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PBM覚え書き

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2001年・11〜12月
2002年・1月 / 2月


3月1日(金)

『魔術師オーフェンはぐれ旅 我が運命導け魔剣』より。クリーオウのセリフ。

「だって、これって単なる善意じゃない。悪い結果が出てくるはずないわよね、うん。そうでしょ? すべての問題は愛によって解決するのよ」
 この意味が分かれば、いろんなことがわかるかも。


3月2日(土)

 今日も『魔術師オーフェンはぐれ旅 我が運命導け魔剣』より。
 クリーオウをPCに見立て、PBM的に解釈してみます。オーフェンのことは知らなくても大丈夫です。


《事前情報》
 ひょんなことからロッテーシャという女剣士と知り合ったクリーオウ。ロッテーシャは道場主でもあるのだが、町にはもう一軒ライバル道場がある。
 そのライバル道場の門下生がロッテーシャの道場の門下生をリンチする事件が頻発していたが、ロッテーシャはなんの対策も講じようとしない。
 門下生からも陰口を囁かれ、ロッテーシャもその状況を快くは思っていないようだ。
 しかし何か言いにくい事情があるらしく、ロッテーシャは黙して語ろうとしない。

《アクション》
 なんとかロッテーシャの力になりたい(というか好奇心を抑えきれない)クリーオウは、マジクと共にロッテーシャの部屋を捜索した。

「とりあえず、手分けして探すわよ。あんたはそっち」
「探すって、なにを探すんだよ」
「分かるわけないでしょ、そんなの。オーフェンじゃあるまいし、こんなことすんの初めてなんだから。でも絶対なにか、あの騒ぎの理由が分かるようなもんがあるわよ」
 適当に本棚の本を端から目でなぞり、クリーオウはつぶやいた。肩のレキをなでながら、とにかく考える。
「だいたいね、なにかを隠すとなると、誰でも自分の部屋に隠そうとするものよ。人って不安の塊なんだから──ってお父様も言ってたわ」
《リアクション》
 ロッテーシャの部屋からは奇妙な剣(魔剣?)が見つかる。と、そこへロッテーシャが戻ってきてしまう。
 しかしロッテーシャは怒ることもなく、むしろ呆れた風に事情を話し始めた。

 クリーオウは結果的にロッテーシャから事情を聞き出すことができたわけで、このアクションは成功したと言えるでしょう。
 ここで、『だいたいね、なにかを隠すとなると、誰でも自分の部屋に隠そうとするものよ』があるのとないのとではどこが違うのか、なんとなく分かってもらえるでしょうか?
 「ロッテーシャの部屋を調べる」だけでも、目の付け所はいいと思います。ですが、事前情報にロッテーシャの部屋についての記述がない以上、「そこに何かがあると思われる理由」を簡潔でいいから追記する必要があり、またそうすることでアクションの説得力が増します。
 さて、これをアンクラのアクション形式に従って書き換えてみます。

行動概要
 マジクと共にロッテーシャの自室を捜索する。ロッテーシャには当然内緒。

目的
 ライバル道場の門下生の行動が許せない。なぜロッテーシャが連中を放置しているのかが知りたい。

リア予測
 大事なものは自分の部屋に隠すと思うので、ロッテーシャの部屋には彼女の事情が分かる何かがあるはず。

一次手段
 ロッテーシャの道場に入門し、訓練中に「ちょっとトイレ」と抜け出して、そのまま彼女の部屋を捜索。

二次手段
 ロッテーシャに見つかったら、「アンタがヘマするから失敗したんじゃないの!」とマジクをなじる。

今後の展望
 ロッテーシャから事情を聞き、悩みがあるなら解決し、彼女と協力してライバル道場の連中をギャフンと言わせる。


 たぶん人によっていろいろな答えが出ると思いますが、とりあえず僕はこんな風に当てはめてみました。別に正しい答えがあるわけじゃありませんし。
 こんなことして何の意味があるのかと言いますと、先述の通り、この時のクリーオウの「アクション」は成功しているわけです。すなわち、この作業は「成功したアクションの復元作業」であるわけです。音楽で言えば「耳コピー」のようなものかも知れません。
 とにかくこの「アクションの耳コピー」をすることによって、良質のアクションを作る技術はある程度高められるだろう、と僕は考えます。
 ちなみに「自分だったらこういうアクションを書いてこういう展開にするのに」というのは、「耳コピー」とは違いますので要注意。あくまで「すでにあるリアクションからアクションを復元する」のが「アクションの耳コピー」です。アレンジメントはまた別の(次の)話です。

