Lさんの家族的背景

地方の旧家(よく知りませんが昔帯刀を許された農民階級)の長女。 家は父と母が結婚するまで、もともと製造関係の自営業でした。 父は地方公務員、母も小学校教員で公務員です。7才下の妹がいます。



Lさんの幼少期

 内孫の初孫で、まあ甘やかされて育った子でした。 割と病弱で、内弁慶なところがありました。 母親曰く、楽しく一緒に友人の子供達と遊んでいても、時々輪の中に入らず騒いでいるのをひとり眺めているような時があったそうです。この頃から、自分の世界に閉じこもるような所がありました。 好きなレコードをかけてもらって、気に入った曲を何度も聴きながら踊ったり 好きな絵本を何度も読んでもらったり。好きなものに夢中になる傾向はありました。

 

Lさんの小学校時代

 運動も勉強もできませんでしたし、クラスでもどんくさい子でした。 だからといって、いじめられた記憶はありません。 子供同士の悪口やケンカ程度はあったかもしれませんが。 友達の中でも所謂「みそっかす」でしたが、空き地で基地を作ったり男子と決闘ごっこするなど活発なところもありました。運動はスイミングスクールに通っていて、泳ぐのは好きでしたが選手になりたいとかは無く、またそんな才能もありませんでした。

 5・6年生の頃、先生が自分の理想を追求し視野が狭くなっているような女性の先生が担任になり、私は要注意児童になってしまいました。 当人には悪気はなく熱心な指導のつもりなのですが、怒られている理由が いまいち理解できない説明のまま怒られ、叩かれていました。その先生はヒステリックな所があって、火がつくと授業まる一時間泣きながら 怒っていて、私はといえばただ泣きながら耐えるのみでした。 叩かれて怒られている間は、とにかく誠意をもって怒られていようという態度でした。 しかし頭の奥底では冷静になっているというか、感覚が鈍くなって 自分から切り離されたような奇妙な感覚を感じている事もありました。 これが原因なのか、今でもヒステリック気味に強い感情をぶつけられるのは恐怖です。 また、理想や考え方を押し付けてくるような人に対し嫌悪感をいだくようになりました。
 
 母親も小学校教員ですし、もちろん担任にその指導はおかしいと抗議しましたが なにぶん理想追求で視野の狭くなっている人でしたので、聞き入れは無かったようです。 小学校卒業のときに、母が教育委員会に訴えるか私に聞いてきましたが 私は断りました。なんとなく先生の間違っている所は、色々勉強して大人になってから 自分で先生に抗議しようと思っていました(その後教員免許を取りましたが抗議はしていません)。母親も、同じ小学校教員でその後一緒に働く可能性があるし、そうなると気まずいので 公沙汰にするのはやめておいた、というのは大人になってから聞きました。それに、大分その先生も叩かれて変わったそうですし、どうもその先生も家庭で色々あったらしく、そのとばっちりで異常にヒステリックだったみたいです。だからと言って、とばっちりを受けた方はたまったもんじゃないのですが・・・・。

 アニメや漫画などは、この頃から普通によく見ていました。 宮崎アニメや東映映画祭りには母親が連れて行ってくれて見ていました。 父親が「北斗の拳」にはまっていた時期があり、映画を一緒に見に行ったり。 テレビではドラゴンボールを家族で見ていました。 漫画も家にあった「王家の紋章」などの少女漫画を読んでいました。



Lさんの中学時代

 わりと厳しい体育会系の校風でした。田舎のヤンキー予備軍も多く、そういった環境の中では優等生でもなくヤンキーでもなく、垢抜けないタイプ。スクールカーストではもちろん下層グループでしたが、クラスやクラブに友達は居ましたし一人で孤独に過ごすこともありませんでした。

 いじめ的な事もありましたが、家に悪口を書いた手紙を置いてくるような間接的なものでした。クラスの雑草グループと書かれ、もちろんへこんで泣きましたが、母親が「学校へくるなと言われたなら槍が降っても行け!雑草?いいじゃないのどこでも生えるようなしぶとさで生きろ!!」とハッパをかけられ私自身も、それで負けん気を起こし気丈に学校で過ごせました。母親いわく「いじめられてからの方が、さぼりたいとか休みたいとか言わずちゃんと学校へ行ってた」という事です。
 
 この頃、所属していた美術部でオタク趣味との出会いがありました。友達を通じて「ファンロード」というイラスト投稿誌を知って、はまりました。自分は絵が下手だったので投稿することがなく、掲載されている綺麗な絵を見るのが楽しみでした。同人誌というのを知ったのもこの頃です。

