Episode-05【再会】


 いまから私は、シンジのいる病室まで歩いて行く。
 歩くのは入院してから初めてかな。ちょうどいいリハビリにもなりそうね。
  私の担当の女医さんは、“いきなりそんなにたくさん歩くのは危ないです”
 と言ってたけど、青葉さんの「歩けなくなったら抱きかかえていきますから」
 という一言のお陰で、許可はどうにかもらえた。

 ‥‥許可は貰ったけど、たしかにこれって、今の私には大仕事だろうなぁ。
 あの時も、エヴァのエントリープラグからは結局一歩も動けなかったし。
 自分の足で立つのは、いったい何ヶ月ぶりかわからない。
 実はちょっと自信がない。

 まずはベッドを降りて、そっと腰を浮かせてみる。

 ‥‥ちゃんと立てる。
 やるじゃん、私。

「次、歩いてみるわね」
 私の言葉に、青葉さんとマヤさんは不安顔。
 まあ、見てなさいって!

 私はいつものように元気よく右足を踏み出した‥はず‥‥なのに!
 バランスを崩して私は床にバタリと倒れた。

「いたた‥‥」
 強く打った右手がじんじん痛む。

「大丈夫か!」
「アスカ!」
 すぐに二人が飛んできて、私を起きあがらせてくれた。

 本当はすんごく手が痛いけど、“全然平気よ”と笑顔で答えて、
 もう一度チャレンジ!


 今度は、一歩、一歩、意識を集中して床を踏みつけてみる。

「おお!歩いた歩いた!」
「がんばって!」

 明るい顔で私を励ます青葉さんとマヤさんと、よちよち歩きをする
 私の組み合わせってのは、なんだか恥ずかしいなぁ。
 まるで、よちよち歩きの子供と新婚カップルみたいだから。


 油断しないで足元を見ながら歩き、私は病室の白いドアを開けた。
 …見たこともない風景が広がっていた。
 まあ、普通の病院の廊下なんだけどね。
 今までながいこと自分の病室から出ていなかった私には、その何の変哲もない
 病院の廊下さえも新鮮に見えたのよ。


 で、早速青葉さん達に案内されて、エレベーターを目指してゆっくり歩き始める。

 “左、右、左、右”
 歩くことに意識を集中させているお陰で、思ったよりしっかり歩ける。
 我ながら、病人やってるとは思えない歩みね。
 体が『歩く』という動作をどこかで覚えててくれてた事に、小さな感動。

 やっぱ楽勝じゃん!

 でも、エレベーターまでたどり着いたときは、さすがにもう疲れきっていた。
 ちょっと荒くなった息を整え、エレベーターの壁面にもたれかかる。
 二人の大人と私を乗せて、エレベーターはすぐに動き始めた。

 退屈しのぎに狭い空間をぐるっと見回して、天井の大きな鏡に気づく。

 数カ月間、ずっと自分の顔を見ていないことを思い出して、私はその鏡を
 のぞき込んだ。

 そこには水玉パジャマを着た見知らぬ病人が映っていた。
 目を赤くはらし、すっかり痩せたこけたその顔をよく見てみる。

 ‥‥これがあのアスカ様とは、いくら何でもひどいわね。

 ‥そうだ。
 お風呂にも入りたいなぁ。






 チーン...

 あっ、もう着いたんだ。

 エレベーターを降りてからも、自分の足を一生懸命動かした。
 やっぱり、なかなか元気だった頃みたいにはいかないわね。
 健康のすばらしさってやつを、あらためて痛感させられた。

 “左、右、左、右”

 「わわっ!」

 「危ないっ!」

 「だ、大丈夫、心配しないで。」

 意識を逸らせたり油断したりすると、すぐに足下がもつれてしまう。
 その度に青葉さんとマヤさんに抱き起こされる、赤ちゃんみたいな私。


 もう!格好悪すぎよ!

 “左、右、左、右”


 「あと廊下一本だけよ!頑張って!」

 隣でマヤさんが励ましてくれる。

 もう少し。あと少し。

‥そうこうして、シンジのいる二〇六病室にたどり着いたのは、
 自分の病室を出て既に30分以上は経った後のことだった。
 短い距離のはずだったけど、ずいぶんと疲れた。汗びっしょり!
 萩原先生や看護婦さんに、怒られちゃいそう。

 額に吹き出た汗をタオルで拭った後、私は手で自分の髪を軽く整える。
 よーし、準備オーケー。

 まずは、あいつに抱きついたりして、びっくりさせよっかな。
 面と向かって話すのはホントに久しぶりなんだから、それくらいやっても
 いいわよね。沈んだ私なんて、あいつに見せたくないし。

