2007年6月4日〜
12月
  

 世界最古の文明  古代文明都市「モヘンジョ・ダロ」   人格破壊の原因  真の人生の勝利者  この世の地と天とは実の親

 おじばへ行ってきます  世界一列兄弟姉妹  妻との会話  悪魔は自分の中にある  40光年離れた宇宙空間から  真理を実践する

 完全犯罪計画   地獄に咲く幸せの花    ほんとの幸福とは?  奇跡、不思議な雨  壮大な天体ショー   エルニーヨとラニーニャ  猫妖怪変化乱舞

 敵ながら天晴れ  九死に一生  空海、最澄と一休宗純  人間いろいろ  熱中症   テダコ祭り前夜祭  崇高な精神  台風4号  心の持ち方一つ

 無限分の一の確率  女ローマ法王ジョバンナ   生きていた沖縄の心   パパイヤについて    昨日の現場    しあわせの意味   現場は雨だった   無欲状態  


 

世界最古の文明  2007年12月13日木曜日 雨

 「メソポタミア」というのは川の間、という意味だそうです。ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた地方、現在のイラクがそうですが、そこに今から5500年ほど前に世界最古の文明、メソポタミア文明が築かれたのであります。

 築いたのはシュメール人であると世界史に載っております。このシュメールの語源は表音文字の「エン・ギ・ラ」であると立派な歴史学者は主張しておりますが、その意味は、土地、主、葦 となるそうです。


 「土地、主、葦」これは葦原中国(あしはらのなかつくに)という意味にも解釈されますので、大国主命が高天原と対抗して作った日本の最初の国名と同じということになります。大国主命は須佐之命の末っ子で、イザナギ神の孫です。

 このシュメール人の文化、すっごいですね、現代文化のあらゆる基礎となっているんです。月の満ち欠けで年月を計る世界初の暦、太陰暦を考案して実生活に活用したのであります。

 私の祖先が毛皮のフンドシだけの姿で石斧を振りかざし、奇声を上げてハブを追っかけていた頃です。・・・そして数字は60進法、つまり、一時間は60分というきまりを採用していたんです。

 文字はくさび形文字を発明、つまり、表音文字を使うようになったのです。

 旧約聖書などは殆どがこのシュメール文化の影響を受けております。天地創造の話しの7日目にお休みというのは、シュメールの7曜の延長だったかもしれません。

 旧約聖書を作ったのはヘブライ人(=ユダヤ人)ですが、その頃はメソポタミアからエジプトを放浪していたのであります。そのメソポタミアが彼らにとってはエデンの園だったのであります。

 アダムとイブがエデンの園を追放されて、男は労苦に苦しみ、女は生む苦しみに這いつくばらねばならないエデンの東に追放された、というのもメソポタミア文明に対する憧れから生まれたドラマかもしれません。

 ・・・ところでこのメソポタミア文明、世界最古の文明、ということなんですが、これは最近、その信憑性が疑われています。 というのはタイの東北部に栄えた「バンチェン文化」、これがそれをはるかに遡るのでございます。

 バンチェス土器の破片をペンシルベニア大学で年代測定をしたところ、何と7000年前のものということが判明したのであります。メソポタミア文明よりも1500年は古い、ということになります。

 学問なんって全く当てにならないものでございます。事実はこうであった、ということは関しては素晴らしいのですが、限界をもってこれが究極とするのは学問らしくないと思います。

 バンチェス文化、もしかするとそれも世界最古の文明ではないかもしれません。

 たとえば、1万2千年前、太平洋上にあった巨大なムー大陸、大西洋上にあったアトランテス大陸、そこにもすばらしい文明があったと推測されています。

 それが事実とすると、世界最古の文明はそこにあったかもしれませんね・・・? 皆さんはどうお考えでしょうか?

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古代文明都市「モヘンジョ・ダロ」  11月28日 水曜日 曇り時々雨 

 インダス文明が栄えたのはBC2600年〜BC1800年と世界史の教科書に載っております。ところが最近の発掘調査でそれよりもさらに古い生活堆積層が発見されまして、BC4000年頃からすでに文明があったことが証明されております。

 諸行無常はこの世の事象、物象、物理的現象のみならず、教科書の世界にもあてはまるものでございます。

 古本屋で買ってまいりました百貨辞典によりますと、インダス川流域を中心として、東西1600キロ、南北1400キロ(鹿児島から青森までが約1600キロ)に及ぶ広大な流域に、1500を超える大小さまざまな遺跡が点在しておりまして、インダス文明の名残を留めているそうです。

 その古代遺跡の中で下流域のシンド地方にある「モヘンジョ・ダロ」と、中流域パンジャーブ地方にある「ハラッパー」が最も有名であります。いずれも見事な都市計画に基づいて整備されていたようです。

 都市は行政、宗教、儀礼的な機能を持つ城塞区画と、商、工業、住居などが割拠する市外地区画にわかれておりまして、モヘンジョ・ダロの当時の人口は4万人ほどであったと推測されております。

 都市は大通りによって整然と区画され、366mX182mのブロック12に区分されています。そのブロックはさらに小路で仕切られ、格子状に街路が走っております。

 街路に沿ってレンガ造りの家が建ち並び、道路は幅8メートルで、中央分離帯が設けられ、牛が対面交通できるシステムであります。至る所に飲料水用の井戸が掘られ、下水道施設、浴室、水洗トイレなども完備されておったのであります。

 ところがこのモヘンジョ・ダロ、先史学者たちの間では ”世界でもっとも謎に満ちた古代文明都市”と言われております。

 1921年12月14日、DK地区での発掘で、家屋Vの第74室から子供をまじえた14の遺体が発見されました。ある者はうつ伏せ、ある者は仰向け、両腕を曲げて恐怖に引きつった顔を覆っている者、階段の途中で倒れている者、奇妙な状態の遺体だけであったのです。

 同様の遺体がそれから次々と別の場所で発見されております。1965年には、狭い路地に子供を含む6体の遺体が一塊となってうつ伏せ状態で倒れているのが発見された。

 外にも5体の子供の遺体を、4体の大人の遺体が守るようにして覆い被さっているのもあったということです。現在までに46体の同じような遺体が発見されておるそうです。

 この46の遺体はモヘンジョ・ダロ最後の住人だった、とも言われております。発掘者のハーグリースは、「何かとてつもないことが起こって、みな一瞬にして異常な死を遂げたことは明らかだ」、と断言しております。

 「遺体は高温加熱の跡があり、焦げた骨は普通のより保存状態が良い」 と言っているのはインドの考古学者グーハー博士であります。

 モヘンジョ・ダロは周囲が5キロ以上もある大遺跡ですが、至る所に溶けてくっ付いたレンガ、溶けて捻じ曲がった壷や食器類のガラス化した破片などが見られます。特に不思議なことに北へ数キロ行ったところに原爆の爆心地のようなところがあって、そこにはガラス化した黒色の小石が一面に広がっているのであります。

 ちなみに、岩石は2500℃以上の高温で溶解し、それが急激に冷やされないとガラス化は致しません。ということは今から4000年ほど前に、古代都市国家間で核戦争があったのでしょうか? 

 ・・・しかし、原子爆弾製造、そんな科学知識と技術にまでインダス文明は及んでいたのであろうか? いや、そんなことは絶対にありえない、・・・筈だ。・・・いや、もしかして、何らかの原始的方法で核爆発を起こす方法を発見したのかもしれない。

 原子爆弾の仕組みは、元素に中性子を激突させてその原子核を二つに砕き、核分裂エネルギーを放出させることが第一段階となります。

 その時のエネルギーはたいしたことはないのですが、砕かれた原子核から新たな中性子が飛び出しまして、お隣の元素に激突して同じようなことを起こさせます。それが一気に連続し、同時連鎖反応で核分裂が起こるのであります。

 これが原爆の爆発でございまして、広島におとされたリトルボーイは核分裂物質としてウラン235が使われております。長崎に落とされたのはファットマンと呼ばれ、プルトニュウム239が使用されております。

 リトルボーイのウランは10キロから35キログラムでしたが(本体の前と後)、そのうちのわずか1キログラムが爆発を起こしたと計算されております。ちょっとした量でいかに物凄いエネルギーを出すかが想像できます。

 そういう原子爆弾の原始的製造法と考えられることは・・・? 私には訳がわかりません。では、今宵はこれにて失礼いたします。

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人格破壊の原因 11月19日 月曜日

 ニューギニア島の中央には3,4千メートル級の山脈が連なっている。そこに石器文化を持った部族が今なお生活している。ほとんどが一夫多妻制を維持しておりますが、一人の夫を共有する奥様方はとっても仲良しでございまして、1人か2人の子供、多くて3人の子供しか産まないのであります。
 
 彼女達は子供を徹底的に可愛がる。なにしろ上半身は裸で、下半身は腰みのを蒔きつけただけの解放体ですので、子供は好きなだけオッパイと戯れることが自由、というより許されるのであります。

 そして、嫌というほど母親の愛をオッパイで満喫したあと、ある日突然、大人の顔となる。それがほとんど6歳未満であります。その子は大人になりましてもアルチュウにもならず、3道楽に走ることもない。人格と精神構造が健全に形成され、安定しているからです。

3道楽、アルチュウ、薬中毒、非行、犯罪、登校拒否、引きこもり、対人恐怖、閉所恐怖症、・・・全て幼少の頃の心の不安、恐怖、絶望などの精神破壊によるものといえます。つまり、本物の愛がなかった、ということであります。
 
