平成16年7月6日、NHK教育テレビ『福祉ネットワーク』の、ネット依存特集のなかで、ラグナロクオンライン廃人※1の誕生と廃人治療の試みが紹介されていた。この番組はもともと視聴率の低い教育テレビで放送されたうえ、オンラインゲーム特集というわけではなくネット依存特集の一環として放送されていたこともあって、このサイトを見ている人で実際にご覧になった人はあまり多くないのではないかと思う。事実私も、知人に教えられて大慌てで再放送を視たクチである。しかし、この番組は(こういうサイトをやっている身には)なかなか刺激的な内容だったので、概要を急遽紹介したうえでこちらの見解を付け加えてみることにした。



 1.放送の外観

 この番組はNHK教育テレビ『福祉ネットワーク』(毎週火曜日午後8:00〜8:30、再放送は翌週火曜日午後1:20〜1:50)・平成16年7月のネット依存特集の、第一回放送分として放送された。番組では一人のラグナロク廃人が誕生する過程を紹介しながら、ネット依存の一ジャンルであるオンラインゲーム依存の特徴が牟田氏の解説※2を交えて紹介されていた。番組中で実際に紹介されていたオンラインゲームは、タイトル名こそ放映されなかったものの上から見ても下から見ても間違いなくラグナロクオンライン(RO)であった。

 なお、ネット依存特集は16年7月一杯放送される予定で、7/13にはネット依存から脱出した人の顛末や、依存者のタイプ別分類などが紹介されている。興味のある方は、7/20の再放送を是非ご覧ください。



 2.放送されたRO廃人のプロフィール、生活歴など
 (注:シロクマによって要約されています。放送と違う所あったら御免)

 【生活歴】
 ハンバーガーショップチェーン店の社長の次男として出生。
 兄は成績優秀で難関高校を受験して合格し、名門校に進学している。

 小学校低学年時:サッカー好きの活発な少年で、ゲームと疎遠な生活を送っていた。

 小学校4年生時:進学塾に通い始めたが、競争意識の強い塾社会に馴染むことができず、結局塾への通学を途中で辞めてしまった。

 小学校5年生時:クラスメートの行動を先生にチクった際に上手く立ち回ることができず、これを機にクラスメートから孤立しがちとなった。

 小学校6年生時不登校となる。昼間はフリースクールに通い、夜間はゲーム三昧
 の日々を送る。

 高校時代:全寮制高校に進学して部活動の武道に励んだ。寮内の同級生とのコミュニケーションも活発に行うようになった。この後、高校卒業まではゲームと無縁の生活を送ることができていた。

 高校卒業後:進学を目指して大手大学予備校に入学したが、授業についていけず友人をつくることも出来なかったためdrop outし、予備校を退学した。その直後、ラグナロクオンラインβテストを友人から紹介されプレイを開始した。現実世界と違って、時間とエネルギーを投資すれば確実にキャラクターが強くなる世界に夢中となり、一日十時間以上の廃プレイを送る日々が始まった。以後22歳時まで廃プレイは続き、食事をパソコンの前で摂り、入浴も疎かにしてラグナロク上以外のコミュニケーションが断絶した日々を過ごした。もちろん昼夜逆転のうえで自室に引きこもった生活だったが、現実の生活を何とかしなければならないという意識は希薄だった。キャラクターの成長とラグナロク上のコミュニケーションがすべての生活に没入していた。

 22歳時5月:父親から、ハンバーガーショップのアルバイトを薦められて開始した。しかし、仕事をなかなか覚えられない・ミスが多い・社長の息子としてのプレッシャーが気になる等の理由から頓挫し、二ヶ月でやめてしまった。以後、その反動でますますのめり込んだ廃プレイに精を出すようになった。

 22歳時9月:中学生時の同級生達が次々と就職を決めていく現実を前に初めて焦りと不安を感じ、以前登校していたフリースクールを(ちなみにこのスクールは牟田氏が開設)訪れ、相談をもちかけた。以後は、現在に至るまで依存状態脱出の為の試みとして執筆を続けている。


