第6話:運命の前日


 「これで書類の方は、すべて終わりです。」
 「‥‥‥はい」


 一時間ほどで、私が留置所を出る手続きはあらかた終了した。
 冬月さんが私の仮の身元引受人と言うことらしい。

 迎えに来た冬月さんは、まず最初に「すまなかった」と私に謝った。
 なんで謝ったのか、私には判らない。
 なぜ冬月さんは、私に謝ったんだろう?

 冬月さんの傍らには、額に包帯を巻いた髪の短い女の人がいた。
 伊吹さんという、優しそうな人だった。
 ネルフ本部の廊下で、何度かすれ違った記憶がある。

 二人とも、目の下にとても大きなくまをつくっていた。
 何も言わないけど、私と碇君の為にあれこれ手を尽くしてくれてたんだと思う。

 私は最後の手続きを冬月さんと一緒に済ませると、留置所の分厚い
 コンクリートの門をくぐり、黒い車に黙って乗り込んだ。




      *         *         *




 静かに走る車の中、私達三人はほとんど口を利かなかった。

 第二新東京大学付属病院。
 そこが碇君が今いる場所と聞いた。

 “高速でも2時間ぐらいはかかるだろう”と、冬月さんは言っていた。

 私は、ただ流れていく景色を眺めていた。
 もう二度と見ることはないであろう、緑の山、青い空、眩しい太陽‥。
 あの時、冬月さんにお願いしなかったら、私はこれらを見ることもなく、
 ひっそりと死んでいったのかな?
 “しっかり見ておきなさい”という心の声に素直にしたがって、
 私は緑色の美しい山麓の景色に目を凝らした。

 やがて、緑が徐々に灰色に変わっていく。
 途中、『第二新東京市へようこそ』という看板がものすごいスピードで
 流れていく。その瞬間、碇君の病院に到着することを喜んでいる自分と、
 反対に怖がっている自分の存在を、私は知った。

 私の気持ちを察してか、今まで黙っていた伊吹さんがちょうどその時に
 “本当に、いいのね”と私に聞いてきた。

 私は何も答えなかった。
 答えられなかった。

 伊吹さんはその後、“ごめんなさい”と小さな声で言った。
 みんな、最近私によく謝る。
 なんでだろう?

 伊吹さん、私、本当はずっと生きていたいんです。
 本当は死ぬのがとても恐いんです。
 嫌なんです。

 でも、無理だと知ってるから、せめて碇君にと思っているんです。
 でも、本当は自棄をおこしているだけなのかもしれないんです。


 そうなんです。
 私、やっぱり死にたくない。

 私は、わたしは、ワタシハ‥‥




     *        *        *




 考えに沈んでいる間に、随分時間が経っていたらしい、
 いつの間にか、車は止まっていた。
 驚いて顔をあげたそこは、大きな病院の駐車場だった。

 冬月さんが
「さあ、着いたよ」
 伊吹さんが
「どうしたの?レイ?」
 といって私を促している。

 たぶんのろのろと私は車から降り、白くて大きな病院の建物を仰ぎ見た。



 “‥ごめんなさい、私、まだ全部吹っ切れてない。”


  病院に着くと、すぐに冬月さんと伊吹さんは『面倒な手続きがあるから』
 と言い残して、どこかに行ってしまった。
 私一人が、広くて暗い、入り口のロビーにぽつんと残される。
 人の出入りも疎らな病院の受付は、一人でいるには広すぎると思う。
 ただ、淋しい時間だけが過ぎていく。

 傍らを通り過ぎるおばあさんが物珍しそうに私を見ていた。
 小さな子供が私を指さして、何か言っていた。

 ‥‥やはり、私は普通の人じゃないの?
 私の紅い目、青い髪、白い肌。
 なぜ?

 何が違うの?いけないの?
 また涙が出てきそうな気がしたけど、今度はこらえるのは簡単だった。

 何がいけないか、誰か教えて?
 私が人間じゃないから?
 私はまだ死にたくない。本当は生きていたい!