 心を正しく持ち、愛と思いやりを持って世のため人のために働きましょう! とどんなに理路整然と己に言い聞かせても、破壊された精神構造はどうにもなりません。アルチュウの人から酒を取り上げる、それは末期がんで苦しむ人から痛み止めの薬を取り上げるようなものです。
 あなた、死の激痛に苦しんでいる人から、痛み止めの薬を取り上げることが出来ますか? それと同様、アルチュウの方から酒を取り上げるということは、心の激痛を癒す痛み止めを取り上げるようなものとなるのです。

 彼らの救いはただひとつ、己自身が真相を知って悟ることと、絶対的な真実誠の愛の究明とその確信しかない。

 今の日本、ほとんどが人格を何らかの形で破壊されております。それは、愛と人間性を無視した経済重視主義と、優劣差別主義に走った日本国家の責任だと思います。怒り、憎しみ、妬み、それらは感情ではありません。その根底にあるのは、「悲しみ」という感情であり、それは愛されなかったという不安、恐怖、絶望から発生した人格破壊の痛みなのであります。

 日本が今失いかけている大切なもの、それは子供を無条件に愛する、ということではないでしょうか? 愛と思いやりと正義、知性体としての人間にもっとも大切なことであります

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真の人生の勝利者 11月6日 火曜日 晴れたり曇ったり

波乱万丈の逆境を乗り越えられる人は凄いと思います。そこには強い不屈の精神と、忍耐力、実践、努力が発揮され、人生の勝利者として栄光に輝くからであります。

 しかし、それ以上に人生の勝利者として輝ける難しい道がある。それは恵まれた環境、満ち足りた順境である。昔は寝ている間にご飯が炊け、寝ている間に洗濯が出来て、それが綺麗に乾いておればいいな、という夢を女たちは抱いたりした。

 現在はその夢が完全に現実のものとなっている。しかし、それで幸せにはなっていないし、便利にはなったが、そのありがたさを感じるものはほとんどいない。全てが当たり前、当然のこと、と、して少しも喜びの材料とはならず、逆に他人の欠点、汚点だけを見て心を汚くするだけである。

 もし、逆境に耐えられる者が100人居たとした時、恵まれた環境、順境の中で人生の勝利者となれるものは2,3人しかいないであろう。

 生きている事のすばらしさを知る、恵まれているありがたさを思い知る、そして、感謝する、そこからほんとの意味での人生の勝利者が出てくると思います。

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この世の地と天とは実の親  2007年10月29日 月曜日 晴れたり曇ったり

 太陽は地球から1億5千万キロ離れたところにあって、半径は70万キロ、中心の温度は1,500万℃だそうです。重さは30兆トンの70兆倍です。光は8.31分かかって太陽に辿り着きますが、新幹線の光号164年かかります。曾孫の時代までかかってしまいますね。

 その太陽は銀河系の中心から32万光年のところにあって、秒速250キロでその周りを回っております。その周期は1億4千万年で、今までで36回まわった計算になります。

 一方、お月様は半径が1738キロメートルで重さ8230万兆トン、地球から38万4千4百キロ離れたところにあります。1年に3.8センチづつ遠ざかっておりますが、あとはどうなりますやら、ちょっと心配です。

 太陽はお母様、月はお父様という事になりますが、両者の存在のおかげで、地球が存在し、我々生命体が誕生した事を思えば、なるほどと納得できます。

 「この世の地と天とは実の親、それより出来た人間である」

 「月日より心だんだん尽くしきり、それ故なるの人間である」

 上のお唄は ”みかぐらうた” ですが、簡潔で分かりやすいと思います。この実の親、月日親神がおわす聖地、天理市に行ってまいりましたので、その写真を御紹介します。                                 

 

おじばへ行ってきます。 10月25日 金曜日 曇り時々雨

地球は今から46億年前に誕生したそうです。生まれたばかりの地球はマグマの海が荒れ狂う火の球体であったという。 その地球に火星ほどの大きさの遊星が60度の角度でゆっくりとぶっつかったのでございます。

 その遊星は粉々になり、地球のえぐられた物質と混ざり合ってあるものは宇宙の彼方に飛び、あるものは地球の周りを回るようになった。それらが合体を繰り返し、最後に一つの塊となったのであります。それが、お月様ですね。

 地球誕生から6億年後、つまり、今から40億年前に生命が誕生しております。なぜ、生命が誕生できたか、それは、この遊星の激突による新物質、あるいはDNAのオリジナルの出現、そして、誕生した月の地球に対する影響力、などが複雑巧妙に作用したためであります。

 つまり、地球は母であり、月は父である、と言えるのであります。したがって遊星が激突した地点は生命が宿しこまれた場所である、と言う事になります。その場所が奈良県天理市であります。

 そこは生命発祥の地点、全生命体、全人類の元のふるさと、つまり、我々の根源時な実家、という事になります。そこには真実の、元の親、万物の根源的親がおられる。そして、われわれが里帰りするのを待ちかねておられる。元の、真実の、ほんとの父様、母様がおられる、根源的ほんとのふるさと、そこへ、行って参ります。

 今月の28日に帰ってきますので、それまでプログはお休みいたします。 ・・・では、皆さん、いってきま〜〜〜す!

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世界一列はみな兄弟姉妹 10月16日火曜日 晴れ

 聖書は「汝の敵を愛せ」と言い、さらに「汝の隣人を愛せ」とも言っております。
ということは、敵と隣人は同じ、ということにも解釈される。 つまり、隣人は敵であり、その敵は愛さねばならない、ということになります。

 敵を愛する、という事は普通の人間には出来ることではありません。しかし、イエス様はそれが出来た。自分を拷問し、はり付けにして殺した敵に対しても、哀れみと同情を注いだのであります。普通の人間に言わせれば、”異常で、頭が狂っているのでは?” となる。

  ・・・私は別にキリスト教を信仰しているわけではないが、真理なるもの、本物なるものには賛同し、同調する。イエスの敵を愛し、隣人を愛したということは本物であり、真実ですので、宗教教団としてのイエスではなく、宇宙次元における真理のイエスとして尊敬している、というわけであります。

 つまり、何を言いたいのかと申しますと、営利目的の、他宗との競争、戦いに明け暮れする宗教団体企業は敵でありますが、そんな敵は愛することは出来ない、ということなのであります。神の名の下において人を殺す、そういう教団が世界中にはびこっておりますので、人類に真の平和は訪れないのであります。

 メッカのヒラー山の洞窟で、アラーの神の啓示を受けたマホメット(571〜632)は、メジナにおいて預言者として名を上げた。それから政治的支配者・武将となり、メッカ軍を破って追放されたメッカに戻ったのであります。

 そこでカーバ神殿の偶像全てを破壊し、「真なるもの来たれり、偽りなるもの去る」という言葉を残した。それからアラビヤ全土を支配するに及び、イスラム教がその時から世界的に広がったのであります。

 そのマホメット様が「自分には山を呼び寄せる力がある」と、とんでもないことを人々に豪語した。そして、よせばいいものを大勢の人々の前で、「山を呼び寄せ、その力を証明する」と言い出したのであります。民衆は固唾を飲んでマホメットと山を見つめた。

 「山よ、こっちにこーい、こっちには106人の処女美女がいる。みんなお前のものだ〜〜〜〜」

 しかし、何度マホメットが叫んでも山はびくともしなかった。「動かざること山の如く、静かなること林の如く・・・、」 という孫武さんの兵法書を読まなかったのでしょうね? しかし、マホメットはただ者ではない。これしきのことでびくともしなかったのであります。山が動かないのを見て彼は叫んだのであります。

 「おまえが、どうしてもマホメットのところへ来ないのなら、マホメットがそっちへ行ってやる〜〜〜」

 となって一件落着したのでございます。・・・さすが、世界三大宗教の一つ、イスラム教の教祖ですね? しかし、今の世界情勢を見つめますと、爆弾自爆テロ、反乱、暗殺、戦争、・・・アラーの神の名の下に行われているのは少なくありません。

 仏陀は「執着を捨て、涅槃の境地になれ・・・」と言い、イエスは「汝の敵を愛せ」、そしてマホメットは「敵は片っ端から殺せ・・・」 となっておりますが、どちらが真実で、本物か、・・・人間一人一人が完成された人格の眼で見つめねばならないと思います。

 「世界一列はみな兄弟姉妹や、他人というはさらにないぞや、・・・All of you throughout the world are brothers and sisiters. There should be no one calld an outsider.」 おふでさき13号43首

 全ての敵を味方、兄弟姉妹として接し、互い助け合って仲良く暮らすように、という天理教の教祖様、中山ミキ様による天啓、親神様の思し召し、深く考えさせられます。

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妻との会話 2007年10月5日 金曜日 晴れたり朝大雨

 「あと2、3日の命、急いで葬儀社を決めておきなさい」

 と医者から言われて私は茫然自失、何をどうしていいのか分からなかった。妻はベッドの上で横たわっている。 痛み止めの効力は12時間である。その妻が言った。

 「人間のほんとの幸せは、死ぬ事なのよ。あらゆる苦しみ、悩みから解放される、正直、私は今、ほっとしているの・・・」

そんな妻に、悲痛に歪んだ顔を見せるわけにはいかない。そこで、心で泣いて、顔で笑って言った。

 「お前がもし死んだら、夢でもテレパシーでも何でも良いから、私とのコンタクトの方法を見つけ出して教えてくれ・・・」

 妻は、薄笑いを浮かべながら言った。

 「あんたは鈍感だから、テレパシーや夢による霊界とのコンタクトは無理だと思うよ。どうしてもというのなら、化けて出て教えます・・・」

 「それはありがたい、ぜひ、出て来てくれ、その時は再開を祝し、2人でカラオケを唄って、アルゼンチンタンゴを踊ろう」

 しかし、1年忌を終えた今日まで夢、テレパシーによる妻とのコンタクトは全くない。

 10月4日、墓参りをした。妻の命日である。花を飾り、お供え物をして、線香を立てて拝んだ。その時、白い大きな蝶がお供えのリンゴに止まった。それがゆっくりと羽を動かした。

