・Iさんのプロフィール

 26歳男性、都内の大学院に在籍してる学生で現在一人暮らし中。と言っても実家まで一時間半ほどなのでちょくちょく帰っています。小学校時代はやや丸 かったですが、二次性徴以降は一貫して平均的な体格の範疇に入っています。

 家族構成は家の一階に住む父方の祖父母と、二階に住む父母、妹の六人で、経済的には中流だと思います。 ただ、祖父が今で言うDQNでして、飲んで打って帰って来ては家族を殴る蹴るだったそうです。私が物心ついた頃には彼も体を壊し、祖父-父間は冷戦状態、祖父-祖母間は顔を合わせれば口論と云うレベルまで落ち着いていました。これらの反目から私自身が直接害を被る事はあまりなかった(性格に影響して るかもしれませんが判別しようがありません)とは言え、家族と言っても所詮他人と云うのはよーく分かりました。 一方二階では「折角何かの縁で一緒になったんだし、個別の人間同士それなりに楽しくやりましょう」といった感じで、どういう距離感で接するかは各人に任 されていました(勿論、親/子としての義務は果たした上で)。その結果、各々が好き勝手にやってるのに仲良し家族という形態に落ち着いています。

 幼い頃からずっと皆で盛り上がってる事にどうしても入れない人でした。親が入っていた仏教系新宗教(新新宗教ではないです。念為。)の会合に行っても 「この人達は何故にこんな屈託なく幸せそうに喋るんだろう」と幼心に居心地悪さを感じていましたし、10歳頃に教団創立何とか年記念式典へ出た際にも、 厳しい練習の末に本番は成功、控え室に戻って感極まり次々と泣き出す仲間や親、インストラクターを見て当惑し、何だか申し訳なく思ったのを憶えていま す。同様に学校の文化祭などには極めて非協力的でした。



・Iさんの小学校時代

 今から思うと小学生の頃が一番真面目で一番しんどかった気がします。

 学校では勉強が大変に良く出来、運動及び人を笑わせるのはかなりダメ、泣き虫でやや丸い子でした。漫画にもテレビにも興味無く、ゲームの話を除いて周囲の話題には全く付いて行けないなど、いじめられっ子タイプです。しかし、更に酷い子がいたので幸いにして酷いものは受けていません。ただ、閻魔帳を作ろうとしたり「このまま地域の中学校に上がって連中と一緒になるのは御免だ」と思った所から、受けていなかったとは言えないかと。

 また、本が好きで家の本を漁った結果三国志に嵌まり、関連本やグッズを買ったり名前を暗記しました。中学校に上がる頃には熱も冷めてしまいましたが、オ タク的なものへの親和性が表れた最初の事件だと思います。

 そう言えば、NHK人形劇三国志の写真集と一緒に買ったA5版の漫画が実は袁紹×曹操のやおい同人誌で「なんだこりゃ」と思った事がありました。あと は、Y'sII (MSX2版) のリリアに惚れたりも致しました。結局、やおいもリリアもどちらかと言うと偶発的な経験で、これらが直接的な原因となって後の生が変わった事はないと考 えています。 あと、MSX2は英語が読めない子供には単なるゲーム機で、BASICからプログラミングに嵌まるような事はありませんでした。



・Iさんの中学校時代

 中学高校時代は、いじめもあからさまな優越感ゲームもない環境に潜り込めたお蔭で楽でした。当時は色々不満もありましたが、今振り返ればかなり良い学校 だったと感じます。

[中学生]

 入試過去問題が面白かった都内の進学校に入りました。学校での成績は上の下くらい。クラス内にヒエラルキーは殆どなく、全うな扱いをされて比較的過ごし やすかったです。前述の通り、体育祭とか合唱祭のような「みんなで力を合わせて」系のイベントには悉く非協力的でしたがそれを元にハブられる事もありませんでしたし。ゲーム好きの男子や図書館部系の女子の集団内に居る事が多かったです。
因みに、中学入学と同時に入った塾では高校二年までずーっと最下位クラス内のビリ集団の一員でした。情けなさは感じていましたが劣等感は無かったように 思います。

 また、この時期には深夜ラジオにハマっています。毎晩ハガキやfaxを送り毎月のイベントにも(やっぱり周囲のテンションに引きつつ)参加する等、かなり入れ込んでいました。モー娘。同様の素人発掘番組だった為、アイドルオタク予備軍だった事になりまるでしょう。が、番組打切りを機にラジオを聴く事自体やめてしまいました。

