく はみ出さないように )

  反射鏡面は放物線の対称軸を中心に回転させた立体の部分です。焦点を無視してはパラボラを論じられません!

あらためて読み直して、 この場所『牛尾』に移設が計画された時点で既に『Z計画』は見切りが付けられて専ら『A計画』に専念されていた。『極超短波近距離起爆装置』が当時の正式名称と知ったが、切羽詰った戦局、打つ手がないでは済まない 「兎に角構築しよう、用法は造りながら考える」と悲壮な焦燥感が察せられる。
   ・・ここで「距離」とは目標と砲弾の炸裂点との距離を言っている(10m以内)。 砲或いはパラボラ反射鏡からの距離ではない。・・
当初の専ら研究用の計画であった施設を実戦に転用するとして、戦果を得たならば敵は事後このルートを通らないから一回きり、つまりぎりぎり一矢を報いようとする最終兵器となる。末期のこの時期には苦策の効果も絶望!

用法の想像(1)
 電波を送信して敵機侵入高度に電波の棚を作る。そのためには同一の高度から送信するか或は、相当な遠方から送信する。
今の場合遠方からの送信である。距離が大であれば大電力で送信しなければならない。
棚を作るには電波を水平面に薄く平たく団扇状に放射する。敵機を電波の棚に乗せて下から電波信管装着の砲弾を高角砲で撃つ。     棚で電波を感じると砲弾は炸裂する。炸裂は目標から10m以内で効力があるので、棚の厚さが問題だ。
計算から棚の厚さは 1800m 以上になる。それは、距離と波長に比例して、パラボラ反射鏡の径に反比例するからで、 大幅に限界を超えて利用できない。

用法の想像(2)
 無線或は有線の制御線を引いて高角砲陣地からの制御信号を中継して送信する。 高角砲は複数門を同一目標に向けて同時に発射するが、電波信管装備砲弾が有効圏内に達したときに陣地で電鍵を押す。 これならばより確実か? しかし送信所を遠隔地にする必要が無い。近辺に適当な陸地が無いからか?

用法の想像(3)
 当施設からの電波と敵機からの反射波のドップラーを捕捉して信管を動作する方式を作る。米英のVTヒューズに比して砲弾搭載機は送信不要なので調整単純。

用法の想像(4)
 実現の可能性が容易なのは敵機レーダーの目潰し。 B29の偵察は昼間だが空爆は夜間が多かった。レーダーを頼りに来る。(パラボラの焦点を故意に外してビームを拡げ)敵レーダーの波長に合わせて攪乱電波を浴びせれば、彼らは暗夜盲目になる。   妙案と思ったが、1機でも侵入に成功して地上に火災が起きれば効果半減!
改案 焦点を外すの止める。目標群を繰返し走査して、レーダー、電波高度計、ロラン、帰投装置(タカンの前身)、通信装置等電波利用のすべてを錯乱させる。
  【特別強力な電波入力は受信機増幅回路の飽和によって波長選択機能がマヒする】

戦況が逼迫して実験研究をする余裕がなくなったが、最高の頭脳を集めて有効な利用を発見し最終兵器に役立てる工夫がされた。

構想を追う

 なぜ巨大なパラボラ反射鏡なのか、それはパラボラ反射鏡が大きい程目的に向けて鋭くすぼめて電波を送れるからです。
電波の束の広がりはパラボラ反射鏡の径に反比例する。広がらなければ遠くまで届く。届く距離はパラボラ反射鏡の径に正比例する。

周波数   1500MHz 波長 20cm
距離     仮に80㎞
送信機出力 100kW 80dBm
パラボラ反射鏡の径  10m

 上記条件での結果

自由空間損失  134dB
送信空中線利得  32dB
受信電界    -22dBm 0.006mW
ビーム幅    1.34度(‐3dB幅)

当初22号電探、3号電探などから推察して波長は10cmとしていましたが、この時点で完成した100Kwマグネトロンは波長20cmと判明しました。【創意無限 中島茂 Page 190 図23 】 依って、関連する数値はすべて訂正しました。



