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昭和62年度〜63年度


日本を守る   天地大自然を恨まず   言葉使いはハートから

絶滅したマヌケ   人間は全て兄弟姉妹   初心のままで人生を生きる  宇宙開発へ期待と不安   私を襲ったツバメの親心


 

日本を守る  昭和63年8月25日木曜日   朝日新聞(奈良県版 奈良 高田市にて、ハンドネームは中森広成)

 8月5日付けの「資源小国だから核兵器」 という高校生の投稿を拝読し、愕然としている者です。十七歳にしてこれほどの文才と信念を持っておられる事に感心いたしますが、それだけに、その優秀な頭脳が日本の、否、人類の未来にどのような影響を及ぼしていくか、その危険度が憂慮されてなりません。

  むろん世の中、弱肉強食で、弱い者が生きていけない厳しい時代、右を向いても左を向いても嫌な事ばかり。富と権力、そして武力が横暴にも大道をかっ歩するご時世で、神も仏も強者のみの味方となっています。ましてや今日の目まぐるしく変動していく世界情勢の中にあって、一つの国家が存続していくということは、至難のわざ、油断していると、いつ倒されるかわからない。

 そういう現状を冷静に見つめて、ならば資源小国日本は安全と存続を維持していくために、核兵器を持ち、有事の際は短期決戦に持ち込むべきだとする意見は一応筋が通っているように思える。しかし核兵器使用ということが、どういうことか深く考えたことがあるだろうか。日本を守るどころか、全面核戦争の点火となり、全世界が一瞬して火の海となるのです。

 そうなれば人類は滅亡、生き残った人間は、核の冬の地球上をさまよい、確実に迫ってくる死の足音に怯える。最後の一人はけいれんの硬直を残し、「何という馬鹿なことをしたんだ」とつぶやいて息絶えることになる。

 人間が互いに殺し合い絶滅するのは勝手である。しかし生命の根源、親であるこの天地大自然を破壊、汚染し、他の生物を巻き添えにすることは許されない。核兵器は悪魔の武器、その廃絶のための努力こそが日本を守り、人類の繁栄につながると信じる。

 日本は経済大国という一つの目標に達したが、次の目標を失い戸惑っているという感じがする。パワー・イズ・ジャスティス=「力こそ正義」、これが自然界のおきて。昔も今も変わらない生存の条件である。そのパワーを精神文化の向上に向ける。これが今からの日本の目標ではないだろうか。

 核兵器を備えて虎視眈々(こしたんたん)と周囲の国々を見つめるのではなく、互い助け合い、友好のきずなを深めていくのが賢いやり方だと思う。一七歳というその若さ、そして素晴らしい頭脳、それをもっと広い次元から人類の役に立てて欲しいと思います。

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天地大自然を恨まず  昭和63年4月10日  沖縄タイムス 声   

 雨が降ろうが風が吹こうがそれは天地大自然様のなされることである。いかに我々人間が優れていて、いずれはその科学力を持って天気を自由に操ることが出来るとしても、天地大自然なしには生きられない、という弱い立場に変わりはない。うかつに天気が悪いといって腹を立てたり、愚痴をこぼしたりすると自然のお叱りを頂くことになる。

 2億年間も全盛を誇った恐竜ですら、一瞬にして絶滅したのだから、出現してわずか数百万年しかならない人類など、自然のご機嫌を損ねると蠅叩きでつぶされる蠅のように殺されるかも…。

 しかし雨が降ると仕事が出来ないわれわれ労務者にとって、最近の雨の連続は死活問題である。十日以上も雨が続くと、顔は青ざめ、その筋肉の一部が痙攣を起こしてくる。そして仕事の悩みから転じて、いかにして借金するかの悩みとなる。さらに20日以上も雨が続くと首吊りか夜逃げかの選択を迫られる。