 そういったオタクフィールドの趣味と同時に、中学入学で買ってもらったラジカセで聴いたFM番組を通じて洋楽(黒人音楽、ソウル・R&Bなど)にはまります。もともと幼少の頃にはまっていたレコードも、その分野の影響を受けていた音でしたのでどっぷりはまりました。英語で対訳が無いと歌詞も理解できませんでしたが、それでも違う国の違う世界での音楽がカッコイイと思い、夢中でした。もちろん友達とは音楽の話は全く通じませんでしたので、自分ひとりの趣味として誰とも共有すること無く過ごしました

 服装のほうは、ダイエーにあった若い女性服装専門店で母親と一緒に買い物に行った時に購入していました。母親が割と服飾好きで、子供を生んで太る前は地方では結構お洒落なタイプでしたので、母親が選んで買った服もかわいい方でした。それが私が居た環境の中でクールかどうかは別で、気に入らなければ私も着ませんでした。ルックスはクセ毛で幼児体型の垢抜けないルックスでした。

 恋愛のほうは、まったくダメでした。
一緒に遊んでいた友人や男子とも、グループで一緒に遊んだりもしました。その中で片思いみたいな気持ちを持っていた異性もいました。しかし、そのグループの一人で同じクラブだった為よく話したり、ふざけてからかったりしていた男子に告白されましたが断りました。その男子に電話で告白された時、電話をとりついだのが私が片思いしている男子だった為悲しかった事を覚えています。自分も振ったけど、同時に失恋した上にクラスの男子にその事が知れ渡った為、ふたりしてからかわれました。あまりの屈辱にクラスの皆の前で泣いてしまい、心配してくれた女子達に事情を話すと、男子達にどういう事か話を聞いてくれたのです。どうも彼は、私に告白し絶対落とすと強がって仲間の男子に豪語していたのにふられ、そのことがクラスの男子に知れ渡りからかいの対象になった様です。そのとばっちりを、私は受けた形なのですが、泣いてしまった事に対し彼いわく(私が泣いた事に対し)「俺は関係ない」と言った事を知り、さらなるショックを受けました。そのことが、おそらく男性に対し一歩引いた態度をとる原因になったのではないかと思います。




シロクマ注:

 このLさんの話を聞くにつけても、男子児童のスクールカースト低位と女子児童のスクールカースト低位には何か違いがあるような気がするのですが、それはまぁ置いといて。
 
 Lさんは思春期前期までに猛威を振るう幾つかのスキル/スペックには恵まれていなかったようです。即ち、快活なコミュニケーションであったり、体育会系のメンタリティなり、です。しかし、服飾の面やコミュニケーションの面で決定的にディスアドバンテージを持っていたわけではないようですし、「みそっかす」と呼ばれるからには、案外とコミュニケーションに関しても“圧しの強さ”のようなものは隠し持っていたかもしれない、と思っています。

 そのためか、中学校では「雑草グループ」というクラス内カーストで下位にあたるポジショニングに至っているわけですが、それが致命的な適応上の問題になることはなかったようです。男子生徒からの告白の件や、ヒステリックな教諭の件がダメージにはなったにせよ、同じ趣味の友達を持ち、母親に支えられ、曲りなりにも適応が保たれていたようです。幼少期にレコードや本を繰り返し鑑賞させてもらえていたことや、このいじめの期間において母親が有効な助力を提供していたことは、Lさんのその後の人生行路に案外大きなプラス修正をもたらしているのではないでしょうか
 
 ファンロードが出てきましたね。Lさんがオタの道へと侵入しはじめたのは思春期前期、ということになりそうです。しかし、完全にオタク趣味一本の寡占状態ではなかったということがLさんの行く末に大きな影響を与えています。Lさんは、「オタク趣味におすがりしなければ心的ホメオスタシスを保てないほど選択肢に乏しかったわけではないのです(この点、本来このサイトにおける脱オタとは既にかなり異なっていると言えるでしょう)。また、洋楽にハマりつつも、それが理解出来ないとおぼしき友人達には無理強いしていないということは、当時の彼女が友人のニードを汲むだけのアンテナを保有していた、ということを示唆していると思います。狭義のコミュニケーションスキル/スペックとしてはこれは望ましい一方、そのアンテナの敏感さがもしかするとLさんがメンタルにダメージを受けやすい要因となっている可能性もあったかもしれません。





Lさんの高校時代

 地元の公立高校に進学しました。学力は県内では中レベルで、 2・3年生を外国語に特化したクラスに進みたくて入学しました。 中学時代とは違い、イジメ的な事はほとんど無くスクールカーストもゆるい環境だったと思います。勉強は真面目にしていた訳でなくダメなほうでした。クラスの友人もイラストを描くようなオタク趣味に関係のある子でした。「幽遊白書」にはまり、同人誌をはじめて通販で買ってみたり、着実にオタク趣味はレベルアップしていましたが、進行はゆるやかなものでした。アルバイトをしていなかったので、毎月小遣いとしてもらう3千円はCDや音楽雑誌にほとんど消えていました。またコンサートに行きたい為、小遣いを貯金したりでオタク趣味に対する投資額は少ないものでした。