写真は反射鏡ではなくて支持体です。鋼と鉄から組み立てられています。【反射鏡と言っているのはおかしい!紙が貼ってなくても障子というか?】
反射鏡本体の素材は銅で、軽量、風圧回避、資源節約を図って、溶接銅網、パンチングメタル、エキスパンドメタルなど、或いは、偏波面が水平・垂直何れかに固定であれば簾(すだれ、横)か格子(縦)状に配した銅材。
  【当時アルミ材は純度不足で腐食する、経緯間無溶接の金網は反射不全で夫々不可】
何れの場合も銅線の間隔或いは穴の径は 3/8λ以下です。
その銅材が支持体の内面に正確に貼られていなければなりませんが、写真にそれが見えません。貼る前の姿なのかそれとも剥がされた後なのだろうか?
凹凸の許容差は厳しくて、パラボラ反射鏡の大小にかかわらず放物面理論値から ±12 ミリメートル(波長の1/16)以下。
大きい程精度が必要であるのに、大きい程重力や風力による歪を受け易くなります。撓んではいけません。
 P.-70- (37)写真『パラボラ反射鏡』から寸法概略を推測
  パラボラ反射鏡の直径10m、人物身長1.6mと見て、
 y = x2 / 12(メートル) ←左の数式を選んだところ、写真の姿に大略合う。
即ち
 ・深さ 2.1m
 ・焦点距離 3m

 数式1  y = x2 / 12
 数式2  y = x/ 2
上の2数式を連立方程式として、yの値が焦点距離です。

】放物線の対称軸付近では曲線が焦点距離の2倍半径の円の弧に近似する。つまり、焦点距離の2倍の位置から
    電波をパラボラに吹き付ければ大半の勢力が元に戻って来ます。出力が大きければ大変なことになるでしょう!!



 通信用、レーダー用は固定焦点ですが、このパラボラ反射鏡は当初の目的から推測して焦点調整装置を付加していたと思います。
実験がまだだったとしても、ピント合わせが至近距離以外で無意味なことは検討して解明したことでしょう! 試みに図の式に f を3m、Dを想像する距離を代入して d を求めてみてください、

 [だそく] ピント調整、間違いなく絶対に2×f の手前でその調整範囲が終わる構造だった筈。


パラボラアンテナの原理



マグネトロン

 当時マグネトロンは実用期に入っていましたが、実験場当初の研究は如何にして大出力のものを造るかが課題でした。
隘路は寸法と界磁と冷却です。短い波長と大出力は相反する問題です。
また当時はまだ強い永久磁石が無かったので電磁石を使いました。コイルは大型・大重量です。
 そして発熱の処理です。マグネトロンの能率は良くて40%で改善の余地は僅かです。能率40%ということは、
損失が60%のわけで出力100kwならば、 100kw×(0.6/0.4)=150kw
  電波として送り出すよりもマグネトロン自身の発熱エネルギーが大きく、150kwの発熱になります。
カロリー計算から この熱量は、毎秒36キロカロリーで、大バケツに一杯(18リットル)の水が40秒で沸騰します。
水冷以外の方法は考えられません。マグネトロン陽極に電波や電子の働きを邪魔しない様に放熱チューブを貼って冷却します。
             水勢は凄いだろう!  突然その水が止まったら?!
このように管内と管周辺に高密度に必要部品を配置するのが課題です。
これに成功することが、当実験場の可能な成果だったでしょう。
大量の冷却水、循環式ではラジエーターが巨大になるので懸け流しにしたでしょう。
  川原にポンプ室を設けた? 濾過装置も必要。
  または、麓に井戸を掘る。水量、水質が満足であればその方が適当!
         排水は  !    強力マグネトロンは瞬間湯沸し器だった!
 更に機械的な問題が重複していた。その、第一は流水と管内面の摩擦が陽極の構造を捻るように押す。第二が流水の強弱(脈動)による振動(陽極構造が揺すられる)。これらの対策も難題だった!