 【テレビの画面から分かる範囲の容姿・振る舞い】

 次に、テレビ画面を見る限りで得られた情報について紹介しよう。

 インタービュー形式をとっているせいもあるのだろうが、彼の話す内容はかなり整然としており、少なくともインタービュー時には痛い発言はみられず。やや、というよりはかなり小太りな体格。清潔なシャツとパンツを着用しており不潔な感じは受けない(テレビの前だから当然といえば当然だ)一方で、22歳のカジュアルな服装としては地味すぎる印象は否めない。アキバ系ファッション(A-boy,nerd fassion)に多そうな服装ではある。

 ラグナロクのプレイをしている時に発している台詞は「うわーやられた」等のやや痛いステロタイプなものだったが、これがNHK側からの依頼で発した台詞なのか、いつも独りで発している台詞なのかは分からない。

 所属ギルドやキャラクター名はモザイクで隠されていて不明だった。LV99の廃人オーラを放つウィザードだったが、派手なアクションをカメラに収める為だろうか、メテオ等の見た目の派手な魔法ばかりをやたらと使用していた。また、ギルドのメンバーとの会話で2ch的言い回しや顔文字を使用しているありさまも放送されていた


【特に印象に残ったインタビュー時のことば】 
 (注:これもシロクマが速記したものを書いたモノで、一部省略アリ。ご容赦を)

 「ゲームの世界では、考えた事とかが頑張った分だけ結果になって戻ってくる。それで自己実現出来るんです。ゲームの世界に熱意を注いだほうが現実の世界に熱意を注ぐよりも結果が帰ってきて、自己実現出来ます。」

 「現実で誰とも話さなくても、ゲームの世界では沢山話しかけて貰えるので寂しくはなかった。現実のことがまったく頭になかったです。ゲームの中のキャラクターを強くしようという思いだけでやっていた。」

 「オンラインゲームをただ否定しても駄目だと思います。確かに救われていた部分は確かにあったわけで、そこを全て絶ってしまうのは問題があるような気がします…距離のとりかたというか…」


3.この症例に対して牟田氏が提案した対処とコメント

 この22歳の男性がフリースクールで相談したのが、この番組にコメンテーターとして登場した牟田氏本人であった。彼が男性に対して提案したのは、なんと「ラグナロク廃人となった経験を本に書いてみてはどうか」というものだった。このような提案をした狙いとして、牟田氏は『責任のある仕事を任せ、その経験を通して現実との接触を促進させたい』と話していた。このほかにも氏は、

・カウンセラーや親が主導では決して上手くいかない。あくまで本人が主役
・闇雲にゲーム禁止するだけでは上手くいかないので、本人の中で現実に対する葛藤が生まれた時(例えば22歳で周囲が卒業して取り残された気持ちが生まれた、など)が介入のチャンス。
・現実との接触を持たせ、ゲームよりも難しいことの多い現実への接触を周囲がサポートしてやりながら、「ゲーム以上におもしろい現実」を呈示することが大切

 といった主旨のコメントをしていた。

 以上が、今回放送された番組の概略だ。牟田氏のコメントもインタビュー内容も、MMOの疑似社会性とそれに伴う疑似自己実現がもたらす現実からの乖離を危惧した内容となっていた。



 4.この番組と、私が出会った廃人・廃人予備軍達を俯瞰すると

 今回放送されたオンラインゲーム廃人は、プレイ人口が最も多く私自身も調査を行っているラグナロクオンライン上の廃人であった。キャラクターレベルは99、プレイ時間に費やした時間から見ても生活史から見ても、まず一級の廃人プレイヤーと考えて良いだろう。プレイしている時間も廃だが、そんなプレイ時間の原因となった現実世界の生活歴もかなりシビアだ。そして、その両者があってはじめて、ラグナロク廃人としてここまで大成できてしまったのだろう。