 焼き鳥はうまいが借金取りは怖い。こんな人生はもういや、と言うことになって天地大自然を恨み、人間社会を呪って人間を止めるということになる。しかしそれ.では駄目なのだ。

 苦しみなやみは人間を進化発展させる鞭である。激流の中でも余裕ある人間となり、天地大自然の成されることを冷静に見つめていきましょう。

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言葉使いはハートから  昭和63年3月27日  沖縄タイムス 声

 ウチアタイする方には大変失礼と思いますが、誰が見ても美人とは言えないレディーであっても決して悲観することはないと思います。なぜなら、その口から発せられるお言葉が、春の海に広がる美しい音楽のようなものであれば魅力満点。

 さらに気品と心の美しさが十分にあれば楊貴妃やクレオパトラ、小野小町といえども貴方の魅力には及ばないからです。たとえ美人であってもその美しい唇を震わせて発せられる言葉が、いちじるしく品性に欠けるものであれば、いかにミスユニバースであっても幻滅、3大欲望の一つが壊滅的な被害を被る。言葉は人類だけが修得した奇跡、進化発展を迅速に導く高度な頭脳の産物といえる。

  しかし、使い方によっては刃物ともなる。つまり、全ては言葉一つ、他を生かすも殺すも、あるいは世界平和が実現するかしないかも言葉の使い方にかかっており、人類の存亡を決定する重大なものといえるのである。ところが、われわれ労務者の世界においては上品な言葉使いは難しい。

 「ばかたれ!さっさと仕事をせんか、このくそったれー」

 これを上品な言葉に翻訳すると「おばかさんねー、おさっさとお仕事をおやり遊ばせ。このおくそおたれさま、いやんばかーん」となって気持ち悪くなる。しかし、いかに労務者の世界といえども、人間である以上進化せねばならないと思う。バカとかアホー、そういう野蛮で下品な言葉使いのままでいると自他共に腐っていくことになる。

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絶滅した哀れなマヌケ  昭和63年3月19日 琉球新報  声 

 最も不名誉な名前を付けられているのがアホードリである。昔はオキノタユウとかトウクロウという立派な名前があったのに、それがなぜリコウドリでなくアホウドリとなったのか? 全く日本人というのは生命の素晴らしさに対して無神経だと思う。

 しかしそれ以上に名誉をひどく傷つけられる名前の鳥がいたのである。しかも人間の残虐非情さのため三百年前に絶滅している。その名はドードー。ポルトガル語で「間抜け」という意味である。このマヌケ、いやトードーは体重約25s、七面鳥大であった。

 マスカリン諸島(インド洋)のモーリシャス島に生息していたが1681年、完全に絶滅したのである。彼等は草食性で大群をなして地面に巣を作っていた。鳩の親類ではあるが羽は退化して飛べず、太りすぎて走ろうとすると尻が地面にぶっつかって走れない。

 不器用で、その容姿は嘴が大きくつき出て下に曲がり、きょとんとした顔つき。まさに間抜けといった感じであった。彼等は1505年頃、発見され、それ以来、食用や狩りのゲーム用として乱獲されたのでる。そして176年後に絶滅した。最後の一羽を叩き殺した男は「くそ、金にならない」と言って海に投げ捨ててしまった。

 哀れなマヌケ……。しかしそれ以上に人間の方がマヌケではないだろうか。貴重な生物種の一つをこの世から絶やしたのだから……。

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人間は全て兄弟姉妹 昭和62年12月2日 沖縄タイムス オピニオンのページ

 国籍や肌の色、言語、慣習、あるいは主義思想、宗教が異なっても人間は全て、大空という同じ屋根の下に住む家族のようなものだと思う。天地大自然という生命の根源の親も一つであり、息一つ、心臓の鼓動一つによって生かされている、ということも同じである。

 その家族の一人ひとりが心美しく、互いに助けあい、勇んで働き、陽気に暮らすならば天地大自然は満足、人間は病まず、老衰することなく千年も万年も生きられるようになるはずである。だが人間は最近(と言っても数百万年前)、ようやく人間になったばかりなので、本能のどこかにまだ、獣性が残っているのである。