 ‥それからしばらくして、伊吹さんが戻ってきた。
 碇君の所に私を案内してくれるという。
 ネルフ本部のように真っ白でまっすぐな廊下を、私は伊吹さんに
 案内されるまま歩き、着いたのは第一集中治療室という部屋だった。

 その部屋の真ん中、大きなプラスチックのケースの中で碇君は眠っていた。
 沢山の機械やチューブに呑み込まれたその姿は、とても痛々しかった。


 側にいたお医者さんが私に説明してくれる。

 “現在の碇君は、今は機械に頼って生きています。
  心臓も、腎臓も、もうほとんど自分の力では働くことができません。
  我々も最善は尽くしていますが、ここまで病状が進んでいると‥‥”

 ちょうどその時、碇君の胸がかすかにだが、びくびくと不規則に動いた。
 そばにモニターされている心電図が大きく乱れている。

 “またVfか!”
 “応急処置、急げ!!”

 私達を置き去りにして、白衣を着た人達が慌ただしく動きはじめた。
 碇君の側にいたいと思ったけど、伊吹さんに促されて、仕方なく私は
 部屋のを後にした。

 私は、今度こそ決心できたと思った。




    *        *        *




「本当にいいんですね」

 冬月さんと一緒にやって来たお医者さんは、何度も同じ事を私に聞いた。
 今まで見た中で一番若い、とても優しそうなお医者さんだった。

 私は、そのたびに、“はい、是非お願いします”と答えた。

 もう迷いはない。

 私は、碇君に命を捧げる。
 碇君の中に生き続ける。

 「手術はできるだけ早い方が良いです。こちらとしては明日の午後にも
  手術が開始できるように準備しています。あとは、綾波さんの
  希望次第です。」

 「準備ができ次第、お願いします。」

 「……わかりました」

 お医者さんはそういうと、私の前からいなくなり、
 数分後に沢山の書類を持って戻ってきた。

 「意志確認の書類と、筆記用具、それから便箋です。あなたが、誰かに
  何か言い残したこと、伝え残したことがあるようでしたら、今のうちに
  書いておいて下さい。シンジ君の容態を考えると、よろしければ、
  三時くらいからあなたのほうの検査を始めたいと思ってます。
  かまいませんね?」

 「はい。」

 「では、お願いします。あまり時間が用意できず、申し訳ありませんが‥‥。」

 「いいえ、それが碇君の為なら、いいです。」

 「では、お願いします。」

 お医者さんはそう言うと、冬月さん達と一緒にどこかに行ってしまった。



 また、私はひとり残された。
 目の前には、筆記用具と意志確認の書類、便箋が並んでいる。


 誰かに言いたい事といっても‥‥私は碇君しか直接には知らない。

 二人目の私から、沢山の人達の記憶を引き継いではいる。
 けれど、三人目になってから実際に会った記憶があるのは碇君と、
 冬月さん、伊吹さん、それから碇司令と赤木博士だけ。
 そして、今も生きているのは碇君と冬月さんと伊吹さんの3人だけ。
 
 ‥‥碇君には言いたいことがあるかもしれない。

 ううん、ある、
 私、碇君に伝えたいこと、伝えたかったことがある。



 ‥私は、碇君宛に、手紙を書いた。

 人に手紙を書くのは、これが初めて。
 そして、きっと最後。



 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



 でも、結局“ほんとうにいいたかった事”は書けなかったような気がする。

 何故、だろう。
 わからない。




     *        *        * 




 きっかり2時間後、さっきのお医者さんが戻って来た。
 そして私の検査が始まった。

 採血に心電図、MRIと、滞りなく検査は進んだ。
 私はそれらの慣れきった検査を、何も言わずにただ受けた。
 一時間ほどで全ての検査は終了して、病院の待合室に戻った。
 冬月さんが、私を待っていた。

 “これから明日の朝9時まで、君は自由だ”と告げる冬月さん。

 自由。

 短い自由。
 仮の自由。
 最後の自由。

 冬月さんが「何か、希望があったら言ってみてくれないか」と言ってくれた。

 知らないうちに私は、「いろんなものが見たい」と答えていた。


 to be continued


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