日本のあらゆる価値が洗いなおされたのが「明治時代」といえます。
徳川封建時代が崩壊し、近代ヨーロッバの文明が押しよせると、日本のあらゆる価値基
準が揺るぎます。ここで、改めて、存在価値を失うもの・見直されるもの・或は近代文明との 融合によって意味を見出すものなど、新たな価値基準が構築されていきます。
廃仏毀釈を初めとし仏教もその荒波を受けるのですが、真宗大谷派(東本願寺)もその
例に漏れません。
もともと東西分派(戦国時代の終わりから江戸時代初期に、もともと一つの本願寺が東本願寺と西本願寺にわかれたこと)
において、東本願寺が京都に堂宇をかまえ、御真影(親鸞聖人の御木像)を安置することが できたのは、徳川家康の庇護(政策)が大きく影響しています。
そのような中で、幕府の庇護がなくなり全ての価値観が問いなおされる中、はたして真宗
大谷派(東本願寺)という教団は存続の価値があるのか。つまり、真宗の教えは混乱の 時代に応えることができるのかが、厳しく問われました。
さらには、教団内部の問題として、元治元年1864の「蛤御門の変」の戦火で焼失した
両堂(御影堂・阿弥陀堂)を初めとする堂宇を、いかに再建するか、また、それに伴う巨額の 借財をどう返済するかという問題も抱えていました。
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