 闘争心、憎悪、恨み、強欲、支配欲、残虐性、そういう弱肉強食時代の産物が根強く存在、科学文明時代の今でもそれらは火花を散らして激突、人間社会を狂わしたりする。その獣性、悪い心をいかにして取り除き、美しい心、良い心だけを残していくか、感情の動物だけに人間にとって難しいことである。

 これからの人間はいかにして進化の道を歩んでいくか、人間の心が自由であればあるほど、いろいろなドラマが展開されていくと思う。しかし、いずれにせよ、人間は世界一列兄弟姉妹、宗教が何であれ生命誕生の始原に戻って皆、仲良くすべきである。

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初心のままで人生を生きる 昭和62年9月3日 沖縄タイムス オピニオンのページ

 苦しい時、全てが悪く思える。病苦、生活苦、労働の苦しみ、借金取りに追われる苦しみ、その他いろいろある。そういう時、人間ならば人生が嫌になってくる。天はなぜ私一人だけをいじめるのかと、愚痴の一つもこぼしたくなるのである。八方ふさがりの地獄の中で、人生はバラ色、私は幸せ、なんて本気で言える人がいたら、その人は偉大な無名の哲学者かカリスマ教祖、あるいは苦しみのため脳細胞が破壊されてしまったお方だと思う。

 しかし、なぜ人間には影のように苦しみがつきまとい続けるのであろうか。陽光にまぶしい花の高原を飛び交う蝶、森の中で美しくさえずる小鳥たち、悩むことの機能をもたない野生の動物が時々うらやましくなる。彼らは苦しみがなんであるかは知らないし、その知るとか、知らない、ということさえないのである。あるのは、弱肉強食の掟がなんであるかを本能が掌握しているだけであり、如何にして生きるかの術を備えた直感であろう。

 人間から観れば、弱肉強食の野生はあまりにも厳しく、暗黒な世界であるが、彼らにとってはそれが当然であった、苦にはならない。苦しみ、それは人間だけのものではなかろうか。つまり、今のままの人間が許されないために、影にように付きまとってくるその圧力は、人間という殻の中のもがきであり、その殻を破って大空へ飛びたて、という天の促しかも知れない。恐れず、迷わず、焦らず、冷静にして謙虚寛大、初心のままに人生を生きていくことがその殻を破る唯一の力であると思う。

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宇宙開発へ期待と不安 昭和62年7月8日 沖縄タイムス 論壇

 5月28日、宇宙開発委員会の長期政策懇談会は、21世紀へ向けた日本独自の宇宙開発基本方針を発表した。宇宙資源や有人宇宙ステーションなどを、最新科学技術の粋を結集して自主開発し、日本を宇宙大国へ発展させる始動に取り掛からんとしている。

 果たして、この道では米ソに大きく離された遅れをばん回、あるいは追い抜いて、SF小説やアニメでしか見られなかった夢物語を、日本独自の技術を生かして実現できるか、日本国民の期待は大きいと思う。しかし、日本は不思議な国である。何か得体の知れない凄まじい力が日本列島の内部から吹き上がり、世界は次第に日本を中心に動いていくような感じがするのである。

 資源に乏しい小さな島国、歴史を振り返ってみるとまさに波乱万丈、嵐の海をクリ舟で乗り切ってきたとも言える。世界を相手に戦い、二度と立ち上がれないほどに叩き打ちのめされた日本、しかし、その完璧な絶望と廃墟の中から新しい芽を出して成長、いろいろな苦難を逆に繁栄の力と化し、ついに世界に大きな影響力をもたらす経済大国となってしまったのでる。その不思議な底力は他国の憧憬と脅威の的であり、未来に大きく広がるものである。そして、日本は今、その優れた頭脳と科学技術の矛先を宇宙の無限性へ向けようとしている。そこから生じる利益は日本のみならず世界に大きく貢献できるものと信じる。