 まず、彼のキャラクターレベルに着目しよう。あんな廃キャラクターを育てるには、オンラインゲームをプレイしていない人から見れば馬鹿馬鹿しいほどの膨大な時間とエネルギーが必要だ。ことにレベル99という数字は、普通に働いたり勉強したりしている人ではそうそう達成することが出来ない“異業”と言える。私の見聞している限りでは、ラグナロクでレベル90以上のキャラクターを保有していて、なおかつゲーム以外の社会活動を幅広く達成している人は希有である。ラグナロクにおいてレベル90クラスかそれ以上のキャラクターを持っているという事は、正気の沙汰とは思えない時間をゲームに投入している事の証明であり、逆に言えばゲーム以外の活動が乏しくなっているか、乏しくなっていたことを示す重要な所見となる。(2005年シロクマ注:そこそこの社会活動を達成している人はかなりいるようだ。ただし、幅広く、となるとやはりまだ疑問が残るし、幅広い社会適応を達成出来ている日とは滅多にみかけない)

 ましてレベル99ともなると信じがたい時間をゲームに費やさなければならず、平均的な社会活動(就労、学業、交際など)や健康な生活(睡眠、食事、入浴、清掃など)は期し難い。百歩譲っても、ゲーム以外の趣味や社交領域に著しい制限が課せられることは避けられない。また、レベルをあげる為のプレイは高レベルになるほど単純作業・効率重視になりがちであり、楽しいというよりはむしろ苦痛なレベル上げを延々と続けなければならないが、彼はそれを最後まで達成してしまっている。苦痛に満ちた永い経験稼ぎをくぐり抜けてきた筈なのだ。

 このことから、私達は重要な事実に気付かざるを得ない。

 つまり、彼や彼と同じようなMMO廃人達は、ゲームを楽しむという枠を超えた経験稼ぎを敢えてしていた、という事実だ。楽しいプレイを長時間続けていた結果として自然に高レベルとなったわけではなく、高レベルになること自体が目的化した経験稼ぎをやっていた筈なのだ。もしゲームとしての楽しさだけを求めてプレイするならば、苦痛なレベル上げを通してレベル99に達する必要は微塵もない。ラグナロクの場合、レベル80程度まで到達できれば一応一通りの冒険はこなせるようになるし、プレイヤー同士の交流を楽しみたいだけならそれで困ることは無い。にも関わらず、多くの廃人プレイヤーが単調なレベルあげを何百時間も続け、現実世界に対する時間と労力の投資を削減してしまうのだ。ゲームの外に目を向ければ、経験稼ぎよりは楽しい遊びも有意義な選択もあるだろうに、である。これはいったい何故だろうか。

 ここで着目したいのが、番組中の廃人さんが呈していたもう一つの特徴、『生活における自己実現の頓挫と、ゲーム内における自己実現の達成』だ。番組内の廃人さんは、学業・友人づきあいといった現実生活における課題の達成に失敗した時に(オフラインゲームも含めた)ゲームの世界にのめり込むという特徴を持っていた。逆に、武道に熱中し交友関係にも恵まれていた高校時代にはゲームをやらずに過ごすことが出来ている。そのうえインタービューの中で彼は、「ゲームの世界では、考えた事とかが頑張った分だけ結果になって戻ってくる。それで自己実現出来る。ゲームの世界に熱意を注いだほうが現実の世界に熱意を注ぐよりも結果が帰ってくる」といった発言もしている。

 彼はラグナロク内でかりそめの自己実現を達成するまで、自己実現の機会に乏しい傷つきがちな生活史を送っていたと言えるだろう。高校時代以外は努力をしては挫折を繰り返し、おそらくは優秀な兄と比較されながら育ったことだろう。こんな彼にとって、努力と報酬が正比例し、沢山の人達から強者として認められるラグナロク上の自己実現体験は甘露の味がしたのではないか。彼に限らず、現実世界で自己実現が期しがたい人達や努力が報われずに自己愛がボロボロに傷ついた人達には、プレイ時間さえ投資すればほぼ確実に自己実現が可能なフィールドを提供するオンラインゲームは、“自己実現という夢を見せてくれる素晴らしいテーマパーク”として映るのではないかと思う。だからこそ、かりそめの自己実現を与えてくれるこれらの新しいゲーム内に多くの人々が今も居着いていて、多くの廃人が蠢いているのだろう。MMOのような“人間達が仮想空間に集まって疑似社会を営むゲーム”がプレイヤーに与える心理的影響で、従来型の一人遊びオフラインゲームと一線を画しているのはこの点ではないかと私は思うのだ。