 マグネトロン陽極とその界磁用電磁石の冷却。
陽極の場合は水管径35ミリ、水勢は蛇口全開程度だが、電磁石の冷却も同程度?
界磁用電磁石の発熱は励磁DC電流によるオーム損によるもので陽極損失150kwの外です。戦後だったら強力な永久磁石が開発されて無用。

 さらに周波数を高く、その上で出力を増すためには、波長に比例して陽極の径が小さく、発熱が集中する。この相乗する問題を水で解決することは既に限界。 打開策は、
 ・空冷の併用
 ・搦め手からも攻める・・ 温度許容値を上げる工夫をする


酸化被膜陰極

マグネトロンに限らず熱陰極真空管は陰極をヒーター加熱する。タングステンなどを用いてヒーターそのものを陰極としたのを初めとして、
その後、ヒーター温度を低く電子放射を多くできるようにトリウム入りタングステン或いは種々の酸化金属を塗布した酸化被膜陰極が考案された。
 私の知識では、
『 酸化被膜陰極は電子放射の効率は他より勝れているが、大電子量、陽極高電圧に被膜が耐えられないため大形管には利用できない 』 と なっている。
この、私の知識で量り兼ねることが どのように克服されたのだろう?
  或いは、酸化被膜極が正しいのだろうか?  それはあり得ない!

その後蔵書中に発見した。

引用書籍 マイクロ波真空管
 杉浦正信 無線従事者教育協会
 昭和31年12月15日発行

磁電管は、1μs 程度のごく短時間極めて大きな陰極電流を取るので、陰極の構造、動作は普通の連続発振用とかなり違っている。電流密度は普通の酸化物陰極の場合 0.1A/cm2程度であるが、磁電管では50A/cm2もの高い値を必要とする。したがって最高出力の極限をめる要素の一つは、この陰極電子放射密度である。・・・中略・・・
 短時間の大放出電流は、連続放出の場合陽極汚染すなわち酸素、バリウム等と陽極金属との化合物が陰極表面に作用して電子放出を低下させる現象がなく、且つ休止時間にそれが恢復するためであるといわれる。これは放出時間が 10 から数十 μs までは影響がない。・・・中略・・・
 連続発振用には酸化物陰極がつかえないので、純タングステン繊条が使われる。最近注目されている L カソード、含浸型 L カソードなどは衝撃に強く、放出密度も大きいので有望である。

「 L カソード」はネットで2~3件調べて理解未了だが、終戦以前の実現はあり得ない! 従って当時、連続波用高出力マグネトロンに『酸化被膜陰極』は構想に過ぎなかった。【パルスレーダー用には実用試験中】


マグネトロンはケースに入れてパラボラの焦点に取り付けた!


パラボラの大きさ10メートルに比べて、マグネトロンは取り付け部材を含めても1メートル足らず、そして界磁電磁石が重量物だけれども10キログラム程度だろう? とすれば反射鏡機構全体の頑丈さから考えてマグネトロンと付属物一式を焦点に接して取り付けることが可能! いまさら気付いたが さすが先人たちは70数年前に考えた。
最大の悩みだった太い導波管も同軸管も使わない。代わって必要な高圧電線、直流電線、冷却水管は引き回しが容易、可撓性は充分、ロスが僅少。
   これで、一挙に矛盾が消えて71年前が近付いて来た感じ!

ここで気付いたこと
 『Z計画』 に見切りを付けて 『A計画』 に改めてからは、パルス変調方式等の不連続波が適用される。伴って尖頭出力は数百キロワットのまま 発熱は 1/100 以下になり、冷却問題は 『A計画』 に変更の時点で解消した! 『Z計画』 は如何にしてエネルギーを大量に送るかが課題であったが 『A計画』 は情報の検知・伝送、利用に研究目標が変った。


構築は ?

仮説-1


 調査報告書を要約して紹介することは措きますが、地面上高さ3メートル、間隔10メートルの1対コンクリート構造物は、
大型パラボラ反射鏡を搭載した架台であったとの前提で調査が進められています。

 当遺跡最西端に残っていたのはパラボラ反射鏡の架台ではありません!
西側18メートル崖下の河川敷から資材を吊り上げるため索道が設置されました。その際の主索吊下架の架台です。
その主索吊下架は、発振室、電源室の建築以前には東側に対しても、つまり両側に対する主力塔として使用されたと考えます。
動力は人力のほかに小馬力の発動機が使われたと思います。 もう一つの動力 ⇒
仮説が正しいとすれば、
・ 『第6章 まとめ』最後の『謎』は解消する
・ 方向限定による不満が解消する
・ 当時、建設の際、起伏地に 索道 、平坦地に トロッコ が普通だった
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、間隔は10mより狭い方が適している(重心を回転兼支持軸上に置く、支持を外周にすれば鏡面が歪む)
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、両台の底部を連結して一体構造にする
・ パラボラ反射鏡の架台ならば、前後方向の支持構造が不足。風圧は鏡面の前後方向に作用する
・ 間隔10m+の主索を吊る門型構造は、パラボラ反射鏡を傾けずに通せる
・ 一対に直交した切通しは電波路ではなく索道の所要幅である
・ 調査報告書は架台が引渡目録に載っていないことを疑問視(38ページ)しているが用済み後、財産から除外した

