Address of USA President OBAMA
at the Nobel Prize Receive Ceremony

 深い感謝と非常に謙虚な心持でこの栄誉を受ける。この賞は、この世が残虐さと困難に満ちていようとも、 我々は運命の捕らわれ人ではないということを物語っている。
 しかし私は、みなさんの決定に論争があることを、認めないわけにはいかない。一つにはこれは、私の 仕事が緒についたばかりで、終わっていないためだ。この賞を受けた歴史上の偉人たちに比べて、私が 達成したものはきわめて小さい。そして世界には、正義を求めて投獄されたりうちのめされたりする男女 や、人道組織で働く人々、名もなき何百万という人々がいる。しかしおそらく、私の受賞に関して最も深い 問題は、私が二つの戦争のただ中にある国の軍最高司令官だという事実だ。我々はなお戦時下にあり、 私には、遠い国での戦いに何千という米国の若者を送り出している責任がある。
 この問いは新しいものではない。戦争は最初の人類とともに登場した。戦争は一定の前提条件を満たし、 最終手段か自衛の下で市民に暴力が及ばないようにするためであれば正当化されるという、「正義の戦争」 という考え方が生まれた。
 戦闘員と市民との境界はあいまいになった。30年間に、そのような大量殺害が2度起きた。第2次世界大戦は 、死亡した兵士の数を上回る市民が殺害された戦争だった。  破壊と核兵器の時代の到来で、さらなる世界大戦を回避する国際機関の設立が必要だということが明らか になった。そして、米国は平和を維持するための発想を築きながら世界をリードした。多くの場合でこれらの 努力は成功した。悲惨な戦争が起こり、残虐行為も行われた。しかし、第3次世界大戦は起きなかった。 歓喜に満ちた群集によって壁は倒され、冷戦は終結した。私たちは、過去の世代が残した不屈の精神と 先見の明の後継者だ。そしてこれは、私自身の国が誇るべき遺産だ。
 世界はもはや二つの核の超大国の間で起きる戦争に身震いすることはないだろう。しかし、核の拡散は、 大惨事の危険性を増すことになりかねない。テロリズムは長い間、戦術にすぎなかったが、現代の科学に よって、少ない人数で大規模に罪のない人々を殺害することができるようになった。
 国家間の戦争は国家内部の紛争に取って代わられつつある。民族や宗派間の紛争の台頭、分離論者 の動きの活発化、暴動や失敗国家、これらは市民を巻き込んでいる。今日の戦争で、兵士より多数の数 の市民が殺害されている。経済は挫折し、市民社会は引き裂かれ、難民は増加し、子供たちが傷ついて いる。
 私は今日、戦争の問題について明確な解決方法を持ち合わせていない。私が知っているのは、これらの 困難に立ち向かうために、数十年前に勇敢に行動した先人が持っていた理念や懸命な働き、粘り強さが 必要だということだ。私たちは、暴力による紛争を根絶できないという厳しい事実を認めながら、始めなけ ればならない。一国であっても複数国家による武力行使が必要なだけでなく、正当化されることもあろう。
 私は、キング牧師がこの場でかって語った「暴動は決して永続する平和をもたらさない」という言葉を 胸に話している。しかし私は、自国を守ることを誓った国家元首として、ガンジーやキング牧師の先例だ けに従うわけにはいかない。米国民への脅威を、何もせず見ていることはできない。
 第2次大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけではない。条約や宣言だけでもない。事実は こうだ。60年以上にわたって、米国は自国民の血と自国の軍事力によって、世界の安全保障を保証する助け をしてきた。
 だから戦争の道具というのは、平和を保つ上で役割を持っている。またしかし、この真実は別の真実と共存 しなければならない。いかに正当化されようとも、戦争は間違いなく人間に悲劇をもたらすという真実と。したが って、我々の課題の一部は、これらの一見矛盾する二つの真実を調和させることだ。具体的には、ケネディ 元大統領がかって「人間の本性の急激な変化ではなく、人間のつくる制度の段階的な進化による平和を 目指そう」と呼びかけた課題に努力を傾けねばならない。
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