 ファッションに関しても同様で、服を買いたい時は親からお金をもらっていました。お洒落系雑誌はセブンティーンなど読んでおり、いわゆるコギャル系ではありませんがルーズソックスをはいて女子高生気分でした。また、ファッションに関しては大人向けのファッション誌で、カルバン・クラインのコレクション特集を買うなど現実的なファッション志向とは違う部分で関心を持っていました。綺麗な服や靴、写真を見るのが好きで、憧れを持っていました。

 現実的なファッション志向も、音楽からの影響で所謂B系ファッションに関心はあったのですが、もともと地味好みもあってやりませんでした。自分の個性と合わない事がわかってしましたし、日本人だし黒人の真似したってしょうがない、自分らしいファッションを求めなくては・・・と色々迷いつつも考えていました。この頃も、友人とは漫画やアニメなどについて話せても、音楽やファッションのことは話が通じない状況でした。

 という感じで、表面上は平穏そのものの高校生時代でしたがやせたいという気持ちが高じて、摂食障害になりました。過食嘔吐にもなりましたし、拒食症気味になったりという状態に。極度に食事を減らして運動(幼稚園から続けているスイミングスクール)したり。高2の頃、158cmで39kgになった時点で生理が止まってしまうまでになりました。しかし、精神的には元気というか非常に努力家っぽくなっていました。ただ、生理が止まった時点で、もうやめようと思い体重や体調は徐々に戻っていきました(注:変な話ですが、生理がはじまったのも高1で発育は遅かったと思います)

 この時期、両親が心配して精神科も受診しましたが、先生に対しもっともらしい原因(友達との関係)を話し、一回の受診で終わりました。内心では、自分が何故こういう事やってるのか自分自身で考えて行きたい。誰かに「これが原因」と特定されたって解決にはならない・・・と考えていました。この病気は誰のせいでもなく、自分のものであると頑固に考えていました。

 また、「誰にも自分は理解されない」と最初は思っていましたが、自分が両親や友達のことを理解できてるかどうかもわからないのに自分だけ「理解されない」なんて嘆くのはおこがましいじゃないか。簡単に誰かを理解できる訳じゃないし、理解してもらえる訳じゃない。という結論(?)に達し、なんだか気分がスッキリした事を覚えています。



Lさんの大学時代

 大学は私立の人文・社会学系に進みました。自分の関心のある専門分野で勉強できたので、成績も良かったほうです。摂食障害は、15〜17才の頃より大分ましでしたが続いていました。友人は、男女問わずオタク趣味あるなしに関わらず知り合いました。逆にオタク趣味のない、音楽やファッションの話が出来る人ばかりでしたので必然的に「隠れオタク」になりました。バイトをしたりで、オタク趣味に投資できるお金も増えた上にPCを買いネットをはじめたおかげで、同人サイトを見たり同人誌即売会にも初めて行って買い物するなどエスカレートしていきました。しかし、同時に音楽鑑賞の趣味も幅が広がり、2束も3束もわらじを履くようなカルチャー志向のため、全ての志向ジャンルを隠さずに話せる事はありませんでした。それは中学生の頃から続いてきた状況でしたが・・・。

 恋愛は言わずもがなのダメさで、片思いという事もしなくなっていました。自分がこんな状況で、まず問題を解決しないことには異性と深く付き合ったり出来る訳が無いな、と思っていました。あせりは多少ありましたがだからといって好きになる人も居ないし、それはそれで良いやと暢気に考えていました。



Lさんの大学院時代

 男女とわず同じように自分の興味ある分野を研究する仲間ができたのもあってとても刺激的でした。あいかわらず隠れオタクでしたが、漫画やアニメに偏見のある人は少なかったし、サブカル分野では教わったりする事が出来ました。大学院では色々とマニアックな趣味を持つ人が殆んどなので、お互い理解と尊重が出来ていました。

 恋愛に関しては、先輩の男性が好きだった様です。「様です」と言うのは、相手に彼女が居る事を知るまで相手の事を異性として好きだった事に気づかなかった為です。今でもその人のことは、人間として大好きな人の一人です。

 オタク趣味に関しては、大学時代と変わらずの状況で脱オタという事もまったく考えていませんでした。オタク研究にも関心を持ちました。自身のオタクとしてのアイデンティティが、異端じゃないかと思っていたので。海外のオタクの人にも興味シンシンで、ネット上のみですが色々言説を読み漁ったりし始めたのもこの頃です。