 さあ、行くわよ。


 マヤさんが、ドアを開けてくれる。


ガチャリ


 まず、青葉さんが病室に入っていく。

「シンジ君、青葉だけど、約束通りアスカを連れてきたよ。じゃ、俺とマヤは
 これからちょっと買い物行ってるから、しばらく待ってて。」

 ええっ!!聞いてないわよ、そんなの。

 ああ‥‥青葉さんとマヤさんが行ってしまう。


 「じゃ、アスカ、ちゃんとおとなしくしてろよ。」
 「わ、わかってるわよ。」

 ど、どうしよう…ふたりっきり。

 まあいいわ。
 とりあえず、“助けてくれてありがとう”っていわなきゃね。


 なんとなく恥ずかしいような、それでいて恐いような気持ちだったので、
 私はシンジに気づかれないように、忍び足で病室に入った。


 一人用の狭い病室、そのベッドにシンジは横になっていた。
 8インチの小さなテレビで、横になったままニュースでも見てるみたいね。

 あっ、ベッドから起きあがった。
 こっちを振り向く。

 間違いない、あいつだ。
 少し痩せたかもしれないけど。

 おっとりしてるけど、密かに端整な顔立ち。

 そして何より大切な、あの時の優しそうな目をしていた。
 罪作りな目ね。
 好きだけど、嫌いにもなったことのある茶色い瞳。

 さあ、声をかけるわよ、アスカ。



           :
           :
           :
 「もうバカシンジったら!昼間からニュースなんて、
  相変わらず進歩がないわね。」


 ああっ!
 わたしってバカ!
 バカバカ!!!

 何いってんのよ、もう!!
 開口一番がそれ?
 感謝の言葉はどうしたのよ、アスカ!!!


「アスカ!もう歩けるくらい元気なんだ。久しぶりだね。」
 シンジの声が返ってきた。

 私が知っているより、ずっと低い、でも男らしい声だった。
 私が寝ている間に、シンジ、声変わりしちゃったんだ。


「あんた、私と同じ病院にいたのに、一度も私の所に来ないって、
 一体どういう事よ。」

「ごめん。右足の複雑骨折がまだ全然直ってなくて、動けないんだよ。
 それに、さっき青葉さんからアスカのこと聞いたばっかりで、一緒の
 病院にいるって事も知らなかったんだ。」

「しょ〜がないわねぇ。この私が見舞いに来てやってるのよ、
 たっぷり感謝しなさいね。」

「うん、ありがとう」

 ありがとうと言った時のシンジの顔は、本当に嬉しそうだった。

  私も、もっと素直になりたい。
 そしたら、きっと気持ちいいだろうけど…私にはそれが出来ない。
 命を救ってくれた事も二回目のキスの時の安らぎも本物だけど、
 シンジが嫌いって気持ちも、まだ残ってる。


「ところでアスカ、ここまで自分で歩いてきたの?」
「あったりまえじゃない!!これっくらい、余裕よ!」

「いいなぁ。僕も早く歩きたいなぁ」
 ホントは、まだ全然余裕じゃないけどね。

「で、アスカは退院するの、いつ?」
「あと二週間って所ね。あんたはどうなの?」
「もうちょっとかかるかな。1ヶ月半ってとこ。」
「そっか‥‥」

 嬉しそうな顔をしているあいつ。
 案外、私も嬉しそうにしているかもしれない。

 こうやって、何気なく二人で話すのって、どれぐらいぶりなんだろう?
 思えば、私が壊れかけてた頃はほとんど口なんてきかなかったし、
 シンジもシンジで必死で、お互い、自分の事でいっぱいだったわね。

 でも、いつもの偉そうな私と、それを気にしないシンジがまた帰ってきた。
 これなら‥‥退院したら、楽しかった頃みたいに、そう、また昔みたいに
 うまくやっていけるわよね。
 もう、みんな終わったんだから‥‥普通の生活に戻れるわよね‥。
 一抹の不安を抱えながらも、私は楽しかった学校生活の頃を思い描いた。

「あのさ」

「なに?」

「退院したらやっぱり、僕たち、一緒に暮らすの?」

「バカ!!な、何言ってんのよ!!もう私たちはパイロットじゃないんだから、
 別々に決まってるじゃん。一緒に暮らす理由がもうないんだから。」

「そっか、それもそうだね」

 シンジが一瞬悲しそうな表情を浮かべたような気がした。
 それとも……悲しかったのは私の方かしら。

 もし悲しかったのがシンジだとしたら‥‥。
 もし悲しかったのが私だとしたら‥‥‥。
 まあ、今は考えるのはよそうっと。


「御殿場市内のアパートに二つ住まいがとってあるの、
 聞いたでしょ?」

「うん。そうだったね。も、もちろん別々…」

「バカねぇ!あったりまえでしょ?」


 もう、私たちって、お互い親がいないだけの普通の中学生同士なのかな。
 ‥って、あったりまえじゃない、アスカ!!

