伊東静雄「反響」
小さな手帖から


    都會の慰め

 
 商人らは映畫を見ない  夕方彼らは
 
 たべ物と適量の酒と冷たいものをもとめる
 
 事務所で一日の勤めををへたわかい女が
 
 まだ暮れるには間のある街路をあゆむ
 
 青葉した並木や燒跡ののびた雜草の緑に
 
 少しづつ疲れを囘復しながら
                      よる
 そしてちらとわが家の夜の茶の間を思ひ浮べる
 
 そこに歸つてゆく前にゆつくり考へてみねばならぬ事が
 
 あるやうな氣がする
 
 それが何なのか自分にもわからぬが
 
 どこかに坐つてよく考へねばならぬ氣がする
 
 大都會でひとは何處でしづかに坐つたらいゝのか
 
 ひとり考へるための椅子はどこにあるのか
 
 誰にも邪魔されずに暗い映畫館の椅子
 
 じつと畫面に見入つてゐる女學生や受驗生たち
 
 お喋りやふざけ合ひから――お互の何といふことはない親和力から
 
 やつとめいめいにひとりにされて
 
 いぢらしい横顏 後姿
          もとで
 からだを資本の女達もまたはいつてくる
 
 岸の崩れた掘割沿ひの映畫館  かれらはそこで
 
 暮れ切るまでの時を消す
 
 暗いなかでもすぐに仲間をみつけて
 
 何かを分け合つては絶えず口に入れる
 
 かれらは畫面にひき入れられない  畫面の方が
 
 友人のやうにかれらの方に近よつて來る
 
 そしてかれらは平氣で聲をあげてわらふ
 
 事務所づとめのわかい女は
 
 かすかな頭痛といつしよに映畫館を出て來る
 
 もう何も考へることはなくなつてゐる
 
 また別になんにも考へもしなかつたのだ
 
 街には灯がついてゐて
 
 彼女はただぼんやりと氣だるく滿足した心持で
 
 ジープのつづけさまに走りすぎるのをしばらく待つてから
 
 車道を横ぎる




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