 例えば従来型のロールプレイングゲームでは、どれだけキャラクターを強くしようとも、それが他者に影響やインパクトを与える事はなかったし、それゆえ他者から評価される直接の契機となるような事もあり得なかった。それゆえゲームを通して自己実現とか他者との接触や承認が得られるという事も期待できなかった。ことに現実世界で他人とコミュニケート出来ないような状況の場合、鍛えたキャラクターをオタク仲間に自慢することすら叶わないわけで、キャラクターを鍛えても自己満足の域を出る事は叶わなかった※3

 ところがラグナロク等のMMOは違う。キャラクターを鍛えて最低限のマナーを守っていれば、他者に対して様々な影響を与えることが出来るし、それを通して認められたり誉められたりすることもできる。たとえ本人が現実世界では引きこもっていたり友達がいない状況であったとしても、である。いや、単に認められたりコミュニケーションが出来たりするばかりでなく、現実世界ではそうそう経験する機会のない、感謝や服従といった体験すら経験する事もあるのだ。そしてどのようなプレイヤーにも自己実現のチャンスは存在する――多くのMMOでは才覚やセンス、反射神経ではなく、プレイしている時間量に比例して自己実現のチャンスが増加するから――ので、苦痛だろうが何だろうが沢山プレイしてキャラクターを鍛えさえすれば、仮想空間のコミュニケーションシーンで一目置かれることが出来るのだ。だからこそ、自己実現という麻薬を得る為に元々乏しい現実生活を擲ってもpayし得るし、苦痛な経験稼ぎをしたとしてもpayし得るのだろう。経験稼ぎのようなゲーム内の努力は、少なくともゲーム内における限りは確実に結果となって還ってくる。そしてそれは自己実現の為の布石となるのだ。

 この場合、現実社会における状況・能力・コミュニケーションスキルは全く不問に付される。現実世界でキモオタ・ヒッキー扱いされていてコミュニケーションスキルが低く、なおかつ仕事や学業にも自己実現を求めることの出来ない人々であっても、廃人プレイさえ我慢できれば仮想空間では貴族となることができるのである!廃人達はゲーム内では現実社会とはかけ離れた体験を得ることが出来る。勇者として、慈善家として、金持ちとして、知恵者として、支配者としてのアイデンティティが待っている。そして他プレイヤーの羨望・嫉妬・賞賛、他プレイヤーよりも相対的に強い影響力、なども手に入る。こういった達成の数々は、現実社会では努力したとて必ずしも得られるとは限らず、あくまで努力は必要条件に過ぎない※4わけだが、ラグナロク等多くのゲームでは努力は達成の為の十分条件になっている。つまり廃人にさえなれば、ゲームの世界で努力さえすれば、豊かな自己実現を仮想世界で体験できるのだ…これこそがラグナロク等の多くの“テーマパーク”が持っている特有の魔力と私は考えている。そして裏を返すと、廃人達の多くはこのような仮想自己実現の虜になるような背景を、つまり自己実現に飢えているような背景を持っている可能性が想定できる。少なくとも放送の中で出てきたラグナロク廃人さんはそうだったし、私がラグナロク上で観察している廃レベルキャラクター保有者の一部にもその傾向が色濃くみられる。もちろん番組中の彼は極端な一例だし、あそこまでの知り合いはラグナロク友人にはいない。しかし、彼にみられる諸特徴は、多くの廃ラグナロクプレイヤーから多かれ少なかれ感じられるもののように思えてならないのだ。