 一回目のキスは、加持さんの身代わり!すんごく気持ち悪いキスだったし。
 二回目は、命の恩人へのお礼!気持ちよかったけど、気の迷いね!
 そう、そうなのよ、それだけよ。
 バカシンジごときにもし惚れちゃうなんて事になったら、それこそ私はバカね。
 シンジの事、まだまだ信じられない所っていっぱいあるし。

「でも、学校に行ったら、昔と同じにまたやってけるよね、そうだよね」

「も、もちろんよ。またこき使ってやるから。覚悟なさいよ。」

「うん‥‥」


 ガチャリ


「ただいま〜」
「仲良くしてたか?二人とも?」

 突然入ってきたマヤさんと青葉さんによって、会話は中断された。


 もしかして、最後に考えていたことはシンジも私と同じなのかな。
 ま、いいや。
 今、考えたって、しようがないわよね。


「買い物ついでにさ、西瓜買ってきたんだ。
 いまから、マヤが切るから、ちょっと待ってろよ。」

「青葉さん、また『マヤ』だって!相変わらずお熱いことで。」
「ははは、よせよぉ」

「やっぱり、ご結婚なさるんですか?」
「そんな‥結婚だなんてまだ‥‥」
「あ、ああ、まだ、な、まだだよ、シンジ君。」

「バカシンジのくせに言うわね〜!」

 病室の空気が、暖かさで大きく膨らんでいるように思えた。
 うん、今はこれでいいわ。

 シリアスに考えるのって、私にはあんまり似合わないって。


「はい、どうぞ」
「私、そのおっきいやつ!!!!」

「アスカ、食べ物のことになると相変わらずだね。」
「ぬわんですってぇえええ!!!」

「まあまあ二人とも。
 病人が食欲あるってのは、いい事なのよ。」




‥‥そんなこんなで、あっという間にその日の午後は過ぎていった。


 自分の病室への帰り道は、足どりも軽かった。
 今度は、青葉さん達の助けをほとんど借りないで戻ることができたわ。

 シンジの病室には、これからはいつだって行けると思うと、とても嬉しい。
 明日も行こうかなぁ。
 でも、あんまり行くとあいつがつけあがる?
 ううん、あいつのほうが治りが遅いから、私が行ってあげるのよ。


 青葉さんとマヤさんが帰った後には、また私は病室に独り取り残された。
 ヒカリやケンスケ達が来た後もそうだけど、楽しい時間の後の一人っていうのは、
 なぜかとても寂しいものね。

 テレビをつけてバラエティを見る気にもならない。
 私は静かに目を瞑って今日のことや楽しかったことを何度も回想した。

 ホントのホントに、今日は楽しかったな。
 朝は辛い話ばっかりで最低だったけど、午後が最高だったからチャラね。
 シンジも、あの時私を助けてくれた時のシンジでいてくれたし。

 ‥私、ずっと一人じゃなかったのに、ひとりだと勝手に思っていただけかも
 しれない。昔のママ以外に、私を大切にしてくれる人なんて絶対いないと、
 勝手に思いこんでいただけかもしれない。

 私を知っててくれる人達。
 赤の他人の筈なのに、私を大事にしてくれた、そしてこれからも大事に
 してくれそうな人達。

 病気の私を、ひとりぼっちの私を大事にしてくれるなんて!

 だったら、私も!!
 そうよね、何かしてあげなたいな。

 シンジにも、ヒカリにも、トウジにも、ケンスケにも、
 青葉さんにも、マヤさんにも、誰にも絶対嫌われたくない。
 ずっと一緒にいたい。泣いても何してもママが戻ってこないのなら、
 せめて、みんなと一緒にいたい。
 もう、一人は絶対嫌。
 今は、心から言える。
 独りで生きるのはもうこりごり。
 たとえATフィールドが残っても‥‥心の壁が残っても‥‥私は、みんなと生きたい。


 そういえば、私って、やっぱりシンジが好きなのかな。
 一時期はあんなに憎かったのに、あんなに嫌いだったのに、
 今日会ったとき、私、すごく喜んでたと思う。

 昔はあんな奴、と思ってたけど‥。

 なんなんだろ‥今の私、すごく変な感じ。




 うぅ‥‥眠いなぁ。
 続きを考えるのは、また今度ね。
 もう寝よう。
 じゃね、おやすみなさい、ママ。

                            to be continued




 →上のページへ戻る