‥‥

 僕の方から。
 気配に気づいたアスカは、黙って目を閉じてくれた。


 涙の味がした。


 「ありがとう」ってアスカが言ったんだ、その後。

 ありがとうは、僕の方だよ。
 アスカ、ずっと一緒にいてね。



 「もう、今日は帰ろうよ」
 『うん。一緒でもいい?』
 「もちろんだよ」

 『あっ、怪我したところ、消毒してあげるから。』
 「いいよ、自分でやるから」

 『私がしてあげたいんだから、黙って消毒されなさいって!!』
 「うん、ありがとう」

 ありがとう、アスカ‥‥



 Episode-13【かたちのある幸せ】


(1)


  平日のおやつの時間、下町の商店街というのは、通り過ぎる人もまばらである。

  アスファルトの上をちょこちょこと跳ね回る雀達もかわいらしい、
 田舎の商店街の風景は、立ち止まって見とれる人こそいないものの、
 なにか人の心を和ませる雰囲気が漂っている。
 そんな中を、授業をサボってきたのか、制服姿の二人の中学生が並んで
 歩いていた。
  少しおっとりとした感じだが、どことなく顔立ちのとても綺麗な男の子と、
 栗色の髪が揺れる、端正としか言いようのない綺麗な顔の女の子は、
 仲が良いのか悪いのか、くっついたり離れたりを繰り返しながら歩道を
 歩き続けている。
 苛めを理由に学校を途中で抜け出した、この二人の顔や腕には、痛々しいまでに
 バンソウコウが張り付けられていた。



 「ねえ、シンジ、手、繋いでいい?」
 「だ、だからだめってば。アスカ、人前でそんなの恥ずかしくないの?」

 「私はいいのよ」

 その三回目の提案も、シンジは恥ずかしそうに断った。
 わずかに赤くなったシンジの顔を、アスカが半ば嬉しそうに、
 半ば面白そうに眺めている。


 “何だか熱いな”

  先程からシンジは、吹き出る汗に悩まされていた。
 今日は朝から雲が出ていたせいで気温は低めの筈だったが、何故か
 とまらない汗は、緊張している証拠だろう。そうは解ってはいても、
 今の彼には彼にはどうする事も出来ない。


 “ネルフ本部でアスカと一緒に歩いてた時なんかと、全然感じがちがうな”

 “デートなんかって、もっと緊張するのかな”

  しかしシンジにとって、緊張と安らぎの混じった、一生にそう何度も
 経験することのない至福の時間だったのは言うまでもない。
 一生に一度きりの、好きな女の子と初めての二人きりの時間‥‥‥
 アスカと二人きりというだけでなく、“好きなアスカと”二人きり
 という特別な自覚が、シンジには心地よいのだ。
 もし目の前に大きな穴があったとしても、今の彼なら、気づかずに
 簡単に落ちてしまうことだろう。


 「ねえ、シンジ」

 “好きって、いいなぁ”

 「シンジ!!」
 「な、なに?」

 すぐに返事をしてくれなかったためか、アスカは少しむくれ顔。

 「何ボーッとしてたのよ?」

 「あ、あのさ、こういうのって、何ていうかその、きんちょう、するっていうか‥」
 「バカね〜、ほら、昔とおんなじなんだからさ」
  喋っている事自体は、かつてのアスカと何にも変わらないが、
 ほんの少しだけ表情が堅いところを、シンジも見逃さなかった。

 「そういうアスカだって‥‥ちょっとだけ緊張してない?」

 「も、もうっ!シンジの‥‥意地悪!!」

 「ハハハ、ごめんごめん。」

 「ま〜た謝るぅ!!」

  そばで見ていられないようなベタベタしたやりとりを続けながら、
 二人は狭い道をゆっくりと歩き続ける。
 無言で歩く間じゅう、二人はお互いがお互いをちらちらと横目で見あっていた。
 そのくせ、何かを口にするときは視線を逸らし合う。
 雰囲気を言葉にするなら、友達以上恋人未満、といったところだろうか。