 「あなた、しっかりしなさい・・・」

 妻の声がはっきりと聞こえた。

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悪魔は自分の心の奥に住んでいる  2007年9月26日水曜日 晴れたり曇ったり

 一昨年の話ですが、51歳の農家の主婦が、夫に自殺を迫って除草剤を差しだし、その気にさせて飲ませて自殺させた、という罪で逮捕され留置所へ閉じ込められた。つまり自殺関与の容疑で逮捕された、というわけであります。その主婦が口にトイレットペーパーを詰め込んで窒息自殺した。

 全く悲惨な事件であります。私はその背後に人間の残忍な獣性を見るような思いがする。たとえば、横断歩道で信号を無視して歩いている歩行者を誤って轢き殺した場合は、不可抗力として罪にならない、という法律が出来たとしたとき、信号無視の歩行者がどれだけ殺されるか、と考えてしまうのであります。

 夫に自殺を勧め、死に追いやった妻、そこにはよっぽどの事情がある。心の地獄があり、救いを求めても誰一人として救うものはいない世界、周りは全て鬼ばかり、となれば死以外にとるべき手段はない。妻は夫の死後、自分も後を追うつもりでいたと思われる。

 それを警察や取調官、隣近所の冷たい目は死人に鞭打つがごとき仕打ちをしたのだ。犯罪者は痛めつけて死刑にせよ、拷問し、地獄の苦しみを味あわせよ!それ相応の裁きを与えるべし! 

 学生の頃、寮の同室の方の現金がなくなった。学校に納める学費でかなりの大金だった。それを盗んだのが私ということになって最大最悪の屈辱を受けたことがあった。後ろからいきなり拳で殴られたり、体当たりされて川に落とされたり、悪口雑言を浴びせられ、大勢の人の前で恥をかかされたりした。警察の取調べも受けたりしたが、まったくの犯人扱いで、弁解の余地もなく、正直に言えば罪を軽くしてやる、という口振りであった。

 結局、真犯人が捕まって疑いは晴れたが、その時の心の傷は癒えることはない。親友といえども、結局は親友でないことが分かった経験でもありました。その時の周囲の人々の冷たい目と残忍さ、犯罪者以上の悪であり、残忍な悪魔であります。

 夫を自殺に追いやり、自分も自殺した農家の主婦、彼女は貧しさ、不幸に負けたのではなくて、世間の冷たさ、世間の悪魔に負けたのだ、と私は解釈しております。犯罪者は確かに悪い。しかし、責める前に、人間として傷つき痛んでいるその心を癒し、罪の罪たるゆえんを説得し、正義へ立ち直るための力を与えてやるべきではないのか?

 責めて、罰して、裁いて拷問する、それは正義の名を借りた残虐な獣性のなせる業であって、人間の救いにはならない。犯罪者は別の次元から見れば被害者でもある。心に大きな傷を持っている。その傷にさらに焼け火箸を突き立てるようなことを人々は平気でやっているのであります。

 自分の心の奥に、どういう種類の悪魔が潜んでいるか、人間一人一人が探索の目を光らせるべき時期にあると思います。

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40光年離れた宇宙空間から 9月24日 月曜日 晴れ

 星空で二つの流星が交差して、一瞬の十字架を輝かす。人の出会いもそれに似て刹那的ですね。しかし、光は消えるのではなくて、この宇宙空間を永遠に旅している。あの一瞬の輝きを抱いたまま・・・。

 そのことは、140億光年離れた宇宙の果ての銀河が見えることからも言える。今、見えるあの銀河の姿は、140億年前の光が運んでいるもの・・・、今、実際には存在していない姿である。そして、その姿を運んでいる光は、これからも消えることなく、永遠の旅を続けていく。

 青春時代が20年前だとすると、20光年離れた宇宙空間からは、あなたの青春の眩しさを見ることが出来る。その瞬間瞬間は消えることなく永遠に、無限宇宙を旅し続ける。

 人の出会いと別れ、それは消滅ではなくて点滅の始まりですね。宇宙は点滅のドラマで広がり、進化を続ける。

 ・・・では、これから40光年離れた宇宙空間にワープし、妻の青春時代を高性能電波望遠鏡で見ることにします。  

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真理を実践する 2007年9月22日 土曜日 晴れたり曇ったり

 托鉢とは仏僧が鉢を持って食べ物を乞うて歩くことであります。乞食とも言います。しかし、読み方はコジキではなくて、コツジキであります。

 坊さんが乞食をしている、なんって格好いいものではありません。やはり、タクハツ、コツジキと言って欲しいものであります。しかし、いかにお坊さんといえども、一歩間違えますと、コツジキから乞食となってしまいますから、くれぐれも日ごろの修行と悟りを怠らないことであります。

 子供の頃、門前によく丼椀を持った坊さんが立った。深編み笠で顔は見えなかったのですが、子供心に偉い人に違いないと思った。母はその丼椀に芋をすりつぶしたものをたっぷりと盛ってあげた。坊さんは手刀を切って礼をし立ち去る。その後姿が今でも見えるような気がいたします。

 そういう托鉢というのは今から約2600年前の仏教の元祖・釈尊もやっておりました。

ある日、釈尊は托鉢に出かけた。いかに仏様と言えども身体は人間ですので、食べないと生きていけません。それで食べ物を求めて托鉢に出かけるのであります。

 場所はマガタ国の南山にあるバラモンの村でありました。しばらく歩いておりますと、バーラドバーシャというバラモンが5百挺の鋤を牛に結び付けて田を耕している所に辿り着いた。彼は大地主で大金持ちでしたので、下男や貧しい人々に食物を一日に一回、配給しておりました。バラモンとして立派な心構えだ、と自分で自分を褒めていたのだと思います。

 仏陀が立ち止まったとき、彼は言った。

 「そこの修行者よ、食べ物を乞って苦行するのではなく、私のように額に汗し、耕して種を撒き、その収穫で食え」

 すると仏陀は答えた。

 「私も耕して種を撒いている。しかし、その収穫は人が食うもので私は食わない」

 「・・・嘘だ。俺はお前が耕して種を撒いているところを見たことがない」

 「私にとって信仰が種であり、苦行が耕作である。その耕作と種を撒くために生きていなければならない。私は生きるために托鉢するのであり、食べるために生きているのではない」

 バーラドバーシャは深く感銘し、諭してくれた報酬として乳粥を青銅の鉢に入れて捧げようとした。しかし、釈尊はそれを拒んだ。

 「報酬として得たものを目覚めた人々は避ける。私も報酬という餌なるものを食することは出来ないのだ」

 バーラドバーシャはさらに感銘し、釈尊の弟子となり、仏門に帰依した。

 イルカやシャチが素晴らしい演技をする。それは餌に操られているに過ぎない。そこには自らの意思によって、自らを高める、という真理はない。餌目的、食う目的のための生きることしかないのだ。己の餌目的、報酬目的から築かれる知恵と進化は停滞と退化をもたらす。しかし、真理と奇蹟への感動と喜びからもたらされる苦行は、完璧な進化への道と不滅の光をもたらす。

 釈尊は、食うために生きるな!生きるためにのみ食え! と諭されておられるのであります。そして、何のために生きるのか? それは、本物を知るため、本物を知って感動し、真理を実践し、心の道を学習するためである、ということであります。

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完全犯罪計画  2007年9月8日 土曜日 晴れ

 ある御婦人が参拝に来て、私に頼みごとをした。

 「姑を殺して欲しい・・・」

 私は吃驚、そのわけを訊いた。彼女の涙ながらの話によりますと、この姑、極悪非道の残虐無情の鬼婆らしい。富豪選良の聡明なお嬢さんを息子は嫁に貰うところであったが、何処の馬の骨とも分からぬ、下品な私がしゃしゃり出て息子を誘惑し、嫁に納まった。人の心があるのなら、今すぐ離婚して出て行け〜!

