【1.脱オタの代わりとしてのサブカル移行、適応、そして、私】

私はパソコンにハマってから"萌え"に出会うまではオタクはカッコイイものだと思っていました
何の分野にしろ、極めた人はカッコイイと思っていました
純粋にタッチタイプが出来たり、パソコンが組み立られたり、プログラムが組めたり、
ハッキング出来たり…

サッカーが上手かったり、勉強が出来たり、歌が上手かったり、スケボーが出来たりする人と
同じ尺度で見ていました

"萌え"に出会ってからはそれが曖昧になりました
二次元の女のコをカワイイとは思っても
カワイイと思っている自分をどこかで気持ち悪いと思っている自分が居たからです…
何にしてもキャラクタに罪はないんです
キャラクタはとても美しい…芸術としての意味も、私個人は、ある、と思います
(記号の集合体だという人もいますが)
ただ、二次元のキャラクタを好きで可愛いと思っている自分を好きにはなれませんでした…
この自己矛盾が生まれてからは
少なくとも"萌え"以外のオタク分野には誇りを持てても
"萌え"に対しては、
"可愛いキャラクタ"に対する強い憧れと
"醜い自分"という強い劣等感が生まれてしまいました…

そして、高校に入学し
オタクがバカにされる環境において
自分がオタクであること全面否定され
全ての誇りを失いました…

そして、今、私は"サブカル(文化人)"という非常に曖昧で、もしかすれば、存在しない、
「虚構」かもしれないカテゴリーに属する人種になろうとしています

サブカルとオタク、双方の分野は結構似たり寄ったりですので
互いの「分野」の区分けはいろいろなところで議論されていますが
私は「人種」の区分けとオタクからサブカルへの移行、適応を提案したいと思います

〜文化人の条件〜

・見た目がオシャレであること、もしくは見た目にコダワリがあるコト

見た目が綺麗なオタクさんってあんまりいませんよね…(過去の自分を含めて)
これで大きく区分けが出来ます
文化人は何に対してもこだわる、人と違うものにこだわる傾向にあるので
オタクさんがこれに該当するとすれば服にも容姿にもこだわるべきです
これで大部分のオタクさんが該当しなくなります
しかし、まだこの条件では隠れオタクさんは該当してしまいます

・自分の専攻分野に誇りを持っているコト

これでほとんどの隠れオタクさんが該当しなくなります
大部分の隠れオタクさんはオタク趣味に誇りを持てないために、オタク趣味を隠すのです
から
でも、これでも、人間関係を円滑にするためだけにオタク趣味を隠している、誇りを持っ
た隠れオタクさんは除外されません

・自分の専攻分野が一般にも受け入れられるモノであるコト

これで「萌え」を隠している隠れオタクさんのほとんどは残念ながらは除外されてしまいます

ですが、これではアングラ系のサブカルまで含まれかねないので
(特に女性に)生理的に一般に受け入れられるモノ」と補足しておきましょう

・自分の専攻分野が文化的であること
これはオタクとの対比という意味では関係ありませんが
この条件がなければスポーツマンなどが含まれてしまいます
スポーツが文化的ではないとは言いませんが、一般的に文化的な趣味と言ってスポーツは
思い浮かべませんよね?

以上がサブカルの条件です

え?オシャレで自分の趣味に誇りを持っていて
その趣味が文化的で他の人にも生理的に受け入れられやすいオタクはどうなんだって?
果たしてそのような人がいたとして
本当にオタクだと言えるのでしょうか…?
PCと鉄道を例にして話をしてみましょうか
職業が美容師で顔もイケメンで趣味のPCに対して誇りを持っている人がいてその人は他の
人から見てオタクに見えるのでしょうか?
また、イケイケのリーマンで容姿もあか抜けていて清潔で、そんな人が電車に詳しかった
としてもその人は他の人から見てオタクに見えるのでしょうか?
余程、コミュニケーション関係の上で問題がない限りはおそらく普通の人としてしか認識
されないと思います
これで「気持ち悪い」だとか「オタク」だとか言う人は
元オタクだったことを乗り越えきれていない元オタクの人か
もしくは非常に偏った価値観を持った人です
そういう人は大抵の人のことを軽々しく気持ち悪いと言ったり、平気で誹謗・中傷してきますし
(こういう人種は自分より弱い者だと判断するか
もしくは自分より秀でている相手の弱点を見つけると
そこばかりを狙って攻撃してきます
これはシロクマさんの言うルサンチマンに当たるんですかね…?)
ほとんどの人たちのことをオタクだと思っているでしょう

