Episode-23【安らぎを求めて】
『シンジ、元気してるかな』
大学の履修関係の手続きがようやく一段落した金曜の午後、私は
旅行用のバッグにパジャマや着替えを詰め込んで、大急ぎで駅に向かった。
そりゃぁ急ぐわよ!
だって、シンジに会いにいくんだもん!
私達の大学生活が始まって、今日でやっと10日が経った。
今年の4月から、私とヒカリは松本盆地の南のほうの第二新東京大学、
シンジやナオミ達は逆に盆地の北のほうの信州大学に通い始めた。
住む場所も、シンジ達とは10キロも離れちゃった。
でも、第二新東京中央駅から旧松本市駅までは快速リニアに乗って約8分、
時間的に言えば大した距離じゃないんだから我慢しないとね。
リニアの窓の外には、まだ見慣れない大都会の灰色の世界が広がっている。
私は今、少しづつシンジの住む街に近づいている。
第二新東京に来て初めてのデートに、胸の高鳴りが抑えづらいわね。
電話でしか会えない最近の生活に、私、どこかでイライラしていたから‥‥
喜びで胸がはちきれそう。
一緒に住んでいた中学校時代や、自転車ですぐに行き来できた高校時代に
比べてずっと遠くなった二人の距離に押しつぶされるんじゃないかと
思っていたけど‥‥だけど、今日はもう‥‥‥‥
そう、そうよ。
別々だった日常なんてみんな忘れて、この週末を思いっきりエンジョイしなきゃ。
暫くしてリニアのドアが開き、私は旧松本市駅に降り立った。
人間以上に大きな面構えの鳩たちにつまずきそうになりながら、
私は汚いホームを大急ぎで走りぬけ、そのままの勢いで跨線橋の階段を
一気に駆け上がった。
いそいでアスカ!!
出口に向かってまっしぐら。
あ〜っ!
なによぉここ!
自動改札、なんで二つしかオープンしてないの!?
ううっ‥約束の時間にはまだ余裕がある筈なのに‥‥もたもたと
改札に並ぶ人達に、何故かイラつく。
ほら、そこのおばさん、急いで急いで!!
駅を出たらシンジとの待ち合わせ場所に決めていた、駅前の
ミスタードーナツを目指した。
自動ドアの前でちらりと腕時計を見ると、3時50分。
約束の時間まで、あと10分‥ほら、また早く来すぎちゃった。
私って馬鹿ね、どうしてシンジのことになると慌てるんだろう?
シンジももう来てるかな?
『いらっしゃいませ〜』
ドーナツ屋の店内に入ると、子供連れやカップル、それに女子高生の
集団が目に付いた。
今日も相変わらず混雑している。
さして広くない店内をきょろきょろと見回して、私はシンジの姿を探した。
‥‥あ、いた。
お店の奥の二人掛けの席に、シンジが一人座って雑誌を読んでいる。
アイロンかけたばっかりって感じのポロシャツを着て、
ぱらぱらと雑誌のページをめくっている彼。
3週間前に会った時と同じ、とても落ちついた雰囲気ね。
私はシンジに声をかけるために、彼の座るテーブルに近づいていき‥‥気づいた。
“あれ、誰?”
“あの一緒にいる女の人は!?”
隣りのテーブルに座っている、破れたジーンズに黄色いシャツの
ショートカットの女が、シンジと何か会話を交わしている。
そんなはずがないと、あるわけがないと頭ではわかっていても、
どうしても緊張してしまう。
口が渇き、手に少しだけ汗をかいていることを私は自覚してはいた。
“シンジだもんね、どうせ何かの勧誘か何かでしょ?”
色々と想像してみる。
だけど心臓って正直。ばくばく音たててる。
誰?誰?
女がこっちを振り向く。
そして‥‥
「あ、ああっ!
アスカ!ひっさしぶりぃ!」
お気楽な声の主は、高校時代からの馴染みの友達・ナオミだった。
私はふうっと安堵の溜息をもらしていた。
「ナ、ナオミじゃない!こんな所で何してんのよ!」
「アスカ、ヌけてるぅ!私もここの街の大学に入ったの、忘れてるでしょ?
ミスドで偶然会ったって、全然不思議じゃないでしょ?」
「うう‥‥そ、そうだったわね。
そ、そうそう!シンジにちょっかいだしてたんじゃないでしょうね!!」
「まぁたむきになるぅ。そーゆーとこ、相変わらずね、アスカは。
あんたの大事なシンジ様に、この私が手ぇ出すわけないじゃない!
あー、アスカ様はおっかないおっかない!」
肩をすくめて私をからかうナオミは、にこにこと楽しそうだ。
大学に入って初めて会うナオミは、前とちょっとだけ違っていた。
ラフなファッションもお気楽なその振る舞いも、自分よりも
少しだけ大人っぽく感じられるのは、何故だろう。
今まで見たこともない、銀色のピアスなんかもしてる。
高校の頃は穴開けてなかったはずだけど‥。
「あ、あのさ、アスカを待ってたら、来たんだよ、流城が」
「ぶ〜〜〜〜〜っ!」
「そ、そんな怒らなくてもいいじゃないか」
「怒ってなんかないもんっ!」
それにしても予想外の展開ね〜!