 とか、ある時は、電気掃除機で叩かれ、ある時は包丁で追い回され、ある時は電鋸で腕を切られるところを、間一髪、旦那が帰ってきて助かった。とにかく、やる事成すこと出鱈目で、とうとう花子さんは精神分裂症になって首吊り自殺を計ったが、ロープが切れて成功しなかったという。

 それでいて、その姑、人前では嫁に虐められている哀れなヒロインを演じる。

 「花子さん、仰せの通り、炊事洗濯、庭の掃除、便所の掃除、みなさせていただきました。体がフラフラです。三日三晩寝ておりません。ほんのちょっとだけ、休んでいいでしょうか?
 ・・・あ、すみません、私が悪うございました。すぐにお風呂の準備をいたします・・・」

 というように、巧みで綿密な策略を駆使して花子さんを虐待するとの事である。そして、花子さんが、セールスマンと話しているところをデジカメで撮り、不倫をしている証拠として旦那に見せて、離婚を勧めた。

 しかし、旦那はバカではありませんので総てを見抜いており、それに、花子さんをとっても愛していましたので、全く相手にしなかったのであります。

 逆上した姑は、ついに朝の味噌汁に青酸カリを入れて花子さんを殺害しようとした。しかし、偶然に、猫に追われて、そこへ飛び込んだネズミがそれをひっくり返して、ひきつけを起こして死んだので計画は失敗に終わったのであります。

 このままでは殺される、そこで、花子さんは逆に先手を取って姑を殺す事を考え、その相談にきた、というわけであります。

 こんな恐ろしい相談を受けたのは初めてであります。私はしばらく言葉が出ませんでしたが、花子さんが完全にまともでない状態にある、ということを考えて、咄嗟に思いついた返答をした。

 「分かりました。私も正義の味方です。神の名の元において、あなたの姑を殺すお手伝いをいたしましょう。しかし、それは、完全犯罪でなければならない。殺してしまった後、あなたが犯人と分かれば、そして、私がその協力者だと分かれば二人とも刑務所行きとなって死刑か、無期懲役となります」

 花子さんは目を輝かせた。

 「完全犯罪って出来ますか?」

 「私の言う通りにすれば絶対にできる」

 「どうすればいいのですか?」

 「まず、絶対に姑に逆らわない。姑さんの言う事は何でも素直に聞く。寝るときは、体を揉んで上げ、魚を食べる時は自分は骨や尻尾を食べて、姑には肉部を上げる。どんな酷い事を言われても素直に受け止めて詫びる。何でも、はいはい、と言って通るのです」

 花子さんは目を丸くした。

 「そんな事、どうしてするのですか?」

 「相手を油断させるためです。姑さんが、うちの嫁は良い嫁だ、と隣近所に言うようになれば、殺されても誰もあなたを疑わない。完全犯罪、それを成功させるためには、これしか方法がないのです・・・。殺したあと、鼻の穴から指を突っ込んで、奥歯をガタガタさせようはありませんか・・・」

 花子さんはうなずいて、帰った。

 それから、半年後、牧港のあるスーパーで買い物をしている花子さんを見た。私は背後から近づき声をかけた。

 「どうですか、そろそろ鼻から指を突っ込んで奥歯をガタガタ言わせましょうか・・・?」

 振り向いた花子さんは私を見て体を硬直させた。そして、しばらくじっと私を見つめた後、涙を流しながら言った。

 「わたしがまちがっておりました。姑さん、私をとっても大事にしてくださいます。ほんとに私はバカでした。さわやかVさん、ほんとにありがとうございました}

 そのとき、となりの通路から声がした。

 「花子さ〜ん、何処なの〜、ポーク缶詰、ここにあったわよ〜」

 「はーい、おかあーさん、いま、そこへいきまーす」

 わたしは、二人が肩を並べ、笑顔で買い物をする情景を見た。

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地獄に咲く幸せの花  2007年9月2日 晴れたり曇ったり雨降ったり 日曜日

 いかに美男美女といえども、一皮剥けば血管露出、3枚肉の化け物であり、さらにそれらを全て取り除きますと、見るも恐ろしい骸骨である。そうでなくても、人間全て大小便の器に過ぎない。

 ・・・これは私が言っているのではありません。ある、仏教の本に書いてあるものを引用したのであります。

 そもそも、幸せとは何か? それは現実逃避の幻想が生み出した幻影であります。生きるということは幸せとか、不幸とかの次元ではないのであります。この世は全て地獄、その中でのみ生命は生きられるのでございます。

 全てが満たされ、悩みも苦しみも、先行き不安もなくなりますと、人間はふやけて絶滅する。それは、人間に限らず、あらゆる生き物に言えることであります。

 それで、人間は何のために地獄で生きねばならないのか? ・・・残念ながら、人間以外の世界には何のためという問いかけはどこにもない。頭の良すぎる人間が、勝手に創造した幻覚の結晶であって、人間だけが勝手に妄想の中で飛んだり跳ねたりしているのであります。

 その証拠に、人間の餌になっている豚とか牛、鶏などの他の動物には、人間の妄想からすると悲惨な、絶望の運命であっても、不幸感は持っていないのであります。

 知能が発達していないから当然、という方がほとんどだと思いますが、それが傲慢であります。力と知恵、富があれば全てを支配し、何でも出来る、という勘違いでおりますと、それは命取りとなります。命を取られてもいずれ死にますので、たいした問題ではないのですが、理法の世界はそうは問屋が卸しません、となります。

 2億年も栄えた恐竜はある日、突然、あっという間に絶滅した。ましてや、たかが600万年余りにしかならない人類など、宇宙の無限性、天地大自然の怒りにあいますと、蝿叩きで叩き潰される蝿のように死滅することになるのであります。

 人間それぞれは、残念ながら生と死のドラマ、生まれ変わりをこの宇宙の続く限りいつまでも展開する。そして、この宇宙が終わったとしても、別宇宙が発生してその情報の全てが受け継がれていく。そして、我々の魂が再び生と死のドラマの幕を開けるのであります。

 幸せという花は天国ではなくて、地獄に咲く花であります。地獄の中で強く逞しく愛と正義の花を咲かす、そこにのみ真実の幸せがあります。人間はいずれ、他の動物の肉を食らう、ということから離脱するはずであります。科学の力で万能栄養物の合成に成功するからであります。

 その時の人間の質により、人間の食料源となってきた他の動物たちの、祟りがあるかないかの決定が下されると思います。勿論、それを下すのは、自然の成り行きという手に負えない化け物であります。

 今日の日記はいつもと違うようで、書き終わって茫漠としております。自分が書いたはずだが、自分のではないような異質であります。人間の90%を占める無意識の中の一部分のなせる業だと思います。もしかすると、その部分は神なるものと重なっているのかもしれませんね?

 では、今日はこれにて、皆さん、また、明日!   (^_-)☆

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ほんとの幸福とは?   2007年9月1日 土曜日 晴れたり曇ったり 所によりにわか雨

 考えて見ますと、日常生活において喜べる材料はいくらでもありますね? つまり、生きている限り、どんな逆境の中にあっても、考え方一つで喜べる材料を見出せるということです。目が見える、耳が聞こえる、心臓が動き、体が思い通りに動く、寝ていても息をし、血は体中を巡っている。これって不思議で、ありがたいことです。

 しかし、人間界を生きるには、いろいろな障害があって、思い通りには行かない。ありがたいどころか、右を向いても東を向いても嫌なことばかりであります。陰湿な虐めがあり、虐めにあった者が、虐める者を殺して積年のうっぷんを晴らす。倒産、自殺、殺人、暗殺、爆弾テロ、戦争、そんな人間界で喜べる材料なんってありそうにもないですね?

 それに、世の中には末期がんや難病奇病に苦しんで、寝たっきりの畳一つ、ベット一つが己の世界となっている方々が大勢いらっしゃる。お粥どころか水も喉を通らず、激痛にもだえて死を待つばかりの地獄、こんなところで喜べる材料があるはずがない。

 一体どうすればいいのであろうか? 人間の力ではどうにもならない鉄壁が幾重にも連なる世界、絶望のみが地獄への扉を開く。どうにもならない世界、どうにもならない人の命、運命、定め、・・・ならば、こうなったら自棄のやんぱちでなるようになれ、という心境で全てを受け入れるしかない。

 全てを諦める、そして、全てを受け入れる、寛大に世界を見つめる、すると、なんとなく開き直って、心が落ち着いてくるものであります。この世は苦の世界、幸なんって所詮ないのだ、しかし、それでも自分は命が求め続ける根源なるもの、心の古里なるものの存在を信じて時の流れに身を任す。

 それは難しいように思えても、野性の動物を見れば出来ないことでもない。いかなる状況にあろうとも彼らには幸せも不幸もない。全てを受け入れ、その中で無心に生きている。目の前で、子供をライオンに食われる草食動物の母親、悲しみはすれどもそれを不幸と見なすことはない。受け入れねばならないことは無条件に受け入れているのだ。

 もしかすると、生命体の最大の幸福とは 「死」 かもしれない。悪魔はその最大の幸福を進化する動物に与えたくないために、「恐怖」という感情を神の目を盗んでこっそり組み込んだのかも知らない。

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奇跡、不思議な雨 2007年8月31日 金曜日 晴れたり曇ったり、にわか雨

 沖縄は相変わらず暑い日が続いております。灼熱の太陽は容赦なく地上のあらゆるものを焼き尽くし、灼熱地獄の様相を呈している。先月27日には沖縄で4人の方が熱中症でなくなっている。豪雨、台風、落雷、猛暑、最近の沖縄、いや、日本列島は異常であります。

 トタン葺の屋根は太陽の熱線に焼かれて今にも燃え上がらんばかりであります。梯子をかけて上に上がり、そのトタンをちょっと触ってみますとあつーい、火傷してしまいました。これだとオリーブ油をひいて目玉焼きが簡単に出来ます。ゴーヤーチャンプルも出来ると思います。

 これでは、家の中が物凄く暑いのは当然であります。そこで、祭壇の親神様に祈りました。

 「親神様、何卒、涼しくしてください。これでは暑過ぎてお祈りが出来ません・・・」

 しかし、空は真っ青で、太陽風の10万℃の粒子が降り注いでいるのが見える。ちなみに、太陽風とは太陽が発する放射線で、電気を帯びた粒子のガスであります。その粒子は1立法センチメートルに10個の割合で存在します。

 それをまともに食らいますと地球はひとたまりもない。あっという間に丸焼けであります。それを守っているのが地球を取り巻いている電磁波であります。ありがたい事です。

 そういうことを考えますと、今の暑さで愚痴をこぼす私は神に仕える者として失格である。私は反省しまして、親神様にお詫びを申し上げた。

 「水星や金星などの外の惑星は昼は400℃、夜は零下160℃になる。それを思えば、今のこの暑さはなんでもない。かえって、ありがたいと思わねばならないのに、愚痴をこぼして申し訳ありません。私はまだまだ修行が足りません・・・、親神様、お許しください!」

 外は相変わらずの凄まじい太陽光線の真っ只中であります。しばらくして、突然、屋根に激しい雨の音がした。吃驚して外を見ますと青空のもとで太陽が降り注いでいる。雨らしきものは確認できない。

 私はさらに吃驚しまして外に出た。すると、何と言う事でしょうか、一塊の黒雲が屋根の上空に停滞し、激しい雨を降らしているではありませんか! しかも、私の家の屋根だけであります。こんな事ってあるでしょうか?