 当時わが国にはヘリコプターがありません。山道を人肩畚牛馬の背で運んで間に合う場合は小規模に限られます。
運搬用の道路を建設するには今と違って多くの日数がかかります。そこで、このような場合は索道によるのが例でした。
索道は小規模から大規模まで運搬量に応じて適した構成を選定します。小は人力による神楽桟(かぐらさん)、ウィンチなどで、ウィンチには動力が使えるものもありました。
鉱山など大規模のものは電動でした。登山客輸送用も索道の範疇です。
今では高さ20メートル程を、ドロドロの生コンを管で上げているのを見ますが、生コンは1949年からだそうです。(ネット調べ)
つまり戦時中には生コンによる工法が無かった。砂利、砂、セメント、水を運び上げて、揃ってから捏ね合わせた。
以上から、土木・建築・電波・電源等各部門共用の索道を設けて重量物、精密機械などを交代に吊り上げたに違いありません。
この図のような規模での総運搬は1000回以上も懸りそう? 雨の日は避けたい! と すると、もっと大規模な仕掛けだった?

調査報告書19ページから引用
                       縦横断図を参考に計算すると10,000㎥余の土
量となる。掘削土は電源室が造られた谷間に埋め立てられているが、この谷はすべての掘削土を処
理するには狭く、一部は他に捨てられたようである。この捨て場所として造成現場近くの丘陵斜
面が考えられるが、調査前に行った地形測量では、施設近くの丘陵斜面の等高線に乱れはなく、掘
削土を多量に捨てた痕跡は認められなかった。

  此の疑問の答え、掘削土の重力エネルギーは索道を吊り降ろすことで、吊り上げ側の動力として利用されたのではないだろうか? !
つまり、峰筋と直行して北西方向から南東方向に主索と共に全体1条の動索を延長、下りの重力エネルギーを、反対側にある荷重を吊り上げる動力として有効利用したと考えます。
ブレーキも適切なものが工夫されたことでしょう。

 発振室・電源室間の謎のスロープは、
 東側索道の引上荷物を緩やかに接地させるためのもの。
用済み後電源室のコンクリート床に埋められたが、発振室への運搬用として上部だけを残存した。
では、パラボラ反射鏡はどこに着けたのか? 発振室の屋上に砲座転用の方向自由な架台を設ける企てだったでしょう !




  休止時は仰角90度 ∵ 強風を避けやすい!


調査報告書38ページから引用
 発振室北側にあるパラボラ反射鏡の架台は、引渡目録には載っていない構造物である。細尾根の
切断部分の崖面に接して造られている。パラボラ反射鏡の設置が間に合わず、終戦時、終戦後も爆
破もされることも無く、当時のまま残っていた。両架台の頂部にはパラボラ反射鏡を支える基台用
と思われる穴が複数個認められた。また、架台及び隣接地に木柱が残るコンクリートの穴も認めら
れた。これらはパラボラ反射鏡を架台に固定した際に用いられたものと思われる。このことからパ
ラボラ反射鏡は完成しないまでも何度かこの架台の上に仮設置された可能性も考えられる。また、
『中日トピック』には牛尾実験所のパラボラ反射鏡と考えられる写真が掲載されている。平場に置
かれた状態の写真で、景観的には牛尾実験所である可能性が高い。分解して運びこの場所で組み立
てられたと考えられるが、この広場は三方が絶壁や断崖となっており、唯一の入口が東側となる。
しかし、架台の東には発振室、その東には電源室が、切り立った壁面一杯に建設されている。建物
建設後は内部を通らなければ、この場所に行くことができない。どのようにしてこれだけ大きな器
材をこの場所に運び込んだか謎である。

 引き渡し目録から知れるがA装置(極超短波近距離起爆装置)の実験装置1組は旧場所(島田第三研究場)にあり、未だ牛尾実験場に移転されていなかった。
即ちA計画は形ある装置が存在した。それを設計図の再生を命じて共に接収した。 跡形なく である。ソ連を意識して米軍は自らの軍機にしたのではないか?