  くっついたり離れたりの二人の様子は、かつて一緒に暮らしていた者同士とは
 とても思えない初々しさを、見る者に印象づけるのだった。
 ようやく互いを意識し始めた、今までとは違うシンジとアスカがそこにいる。


「‥‥‥そうだ。ねぇ、アスカ、ちゃんとご飯食べてる?」

 スーパーの前で立ち止まって、シンジが思い出したように言った。

「えっ?どういうこと?食べなきゃ死んじゃうでしょ。
 ちゃんと食べてるわよ」
  答えるアスカは、精いっぱい普通の表情を繕ってそう答えた。
 彼女はまだ、自分の食生活がシンジにバレていることを知らない。


「ねえ、今日は御飯、うちで食べない?作るからさ」

「えっ!?ホント!?行く行く!」
 予想以上のアスカの反応に、シンジは再び真っ赤になった。

  アスカが手料理に飢えているであろう事は知っていたから、
 きっと‘Yes’が帰ってくることはシンジも予想はしていたけど。
 また意地を張られるか、そうでなくてもしぶしぶ了承されるか、
 そのどちらかだろうと思いこんでいたから、アスカの反応に対する
 喜びと恥ずかしさは意想外のものだった。

「そ、そんなに喜んでくれるなんて‥‥」

「だって、食べたいものは食べたいもの!」
 恥じらうシンジとは対照的に、アスカは素直そのものだ。
 ‥もっとも、相変わらず表情が少し堅いけれど。
 どこかぎこちない素直さのアスカなのだが、頭が沸騰している
 シンジには、その微妙な表情にまで意識がまわらなかった。

「わかったよ、じゃあ、スーパーに寄ってかなきゃ。
 帰り道だから、アスカも来る?何か希望があったら作るからさ」
「うん!!」
 なんともいじましい奮起気を辺りに振りまきながら、二人は
 スーパーに入っていった。





(2)

 「いっただっきま〜す!!」
 「いただきます」

 どう?アスカ。今日の僕の料理は。

 デミグラスソースをかけたハンバーグ、豚肉と野菜の冷製スープ、
 それとシーフードサラダにグレープフルーツが今夜のメニューだ。

 ハンバーグとスープはアスカのたっての希望で。

 自分で料理してないから、‘和食を作って’って言われると思ったけど。

 それでも洋食が食べたいって‥
 やっぱりアスカはドイツ人なんだと僕は小さく納得した。

 「これ、おいし〜!!」
 大喜びのアスカの声が、僕の狭い部屋に響く。


 「ありがとう、アスカに滅多にそう言ってもらえないからさ、凄く嬉しい」

 「何よ、まるで私が今まで全然‥‥そっか‥ごめんね、シンジ。
  あの頃は、おいしくてもおいしいって素直に言わなかった事、
  いっぱいあったわね。
  これからはちゃんと、言うから。」

 「ありがとう。でもさ、おいしくないときはちゃんと
  おいしくないって言うんだよ」

 「そりゃ勿論よ!」


 僕たちが何も話さないときは、食器のかちゃかちゃいう音や、
 レタスとかを食べるときのぱりぱりという音だけが僕の部屋に響いている。
 ちゃんとした料理はひさしぶりなのか、アスカは“おいしい”を
 連発して、本当に嬉しそうに食べている。
 僕は、そんなアスカを見ているだけで、とても幸せな気分になることができた。