 私は急いでビデをカメラを取りに家の中に入った。しかし、出てきたときには雨は止み、黒雲も消えかかっていた。 そして、なんと、綺麗な虹がかかっているではありませんか!

 冷たい風が家の中に吹き込み、冷やされたトタンの屋根は室内に冷気を送り込んでいる。な、何という奇跡、私は親神様の語慈悲をじかに肌に感じたのであります。その時の虹をお届けします。


2007年8月31日17時30分 庭から撮影

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壮大な天体ショー  2007年8月29日 水曜日 晴れたり曇ったり ところによりにわか雨

 昨日、8月28日20時23分〜21時24分にかけて、沖縄の星空に壮大な天体ショーが展開されました。日本全国で見られた皆既月食ですが、大気が汚染されていない沖縄の澄んだ空では、特別に神秘的な輝きが強かったように思えます。
 
 不思議ですね〜〜〜! 一体この宇宙ってなんだろうか? 地球から38万キロ離れたところに浮かぶあのお月様、重さが8230万兆トンもあるのに、なぜ落ちないのか? ジャンボジェット機で約20日かかるのに、光はなぜ、たったの1.3秒かかるのか? 不思議だ、誰が何と言っても不思議だ・・・! 

 お月様にはかぐや姫やウサギたちがいるはずだ。お月様が半分になり、そして、だんだん欠けて行って消えてしまう。かぐや姫とウサギたちは、宇宙の闇に追い出されるのであろうか? と、くだらないストーリを考えながら見ておりますと、お月様は21時24分、元の満月に戻った。次の皆既月食は3年後の2010年12月21日だそうです。その時は天体デジ望遠鏡を使ってビデオに撮りたいと思います。

21時17分撮影

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エルニーヨとラニーニャ 8月22日 水曜日 曇り 時々 雨

 最近の沖縄は異常天気に見舞われている。晴れたり曇ったり、突然の大雨、突風、太陽が照っているのに豪雨となり、雨に濡れながら日焼けしたりする。全くおかしい天気が続いております。天気図を見ますと、ミクロネシアあたりの太平洋赤道上で低気圧が次々と発生し、それらが雲を呼び、強大な渦巻きとなって沖縄諸島に流れ、大陸へと移動している様子が分かる。

 ラニーニャ現象とか、エルニーヨ現象、ダイポールモード現象、あるいはヒートアイランド現象などと、最近の猛暑の原因についていろいろな説が飛び回っていますが、地球全体が異常気象下にあることは確かなようであります。

 余計な事ですが、エルニーヨとは男の子、という意味で、イエス・キリストのことです。ついでに、ラニーニャとは女の子という意味です。それが聖母マリア様を差しているかどうかはわかりません。しかし、女の子は女の子でも、冷たい女の子、という意味ですから、マリア様ではないのは確かかもしれません。

 イエス・キリスト様には奥さんとお子様がおられました。奥さんの名前はマリア、お母さんと同じ名前です。御子息の名は、ユダです。このユダも、イエスを裏切った12使徒の一人、あのユダと同じ名前ですね? おそらく、この冷たい女の子という意味のラニーニャは、奥さんの事を指しているのかもしれませんね・・・? ということは彼女は冷たい女であったのであろうか? 謎は謎を呼んで迷宮入りとなりましたので、分けがわからないきょうの日記ですが、今日はこれにて失礼いたします。

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猫妖怪変化乱舞 8月19日 日曜日 晴れたり曇ったり一時雨

その野良猫は勝手に家の床下に入り込み、子供を産んで行方不明となった。産み下ろされた子猫は仕方なく育てる事にした。この事は前にも取り上げたと思いますが、私は猫は嫌いであります。猫が媚を売る、それが鳥肌が立つほど気持ち悪いのであります。

 それから9ヶ月が過ぎ去りましたが、白色のその子猫は順調に成長し、今ではプライド高き貴婦猫となっている。私が猫嫌いであることは本能的に知っているらしく、普段は私の前には姿を見せない。

 しかし、空腹になると、私の視界にしなやかに、そして、優雅なパフォウマンスで現れ、そ知らぬふりで毛皮を嘗め回すのであります。それが私にはよけい腹が立ちます。しかし、この私の腹立ちというのは、虐待親の心理と同じである、と思いますので、じっと我慢して餌をあげます。

 その時、その猫は私の足に必ず体を摺り寄せます。それも、故意にではなく、自然にそうなった、という猫演技であります。つまり、その猫は私に体をなでて欲しい、という甘えを持っていることになります。

 しかし、私は猫嫌いであります。ほんとなら蹴っ飛ばしたいのですが、それが私には出来ない。そのことを猫は鋭く、正確に見抜いているのであります。そのことがまた、私には余計腹が立つのでございます。

 ・・・その猫、偶然に目撃したのですが、ある、特殊な能力を持っていることに気がつきました。・・・、それは満月の夜でありました。明るい月光の中で、何かが踊っていた。私は、レースのカーテンに写るその影を見て、吃驚した。そして、そっと上半身を起こし、カーテンの隙間からそっと外の様子を見た。

 すると、何と、その猫が後ろ足で立ち上がり、両前足を合わせて飛んだり跳ねたりしているではありませんか! ぎよ〜〜〜っつ、い、一体何なんだ。猫の狂乱の乱舞は満月による影を激しく動かし、妖怪変化のごとく延々と続いた。

 ・・・よく観ると、猫の両手に何かが挟まれてうごめいている。それは、何と大きなゴキブリであった。猫はゴキブリを捕らえて、それと遊んでいたのだ。殺さず、弱らさづ、放されたゴキブリが逃げ出すと、素早い動きで両前足で捕らえて口に咥える。

 口の中でゴキブリは必死になって蠢く。猫は絶対にそれを噛み砕いて殺したりはしない。徹底的に遊んで楽しんでいるのだ。・・・最近ゴキブリの死骸が庭にいっぱい広がっておりますが、それは、この猫が遊んで過労死させた結果なのだ、という事がよ〜く分かりました。

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敵ながら天晴れ 2007年8月15日 水曜日 晴れ 雲多し

昨日、沖縄代表の興南高校がベスト16をかけて、栃木代表の文星芸大付と対戦し、5−2で破れた。その日の第1試合と第2試合が延長戦になったため、試合開始時間が大幅に遅れ、6時半からのスタートとなった。

 2時間の遅れに対する精神的耐久性、その強度の差が、もしかすると勝敗の分岐点を作ったのかもしれない。つまり、精神力、冷静さ、集中力、その差が勝負を決めたのだ。

 一回表、興南は一点を先取した。それが楽観ムードを作り、精神的厳しさを奪ったのだ。それに対し、文星芸大付は冷静さを堅持し、その裏同点、5回には一番の荒井勇介が本塁打して逆転した。なぜ打たれたか、興南先発の一年生、石川清太の精神状態にあると見た。画面に映し出された彼の表情は落ち着きがなく、弱気、怯えているようにも見えた。これでは滅多打ちされるのは当然である。

 一方、文星芸大のピッチャー、佐藤祥万は冷静にして、憎いばかりの強気、そして、緩急自在のスライダー、シューウト、ナックルが鋭く、かつ、効果的に決まる。興南打線は精神的冷静さを失い、きりきり舞いの空振りが続く。

 文星芸大付の冷静さ、強気、それは、自己過信なるものがもたらすものではない。いかなる不利、劣勢下においても、それを覆さんとする精神的強さから来るものである。それどころか、その苦境の状況に喜びにも似た闘争心が沸き上がるのを私は見た。これでは興南は勝てない。

 監督はそういう面から選手の強化を図るべきだと思う。文星芸大附属高校、敵ながら天晴れである。心から敬意を表します。

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九死に一生  8月10日 金曜日 風強く時々強雨

 工事中の10階建てのビルの屋上で、片付け作業をしておりますと、いきなり、風速40メートルの突風に見舞われた。2メートル四方のブルーシートをたたんでいる時でしたので、それと共に私の体は、20メートルほどの高さの空間に吹き飛ばされた。

 このビルは丘の天辺に建てられておりますので、下界の那覇の街が一望の下に俯瞰できた。大変良い眺めであります。飛ぶ鳥は、いつも自由に、こういう素晴らしい景色を眺めているのだな、と思うとうらやましい限りでありました。

 しかし、事態は大変なことになっております。このままでは加速度がついて地上に真っ逆さまとなって激突、人間ミンチミートになってしまう。

 人間、特に信仰を持つものはいつ、いかなる状況下においても冷静に物事を判断し、適切な対応策を迅速に見つけ出し、実行に移さねばならない。

 私は、落下寸前に、手にしっかりと握っていたブルーシートの両端をたぐり、素早く両手で握り直して広げた。それは突風に襲われた瞬間、転落間違いなし、と判断したからだ。

 したがって、空間に放り投げられた時にはすでにブルーシートの両端は両手でしっかりと握られていた。落下速度は最初は秒速8m程度であると思う。私の体は地上から10m程の位置でブルーシートにかかる風圧によって速度が落ちた。