仮説-2

天井崩落の原因
アーチ構造の建築は、重力の横方向分力に対する踏ん張り力で成り立ちます。重力がなくなれば踏ん張り力も無くなります。
現場の建築物は間口が崖っぷちです。
斜面を吹きあげた上昇気流がアーチの内側に吹き込んで圧力は天井を押し上げました。その力が重力に逆らってアーチの
構成が成り立たくなり部材間に隙を生じ、風が止んだ時に崩壊しました。1945/05/15
    【過失は設計段階!】     詰腹を予想できなかったのか?!
事故の日は何れか? 臼井さんのコラムでは 5月15日、 中日トピックのルポでは 7月の雨が続いた日となっている。 私は雨よりも風が原因と考えています! 
 
調査報告書37ページにも「記録によれば、5月15日・・・」と記されている。


カーバイド 

調査報告書28ページから引用
(5)その他施設(発振室北側のテラス、見張り所、道路)
 発振室の北側、発振室の床から高さ約3m程の場所に、南北方向3m~4m、東西方向約8m
の平坦面が認められた。米軍引渡目録にあるお塩実験所配置図に描かれた発信室北の長方形(建
物?)の場所に当たる。岩盤からなる崖面を、L字型にほぼ垂直に切り崩して造成され、南面は
発信室に接し、東面は電源室に接する。調査では建物の基礎などは検出されなかったが、当時の
地表面からはカーバイド(炭化カルシウム)と思われる灰白色の粉状の固形物が広範囲で認めら
れ、その周辺から鉄片や銅線などが出土した。
---以下略--

カーバイドと言っても、アセチレンガスを発生させた後に捨てられた なきがら です。
アセチレンガスの用途は酸素と混合させて高温で勢いのある青白い炎を吹きつけて鉄、鋼などを溶接したり、切断したりします。
また、夜間作業の照明にアセチレンを使う大小色々な照明器具がありました。 そのなかに、
違うパラボラ 70㎝位のファイバーボードのパラボラで内側反射面は錫メッキ薄鉄板(ブリキ)でした。その焦点に点火部を支えて距離と炎の強さが調整出来る構造で、屋外夜間作業で手元を照らすのに使われました。この現場でもこれが使われたと思います。小形発電機普及以前のものでした。
カーバイドは水と反応してアセチレンガスを発生します。ガス圧が弱くなると水槽から追加注入されて必要なだけガスが発生する仕組みでした。
ガスが出終ったカーバイドの滓を付近に捨てても当時は公害を問う人は居りませんでした。石灰が主成分です。
   独語
 他所での事だがアセチレン作業中小型ガスタンクが爆発したのを目撃した。
カーバイドで発生させたアセチレンガスは一旦、水と置換する構造のタンクに貯える。
そのタンクからホースで送ってボンベの酸素と合わせて燃焼溶接する仕掛けだ。
4~5十メートル離れたところに居て、爆発音がしたので見るとタンクの本体円筒が
真上天空に向かってクルクル舞いながら昇っている。黒煙も凄かった。
頂点は地上100メートル程もあっただろうか?
やがて20メートル位風下に落ちて、土の上にバウンドした。人も物も無くてよかった!
タンクは壊れなかったらしい、翌日タンクもどこも変わりなく溶接作業が続けられていた。


反射鏡の操縦について

反射鏡は全天空の半球にくまなく向けられます。当時その機構を持っているものには対空火砲、探照灯、対空射撃電探等がありました。
そのうちから、  ――『発振室』の床はほゞ正方形――
 規模こそ違うけれども これがヒントになって42号電探(s24)に共通しているなと感じました。
42号電探の操縦機構を重ねて考えますと、必要条件にすべて適合します! ただし、
電探よりも大型だということは大きいだけでなく、高い精度が必要です。【ビームが鋭いから僅かにでもガタがあれば向けたビームの先は目標から外れてしまう!】
   ◆それでも、次の時代に出現する宇宙用パラボラアンテナに比べれば赤道儀機構が不用なだけ単純です!◆

