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PBM覚え書き

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6月9日(日)

 アクション耳コピー
 上遠野浩平「わたしは虚無を月に聴く」(徳間デュアル文庫)から。


《事前情報》
 醒井弥生は、未来(のようなもの)から来たという少年、コーサ・ムーグと出会う。
 少年が言うには、弥生のいる世界はとある機械いよって作られた偽装幻影であるという。そんな話を聞いている間に、漫画家であり弥生の知人でもある妙ヶ谷幾乃が二人を攻撃してくる。
 なんとか攻撃をかわしたところで、少年は「幾乃(ヨン)はこの世界をも守る保護プログラムで、いわば侵入者である僕を攻撃しているんだ」と言う。コーサのそばにいる限りは弥生も危険にさらされ、幾乃の持つ「消去銃」によって消されていしまうかも知れない。

《アクション》
 今まで漫然と生きてきた自分と、明確な目的を目指している少年とを比べて、何かしたいと考えた弥生は命がけで幾乃を説得することにした。

「……ま、待って!」
 わたしはコーサをかばって、ヨンの前に両手を広げた。
「は、話を聞いて! この人は──」
「あなたは騙されているのよ、弥生さん」
 ヨンの声には容赦がない。
「こいつの半分は、もう虚空牙に浸食されているのよ。人類とはもはや相容れない天敵なのよ」
「それは違います! この人は虚空牙と共感して、それで──」
(中略)
 その時にはもう、わたしは動いていた。
 彼を反対に、どんと突き飛ばして、そしてすかさず銃口を彼に向けるヨンに向かって、走って──
《リアクション》
「────!?」
 ヨンは自分の失策に気づくのが一瞬遅かった。
 手遅れだった。
 もう引き金を引いてしまっていた。だがその時には突然に体当たりしてきた弥生によって射線軸はずらされていて、光線はそのまま……
(し、しまった……!)
 ……弥生の身体を貫いていた。
 胴体のど真ん中に穴を開けられた少女の身体は、そのまま吹き飛んで、校庭の上に投げ出された。
 ごろごろと転がって、停まって、それきりびくとも動かなくなる。

 リアクションからすると弥生は死んでしまっておるのですが、それでもコーサをヨンの攻撃から守り、コーサの次の行動を助けています。いわゆる脇役としての活躍かも知れません。とはいえ実際は弥生は主役ですし、コーサもあとでヨンの攻撃を受けて消去されてしまうのですが。
 とまれ、「調べる」「話を聞く」などと並んでよくあるアクションであるらしい「説得する」に関するヒントにはなるかしらん?

 説得アクションでは、自分の正しさを論理的に証明することに気を取られて、行動することを忘れそうですが、論理的な正しさよりも、「そのキャラにとっての正しさ」を強調する方が重要だろうし。
 自己犠牲ってのはなかなか難しくて、やりすぎると本当に死んでしまうし、かといって「防弾チョッキ的なものを着ているから光線を受けても大丈夫」とか「できるだけ急所は外れるようにする」とかいう中途半端な逃げ道を作っておくのも格好悪いような気がする。
 どうせならすっぱりと「身を挺してでもコーサを逃がす」とだけ書いておいた方が潔いような。確かに死ぬのは怖いけれども。


6月12日(水)

 Globe on Fightを買いました。それと同時期にMOTHER2も買ったのですが。

 コンピュータゲームとメイルゲームの違いは

「繰り返し可」
「繰り返し不可」

 に集約されるのだと思います。
 GOFにせよMOTHER2にせよその他いかなるコンピュータゲーム(ネットワークゲームは除く)にせよ、負けたらやり直せばよいのです。
 負けた理由を分析し、時には練習することで、時にはレベルを上げることで、今まで倒せなかった相手が倒せるようになります。
 今まで倒せなかった敵、すなわち自分にとっての強敵を倒すことで、プレイヤーは満足感を得られます。
 最初から最後までなんの苦もなくクリアできてしまうゲームは、たとえ面白かったとしても、それは「コンピュータゲームの面白さ」ではないと思います。