ここで述べているのは飽くまで、他人からどういう人間として、認識されるかという話です
したがって、個人の感覚が基準となってきますのである程度の振れ幅はあると思います

個々人が自分のことを一般人と思うか、オタクと思うかは、また別の問題なのですが、少
なくとも自分のことを自分で許せる人種として認識する必要はありそうです

文化人には徹底的にマイノリティを突き進んできた人が多いように思いますが
少なくとも今のオタクにはシロクマさんの言う通りそういう人は少なく思います
みんな同じように同じマンガを読み、ネットで話題になっている同じゲームをし、同じアニメを観る…
オタクとしてのマジョリティや、一般教養を身につけることが悪いとは思いません、ですが
サブカルという分野の人間が明確にいない今
(ある意味オタクになるのはとても簡単なのでその数が増えた結果
サブカルに流れるべき人材、人口が減少していき
オタクのマジョリティ化が進んだのだと思いますが
いや、徹底的にマイノリティを突き進んできたからこそ文化人は少ないのか…
どちらかはわかりません…)
本来、他人との差異を求めて、個性として、自らオタク―マイノリティとなった人種の中
には、私のように、サブカルになるという選択肢を与えられなかったオタクもいると思い
ます

ですから、私は宣言したい
私は適応として、自身のアイデンティティとして
サブカルを選択したい
他人からの認識に対する努力もするつもりだし、どんなに笑われてもサブカルを辞めない
というか、どんなに否定されようとサブカルだと言いはります

サブカルとしての、マイノリティとしての自分をオタクとしての自分より少し、好きにな
れた気がする
そして、私と同じようなオタクにも気づいて欲しい



「恋の門」というマンガがあります
映画も出ているので見てみて下さい
気づかされるものがありました
私はこれを見て「下妻物語」を見てロリータに覚醒した少女ばりにサブカルに覚醒しまし
た(爆笑)
サブカル(系)雑誌(?)としてコミックビーム(恋の門や真夜中の弥次さん喜多さんが連載
されていました)やアックスがあるので見てみるのも良いと思います




シロクマのちょっと一言:

 十代の方が書いた文章故でしょうか、ちょっと勇み足なところもありますが、しかし…これはこれで刺激的かつ示唆的な文章じゃないかと思います。hobbyとアイデンティティ・劣等感の問題について、無視し得ない問題を提起してるんじゃないかな、と。

 サブカルだオタクだという境界線はともかく。
自分自身の愛好している趣味世界をどれぐらい好きでいるのか?それとも仕方なく後ろめたい気持ちでやっているのか?という違いは、趣味傾倒における姿勢なり美学なり適応スタンスなりを反映したものだと思います。好きなものを好きと言って全力疾走しているオタクと、能動的というよりは他にやりようが無いからオタク趣味に退却しているオタクとでは、同じオタク趣味愛好家と言ってもライフスタイルは決定的に異なったものになるでしょうし、劣等感に関しても雲泥の差があるでしょう。この事には注意深くなっておいてもいいんじゃないでしょうか。

 そういえば、Gさんが「スーパーハカー憧れオタク時代」においても「脱オタ時代」においてもやたらと能動的に追いかけ続けている点に注目しても良さそうですね。Gさんの小〜中学校時代を振り返ると、仕方なくオタク趣味に飛び込んだという後ろ向きさ加減がそれほど感じられません。このことも、能動的な脱オタ活動を後押ししたのかもしれません。



【2.脱オタの代わりとしてのDQN移行】

DQNという適応方法もあります
適応方法としてはシロクマさんの言う通り(シロクマ注:多分このテキストのことだと思う)だと思うのですが
現役で超DQN校に通学している私からすれは
オタク→ヤンキーに限ってはシロクマさんが楽観視されてるほどには、楽には思えません