ナオミ、はやくどっか行ってよ!
これじゃベタベタくっつけないじゃない!
「わるいわるい、そんなシケた顔しないでよ、アスカ。
たまたま駅前までドーナツ買いに来たら、
シンジがいて‥‥それで声かけただけなんだし」
「そ、そうなんだよ、アスカ。誤解しないでね」
「わかってるわよ!そんな事ぐらい!ナオミだもん!」
「さて、と。最初からこういうことだったんなら、そろそろお邪魔虫は消えますか。
んじゃ、良い週末を!お二人さん!」
「あ、ナオミ!」
「流城!」
自称『お邪魔虫』は自分のテーブルに残った食べかけのドーナツを
パクッとひといきで頬張ると、すっと席から立ち上がり、そして、
不機嫌な私とおろおろするシンジを置き去りにして、あっと言う間に
お店の外へと出ていってしまった。
「流城、いっちゃった‥‥‥」
「ちょっと!ドーナツ注文してくるから待ってなさいね!」
「あの、アスカ‥‥」
「何よっ!」
「怒らせちゃって、ごめん。」
「‥‥‥ふんっ!」
私はシンジの方を振り返らずに、黙ってカウンターの方にゆっくりと歩いていった。
‥‥私が怒ってるのは、シンジがナオミと一緒にいたからじゃないと思う‥‥。
ナオミは私の友達だから、それはないってわかってるもん。
シンジも全然悪くない。
それにしても、なんで私、こんなに不機嫌なんだろ‥。
『ご注文のほう、お決まりの方はどうぞ』
「え〜とぉ、フレンチクルーラーふたつとオールドファッションふたつ、それと
チュロとエンゼルフレンチとココナツチョコレートとハニーブランを一つづつ、
飲み物はアメリカンコーヒーをふたつお願いします」
:
:
『お待ちどうさまでした、お会計のほう、2400新円になります』
お皿いっぱいのドーナツと二人分のコーヒーをトレーに載せ、
落ちつかない様子のシンジの席によたよたと歩いた。
そんな私を、何ともいいようのない表情でシンジが見ている事に気づく。
見るからに落ちつかなそうに雑誌の表紙ページを弄んでいるシンジを、
私は可哀想だと思うことができた。
“ごめんね、シンジ”
“また、私のことでヤな思いさせちゃったね”
そう、悪いのは勝手に機嫌を悪くした私よね。
「ただいま。」
シンジの向かいの席に座って、私は山盛りのドーナツが載ったトレーを
テーブルの上に載せる。
「あの、アスカ」
「ごめんね‥‥もう、気にしないでよ、シンジ。
また私のわがままなんだから。
とにかくさ、ドーナツ食べようよ。
ほら、いっぱい買ってきたんだし。」
そういって、私は湯気の登るコーヒーカップを口元に運んだ。
「うん。わかった。ありがとう」
返事をして、シンジもコーヒーにちょっと口をつける。
シンジの顔、それでも少し曇っているように見える。
私がまだなんとなく不機嫌だって、どうも気づいているみたいね。
‥‥これじゃいけないわね。
本っっ当に久しぶりのデートなんだから、なんとかしなきゃ。
「ほら、これだけのドーナツ、私一人じゃ食べらんないわよ!
さ、シンジも食べて食べて、ね。
もぉ〜、しょげてないでさ。今日は私のおごりだから。」
「う うん、でも、随分たのんじゃったね。」
「やっぱ勢いでね。一人あたり4個。さ、シンジもがんばってね。」
「は、ははは‥‥僕はさっき三つ‥」
「何か言った?」
「い、いえ、何も‥」
「ところでさ、シンジのほうは取る授業決まったの?この前の電話で、
まだ迷ってる時間帯があるとかって言ってたけど?」
「ああ、それだけどね、やっと決まったよ。木曜の2コマ、国際関係論にするか
宗教学にするかって事だけど、国際関係論を取ることにしたんだ」
「へぇ〜。なんだか、よくわかんない題目の講義ね。それって、何やってんの?」
「実は、僕もよくわかってないんだ‥‥おんなじ学科の友達に、
どっちも興味がないなら単位のとりやすいほうを受けようって誘われて、
それでなんだ」
「いい加減な理由ね〜!何やってんだか!ま、私も人のことは言えないけど。
ホーント、日本の大学って刺激が少ないわねぇ」
「ハハッ。アスカらしいや。
ところでさ、アスカはサークルとか入るの?僕はね‥‥‥‥‥」
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どこにでもいる大学生のカップルの、どこにでも転がっているような会話が
ようやく始まろうとしている。
学校の話とか、友達の話とかで盛り上がる私とシンジ。
それは、寂しさや恐れを忘れさせてくれる。
うん、これよ、これでいいのよ。
そうよ、今はこれでいいのよ‥‥。