「ごちそうさま〜〜」
「ごちそうさまです」

「さてと、僕は食器をあらわなきゃ。」
「私も、やろっか?」
「いいよ、アスカはこういうの慣れてないでしょ?」
「せっ‥‥‥  うん、それもそうね」



 食後の時間は、アスカはリビングでテレビを見て、僕が食器を洗うという
 昔ながらの‘分業モード’。

 だからって、別にアスカが怠け者だとか、自分だけ働かされてるっていう
 感じはしない。第一、それがあの頃は日常だったんだし。

 それにさ、今日はアスカが食器洗いをやるって言ってくれたし。

 思えば、こんな風にアスカと話せるなんて、そして昼間みたいに僕を
 心配してくれるなんて、前は想像もできなかったな。

 アスカが僕に優しくなった。
 僕を大事にしてくれるようになった。

 だから僕もそれ以上にアスカを大事にして、
 アスカに優しくならなきゃいけない。


「ねえアスカ‥アスカ、変わったね」
 まだピカピカの流し台で食器を洗いながら、僕は今思っていることを
 そのまま言ってみた。

「えっ?」

「何て言うか、優しくなったっていうか、素直になったっていうか‥‥
 エヴァに乗ってた頃と全然別人みたいな感じがするんだ。
 僕と同じ病院に入院してた頃から、ずっと思ってたことなんだけどね。」

「シンジがよ、シンジがいい感じに変わっただけ。私は、昔のままよ」
 リビングのほうからかすかに聞こえてきた答えは、
 聞きようによっては素気のないものだったかもしれないけど、
 今の僕はそれでも嬉しく感じてしまう。

「変わったって言われても‥僕もあんまり自覚はないなぁ。」

「ううん、私から見たら、全然変わった。変わったわよ」

 あえて言えば、精いっぱい生きようってミサトさんや父さんと
 約束した事くらいかな‥でも、普段はそんな事意識しないし。

 変わったこと‥‥そっか、アスカのことが好きみたいだって気づいたこと、
 それ以来、アスカが気になって仕方がなくなった事、それが大きいのかな?


 よく考えたら、人を好きになってその人の為に何かをしたいって心から
 思ったことって‥僕は、これまで一度も考えたことがなかったかもしれない。
 いつも、とにかく自分が優しくされること、かまって貰うことだけを
 考え続けていた‥‥ネルフ本部が攻撃されて、沢山の人が死んだあの日までは。

「何か分からないけど、確かによくなったわよ。シンジは。」
「うわっ!」

 突然耳元から聞こえてくる声。

 アスカだ!

 突然アスカが背中から!

 かすかに伝わる胸の‥ダメだ、そんなこと考えるなよ!

 リビングから流れてくるテレビのBGMが、妙にはっきりと聞こえてきた。

 そして、それ以上にアスカの呼吸が。


「シンジ、私の事、好き?」

 えっ?

「シンジ、ダメ?私じゃダメ?」

「お願い、付き合って。ちゃんと。」

 夢なら醒めないで欲しい。


 もう何にも見えない、感じない。

 アスカの匂い、アスカの温もり、アスカの声だけが、僕を支配している。

「昔以上の友達でいたいの、ううん、それじゃイヤ。
 私だけ見て、私以外の人を見ないで」

「お願い、また今日みたいに私を守って」

「私、ずっと前から好きだったのかもしれないけど‥ずっと素直になれなかった‥」

「これからは、私、もっと素直になるから。」

「シンジを精いっぱい大事にするから。」

「‥だから。」
  
 僕が何も答える暇がないくらいに、次々にたたみかけるアスカ。
 アスカがどうしてそうするのかは、僕にもなんとなくわかる。

 “僕はアスカが好きだし、そしてアスカも僕が好きなら‥‥”

「お願い。こんな私だけど、お願い、一緒にいて。」

 アスカの顔が見たい。

「ダメ。後ろ振り返っちゃダメ。泣いちゃうかもしれないから。
 そのままで答えて」

 後ろを振り向こうとしたけど、アスカが背中からしっかりと僕を
 抱きかかえていて、動けない。

 その時に、アスカの声と体が少し震えていることに気づいた。
 抱きつく力も、だんだん強くなっているかもしれない。

 なぜアスカが震えているのか。
 なぜ力がはいるのか。
 僕には、怖いくらいに今のアスカの気持ちがわかる。
 そういう所だけは、僕とアスカは恐いくらい似てるから。

 アスカは僕を大事にしてくれた。

 こんな僕を好きだと言ってくれた。

 まだ自分の気持ちに充分な自信はないけど‥‥

 けど、僕の答えは一つ。
 一つしかないと思う。



「好きだよ、アスカ。」

「ありがとう、私も、シンジが、大好き。」





(3)