 自分自身のアイデンティティも、マルチカルチャーで多面的・多様的なのが私であると考えるようになりました。また、この頃ロラン・バルトやフェルナンド・ペソアの詩にはまりました。自分に近いものを感じたからです。形容しがたい、曖昧さが自分自身だったと。また、文化的横断をやっていたような人物や、文化混交の歴史に関心を持って本を読んだりしました。

 また、私と同じように漫画・アニメ・同人誌などのオタク趣味を持ち洋楽(ロックが多いですが)にはまっていていて、ファッションも普通というような人とネット上で知り合いました。女性でなく男性もいました。仲間がいた!と嬉しくなった事を覚えています。




シロクマ注:

 「音楽のほうがオタク趣味より優先度が高い」という構図は、高校時代のLさんのお小遣い振り分けにも既に現れています。以後、音楽を中核としつつ、種々のサブカルチャーの取り込みと、それを通した人間関係がLさんに展開されていきます。以後の生活歴からも分かることですが、Lさんはいわゆるアニメ・コミック・ゲームなどのオタク趣味にずっぽりハマっていたとか、他に有力な選択肢がなかったというわけではなく、その点においてはよくある井戸のなかのオタク然とはしていません。文化的多様性を幅広く確保するさまは、異文化への越境が困難な(コミュニケーションに関して支障のある)男性オタクおいてはあまりみられるものではありません、とりわけ二十代後半以降の世代において。

 ではLさんの在り様が全くオタク的でないかというと、ちょっと引っかかるところはあります。どこかというと、どうやらコミュニケーションに際して(多面的とはいえ)趣味や学問といったものを媒体として挟み込んで展開しているように見受けられる点です。マニアックな話題を共通の支点として、宙づりになった者同士が会話するという構図はオタクの得意とするところです。私が周りでみかけるありがちな女性達の会話においては、マニアックな話題なりオタな話題なりというものは必ずしも必要ではなく、むしろ話題はあってもなくても話していればそれで楽しいという傾向がみてとれるわけですが、Lさんはまるで男性オタクのように、媒体となる話題を基点として会話を楽しんでいるようにみえるのです。Lさんは一人でhobbyに費やす時間や興味も大きいですし、女性にありがちな「コミュニケーションがそれ自体目的化しているが如くコミュニケーションを楽しむ」適応形態とは疎遠だったことが窺えます。オタク趣味を隠したいわゆる「隠れオタ」という処世術を採っている最中でさえ、別種の文化的コンテンツが会話の媒介として機能していたように感じられました(これについてはLさん自身から回答的な補足コメントを頂きました。興味がある方はご覧下さい)
 
 Lさん自身、後のほうの文章で自分の中性性について触れるコメントをなさっていますが、この中性性の故に男性オタク的なコミュニケーション形態をとっていたのか、男性オタク的なコミュニケーション形態であるが故に中性的となったのかは判断の難しいところです。ともあれ、学生時代のLさんのコミュニケーション・趣味消費の在り様が、典型的な女子学生のソレとは合致していなかった、ということは確かな事実のようです。そういえば、症例8の女性の方も典型的な女子学生とは随分と異なるコミュニケーション・趣味趣向をお持ちでした。男性オタクである私からみると、女性に対するステロタイプとして「趣味の話以外でもよく喋る・人の話題でいつまでも話がもつ」という印象をもってしまうわけですが、そうでない女性が確かに存在していて、もしかすると(オタク趣味に限らず)趣味の世界に生きているかもしれない、ということは記銘しておきましょう。本サイト寄稿の男性例とはかなり事情が異なっているように思えます。

 さて、Lさんは摂食障害を呈しています。摂食障害・初潮の遅さ・男性オタク的コミュニケーションと三拍子そろうと、せっかちな読者の方のなかには「女性性を受け容れることが出来ないLさん」「成熟拒否」などと結論に飛びつく人もいそうですが、過剰適応の結果かもしれませんし、さてどうでしょうか。しかし原因の如何に関わらず、そこには何か適応上のアンバランスがあっただろうと推定することは出来るわけで、何らかの心的危機がLさんにあったのだ、と理解しておきます。脱オタ云々は抜きにして重要だと思えるのは、「原因がみつかっても仕方ない」「他人を全部理解できてないのに自分を全部理解して欲しいなんて考えるのはナンセンス」という点に自ら気づき、摂食障害をある程度軽減させている点です。この「境地」に至れば摂食障害が治るというわけではありませんが、この境地に至れないが故に摂食障害なりその他の適応上の障害なりを重く引きずっている人というのは、よくみかけるものです。その点において、Lさんは幸運だったと言えるでしょう。

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 ※本報告は、Lさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Kさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。