 ところで、ここで一番「下手な」アクションは、「なんとか事情を教えてもらえるようロッテーシャを頑張って説得する」であることは言うまでもないと思います。説得材料が揃っているのならばその限りではありませんが、それにしたってあまり発展性は感じられません。


3月3日(日)

 あーあ、今日は「ひなまちゅり」じゃんかよ……。

 ええと、教育要綱のアホみたいな改訂を繰り返す文部省を見てて常々思ってたんですが、人間の個性ってのはものすごく複雑なプロセスを経て形成されるわけで、それを「週休二日」だの「ゆとり教育」だの「総合教育」だの「ボランティアの参加機会増加」だのといったもの「だけ」でフォローできるはずがないわけで。

 メイルゲームのスタートブックを見ると「アクションのかけ方」みたいなページがあると思います。そんなにいくつも見比べているわけじゃないので分かりませんが、とりあえず「デモンスリンガー」と、何故か持っている「斬影夜想曲(AIS)」のスタートブックには、そのものズバリの「アクションのかけ方」というページがありました。「アンクラ」のマニュアルにも「アクションのコツ」という項目があります。「エイボス・ニードル」と「太陽紀フロレンティア」のスタートブックでも、前出のものよりは少ないですが、アクトの書き方が紹介されています。
 それらの「アクション講座」には「多くのPCのためになる」「5W1Hがはっきりしている」「動機と目的と手段を明確に」「まずは自分のPCを好きになろう」などといった文言が並んでおるわけですが、物わかりが悪いせいか僕にはどうしてもピンとこないのです。そこで言われていることは確かに正しいような気はするのですが、ではそれをいざアクションに反映させよう、という段になると、「?」と首を傾げてしまうのです。

 ここで思い出したのは、黒板いっぱいに公式を書きまくる数学教師でした。一問の例題もなく、とにかく公式やら定理やら公理やらを板書するだけ。問題を解く練習をしてないもんだから、テストでいきなり問題を解けといわれてもまるでお手上げでした。ほとんど白紙で提出し、当然単位は落としました。
 先述の「スタートブックのアクション講座」は、これと似た状況にあるような気がします。「良いアクションの例」みたいなのが書いてあることもありますが、スタートブックの紙面が限られていることもあってその例は漠然としていて、本番ではあまり役に立たないのです。
 じゃあ運営サイドはもっと詳しいアクション講座を載せるべきだ、って言う人がいそうですが、はっきり言ってそんなのは無理だと思います。
 プレイヤーのプレイスタイルはそれこそ千差万別で、勝負にこだわる硬派なゲーマーもいれば、「NPC萌え萌え〜ん」な「ヌルい」プレイヤーもいて、リアクションの描写なんかどうでもよくって交流そのものが楽しいという人もいるし、とにかく自分のPCがそこにいるというだけで満足する隠者もいるのです。そんな人たちすべてに対応する「アクション講座」など、この世には存在し得ない(存在したとしても、六法全書なみに分厚く、大抵の人にとって大抵のページは不要という、非常に効率の悪い代物である)のです。
 さらに言うなら、オフィシャル側がアクションの「良い例」「悪い例」を挙げてしまうということは、それだけプレイヤーのアクションの幅を狭めてしまうことに他ならないのです。「悪い例」に挙げられていたようなアクションはなるべく控えようとするでしょうし、「良い例」として挙げられてしまったからこそ返ってその通りにはやりたくないと思う人もいるでしょう。とりもなおさずそれはメイルゲームの最大の特長である「可能性」を奪っていることを意味します。
 ならどうすればいいかというと、プレイヤー自身がどうにかするしかないのです。自分のプレイスタイルを理解し、そのプレイスタイルで活躍するにはどのような訓練をすればいいのかを自分で見つけ出し、自分で実践しなければならないのです。つまり、自分の「アクション講座」は自分で書く、ということです。物わかりの悪い人間は漢字の書き取りや計算ドリルを地味にガリガリやればいいし、要領のいい人はどんどん応用問題を(あるいはぶっつけ本番で)やっていけばいいのです。
 プレイスタイルは、言い換えればその人の「個性」です。学校教育の場で「個性を育てる」という言葉が形骸化していることからわかるように、個性というのは他人から、こと体制側から(直接的に)与えられるものではないのです。