図は2枚とも42号電探です。木造シェルターを『発振室』に、VHFアンテナ一式を大型パラボラアンテナに入れ替えて想像しました。


追記

『写真図版』を再々拝見するうち気付いたことです。
写真図版中7枚に見られますが、発振室と電源室の間の基礎コンクリートが破壊されています。その破壊状況が徹底して大規模です。
なぜこのようにまで破壊する必要があったのでしょうか?  以下推理
観測機器を電源室の電磁界から守る遮蔽壁がありました。その遮蔽壁は銅網です。
遮蔽効果を完全にするため2重にして発振室の壁に塗り込まれました。
戦後 壁と基礎を破壊して金属回収したのです。或いは、他所にも例がありますが、銅が高騰した時に盗掘された?
  反射鏡の銅網が剥がされたのも・・・


○○幻影●●




随想

◇何処か知れないが強力な送信電波を避けて山陰に径1メートル足らずのパラボラアンテナが据えられるはず!
本体パラボラアンテナが目標に正対すれば反射波が返ってくる。その反射波を確認して目標に電波が届いているのを知る。
それが無ければ広い天空の一角だから細く絞って浴びせた電波が当たっているかはずれているか分らない。
受信用のアンテナ指向性は鋭くなくてもよい。その小アンテナを本体アンテナに方向、高角を連動して追随させる。
そして受信出力を修正量に加工して操縦員の席に表示する。(レーダー技術の応用)
 おそらくドップラー法が用いられた。受信機には2つの電波が受かって混合される。受信アンテナから一つと、もう一つは送信電波の余勢が迷入したものである。目標が移動体なので受信機からドップラー効果による低周波音が出力される。 
目標との速度関係で2000Hz以下の唸音だが、超低音で聞きづらいときのために何か工夫があっただろう。
    余談   唸音(ネンオン)を百姓読みとは知らなかった!(テンオン)が正しいのだそうだがそれでは通じない。

 ◇『引渡目録』に「牛尾路上 電磁石用線輪 1」とあるのに注目している。
何故 路上なのか? 運搬途上重量があるため突然終戦を知らされてそのまま野外に放置したものと思う。
「電磁石用線輪」とあるから、コイルだけで鉄心は別。それでなお重量物であれば、これこそ大出力マグネトロンの界磁コイルに違いない!
先にも書いたが、当時はマグネトロンの界磁は電磁石だった。

 ◇永久磁石
戦前既に東北大学仁科存教授のもとでマグネトロン用永久磁石の試作を完成していた。この成果を基にマイクロ波レーダー用として艦政本部第四部にコバルト数キログラムの割り当てを求めたが拒否された。【創意無限 中島茂 Page 68 】
強力マグネトロン開発の時点でも要求したか どうかはわからない。既にコバルトが日本に無かったかもしれない。
【素材は、永久磁石用のKS鋼 を例とすれば、鉄、炭素、コバルト、クロム、タングステン】

 ◇マグネトロンの理解には
入門程度でよいから電気磁気学をおさらいして下さい。私もフレミングの法則を右だったか左だったか?必要な時におさらいして確かめています。


磁力線はあなたの視線と平行です

  海軍電測術の奥義で解説
 電子の進む方向に直角に磁力を与えると、電子はこれらの両方に更に直角な第3の方向に力を受ける。
電子管で磁力を利用するものは、すべてはこの原理を応用したものだが、進行波管、ブラウン管、電子顕微鏡など大概のものは電子の進行方向に平行に磁力を与えて電子を集束する。つまり磁力線は電子の進行方向に沿わせて平行にする。
対してマグネトロンの磁力線は電子の進行方向を横切らせる。
中心の陰極から周囲の陽極に向って電子が円板状に放射される。これをサンドイッチ状に挟んだS・N両磁極からの磁力線は電子の進行方向を円板面内に曲げて渦状にする。
この渦流の脈動を陽極に設けた高周波空洞に共振 ⇒ 発振させる。
発振には、空洞の共振周波数に電子の速度と、渦の径を適合させなければならない。それには陽極電圧と磁力の強さを調整する。
   ・・電流の進行方向は電子流の方向と逆・・     海軍電測普練流とは