 そもそも、廃人プレイは膨大な時間を消耗する為、廃人プレイをやっているという事自体が現実社会における自己実現が不可能な現状を暗示している。現実社会で仕事や学業や恋愛やその他様々な自己実現のチャンスを掴もうとしている人や、現に自己実現を達成している人達は、とても廃人プレイをやっているだけの時間的余裕は無い筈なのだ。だのに廃人への階梯を登ることが出来る人が存在するということは、その人は現実を放棄する事が出来るor放棄出来るような現実を元々持ち合わせていないかのどちらかでしかあり得ない。ましてや、複数のキャラクターを保有し、巨大ギルドを運営するとなれば尚更だ。そして廃人プレイに入っていくことにより、彼は現実生活における自己実現からは益々遠ざかり、代わりに仮想空間上の自己実現に接近していくことだろう。そうなれば益々現実生活は味気なく、ゲーム内生活は自己実現的・バラ色的様相を強める事だろう。斯くして、一廃人は奥へ奥へと進んでいくのではないだろうか?番組中の人物の台詞を引用すれば、『ゲームの世界に熱意を注いだほうが現実の世界に熱意を注ぐよりも結果が帰ってきて、自己実現出来る』状況は、プレイに耽溺すればするほど強まっていくのではないだろうか?

 ここまでの仮説を踏まえると、MMO依存者には以下のような要件があるのではないかと私は考える。つまり、

 1.膨大なプレイ時間をMMOに費やせる人間は、現実社会における自己実現を放棄出来るか、そもそも放棄すべき自己実現が無い人間でなければならない
 2.MMOに時間を費やせば費やすほど現実社会における自己実現の為の資源(特に時間)は失われ、代わりにMMO上で自己実現を達成するチャンスは増大する。
 3.現実社会と異なり、MMOの世界における自己実現は努力が十分条件となっている。運・素養・環境に殆ど依存せず、どんなに乏しい者でも自己実現の蜜の味を貪る事ができ、それが強烈な麻薬として作用する。

 というものだ。
 1.を満たす人は、MMO廃人となるリスクが高いと推測される。即ち、無職・フリーター・廃学生・自己実現が乏しいようなオタク(≒このサイトで問題としている多くの侮蔑され易いオタク達)などがこれに該当する。そして、2.と3.の特徴があるが為に、自己実現の達成に飢えている人がMMOをいったん始めてしまうと、脱出することは極めて困難だと思われる。プレイに時間をどんどん費やせばいっそう現実社会で自己実現を達成しづらくなっていくし、対照的にゲーム内における自己実現達成の機会が増大する。灰色で味気ない現実とバラ色のゲームのギャップは、深くプレイすればするほど酷くなり、ゲーム内における適応と現実における不適応を一層明確にするだろう。

 こうなると、廃人達はますます現実を遠ざけたくなるだろうし、ゲームの世界から離れたくないと思うに違いない。番組中、牟田氏が『現実社会の方が面白いという事を廃人に教えていくこと』をMMO依存の治療のキモとして提案していたが、これは的を射た正論であると同時に、MMO依存がいかに治しがたいものなのかを暗示している。番組中の廃人さんも、『本を執筆する』という、強烈な自己実現をプレゼントする反則的処方を施されているわけで、このような幸運に預かれない多くのMMO廃人達にどのような処方が施せるのか正直言って見当もつかない。もし彼らがある日“現実を直視しなきゃ”と思ったとて、MMO以上の自己実現の機会のチャンスは果たして現実社会で獲得できるのだろうか?MMO廃人になるような、或いはMMO廃人になってなってしまったような人達にそれが達成し得るのだろうか?偽善的な気分を払拭してシビアに答えるならば、その実現可能性は非MMO依存者よりも確率的には低い筈だ。その道のりは険しく遠く、途中で挫折する可能性も高い。ましてや挫折感や阻害感に満ちた生活歴を持ち、ゲーム世界でだけ自己実現が達成出来るような人に、『ゲームの世界よりも、現実世界のほうが実り豊かで自己実現の甲斐があるよ』と言ったところで何ほどの説得力があるというのか。そういう経歴のあるMMO廃人の琴線に触れるような説得の言葉を、私は未だに見いだす事ができずにいる。考えれば考えるほど、この問題は難しい。



 5.おわりに――考えるほどマゴマゴしてしまいますが

 以上、ラグナロクにおける廃人観察と番組の内容を照らし合わせながら、あれこれ考えてみた。牟田氏の提案が実現困難なものであること、真に廃な廃人が背負っている背景や廃人たる為の条件が非常にシビアな傾向にあることを考慮すると、MMO依存を脱出する具体的手法は易々と見つかるものではないと、考えざるを得ない。番組の中で廃人さんが言っていた通り、適切な距離感をもってMMOと付き合えば廃人リスクは低減できるだろうが、そう出来なかったからこその廃人でもあり、またいったん廃人になってしまえば距離感もへったくれも無くなってしまう。

