Episode-32【待っていた知らせ】



 その日から、“私の新しい日常”が始まった。

 学校へ行き、それが終わったらその足で
 大学病院に寄るというのが、私の新しいスケジュール。


 いつも病室のドアを開けるときには、胸がドキドキしたものね。
 もしもシンジが生きてなかったら、っていうのがあったから。

 それでも、ドアの向こうには期待通りの、「生きている」シンジが
 私を待ってくれていた。



 トウジが来た日以来、シンジは本っ当に変わったのよね〜。

 それまでは私達がお菓子とかお弁当とか持っていったら、
 シンジは喜んで食べてくれたけど、そんなのまで断るようになって‥‥

 で、あのまずい病院食だけを律儀に食べているんだから。
 夜も早く寝るようになったとも聞いているし。

 理由を尋ねたことがある。

 返ってきたのは、『生き残る確率を、少しでも上げたいから。
 移植まで、絶対保たせたいから』だった。

 それを聞いて、私はますます何かしてあげたいと思えるようになった。


 でも、ちょっと悔しいわよね。
 私じゃなくて、トウジが来たのをきっかけにって。

 ま、いいんだけどね。
 男同士の事ってゆうのも、やっぱりあるんだろうから。



 そうして月日が流れていく。

 一週間経ち、二週間経ち‥‥。


 病気の彼と元気な私の間に、分かり合えないところもいっぱい出てくる。
 だから喧嘩もしちゃう。

 喧嘩の翌日、病院に顔を出さない日もあった。

 でも、そのせいで苦しむのは、結局シンジだけじゃなくて、私自身も。

 後ろめたい気持ちや後悔、そんなものが私をひどく苦しめるのよね。

 自分の事をシンジがどう思っているか、わかるもん。

 だから、友達に頼ったり、あるいは自分で解決したりして、そのたびに謝った。

 もちろん、彼に謝って貰った事もいっぱいある。




 シンジが入院してから約一カ月。

 彼にとって19回目の誕生の日は、当然だけど、病室にもやってきた。


 応急手術後の経過も順調だったので、私は河田先生からシンジの外泊許可を貰い、
 そのことを誕生日になって彼に告げた。

 “今日はシンジの誕生日よね。一日だけ先生から外泊許可貰ったから、
  私の家においでよ。今日だけは好きなもの作ってあげるから。
  一緒にいたいでしょ?勿論、私も一緒にいたいし。”

 でも、シンジは“元気になったら、いくらでもそうできるんだから、
 その日まで楽しみにしとくよ”と言って、
 そのサジェスチョンを、すまなそうに断ったのよ。

 一瞬、自分の真心を踏みにじられたように感じて、ムカッとなったけど‥
 それが結局シンジの――そして、シンジが好きな私の――為だと気づき、
 私はシンジの意志の堅さに驚き、嬉しくもなった。


 結局その日、私はプレゼントのCDを彼の枕元に置いて、
 それから短くキスしてあげることしか出来なかった。

 けど、それでもシンジがとても嬉しそうだったのを、覚えてる。

 早くよくなって欲しい、早く退院して欲しい、
 そんな思いが一段と強くなったバースデーだった。




 それにしても、闘病生活って、長く感じられるものね、きっと。

 私が直接病気で寝てるわけではないのに、すんごく長く思えるんだから。

 食べたくもない病院食を頑張って食べる事、それと寝ることが
 日課になっているシンジにとって、この歳月はどれほど堪えるものなのか、
 当事者でない私にはちょっと見当がつかない。


