Episode-38【惣流 アスカ】


[2029. 6/4 AM7:45]

 「ぱぱ、あたし、おなかすいてたのよ」
 「ぼくもすいた〜〜」

 「ちょっと待ってて、今、御飯出すから。」


 「まったく、うちの子達ったら朝からよく食べるわね〜〜。」
 「うん。育ち盛りなんだし、当たり前といえば当たり前なんだろうけどね。
  アスカも急いで食べてね、今日、早いんでしょ?」

 「そーね。じゃ、今朝はカズミとマサキ、幼稚園までお願いね。」
 「うん。」

 「まま〜、きょう、いっしょにいかないの〜?」
 「うん、仕事、あるのからね。二人とも、今日はパパと一緒に行くのよ。」

 「しごと?しごと。」

 「さてと、ご馳走様。私、そろそろ行かなきゃ。」

 「うん。気をつけて。」

 「ねぇぱぱ、きちゅしないの〜?」

 「ハハハ、しないよ、カズミとマサキが見てるからね。」
 「な、何いってんのかしら、この子ったら!
  誰に似たのかしら」


 「アスカに決まってるよ。
  カズミは、母親似だよ、髪の色とか顔つきもそっくりだし。」

 「こういうのって母親に似たらいけないって言うけど‥‥大丈夫かしら?」

 「そんなの迷信だよ。」
 「そうね。関係ないわよね。」

 「さぁて、食べたし‥‥頑張ってくるかな、今日も」
 「ご苦労様。子供達は任せてね。」

 「まま〜、いっちゃうの〜」
 「いっちゃうの〜」

 「そうよ、じゃね、ふたりとも。
  それじゃ、いってきま〜〜す」

 「いってらっしゃい、アスカ。」
 「いってらっしゃ〜い」
 「いってらっしゃ〜い」


[PM11:12]

 「もう、あの子達、寝たわよね。」
 「うん。いつも、9時には寝ちゃうからね。」

 「そういえば、もうすぐシンジの誕生日じゃない!」
 「あ、そうだった。アスカのは覚えてるけど、自分のは忘れちゃってるなぁ。」

 「ねえ、プレゼントは何がいい?」

 「僕は‥‥今がずっと続くなら、何にも要らないよ、プレゼントなんて。」

 「まったくね。私も、自分の誕生日に何にも要らないから、
  今がずっと続くといいなって思うな。」

 「でも、僕はプレゼントはするつもりだよ、12月4日には。」
 「私もよ、シンジ。」

 「じゃ、寝よっか?」

 「あれ?」

 「『あれ?』って、アスカ‥‥どうしてそんな女性になっちゃったんだい?」

 「みぃんな、あんたがスケベだからよ!」






 [6/5 AM6:38]

 「!!!!」

 突然飛び起きたシンジに蹴飛ばされて、私は目を覚ました。

 ムカッと来たが、怒りはたちまち凍り付く。
 眠気も一瞬で醒めた。



 ‥‥シンジが、胸を押さえていた。


 「どうしたの?シンジ?」

 「胸が‥‥助けて、助けてアスカ」


 苦悶の表情。額に浮かぶ冷や汗。

 「どうしたの?」

 「痛い‥‥痛いんだ‥‥」

 とっさに救急車の事を思い出して、枕元のコードレスを取る。

 急いで119番に通報した。
 電話向こうの係員と話している間にも、目の前のシンジが目に
 見えて弱ってきているのがわかって、私は強い焦りを感じた。

 ピッ


 電話を切って子機を適当に放り投げ、シンジに駆け寄る。


 私とお揃いのパジャマが、冷たい汗で湿っていた。

 「死んじゃイヤよ」

 「死にたくない、今死ぬのはイヤだ」

 「がんばって、もうすぐ病院連れてくから。」

 「アスカもいるのに、子供もいるってのに‥イヤだ‥」

 握っている手が次第に冷たくなっていくのがわかって、恐かった。
 無駄だとわかっていても、私は暖めるように彼を抱き包んだ。


 「今まで二回も助かってるのよ、今度も、きっと助かるわよ」

 「うん‥‥」




 「ごめん、アスカ」

 「‥‥なにあやまってんのよ」

 「もう、ダメみたいだ、僕」

 「冗だん言わないでよ、こんな時に!」
 「死なないでよ、ぜったいしなないでよ!」

 シンジの瞳を覗き込む。

 焦点の合わない目が、こっちを見ている。


 「だんだん、見えなくなってきてるんだ、目が」
 「アスカの顔も。」
 「声も」


 「イヤよ、そんなの」

 「もし、僕がダメだったら、子供達を、お願い。」

 「なにいってんのよ‥」

 「僕やアスカみたいな子供時代を送らないで済むように、お願い‥‥」

 「やめてよ」

 「アスカ‥‥‥ごめん‥ね‥」

 「イヤァアアアア!!!」


 シンジが目を閉じる。

 信じられないという気持ち。

 一瞬、時間が止まったように感じられた。



 ‥‥その直後、私は動き出していた。

 何も考えられなかった。

 それでも無意識のうちに、セカンドチルドレン時代に訓練をうけていた
 心肺蘇生を私は始めていた。

 指定の姿勢でシンジを寝かし、気道を確保し、
 mouth to mouth と心臓マッサージを交互に。

 子供達が起きてきたが、怒鳴って部屋から追い返し、作業に専念した。


 これを繰り返せば何とかなるという、加持さんの古い言葉を思い出した。
 きっと、元に戻ってくれると信じた。信じたかった。

 途中、肋骨の折れるメキッという音がしたが、構わずに繰り返す。
 今、ここで諦めたら、もうこの人は戻ってきてくれないって、わかるから。

 子供達の泣き声にも構わず、私はそれを続けた。
 今は母親失格でもいいから、シンジを助けたかった。



 ‥‥15分後、救急医を乗せた高規格救急車が家の前に止まり‥‥


 シンジが担架に乗せられる。

 子供達を隣家の人に任せて、私はシンジと一緒にそれに乗り込んだ。


 救急車の中でも懸命の救命処置が続けられる。



 サイレンの音を聞きながら、祈るような気持ちで待っていた。

 『大丈夫ですよ』という一言を。





 ‥‥でも。





 “最善は尽くしましたが‥‥”

 「イヤ!!イヤよ、そんなのイヤよ!!!!!!!!」


 「お願いします!もうしばらくだけ続けて下さい!」

 “奥さん‥‥”


 「おねがいします‥‥しばらくだけでいいんです‥‥」

 「‥そんなのいやなんです‥‥」

 “お気の毒ですが‥‥”

 「わたし‥‥ききたくないです‥そんなのいやなんです‥‥」









 2029年6月5日午前6時51分。

 私を世界で一番愛してくれた人は、もう還って来なかった。






                   to be continued




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