 今回の番組を契機に、改めてMMO廃人を俯瞰してみたわけだが、このテキストを打っている間に私はすっかり悲観的な気分になってしまった。今の私の脳味噌では、この問題に対して上手いアイデアは思いつけない。引きこもり治療でしばしば用いられる家族システム論はこの場合にどこまで有用なのか分からない。また、アルコール依存症で用いられるグループ療法を使用しようにも、アルコール依存ほど事例化しないのでクライアントが集まらない。そして究極的には、現実社会における廃人本人の適応達成の度合いや自己実現の度合いによって予後は決まってくるだろうから、それらを向上させる為の方法論が最も切望される事となる…なんと困難なことか!とはいえ治療方法を調査研究しようと望むなら、気弱になっては駄目なのだろう。どこかに光明が見いだせないか、今後も積極的に調査・資料集めを続けていきたい。

 ★関連した分野の研究や調査の報告・追試をお待ちしております★






 【※1ラグナロクオンライン廃人】
 この番組で紹介されていたラグナロク廃人は、ラグナロクの世界では最高レベルのLV99に到達していた。これは、番組中の廃人さんが操っていたウィザードが廃人オーラ(LV99のキャラクターだけが放出する、白い光)をまとっていた事から確認することができる。ラグナロクオンラインというゲームにおいてLV99であるということは、尊敬と軽蔑と羨望のない混じった複雑な視線を周囲から集める事を意味する。最も強力なキャラクターであり、豊かな生産性と他プレイヤーに行使できる力が最大級であると同時に、常識的なプレイ時間ではまず達成し得ない凄まじい時間をラグナロクに費やしてしまった廃プレイヤーであることの証でもある。

 一般に、このような最高レベルへの到達は一日八時間とか十時間とかいった滅茶苦茶な時間をラグナロクに費やさなければ到達することが出来ない。つまり、リアル世界で仕事や勉強や交際といったものに常識的な時間配分を続けている限り達成できるものではなく、相当の時間的投資をプレイに割かなければならないのだ。

 ディアブロの頃からそうだが、RPG型ネットゲームやMMOにおいては、(イカサマ行為無しでプレイしている限り)ある程度のレベル以降はレベルをあげる為に要する時間が等比級数的に急増する傾向にある。このため、一定レベル以上のキャラクターを育成する為には極端な時間投資を要求され、それについていける“暇人”だけが高レベルキャラクターを保有しがちである。

 この番組で登場したラグナロク廃人さんもまた、LV99という、現実世界の活動時間を徹底的に削らなければ達成できないキャラクターレベルを達成しているわけで、廃人の名に恥じない入れ込みっぷりだったことが窺える。このようなLV99の廃人はラグナロク界隈ではかなりの数にのぼっているが、彼らは社会的生活を破壊することが出来た廃人か、そもそも破壊し得るような社会的生活を持ちあわせていなかった廃人であると推定される。ちなみに、ラグナロクのレベル99という数字は、多くのMMOの最高レベルに比べれば遙かに達成しやすい。まだまだ敷居が低いほうだという事を付け加えておく。




 【牟田氏の解説※2】
 以前、このサイトでは牟田氏のオンラインゲーム関連の発言についてここで酷評していたことがあった。事実、こちらの記事はオンラインゲームの孕む疑似社会性を殆ど無視して、オフラインゲームでもみられる範疇的な成長システムにだけ着眼して見当違いの論説を展開していた。しかし、その後の発言ではかなり軌道修正しており、そして今回の番組では比較的無難でまともな発言をしている。

 今回の放送のなかでは、MMOが孕む疑似社会性や仮想自己実現が関与した依存状態の問題に関しても牟田氏はちゃんと言及していた。




 【※3叶わなかった。】
 ところが、オタク仲間がいる程度のコミュニケーションレベルにあるオタクの場合は、必ずしもそうでは無い。彼らは少なくともオタク同士の間ではコミュニケーションをとることが出来るので、ゲーム内で達成した珍事を仲間に自慢して“すごいねー”と誉めてもらうことは出来たのである。