 そして、5秒ほどで花壇の赤土の上に足、尻と着地した。しかし、衝撃は強烈であった。右膝と右股関節に激痛が走り、そのまま動けなくなった。仕事仲間が顔面蒼白で駆けつけてきた。

 「骨には異常なし。筋を痛めただけだ。それに、変形性膝関節症だから痛いのは当然だ。痛み止めを出しておくから、それでも飲んで寝ていなさい」

 という医者の言葉であった。しかし、これ以上、肉体労働は続けてはならない、無理すると血栓が出来てそれが心臓へ行き、そのままあの世行きとなる恐れがある、とのことである。

 私はそれを真摯に受け止めて、労務を終了する事にした。・・・では、これから何をすべきか? しばらく、回復するまでは考えない事にします。

 九死に一生! これは奇蹟であります。まだ、まだ、やるべき事が山ほどある、との親神様の思惑がある故に生かされたと思います。 いずれにしても、親神様の御守護であり、宇宙創造の、無限のパワーの一点が、発揮された瞬間であった事に間違いない。

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最澄、空海と一休宗純   8月1日 木曜日 晴れ

最澄は 「酒は飲むな」と言い、空海は「いっぱいなら許す」とした。この一杯とは200ccコップのいっぱいではなく、一本の笹を酒に浸し、それを打ち振って飛び散る飛沫の集合である。

 804年3月、最澄は還学生(かんがくしょう)として、空海は一介の留学生(るがくしょう)として、命がけで唐へ渡り、最澄は天台宗を、空海は密教を学んだ。二人は尊敬しあう親友同士であった。

 ところが、最澄のまな弟子、泰範が空海の下へ去ったため、二人は仲が悪くなってしまうのである。そこに人間的なものを感じ、酒がまた飲めるようになった。

 厳しい戒律と禁欲主義に徹した二人が、タイムマシンで現代に来たらどうなるだろうか? 異様な風体の老若男女が、夜な夜なネオン街に出没して、ドンちゃん騒ぎで踊り狂って酒を飲み、奇怪な声でカラオケを歌う、という狂乱じみた光景を見た場合、二人は地獄へ落ちたと勘違いしてひきつけを起し、卒倒するかもしれない。


 その二人に対し、室町中期の一休宗純には人間臭さが強い。庶民とのつながりが広く、もし現代へ来たとするならともに酒を飲み、お経がわりにカラオケに心酔すると思う。

 70を過ぎて若い女性と結婚となると、今でも人が犬に噛み付いた以上の大ニュースとなる。宗教の対立や禁欲主義を好まなかった一休和尚は、何と78歳で若い盲目の美女、森さんと再婚している。

 彼は88歳で息を引き取ったが、臨終の言葉は「死にとうない」であった。 そういう彼に魅力を感じるのは酒が飲めるからではありません。

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人間いろいろ 2007年8月1日 水曜日 快晴 猛暑

 人間いろいろですね? その人間、何のためにこの世に生まれ、何の為に生きて働いて、そして、望まずして死んでいくのか?

 人間なら、誰でも一度は考えたはずである。しかし、その答えが出ない。 答えがないということは不安であり、生きる目標が定まらない。

 その目標の定義づけを今の人間はいろいろと模索し、公にし、勝手な解釈と押し付けをするようになる。

 しかし、根本はそんなものではない。安定するか、しないかは、それ以前の問題である。今の人間、心の世界においては何も分かってはおりませんね? それは、あまりにも自己憐憫が強すぎるからであると思います。

 自己憐憫は心の奥の、深い、深い悲しみの涙である。その悲しみは、ある時は激しい怒りとなり、憎悪となり、嫉妬、妬み、殺意となってしまうのだ。

 悲しみ、それは拭っても拭っても消え去るものではない。なぜか? ・・・幼少の頃の、母親の愛に満たされなかったからだ。その母親も幼少のころ親、あるいは兄弟や大人たちの虐待にあったのだ。共稼ぎ、かぎっ子、スキンシップレス、放任、このような心の傷は子供の心をずたずたに引き裂いてしまうのだ。

 最近の日本の母親には、子供の心、感情、を生かす、という術が欠如しているように思えてならない。嬰児遺棄事件、無理心中、最近の事件を見ていると、人間を生かす、それがなんであるか、考える時期が来ていると思う。

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熱中症  7月29日 日曜日 晴れ

 沖縄は連日連夜猛暑が続いております。真っ青な空には雲は見当たらず、飛ぶ鳥の姿も見えない。沖縄は本土と違って太陽光線が強烈である。盆地の猛暑と違って ”焼き焦がす” といった類の暑さなので現場の作業は大変であります。

 建築現場で基礎コンクリート打設の準備をしている時、若い男が言った。
 
 「さわやかVさん、脱水症になって倒れるなよ。年も年だからな、66歳? 危ないな〜、倒れそうになったら遠慮せずに休めよ・・・」

 「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫です。年齢は66歳でも、肉体は20歳だ。ファイト一パーツ、頑張っていきましょう!」

 若者は苦笑いして仮枠の補強作業を続けた。それから一時間ほどして、近くで突然うめき声がした。びっくりしてその声の方向へ顔を向けますと、あの若者が顔面蒼白、唇が紫となって、引き付けを起して倒れていた。

 作業員たちが慌てて駆け寄り、数人がかりでゆっくりと持ち上げて、木の影へと運んだ。痙攣がひどいと命にかかわる。現場監督が急いで117へ電話した。それから10分ほどして救急車がけたたましくサイレンを鳴らしてやってきた。

 幸い命に別状なく、病院でリンゲルをうって容態は安定した。しかし、怖いですね! 熱中症、脱水症、皆さん十分に気をつけましょう!

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テダコ祭り前夜祭 2007年7月21日 日曜日

最近、日本列島は台風、地震、大雨、山崩れ、地滑り、と異常気象による災害が続いておりますが、その原因は森林伐採、宅地造成、沿岸埋め立てなどの、人間による自然破壊にあることは間違いないと思います。

 これを、神の怒りだ、とか、何かの祟りだ、などと主張される方々がおられますが、とんでもない話であります。神は怒ったり、罰を与えたりするようなそんな次元の低い存在ではない。この世に厳然として効力を発揮しているのは理であり、原因と結果の発動、具体化ををもたらす宇宙根源の仕組みと秩序である。

 つまり、天変地異は神の怒りなどではなく、当然なるべきして発現した原因の結果であり、その原因を人間が作った、という事になります。不幸の原因は全て、神の怒りにあるのではなくて、人間が各自、無知と強欲、身勝手が作っておいたものであります。

 面白くない話はこれ位にしまして、現実の楽しい話題に切り替えます。

 沖縄は猛暑が続いております。工事現場はおそらく40℃を越えていると思います。汗が出て、作業服は滝に打たれたようにびしょ濡れであります。水を飲んでも飲んでも喉の渇きは収まらない。午前中であっという間に2リットルの水を飲み干してしまう。

 すると、体の力が抜けて、動けなくなる。そんな時、塩をなめますとあら不思議、力が蘇ってきます。強烈な太陽光線をはげ頭ではじき返しながら働ける66歳、最高に幸せであります。

 夕方6時を過ぎても猛暑は収まらない。家に帰ったら冷水のシャワーでも浴びて夕涼みしよう、と考えながら車を走らせ、ようやく家の近くまでたどり着いたとき、なんと、屋富祖本通りは通行止めであります。テダコ祭りの前夜祭、ということで歩行者天国となっていたのです。

 仕方がありませんので、近くの空き地に車を止めて、その賑やかな前夜祭を見物する事にした。・・・では、その時のデジカメによる写真を御紹介します。

   

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崇高な精神 7月17日 火曜日 雨 曇り

人間は誰でもいつか死ぬ。そのことはどんな神を信仰しても避けられない定めであります。それ故に、宗教のほとんどが死後の世界に安楽とか幸せを定めてしまう。

 つまり、死という避けられない定めから、人間の心を救う道をあの世、という架空の次元に置くことによって解決しようとしたのが紀元前の宗教の教祖たちであった

紀元後もいろいろな宗教が出てまいりましたが、結局は死後の世界に於ける己の身の安泰を模索し、それを絶対的なものにしようとするもっともらしい理屈を並べ立てたに過ぎないのであります。言い換えれば、人間というのは己の身が可愛いに過ぎない存在ということです。

 宗教、国籍、人種、主義思想という壁にこだわらない、全人類、全生命を平等に愛する寛大な心、それが宗教の真の教えではないのか? たとへ、他宗の熱心な信者であろうとも、元を正せば同一の月と太陽、地球、そして、全宇宙の無限性の子供たちであり、同じ宇宙家族ではないのか? さらに元を正せば、40億年前に発生した直径0・5ミリ足らずの微細な単細胞が我々の共通の祖先ではないのか?

 仏陀から2400年、イエス様から2007年、マホメットから1406年経った今日、精神文化は停滞したままであり、むしろ質は悪化し、混迷を続けている。それは、現代の学識者等や科学のエリート達、あるいは政治家、指導者たちが、まだ、時代遅れの教義の固定観念から脱出できないで居るからだ。

 人類は今、人間心、人間思案、常識を超越し、真の精神文化が何であるか、見定める時期にあると思う。つまり、他を慈しみ、他のために己を捧げんとする崇高な精神の構築の時期にある、という事である。もし、最後の審判があるとするなら、それによって地獄に落ちる者が一人でも存在してはならないのだ。

我々は、全て同じ人間、同じ家族、兄弟姉妹ではないのか? もし、我が妻や親が、兄弟姉妹が、子供が地獄へ落とされるという審判が下ったとき、私は天国へは行けない。我が妻と、我が親と、我が子どもと共もに地獄へ落ちる。

私に言わすれば、最後の審判、それは悪質な脅迫に過ぎない。ほんとの最後の審判とは、50億年後の太陽系の消滅のことを指している。しかし、それ以前に人類は心を完成させ、この宇宙を己の庭として自由自在に飛び回るようになっている。

人類は永遠に進化を続ける。しかし、進化できない者たちは太陽系の寿命とともに消え去る。ちょうど、2億5千万年前、小さな我々祖先の脊椎動物が生き延び、巨大な恐竜が絶滅したように・・・!