 有人宇宙ステーションが完成すると、その間を往復する宇宙往還機が地上を飛び立つ。安全性が100%認められるとハネムーンは宇宙旅行、と決めるカップルも少なくないだろう。宇宙空間に漂い、壮麗な星の広がりを背景に、二人は永遠の変わらぬ愛を誓うであろう。

 有人宇宙ステーションでは、むじゅうりょく状態や真空の中でしか作れない貴重な医薬品や工業用の新素材が製造され、宇宙農園なども作られると思う。そして、太陽系をはるかに離れた未知の宇宙空間に第2、第3の宇宙ステーションが完成し、人類は宇宙へと旅たっていく。しかし、ここで憂慮されるのは、それらが軍事目的に利用されないかという点である。

 日本の優れた科学技術は今のところ、平和産業に大きな比重をかけている。しかし、いざとなればいつでも軍事産業に転換でき、米ソも及ばぬ優秀な性能の戦闘機や核ミサイル、レーザー光線兵器など簡単に製造出来る。そして、宇宙を有利に支配した国は超軍事大国となってしまうのである。自衛隊がそれを見逃すはずがない。もちろん自衛隊は専守防衛が建前で憲法違反ではなく、軍隊にあらずという苦し紛れの理屈がまかり通って入るが、宇宙においては日本領土外ということで、公然と完全な軍隊に豹変する恐れがある。

 日本を守る、それは大切なことである。日本列島をにらみながら、その周囲をぐるりと回るソ連艦隊や潜水艦、日本領空をきわどくかすめ飛んだり、あるいは平気で領空侵犯を繰り返すソ連戦闘機、確かに日本はソ連から威嚇され、けん制されっぱなしである。それに対し、日本が軍備増強、近代兵器装備によって立ち向かい、軍国主義復活となった時、日本の安全は逆に脅かされる。

 世界から注目される日本、その日本が今、どういう姿勢をとるか、そこに日本の運命がかかっているのは確かである。

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私を襲ったツバメの親心 昭和62年6月中旬

 関門海峡の小島、巌流島で宮本武蔵と決闘して負けた剣士・佐々木小次郎はツバメ返しで有名である。身軽で素早く、変化自在に飛び回り、害虫を捕らえて食ってしまうツバメの最高速度は時速200キロである。そのツバメを彼は物干し竿と呼ばれる長刀で電光一閃、スパッと正確に切り落としてしまう、という凄腕であった。しかし、そんな彼でも切れないツバメがある。それは、時速260キロで突っ走る、九州新幹線つばめ、である。

 そんな事はどうでもいいことですが、その時速200キロのツバメが昼休み時、居眠りしている私に突然、襲いかかって来たのである。夢の世界で、昼寝をしている夢を見ていた私はびっくり、中城村民体育館の玄関前の階段から転げ落ちてしまった。

 ツバメは2羽であった。青空の青を波立たせて大きく旋回するや、再び襲いかかってきた。頭上すれすれで甲高い鳴き声を上げ、鋭い羽音で威嚇するのである。佐々木小次郎なら、ニヤリと冷たく笑い、ツバメ返しの神技を見せるところだが、私はアスファルト敷き均しのレーキ使いの達人であるが、そのレーキではどうにもならない相手だ。

 しかし、なぜ、この2羽のツバメは身の危険も顧みずに、命がけで襲いかかって来たのであろうか?  不思議に思ってふと、天井を見上げると、何とそこに巣があって数羽のヒナがいたのである。私は子を守らんとする親ツバメの勇気に心を打たれ、そこを退散した。

 翌日来て見ると、2羽のツバメは私を無視して、せっせと餌を運んでヒナに与えていた。私が無毒無害の、毒にも薬にもならない人間である、と判断したのであろうか?

 

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