 で、GOFではプレイ中に偶然出た(説明書に載っていない)技を探したりもしておるのですが、これは繰り返しプレイが何度でも可能であるからこそできることです。
 そうでなければ(あるいは一プレイごとに課金等されるのであれば)、ただ技を探すためだけに一プレイ(あるいはもっと)を費やすとは思えません。ゲームセンターの新台では格ゲーマニアがそーゆー暗中模索をやっているかも知れませんが、ごく少数派です。

 メイルゲームでは、失敗したからやり直し、というわけにはいきません。もし可能だったとしても、他にすでに成功した人がいれば、当然不利になります。
 何度も同じ挑戦をして上達する、ということもできません。これは構造的なものであり、致し方のないことだと思います。

 それでも、コンピュータゲーム的な面白さを、メイルゲームに持ち込む──「移植する」とでも言うべきか──方法はないものだろか、というのが昨今の命題。
 コンピュータゲームの面白さは、言い換えれば「上達する面白さ」であるわけだし。

 コンピュータゲームでは、繰り返しが可能だからこそ難易度を高くできる──高くしても、多くの人がクリアできる。
 しかしメイルゲームにおいては難易度を上げてしまうと、往々にしてそのような難関を素早くクリアできるプレイヤーは限られてしまう。
 また、判断するのが常に人である以上、その難易度が公平ではない──公平であると信じさせるのが困難である。
 暗中模索についてだが、コンピュータゲームであれば確かに偶然によって何かが発見できるかも知れない。
 メイルゲームにおいて、「当てずっぽうの捜し物」は物凄く成功率の低い行動であり、ただの徒労になる可能性が高い。そしてこの「徒労に終わる=無力感」というのは、メイルゲームプレイヤーが最も嫌う事態ではないだろうか。
 無力感を感じさせずに失敗させる、つまりは「今度こそ!」と思わせるのが、コンピュータゲームの面白さをメイルゲームに「移植」するにあたって、まず必要なことかも知れない。

 それはそうと、今まで何となく疎遠にしてしまっていた「月姫」ですが、GOFをやってるとだんだん欲しくなってきました。どうしよう(恋に落ちてしまいそう)。


6月30日(日)

 言いたいことをいまいち言い表せておらずどうにも歯がゆい12日の覚え書きです。
 「無力感を感じさせずに失敗させる」ってあなた、別に失敗させることが目的ではありませんですよ。失敗しないで済むならそれに越したことはないのですから。
 だから「意義のある失敗にすればいい」というのは、それ自体は間違っていないのですが、僕の言いたかったこととはちょっと違うのです。

 もう6年近く前になりましょうか、リーフの「フィルスノーン」をプレイしたときのこと。
「ああ、RPGだなあ」
 というのが一番の感想でした。
 「どこそこの街の婆さんにこれを届けてくれ」だの、「この洞窟を抜けるにはつるはしが必要だ」だの(こんなイベントがあったのか記憶は曖昧ですが)、あちこちの街を行ったり来たりさせられるイベントがてんこ盛りでした。
 でも僕はこのゲームがとても好きです。何かイベントにぶつかるたびに「ええと、力持ちの男はどこにいたっけな」とか、「このアイテムを欲しがってる市長がどこかにいたよな」とかいうようなことを思い出しつつ、時には見当違いな場所に行ったりしながらようやく辿り着いたときの達成感。
 ちなみにここでの「見当違いな場所に行く」というのは、それ自体は徒労です。意義があるとすれば戦闘を重ねた分レベルがちょっと上がるとか、その場所のことがちょっと記憶に残るとか、それくらいのことかと。
 この手のゲームの難点は、プレイ間隔が開いてしまうと、そういった細かい情報を忘れてしまうことです。固有名詞が横文字だったりすると特に忘れやすかったりして。

 で、メイルゲームは基本的に一ターンのスパンが一ヶ月。たとえば三ターン前に出した情報が必要ともなると三ヶ月も前の話。すっかり忘却の彼方である可能性大です。
 さらには、その間に別のシナリオから移動してきたPCもいるでしょうし。

 ……ううむ、僕が移植したかった「コンピュータゲームの面白さ」って、なんだったんだろう……?
 とりあえずMOTHER2やりながらもう少し考えてみることにします。


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文責:並丼