・健康として
ヤンキーになりたいなら必ずと言っていいほどタバコを勧められます
というか、集まってタバコを吸いながらダベるのがデフォなので喫煙は必至です
タバコは一度吸いだすとなかなかやめるのが難しいようです
ヤンキーの中にも辞めたいと言って辞められない人が結構います
学生のウチはキツイと思います
まあこれはオタの人の中にも吸う人はいますが
・ギャンブル
これも誘われます
オタの人は基本的に不安定にお金が増えたり減ったりするのを嫌う人が多いと思います
(オタ友人たちを見てても)
オタの人は基本的に断るのが不得意な人が多いような気がするので(私みたいに)
結構いらないお金を使うことになりそうですね…
・モラル
ポイ捨て、駐車違反は当たり前
万引き、自転車窃盗、もやることになりそうです
場合によっては原付窃盗なども
私はそんなことしたくないですし、捕まりたくないですし、カタギの女のコから嫌われたくもないです
・容姿
どこからどう見てもヤンキーにさせられます
まあ普通の人はなかなか寄って来ないでしょう
で、オタクだった人がいきなり、ヤンキーの容姿になったとしても
素質がある人、それこそ脱オタに即座に成功するような人以外は
脱オタしそこなった人よりも酷い仕打ちが待っています
目つきがなっていない次点で舐められますし
服装・容姿もデビューしそこないでは
「最近、お前、調子に乗りだしたんか?」
「デビューしそこないが」
みたいなカンジで、シメられるか、イジメられるかするでしょう
その上、裏でも表でも悪評立てられまくりでしょうね
(以上、実話)
・車・バイク
学生にはほんとにキツイ額です
族車・ヤンキー車が好きな人以外にはかなり大きい出費です
他の趣味にお金を使えません
・仕事
容姿や給料の問題でほとんど工事現場や鳶、塗装などです
体力がある人以外にはかなりキツイですね
・クスリとかまあ危ないコト
危ないクスリとか有機溶剤を勧められます
断わってください
暴走行為を勧められます
断わってください
危ない業種の方々とお知り合いになります
相手の方の人柄によりけりですが
上下関係やいろいろでものすごくめんどくさいので私はパスです
・コミュニケーション能力
これが一番大事です
オドオドしていればすぐに金ヅルや"アシ"に使われます
舐められればおしまいです
上下関係が解っていなければシメられて、全治何(以下略)
ヤンキーも力だけではないです
ある程度、強ければ、あとはやはりコミュニケーション能力に秀でた人間が上に登っていきます
ヤンキーは顔が広いのが美徳みたいなものですし
暴力のみで解決しようとすれば
普通にハブられますし、数でシメられます
DQNも人と人との繋がりですのでやはりコミュニケーション能力は必要です


シロクマからちょっと一言:

 これは極めて貴重な証言だと思います。オタ世界とDQN世界の両方に足突っ込んだGさんの経験に感謝します。一個人の体験に過ぎないとしても、両方の世界を知っている人の意見に私はとても惹かれました。オタクの毛嫌いしているものに関しての記述も、的を射ているように思えます。

 DQNという適応スタイルは、地域社会の崩壊した現代日本において有利な適応戦略に違いない一方、そのスタイルはオタク的適応とは真逆と言っていいほど異なっています。そのうえ、煙草だの短絡的ギャンブルだの、色々な短期〜長期的な障害も被りやすいため、オタクがDQNメソッドを用いて社会適応しようとか脱オタしようとか思っても困難なことでしょう。DQNという適応スタイルは、おそらく、中学校時代から既にその気が無い限りは難しいんじゃないでしょうか?その代わり、DQNには知的機能やモラルを求められることがありません。シンナーや煙草に耐えられる程度に頑強かつ無鉄砲で、腕力と情動レベルのコミュニケーションに耐えられるなら、小学校高学年ぐらいから突っ走るのもいいのかもしれません。繰り返しますが、脱オタにDQN的適応は向いていません。最初からDQNルートに進んだ人だけにとって利便性のある処世術だと思います。

 コミュニケーション能力に関してのGさんのコメントは、全くもってその通りだと思います。ただ、DQN界隈のコミュニケーションにおいて求められる能力は、「ナメるかナメられるか」「ビビってるか、落ち着いているか」「腕力そのもの」などがメインであり、非DQN界において求められがちな能力とちょっとズレている事に注目しておきたいです。また、こんなにも文化ニッチの細分化が細分化したポストモダン的状況においても、DQN界は比較的コミュニケーションの基準が原始的ながらも全国共通である点にも注目したいところです。一般に、DQN界のコミュニケーションは情動・感情・暴力に関連したプリミティブな水準のものが多く、それらさえ得意なら優位に立ちやすくなることでしょう。そういう点では、やはりDQN界のコミュニケーションはシンプルでわかりやすく単軸的と言うことは出来そうです。

 残念ながら、DQN界隈で流通する情動的なコミュニケーションは、多くのオタクにとって不得意なものと推測されます。この点でも、オタク達が脱オタにあたってDQN的適応を目指すのは無理が大きいと推測せざるを得ません。