“誰か事故って脳死になっちゃえばいいのに”
 そんな酷い事さえ、最近は考えてしまう。

 でも、そんな私やシンジの想いを無視するかのように、
 カレンダーのページは一枚、また一枚とめくられていく。



 やがて梅雨が終わり‥‥
 セミの声と眩しい日差し。熱い季節がやってきた。

 恋人が病室から動けない夏は、やっぱり物足りない感じがする。
 うだるような熱さの中、病院と自分の家を往復するばかりの日々が続く。


 結局、その年の私の夏休みは、どこへも遊びに行く事も無く過ぎていった。



 そして、夏がおわれば‥『秋』がやって来る。

 今年の秋には、私達にとって、とても大きな出来事があった。


 9月16日くらいだったと思うんだけど。

 私やシンジ、それから私の周りの殆どの人にとって
 大きな存在であった、『特務機関ネルフ』の解体がこの日、
 冬月さんによって宣言されたのよ。

 ゼーレ、それからE−計画についての後始末が殆ど終わったからだとか。


 これ以降、私達の監視も無くなることとなり、私は生まれて初めての
 『本当の自由』を手に入れた。

 ネルフという組織には良くも悪くも思い入れがあるし、
 監視には慣れていたから、そんなには嬉しくないけど‥‥‥

 でも、私をセカンドチルドレンと呼ぶ人も、これからはいなくなるだろう。
 それ自体は、今の私にとって、とても嬉しい事だった。


 ネルフの解体後、私の知っている人達も変わってゆく。


 まず、青葉さん夫妻。
 退職金を上手く使って、少し田舎のほうで
 パソコンショップを開くって言ってた。

“あまり儲からない仕事だと思うけど、こういうのを夢見てたからな”と
 二人で笑いあってた姿が印象に残ってるわね。

 うん。きっとうまく行くわよ。
 でも、青葉さんの趣味に走ったら‥‥音源とオーディオばっかり
 充実したお店になりそう‥。

 それで、今は二人とも開店準備におおわらわみたいね。



 副司令だった日向さんはね。

 大企業や防衛省からの誘いを蹴って、神父の道を歩み始めたの。


 上智大学の神学科の推薦状を取るんだと聞いたとき、
 私は自分の耳を疑ったのを覚えている。

“日向さんが神父!?”って。

 でも、“これしかない、これをやろうって、軍人やめた時から思っていたんだ”
 と答える日向さんの声と表情には、迷いが感じられなかった。

 免許を取ることができたら、できれば故郷の旧東京のほうで
 第二の人生を歩みたいと言っていたわね。


 冬月司令はというと‥‥。

 あの人が実は末期ガンだったって、私、知らなかった。

 思えば、ここ最近、会う度に痩せる一方、顔色も悪くなる一方だったかもしれない。

 そんなわけで、解体のセレモニーが終わった次の日、第二東大付属病院に
 冬月さんが入院してきた。

 青葉さんの言ってた事から察するに、生き残った私達の為に
 病身を隠していつも無理を重ねていたみたい。

 青葉さんに頼まれて、私はそんな冬月さんに一度会いに行ったけど‥‥
 四六時中ガンから来る痛みの為に苦しんでいるばかりで、
 最後まで話をすることは出来なかった。


 冬月さんに「ありがとう」と最後まで言えなかった自分を、私は
 初めて後悔した。





 さらに時は流れ。


 あの、忘れられない瞬間がやって来た。

 寒い12月のある日。

 ゲシュタルト心理学の講義の最中に、その携帯の着信音は鳴り響いた。

 大学の講義の中では数少ないお気に入りの時間を妨げられ、
 私はうっとおしいと思いながらボタンを押したんだけど‥‥。

 耳元に聞こえてきた河田先生の弾む声は、そんな私の気持ちを一瞬で吹き飛ばした。


 『もしもし、惣流さんですよね』
 「はい」

 『突然ですが、シンジ君、助かりますよ』

 「えっ?」

 『心臓移植ですよ。条件が揃ったので、今、準備しています。
  少し心臓の輸送に手間取っているようですが、
  これから3時間以内には、始められると思います』

 「ホントですか!」

 『ええ。もしお時間があるんでしたら、手術の始まる前に、
  シンジ君に会ってあげて下さいませんか?』

 「はい、すぐ行きます!!」

 天にも昇る気持ちとは、こういう時の事を言うんだと思う。

 ヒカリに事情を話し、私は大急ぎで病院に向かう準備をした。


 “急がなきゃ”



 大学の講義棟を出ると、外は今年初めての雪。
 真白な綿帽子がゆっくりと空から降りてくる。

 『きっと、これは神様が祝福してるのよ、シンジを。
  一生懸命だったもんね。』

 そんな事を思いながら、私は自転車に飛び乗った。


 そうよ、急がなきゃ。
 シンジに会うために。

 シンジを励ますために。



                   to be continued







→上のページへ戻る