 因みに、中学三年の時にエヴァが放映されており、友人から面白いよとビデオを渡されて確かに面白かったです。謎本も読んでCDも買って人並みにはまりま したが、痛い思いよりも寧ろ複雑なジャーゴンや設定を楽しんでいた記憶があります。またエヴァ(そんなにイヤなら逃げてもいいのよ(趣旨))、カレカノ (優等生のフリやめた、私は私の好きな様に生きる(趣旨))、森毅の影響で、肩の力を抜いていい加減に過ごす事にしました。


[高校生]

 中学から高校で半分は落とされるのですが、無事に上がれました。古い進学校にありがち(?)な自由な校風で、変な秀才キャラとして生暖かく受け入れられ ており、中学以上に過ごしやすかったです。仲の良かった友人との共通の話題は『究極超人あ〜る』『銀河英雄伝説』コンシューマゲームで、図書館=光画部部室でした。因みにコンピ研とは別グループだった上、学校のPCがMacだった為エロゲにも美少女にも縁がありませんでした(第一、共学でしたし…)。 TVゲームと読書以外の趣味はなく、家と学校と塾を回る生活を送っていました。塾では高校三年頃には成績上位クラスに移る事ができて、(結果) = [(才能)+(採用した手法との親和性)] × (努力)なのかなあと思ったりしました。

 ここまでずっと男女同数の共学校で過ごした為、小中高それぞれで同級生に想いを寄せたりしています。ただ、「自分が彼女を好きである」と云う事実のみがあって、それ以上の「一緒にいたい」とか「付き合いたい」とは感じませんでした。故に、告白して振られた時にはがっかりどころか、大喜び且つ安堵に胸を 撫で下ろした事を憶えています。

 従って、相手に好かれる為に自分を変える、特に服装や髪型に気を遣うと云う考え自体ありませんでした。実際、私服は家族が買って来た典型的なオタクシャ ツに綿パン、髪も親にお任せ。その一方で高校にもなると同級生の半数くらいは髪を染めたりお洒落をして、彼氏彼女を作ったりしていました。かといってク ラス内にABCの如き序列ができる事はなかったのですが。

 自慰を憶えたのは中三の秋。とはいえ、性欲は薄い方でした。週に一二回くらい、溜まってきた時には家のPCで海外の21禁サイトやニューズグループを利用していました。あと、基本的にはヘテロでしたがやや色白で知的な男性に憧憬を覚える事も結構ありました。





 シロクマ注:

 Iさんの人生の滑り出しもまた、オタク→脱オタ者にありがちなものだったようです。即ち、[中流家族・勉強は出来るけれども運動だの話術だのはダメ・ゲームや本が好き]といった特徴は、どれも典型的な取り揃えと言えるでしょう。幸い、Iさんは小学校時代に最も過酷な体験をした後は、比較的穏やかな学生生活を送っていたようで、案外と楽しく日々を過ごしていたのではないでしょうか。私の知る限り、十分に旧くて自由な気風の進学校は、スクールカーストやら上下関係やらがマイルドなことが多いようです。Iさんはその恩恵に十分与り、他の多くの脱オタ症例にあるような鬱屈した思春期前期を過ごさずに済んだ、と言えそうです。

 幸い、学業のほうもまずまず上手く切り抜けて進学なさったようです。(結果) = [(才能)+(採用した手法との親和性)] × (努力)という数式を思いつくということは、ご自身の努力→結果にそれなりの手応えは感じていたのではないでしょうか。

 Iさんのケースで特徴的な点は、ここまでの道のりのなかで「劣等感」やら「優越感」に関する執着があまり薄いことです。学校内における自分のポジションに関する劣等感に関しては、進学校特有の校風によって上手く緩和されていたが故に感じなかったのかもしれませんが、女性に対する執着に関してはかなり薄いほうのように思えます。「自分が彼女が好きである」ことは意識しても、「彼女と親密になる」「彼女に触りたいと思う」といった感情があまり湧かないというのは、一体どういう事なのか?まして、振られた時に小躍りするってのはどういうことよ?後にも触れますが、それ以外にもIさんはコミュニケーションや人付き合いに関する欲求や執着が、根本的に少ない可能性があります

 「それは防衛だよ」の一言で片付けたくなりますが、早合点はいけません。もっと生物学的な要因が隠れているかもしれません。たまたまなのかもしれません。理由は誰にも分かりません。ですが、この特徴が、その後のIさんの適応スタイルの“進路”に、大きな影響を与えていること疑いありません。

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 ※本報告は、Iさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Iさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。