 僕には「ロール型プレイヤー」と「ゲーム型プレイヤー」のどちらが優れているか、「読者参加型小説」と「小説型ゲームとしてのPBM」のどちらが面白いかかなんてことはわかりません。というかそれらは優劣をつけるべきものではないと思います。しかしどちらにしても、プレイヤーは常にスキルアップ(恋のスキルアップ!)していかなければならないことに変わりはありません。
 ちなみに僕のプレイスタイルは、どちらかというと前者(ロール型、読者参加型)であるような気がします。自分のPCがその世界の中で他の誰かと遊んだり喧嘩したりしながら楽しそうに生きて動いているのを見るのが、僕にとってのメイルゲームの魅力です。ヌルいです。けれどPCが楽しそうに生きて動くには、プレイヤーである僕がPCをうまく導いてやらなければならないのです。

 そんなこんながありまして、僕は「アンクラ」に期待しているのです。「アンタクティカ・クライシス」というゲームそのものだけでなく、「スキルアップを望むプレイヤーがいる」という事実にも期待しているのです。個性のあるプレイヤーさんが増えれば、それだけメイルゲームが楽しくなると思うからです。

 ところで、公立学校でさえ「進度別学習」なんてものを始める昨今、「メイルゲームは平等であるべきだ」って意見には、いよいよ空しい響きが漂っています。


3月8日(金)

 プレイヤーは、「チャンス」と「リスク」を持っています。大雑把に言えば、「活躍するチャンス」と「不採用になるリスク」です。
 ここでリスクを回避しようとするのは当たり前です。
 ですがリスクには「回避できるリスク」と「回避できないリスク」、更には「回避すべきではないリスク」があります。
 いちいち具体例は挙げませんが、何度かメイルゲームをプレイしたことのある人なら、何がどれなのか、だいたい見当がつくと思います。

 で、今日は何が言いたかったのかというと、ええと、「アンクラ」のQ&Aが楽しいことになっているなあ、ということです。
 とりあえずやってみればいいじゃん。マスターがその設定を認めたくなるような面白いアクションを考えればいいじゃん。それで失敗したって別にいいじゃん。自分にとって面白いアクションを書くことができた、それが一番大切なことじゃん。

※追記:「アンクラ」のオフィシャルサイトは、15日まで閉鎖するそうです。「休止」でも「沈黙」でもなく「閉鎖」。なんか意味深。かしこ。


3月10日(日)

 「アクションの耳コピー」について、ある人より「失敗したアクションの耳コピーをしてみるのも面白いかも」という指摘を頂きました、ので、さっそくやってみたいと思います、ってこの「〜したいと思います」って表現、景山民夫氏が嫌ってたなあ、そういえば。

 今回のネタは「魔術師オーフェン・無謀編 そのまま穴でも掘っていろ!」の「今さら期待はしてねえよ」から。
 別にオーフェンが耳コピーしやすいというわけではなく、いま読んでるのがこれなので。


《事前情報》
 ボルカンとドーチンは地人の兄弟である。地人とは背が低く無闇に頑丈であること以外はほとんど普通の人と変わらない。
 その二人がお腹をすかせてケーキ屋の前にたたずんでいる。ショーウィンドーの向こうでは女の店員がケーキのデコレートをしている。
 あのケーキが食べたい。しかし金はない。

《アクション》
 なんとかケーキを手に入れたいボルカンは、弟であるドーチンにケーキ強奪計画の概略を説明した。

「作戦は、こうだ。忍び込む。奪う。逃げる。まさしく理想的な計略だとは思わんか? なにしろ失敗の余地などない。さしもの俺様も、ここまでうまくいくとは思わなかったぞ」
「理想的すぎるような気がしないでもないけど」
「うむ。よってドーチン、計画を実行しろ。コツはカメレオンだ。俺様の予測では、体細胞に色素変化的な気合いを入れるあたりが奥義」
《リアクション》
 作戦を実行する前にキースという変態執事が何の脈絡もなく登場。ケーキをすべて買い占めて無差別ケーキ投げ大会を開催しようとするが思い直して取りやめる。
 さらにキースの元婚約者が現れ、キースに槍を向けて大暴れ。事態は全く収拾しないまま次のシーンへ。当然ボルカンたちはケーキを手に入れられない(多分)。