 宇宙の無限性は厳然にして平等である。宗教に凝り固まった石頭は真理に適応できず、臨機応変にして心豊かな無我なる者は進化して宇宙の子供となりうる。

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台風4号 7月13日 金曜日 台風

  台風4号、沖縄本島を直撃しております。凄い風であります。これからさらに強まり、昼前後に最接近だそうです。 現在の最大瞬間風速は50メートルはあると思う。その度にトタン葺の家はぐらぐらと激しく揺れ動く。今日は13日の金曜日、迷信家には不吉とされる。しかし、私にはそんなのは関係ない。日々が吉日であり、試練の材料である。

 瞬間最大風速は、いきなり、家全体にどーんとぶっつかるのです。 家は不気味な轟音と軋み音を上げてぐらぐらと揺れ動く。これで家が持ちこたえているのが不思議なくらいであります。

 しかし、神床を守る者として、家が壊れようが、吹っ飛んで行こうが、泰然自若としておらねばならないのだ。それが、生かされている私の勤め、使命である。親神様、教祖様に全てを委ね、今日はゆっくりと、怒涛の風音を子守唄と聞きながら、昼寝でもする事にします

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心の持ち方一つ  7月6日 金曜日

 沖縄は毎日、暑い日が続いております。今、19時55分現在、室内の温度計は32℃を示しております。ということは、昼間は37℃以上はあったと推察できます。これは夏日を越えて、猛暑となりますね?

 しかし、現場にてはそんな暑さもなんのその、汗まみれとなって働く。40度の勾配の坂道を長い単管数本を担いで上ったり下りたり、いやはや大変な重労働であります。変形性膝関節症の私の足は何故かそんな酷使にも平気であります。これは、ありがたい神の力だと思います。

 病の元は心から、と、おやさまは教えられた。

 「人間の寿命を病まず弱らずの115歳と定めおく。その後は心次第、好きなだけいつまでも生きていて良いですよ!」

 これは親神様のお言葉であります。「親神の言う事に千に一つも違うことなし」 とも言っておられますので、出鱈目ではなく真実である事に間違いはありません。

 ただ問題は、心の持ち方ひとつに、全てがかかる、ということです。つまり、不老不死は心の持ち方一つである、という意味であります。 そんなこと、出鱈目デース、と仰る方が少なくない、と思いますが、では、日本人で195歳まで、元気ぴんぴんで生きた百姓、三河国宝飯郡水泉村の満平の存在は出鱈目といえるでしょうか?

 彼は1602〜1796のお方であります。幕府に招かれて白髪を献上したという記録が歴然として残っております。ちなみにおくさんが173歳、子供が153才、孫が105歳という記録も残っております。

 旧約聖書によりますと、もっと凄いですね。アダムは930歳、ノアが950歳、アブラハムは100歳の時、妻サライ90歳にイサクを産ませ、175歳まで生きた。そのイサクは180歳まで生きております。・・・しかし、これらは神話ですので、完全に信用できませんね?

 しかし、満平の195歳は大いに信用できます。病まず死なず弱らず、心の持ち方一つであります。

 良く働いて良く寝る、それが心の持ち方を変えていく大きな要素だと思います。では、今宵はこれにて、お休みなさい!

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無限分の一の確率  2007年6月29日 金曜日 晴れ

 朝の日差しは柔らかく、静けさの中に小鳥のさえずりがする。

 「生きるという事はすばらしい、天の神様、この素晴らしさをありがとう!」

 私は公園のベンチに腰掛け、自動販売機で買ったばかりの缶コーヒーを眼前にかざした。するとその穴の中に黄色いものが尾を引いてスーっと入ったのです。な、なんだこれは!

 私はビックリして上を見上げた。すると羽ばたきがして、ガジュマルの天辺からカラスが飛び上がった。そして、勝ち誇って啼いたのです。

 「アッホー、アホー...」

 コーヒー缶の穴の周りに汚れはない。糞は見事に穴の形となって入ったのです。ここまでやるとはお見事、神わざ、いや、奇蹟のカラスワザであります。私は尊敬と畏敬の念を込めてそのカラスの行方を見つめた。

 こういうことは無限分の一の確率と思いませんか? 盲亀浮木の縁、そして、カラス糞落下の縁、きょうは良いことがある。今日も一日ファイトイッパーツ、ガンバロ〜〜〜!

 しかし、事務所へ行きますと、今日の仕事は元請の会社の都合で中止、という事になった。あの奇蹟のカラス技、この事を知らせていたのかもしれませんね? 無限分の一の確率、ありがたい事です。今日はゆっくり寝ることにいたします。

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女ローマ法王ジョバンナ 6月14日 木曜日 曇り

「ローマ法王」・・・? 百科事典を調べてみますと、「教皇」というのが正式な名称のようであります。

  イエス・キリスト様の一番弟子「ペトロ」が初代の教皇であります。彼はイエス様がお隠れになった後、いろいろとご苦労なされて伝道活動に励み、パチカンで初代教皇(64年〜68年)となったのですが、あの悪名高い暴君ネロに捕まって殺されてしまいました。

  それから約2000年を経て現在に至るのでありますが、今の教皇はペテロから265代目になるベネディクト16世であります。

  歴史をずーっと遡って行きますと、全ての法王様が独身であります。中には隠し子が3人ほど存在する方も下ります。

  しかも、教皇は全て男なんです。つまり、女は教皇にはなれない。女は神なるものに近寄ってはならない。女は神の敵だ、という意味なのでしょうか? 

 しかし、その教皇の中に女が1人だけいたのであります。その名は「ジョバンナ」であります。 彼女は、・・・いや、そのお方は男に変身してまんまと法王についた。しかし、彼女は男好きであった。つまり、愛に飢えていたのであります。それで若いツバメとの家族計画に失敗いたしまして御懐妊され、ミサを司祭しておりましたときに不覚にも出産したのであります。

  それは聖歌の合唱が始まったと同時でありました。「おぎゃー、おぎゃー」というミサの合唱は聞いたことはない。全員びっくり、何事かと目をきょろきょろ致しましたところ、なんと男であるはずの教皇の股下に、生まれたての赤ちゃんが臍の緒と繋がっているではないか・・・。 これは聖歌ではなくて性歌だったのか?

  その後どうなったか? いろいろな説がありますが、よってたかって赤子もろとも殺したとか、出血多量で死んだとか、彼女が甲高い声で笑いながら、赤子を抱えて空に飛び上がって消えたとか、今のところ定かではありません。

  その時から、ローマ法王選挙の時は穴の開いた椅子に候補者を着席させ、その穴から手を入れて2個と一本があるか確認するようになったのであります。嘘のようなほんとの話であります。

  いずれにいたしましても、彼女の名は抹殺されております。教皇は男でなければならない、という神の意思に反するためであります。それをやったのが法王クレメンス8世で、約700年後の1608年に完全に削除いたしております。

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生きていた沖縄の心  6月11日 月曜日 曇りのち雨

  現場は沖縄市知花の登川という所でありました。作業内容は、25坪ほどの個人住宅の生コン打設でありました。大型ミキサー車12・3台が生コンを運んできた。  今日の私は木槌での叩きから、バイブレーター使いに昇格でありました。ポンプ車のホースから生コンがどどど〜と出てくる。それが枠の中へ流れ込んでいきますので、バイブレーターで振動させて入りやすくしたり、表面にジャンカが出ないようにしたりするのであります。

 足場が悪いので、重くて長いバイブレータとそれに繋がっている電気コードを移動させながらの作業は大変な労働であります。全身汗びっしょりとなり、生コンだらけであります。

 休憩なしの昼飯抜きの作業であります。仮枠大工、左官屋さん、監督、設計者、そして我々労務者、全員がそれぞれの役割を連携しながら成し遂げていく。見事なチームワークの作業でありました。

 そして、2時30分作業終了となった。それから、バイブレーターを洗い、コンパクトに巻き上げて片づけて、びしょ濡れの生コンだらけの作業着を着替えた。これでさっぱりして帰ろうとしますと、なんと、その家の主が家族総出てやってきて、山羊汁を全員に御馳走する、とのことであった。

 コンクリート打設の完了は目出度い。それでお祝いとして我々全員に御馳走するとのことであります。

 お言葉に甘えて、我々はその申し出をありがたく受け入れる事にした。沖縄では目出度い事がありますと、だいたいヤギ汁が出される。そして、ドンちゃん騒ぎの踊り、カチャーシーとなるのであります。

 しかし、それは一昔前の話。いまどき、こういう風景はほとんど見られなくなっている。沖縄の心が昨今ではなくなっているのであります。

 しかし、ここには、沖縄の懐かしい心が残っていたのだ。総出の家族たちは給仕にあたふたと忙しく、愛嬌を振りまく。そして、泡盛、ビールがが出され、雰囲気は絶好調となった。