 勇気を出してよかった。

“振られたらどうしよう、友達でいて欲しいって言われたらどうしよう”

 そんな気持ちに悩むことは、もうないのね。

 そう、もう大丈夫よね、心配なんかしなくても。
 これからシンジは、私のたった一人の大事な人なのよね。


 抱きついたシンジの背中は、とても華奢だった。

 こんな体で私を助けようとして男共に立ち向かったシンジ。
 私を守ろうとしてくれたシンジ、私を守ったシンジ。

 ああダメ、気がおかしくなりそう。


 両手で固定するように抱きついていたシンジの首を、離してみる。

 やっぱり私のほうを振り返るシンジ。

 うわ‥やばっ‥‥綺麗な目。


 私は残った勇気を振り絞って、目を閉じてみた。




 チュッ

「バカっ!!音なんてたてないでよ!恥ずかしい!!」
「ご、ごめん!」

 あーあ、相変わらずダメね。

 ま、中学生の男の子って、こんなものかもね。
 特にシンジって、こういうのは全然って感じだし。
 それに、私もなんだかんだ言ってシンジ以外とキスしたことはないし。

 ‥‥まあいいんだけどね、私がそういう人を好きになっちゃったんなら、
 それはそれでね。

 だって、シンジ、私に優しいもん。



「ねえ、シンジ」
「なに?」

「今日、泊まってっていい?‥もちろん、変なこと考えないでよ。
 ただ‥一人は寂しいだけだから。」

 ちょっと、アスカ!何言ってるのよ!?

「もちろんいいよ。アスカがいたいと思うだけ家にいていいから。」

「ありがと。でも、今夜だけでいいわ。‥いっとくけど、
 寝ている間に変なことしたら‥‥嫌いになっちゃうからね!」


「あ、当たり前だろ!!そんなの!!」

「フフッ!じゃ、家に帰ってお風呂に入って、パジャマに着替えてくるね。」

「うん。」


 わ、私、なんて恥ずかしい事言ってるのよ!

 でも…一緒に寝るだけぐらいなら、いいわよね。



  *         *         *



 その夜、私はいつもの怖い夢を見た。
 今でも一週間に一度くらいの割合で見る、エヴァの中で殺されかけた時の事。

 そんな日は、いてもたってもいられない。
 電気をつけたままにして、私は朝まで決して眠らなかった。

 でも今日は違った。

 寝汗をびっしょりかいて起きたとき、目の前にはシンジの寝顔があった。


 その安らかな寝顔を見つめて、気持ちを落ちつかせる。

“ほら、シンジが守ってくれるわよ、あのときみたいにね。”
 呪文のように、心の中で早口で繰り返した。


 やがて、シンジが私の様子に気づいたのか、ゆっくりと目を開いた。

 「どうしたの?泣いてない?」と眠そうな声がした。

 「ごめんね、起こして。なんでもないのよ」


 私はシンジの手をぎゅっと握って、再び目をつむった。




 眠りはすぐに、私を包んでくれた。


                             to be continued



 こんにちは、通りかかったそこの方。 匿名希望です。

 あいもかわらず、懲りずに恥じずにSSc「open my heart」第二部を
 これよりアップします。

 あいかわらずですみませ〜ん。m(_ _)m
 これでも本来の自分の能力を越えてるつもりなんです〜。(;_;)ムリシテルノ


 起承転結の、承部の後半と、転部の前半を担う第二部。

 今回、シンジとアスカ、ラブラブ萌え萌えウハーな感じですね。
 もう書いてて楽しくて楽しくて。(爆)

 ‥‥でもちょっと恥ずかしい。


 かなりオレアスカしちゃってて、主観バリバリ状態の、
 ふつつかSSでございますが、よろしければまたおつきあい下さい。m(__)m


 2004年注;これが、若さか‥‥。
 文章はともかく、萌えって奴は、もう二度と自分は書けそうにないなぁと思いました。
 たぶん、人生の間でこんなにネジの壊れた萌えを書けるのは、ほんの一時だけ
 なのでしょう。合掌!





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