 いちいち解説するまでもないと思いますが、結局ケーキを手に入れられなかった(少なくとも手に入れたという描写はなかった)上に、実際に行動が実行されることもなく他のキャラの描写が始まり、しかもこのシーンは物語の展開上ほとんど意味がない(場つなぎでしかない)というわけで、かなり見事な失敗アクションです。
 「無謀編」は不条理コミカル短編なので、色々無茶な展開をします。が、考えてみればメイルゲームも結構そんな感じっぽいので、コミカルなシナリオに参加するときはわりと参考になりそうです。

 で、このアクションのポイント。
○動機は正しい。「お腹がすいた。だから目の前にあるケーキが食べたい」。
○行動内容がキャラに合致している。まっとうな方法(お金を払うとか労働するとか)でやろうとしない点がボルカンというキャラを物語っている。
×行動内容が具体的ではない。
×さらにその行動が成功する根拠が薄い。
×キャラが持っていない能力を求めている。地人はカメレオンのように姿を消すことはできない。

 注目すべきは二番目です。キャラロールを重視する(リアクションに描写されるのが嬉しい)プレイヤーにとっては、これこそが最も重要な点であると考えます。
 ある状況に直面したとき、このキャラならこうするだろう、という連想が浮かぶようになれば、これはもうしめたものです。
 たとえば、酒場で酔っぱらいが暴れていたら。山道を歩いていて倒木が道をふさいでいたら。学園祭でミスコンが開かれていたら。
 その時自分のPCは何をするでしょう? プレイヤーがアクションをいちいち考えてあげなければ、マスターはそのPCを描写できませんか?

「こういうキャラクターなら、こういう時にはこうするだろう」というのはある程度パターン化されています。
 オーフェンは何でもかんでも「光の白刃」で吹っ飛ばし、コギーはドジで失敗続き、キースは人の話を聞かないのです。
 社長はただただ強気に楽観視し、梅崎さんは「戦闘は火力!」と言い張り、姫萩さんはハンドルがあれば運転し、蘭堂さんは損益を計算し、高見ちゃんは現実逃避し(ふにゅううぅ)、田波君は酷い目に遭って「こんな会社やめてやるぅ」と呟くのです。
 特定の小説、マンガを挙げるまでもなく、蓮っ葉でちょっとヤンキー入った不良少女であれば、雨の日に道を歩けば捨て犬を拾うのです。絶対です。
 ええと、キャラ作成は今回のテーマではないのでこれくらいにしておきます。

 さて、「失敗したアクション」というのは、先に挙げたポイントを満足していない可能性が高いです。
・なぜその行動をするのか。その動機が弱い。「なんとなく」「興味本位」では、困難な事態に対応できない(しようとしないはずである)。
・行動内容がキャラの性格とかけ離れている。ぶっきらぼうなキャラに「親身になって相談する」という行動はそぐわない。
・行動内容が具体的ではない。「なんとか頑張る」「とにかく調べる」「誰かに話を聞く」
・その行動が成功する根拠が乏しい。「テロリストでも料理でもてなせばきっとわかってくれるはずです」
・行動にキャラの能力が伴っていない。特殊設定などで能力を取得していたり、リアクションで描写されたわけでもないのに「○○流究極奥義で暗殺者を成敗」
 しかしこれらのアクションをかけても魅力的になる場合があります。たとえば「何かから逃げ回っている子供をなんとなく興味本位で手助けしたものの、生来の面倒見のよさがたたってついずるずると引きずり回されてしまう」なんてのはある種ステロタイプですが、ステロタイプだからこそマスターに「このキャラはこういうキャラです」というのを手っ取り早く理解させることができると思います。

 折角なのでこのポイントを前回(3月2日)のクリーオウの行動に当てはめてみます。
・クリーオウは好奇心が強く、さらに困っている人を見ると首を突っ込まずにはいられない。
・「結果よければすべてよし」がクリーオウの信条である(と僕は思う)。だから「ロッテーシャの部屋を無断で調べる」というのは彼女の主義に反しない。
・ロッテーシャの道場に弟子入り(体験入部みたいなものだが)し、訓練中に抜け出せば誰にも気付かれずにロッテーシャの部屋を調べられるだろう。
・『だいたいね、なにかを隠すとなると、誰でも自分の部屋に隠そうとするものよ』
・やっていることは普通のガサ入れなので、特別な能力は必要ない。

 他にもポイントはあるだろうし、「個性的なアクション」にはほど遠いですが、練習ってのはこんなもんだろうと自分を慰めつつ。


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文責:並丼