 ◇殺人光線の妄想
 語彙の隔たり!
一つの単語で海軍用語と民間一般の解釈の隔たりがあって、「兵器」を一般の認識では、鉄砲、大砲、刀剣など直接敵を破壊殺傷する道具と理解されていました。
海軍用語では直接敵を破壊殺傷するものでなくとも軍用の機器は全般に「兵器」と称することになっていました。
「電波兵器」も電波探信儀、電波探知機、電波高度計など直接敵を破壊殺傷するものではありませんが『電波兵器』が正式呼称でした。
たまたまSF小説を読んだことのある民間人が「電波兵器」と聞いて『殺人光線』に短絡思考するのは自然です。これが飛躍妄想の原点でした。
そして、海軍当局は『風評』を防諜上真実を伝えて正すことが出来ず、逆に真実を隠すため、方便として便乗利用したものと思います。

 ◇懸垂曲線2題
(1) 索道は支索も曳索も空中に懸垂曲線(カテナリー)を描きます。支索をきつく張れば巻き上げは楽ですが、凡てを堅牢に造る必要があります。緩く張るか きつくするかは、兼ね合いです。
(2) アーチ型の建築は 逆さまの懸垂曲線で造られていました。逆さまのときは曲線上の各点に働く力はプラス、即ち 圧力 です。
載せて固まっていた土が基板と一緒に風で押し上げられ、解れ(ホグレ)て ただの重量物 になってしまった!

 ◇約一万五千メートル
B29は高度『約一万五千メートル』でやってくる。我が方はこの高度にとどく高射砲がようやく完成した。しかし破裂が高すぎたり低すぎたりしてせっかく至近コースの弾が無駄弾になっている。弾を込める時にタイマーをセットする古いやりかただからだ。 電波を利用して弾が目標に最接近したときに破裂させれる方法を工夫して効果を最大限にしようというのが『A計画』であり『極超短波近距離起爆装置』で、それには『約一万五千メートル』上空の『10メートル以内』が目標。
伊藤庸二さんの言われた『約一万五千メートル』はこの実験距離なのたが、
 話の行き違い?
伊藤庸二さんは記者に距離は? と問われて『約一万五千メートル』と答えた。記者氏はそれを水平距離として書いた ~~ 両者共 とぼけている!

 ◇腹が減っては軍は出来ぬ
牛尾実験所の接収物件目録に烹炊所がない。・・・?
島田から弁当を運んだとしたら、片道5キロメートルは不便。
天幕か、あるいは財産台帳に載らない程度の建築で烹炊所が作られた・・・?
伐採材を薪にして煮炊き・・・仮設烹炊所は煤けて黒かった・・・?

 ◇ 極 超短波近距離起爆装置
米軍は既にこれを『VT信管』として完成実用させていた。回路図だけを見れば動作原理は簡単で、しかも、技術的にはやさしい筈の『』が付かない『超短波近距離起爆装置』と呼ぶべきものだった。
  参考までに 敵さんのVT信管


 ◇『反射鏡架台』の写真
 牛尾遺跡の反射鏡架台とされている何枚かの写真を見たとき、古い記憶によく似ていると思った。
記憶を辿ると越後山脈を横切る阿賀野川沿岸に接する山の中腹で、橋梁、鉄道、水力発電所、送電線、国道などの建設に
資材運搬用の索道が仮設され、用済み後放置されたもの。
それぞれ別の4・5箇所の記憶。どれもが牛尾と同様に対になっている。
当時、高低差のある地点間の運搬手段として、規模に応じて大小の索道を仮設して行った。
今の人たちは便利な方法が発達しているので当時のノウハウ~薀蓄は忘れている。
ウィンチも神楽桟も働いているのを見たのは昭和三十年代? その後には見たことがない!
赤錆になって捨てられているウィンチを見たが、もっと後?!
 同級生に索道屋( 策動屋でない )がいた。スキーリフトのメンテナンスを引き受けてあちこち駆け回っていた。
索道について調べるならば彼! 牛尾の写真を見せれば索道の支持物であると断定してくれると思ったが、
惜しいかな 他界して既に十幾年忌とか 南無・・・

公開 平成27年9月10日
今回修正 平成29年8月14日


此の書を裏付け確認の鑑とした。

E-mail 安原久悦