 私も泡盛を勧められたが運転して、全員を無事会社まで連れて帰らねばならない。酒気運転は絶対にだめである。そこで、相手の気持ちを壊さないように断った。

 「実は私、酒が飲めないのです。酒と女に弱いだめな男なんです・・・」

 勧めた家の主は大声で笑った。

 「酒と女に弱い? がはははははは〜、それならハブ酒を飲め! 女に強くなるぞ〜〜!」

 「ハブ酒ですか? それはハブナイです〜〜〜!」

 全員が大笑いとなった。 これにて一件落着であります。


では、ここで現場の風景とヤギ料理を御紹介します。


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パパイヤについて 6月10日 日曜日 晴れたり曇ったり

  今、沖縄では至る所でパパイヤが実っている。青い実には蛋白質を分解するパパインという酵素が多量に含まれておりまして、健康と若さ維持にはとってもいい食べ物であります。原産地は中米ですが、古代の昔から熱帯各地で栽培されております。パパイヤはイチョウやソテツ、ホウレン草、桑などと同じ雌雄異株であります。つまり、実が生るのと生らないのがあるわけです。勿論、実が生るのがメスで、生らないのがオスということになます。

 パパイヤのオスは白い花を咲かせます。数本の白くて長い花糸にやくが付いておりまして、ハーブのような臭いを出します。いろいろな昆虫が寄ってきて、体に付いた花粉を雌の木に運ぶのでしょうか? 私にも良くわかりません。メスのパパイヤの花を見た事がないからです。 子供のころ、マラリヤの高熱でうなされた時、母が、オスのパパイヤの幹を切り倒し、中の芯を取ってあくをゆがいて抜き、細かく切って煮込み、味付けして食べさせた事があります。それで熱が下がりまして、楽になったのを覚えております。

 パパイヤ農園の隣の現場で仕事をしておりますと、70代のその農園の主に質問された。 

  「きょう、コンクリートを打つのでありんすか?」  

  「はい、御迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

 私の返事に気を良くした農園主は、いろいろと話しかけてくる。 

  「パパやーの実がいっぱい生っているが、一つぐらいなら、もらってもいいよ〜〜〜」

 ありがたい話に私は感激した。そこで赤く熟した実を一個もぎ取り、100円玉を差し出した。すると、農園主は、左手は、いらないいよ、と振りながら、右手は下のほうで広げて受け取る万全の準備をしていた。

 「丹精込めて作られたパパイヤです。ただでもらっては罰が当たります。どうぞ受け取ってください」

 そう言って、私は彼の右手に100円玉を握らせた。彼はたった100円で大喜びであった。そして、貴重な情報を提供してくれた。パパイヤの種を巻き、芽生えたら、勢いのある大きなものはオスである。メスの木は小さいから、それを育てればいい。実のならないオスは、役に立たないから抜いて捨てている。 ということであります。パパイヤ苗木のオスとメスの見分け方、この時点で初めて分かりました。皆様方も、この情報、何かの役に立つと思いますので、御参考にしてください。

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昨日の現場  6月9日 土曜日 曇り

  昨日の現場は南城市の ”佐敷” というところであった。作業内容は生コン打設であります。午前7時40分ごろ現場へ到着いたしますと、ポンプ車がすでに居座っていて、作業員たちがいろいろと準備に動き回っていた。

 私の役割は ”叩き” 、つまり、生コンが型枠内に流れ込んできた時、木槌で枠を叩き、ジャンカが出ないようにする事であります。それから、時々、上に行って生コンの打ち終わった所の鉄筋を水洗いしなければならない。バイブレーターのコードを邪魔にならないように手繰り寄せて巻いたり、邪魔な器具を片付けたり、とにかく目まぐるしい仕事であります。

  生コンが飛び散り、それが体にかかる。体中生コンだらけであります。それに、超汗かきですので、滝に打たれたように作業着はびしょ濡れとなった。水は2リットル以上は飲んでいる。それがないと脱水症であの世行きとなる。

 仮枠大工が、何と申しましょうか細かい所に気がつかない仕事をしておりましたので、枠の隙間や、接地面から生コンが溢れてくる。それをバケツにとって処理する。時々、枠が広がったりで、大変な仕事で御座いました。

 昼飯抜きの休憩なしで作業は続行され、午後3時過ぎ、ようやく作業は終了した。疲れてはおりますが、それを顔に出してはならない。余裕の笑顔で、後片付けをし、帰途に着いた。

 元気に働けるこの幸せと喜び、誠にありがたい事であります。115歳までは絶対にこの若さと美貌(?)を保持し、労働に勤しむことにする。

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しあわせの意味  6月6日金曜日 雨後曇り 

只今、朝の5時41分、これから朝つとめをして、仕事へ出かける。しかし、雨模様であります。現場は作業中止となるかもしれませんが、一応出かけて見ることにします。

 昨日は当布教所の月並祭であった。毎月5日は月並祭であります。なにしろ、平均年齢50歳の信者20名が集まってきますので、漲信布教所の責任者になったばかりの私はいろいろと大変であります。

 布教所はトタン葺のボロ屋でございまして、20名の人間はぎゅうぎゅうのすし詰めとなって神床の前にぬかずく。私は紋付を着て、祭文を読み上げた後、鳴り物入りの座り勤めと12下りまでの手踊りを行う。

 男3名、女3名の計6人が上段に上がって厳かな雰囲気の中で祭典が行われます。終わりますと、私は説教をしなければならない。信者さん方が居眠りするような説教はだめでありますので、笑わせたり、泣かせたりする話術が必要であります。それは、私が最も苦手とするものであります。

 「我々信仰者の目的は、生きている事自体がいかに素晴らしく、凄い事であるかを知って、日々を心勇んで働く事であります。幸せとは何か? それは4つをあわせて感謝する事です。四つとは何か? それは、天地大自然の恩、御先祖様の恩、両親や肉親への恩、人様への恩を知って、感謝し、合掌して心美しく喜ぶ事であります。その四つを合わせるから、しあわせということになります」

 何を言っているのか自分でも分かりませんが、これにて一件落着、では、仕事行ってまいります。

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現場は雨だった  6月4日 月曜日 雨

 現場で労働に従事していますと、同僚からよく言われる。
 
 「あんた、ほんとに66歳か? その敏捷な動き、凄いパワー、どう見ても40代にしか見えん。いや、30代と言ってもおかしくない。どうもおかしい、なんか、魂胆があって、年を偽っているんとちゃうんか?・・・」

 そこで、私は答える。

 「人間、働く事において年齢は関係ない。やる気、気力充実、ファイトいっぱ―つがあれば永遠の若さと美貌が付いてくるのだ。おれは死ぬまで現役だ。ツルハシを振るい、スコップを握ったまま現場で死ねれば本望、ぐわっはっはっはっははははー・・・」

 同僚たちは呆れたように黙ってしまう。ここだけの話だが、人間は働くためにこの世に生まれてきたと思っている。年を取って労働に従事する事は決して恥ではない。逆に常識の奴隷となって、老齢の働きを恥と思う心こそ恥だと思う。

 汗水流し、日に焼かれて働いた後は気分爽快である。66歳の肉体に宇宙のパワーが勢いよく流れ込んでくるのが感じられる。

 永遠の若さと不老不死は汗水流して働く事に原点がある。栄養のバランスとか、活性酸素を中和するサプリメントなんって全く関係ないのであります。心、精神、肉体の鍛錬、それが健康と不老不死の元となる。

 その証拠に、ブラジルのある原住民は、芋だけしか食っていないのに、筋骨隆々の逞しい肉体をしており、健康であります。体内の酵素とか、善玉菌が必要な栄養を合成するためだと科学者は言っております。

 また、フランスのある若者、大学生は、ジャムパンだけ食べて健康に動き回っているのであります。人間の体、全く不思議なものですね?

 今朝、いつものように4時半に起きますと、天気は雨模様であった。いつもは一人暮らしの身ですので、朝つとめの後、日の丸弁当をさっと作って会社へ出かける。しかし、今日は、昨夜やって来て泊まった73歳の姉が弁当を作ってくれた。

 余計な事をするな、と言うのですが、女は年を取るとおせっかいが強くなるらしく、勝手に作ってくれた。仕方がないので、お礼を申し上げて、会社へ出かけたのであります。

 ところが、雨が強く、作業は無理、今日はお休み〜、と若い社長が宣言した。家に戻りますと、姉が怒って言った。

 「せっかく心をこめて弁当を作ったのに〜〜〜、何で、中止なのよ〜〜〜」

 「だから、言ったじゃないか、余計な事をするな、と・・・」

 今日は、これから何をするか、いろいろ考えてすごす事にします。

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無欲状態 2007年5月5日 土曜日 雨

人は2回この世に生まれる。一回目は存在するために、2回目は生きるために、とルソーが言っています。存在するためには限りない欲望が必要で、そのためのいろいろな火の粉が降り、足掻きがあると思います。

 2回目の生きるということは、無欲状態になることだと思います。なぜなら、われわれはすでにあらゆる面において満たされている。それを無意識が感じた時、無欲状態になれるのです。

 われわれは自然の、あるいは宇宙の恵みの中で生かされている。その恵みの全てが無償である。生かしてくださる天地大自然に、われわれは代償を払っているわけではない。根源が求めるものは、心の美しさ、相互扶助の躍動であり、感謝、感激、感動である、と思う。

 宇宙の広がり方は早い。その最果ては光の速さで広がっているのです。それ故、最果ての先は見ることが出来ないのであります。言い換えれば、我々はじっとしていても、光速で動いていることになります。

 無欲状態とは無念無想とは違う。状況の全てを掌握して雑念のない、寛大な受け入れ態勢のことを言う。そこに、真理に輝く本物の世界が広がると思う。

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