 そして、これはロールプレイングゲームにおけるレベル上げだけに留まらず、オタク分野におけるありとあらゆる一人遊びについてあてはまる。例えばカードコレクターは、レアなコレクションを誇示する事で羨望の眼差しを集めることができるし、アーケードゲームオタクは誰にも出せないスコアや技術を提示することで自己実現することが出来る。また、アニメや漫画の世界でも、同人誌のコレクションを見せびらかしたり立派な同人誌を製作したりと、オタクコミュニティの中で会話が出来る程度の状況であれば、意外と様々な方法で仲間からの承認を引き出す事は可能である。また、よりクリエイティブなセンスと意志があるならば、インターネットを用いた様々なやり方を展開することも可能だろう。

 ただし、このようなオタクコミュニティ内のコミュニケーションを用いた従来型の自己実現には、オンラインゲームにおける自己実現に比べて幾らか敷居が高いかなと思うところはある。それは、

1.コミュニケーションのレンジ内に同好のオタク仲間がそれなりに必要
2.多くの場合、単に時間をかけるだけでは認められ難く、資金を要したり(コレクション)、能力を要したり(スコアアタック)、センスや趣味の鋭さを要したり(同人誌製作)してしまう。
3.他人に誉められたり喜ばれたりして自己実現の蜜を舐めるには、それらの達成を相手に上手に伝えなければならず、このためコミュニケーションの方法を間違えると厭な自慢屋としてむしろ敬遠されるリスクがある事

 といった相違点がみられるからである。

 オンラインゲームでは、1.の敷居は極めて低い。同好の仲間はゲーム世界に何千人と存在する。2.についても敷居は低い…オンラインゲームは金額的なコストパフォーマンスに優れているうえ、例えばラグナロクの場合などは際だった能力やセンスがむしろ突出しないようにゲームがデザインされている。3.についてもオンラインゲームは優れている。別に他人に自慢する必要などオンラインゲームでは無いのだ。自分のレベルが高くて強ければ、わざわざ自慢しなくても一緒に遊んでいるだけで周囲は一目置いてくれる。そして、助力を請われたりさえするので、むしろ周りから勝手に自己実現のチャンスは舞い込んでくる(余程とんでもない人格の持ち主で無い限りは)わけで、コミュニケーション上の問題によってリスクを背負う可能性が低い。そのうえ感情表出アイコンなどもあるのでいっそうコミュニケーションが容易だ。

 このような自己実現に便利な構造を抱えているのだから、これまで他のオタク趣味を通して自己実現していた人々がオンラインゲームにおける自己実現に躍起になったとて別に不思議ではない。オタク趣味を通して自分の居場所やレゾンデートルを見いだしていた人々にとって、従来型のオタク趣味よりも自己実現感を満たしやすくコミュニケーションも簡略化されているオンラインゲームは魅力的に映るかもしれない。




 【※4努力は必要条件に過ぎない】
 努力を必要条件としたうえで、達成の可否には運・素養・環境などが大きく関与してくるという点が現実のシビアな所でもあり、またスリリングな所でもある。回数や時間的投資、金銭的投資を重ねることによって達成確率を上げ下げ出来るものもあるが、それらを制したとて如何ともし難い困難な達成も存在する。また、異様に素養がモノを言う分野も存在するし、そういう分野ではどれだけ努力を重ねても何ともならない事すら、稀ではない。

 オンラインゲームの世界と異なり、現実社会では己の素養や環境を踏まえた上でどのようなachievementや自己実現を目指すのかの見極めが重要となってくるだろう。もしもそれを見誤って自分の素養・環境に不向きな目標に向かって努力を重ねた場合、取り返しのつかないことになりかねない。

 そしてこの娑婆世界には、キャラクターリセットもセーブポイントも存在しない。一度失った時間や努力は永遠に帰ってこないし、やり直す事も出来ない。オンラインゲームの仮想空間とは正反対、である。