種田山頭火

『山頭火句集』(村上護編)より (ちくま文庫:1996年12月5日 第1刷発行)
『草木塔』QTView版
  鉢の子
  其中一人
  行迄途上
  山行水行
  旅から旅へ
  雑草風景
  柿の葉
  銃 後
  孤 寒
  旅 心
  
 
『山頭火 句集(四)』山頭火文庫4より (春陽堂:2000年7月1日 第6刷発行)
『草木塔』以後
  昭和十四年九月〜十二月QTView版
  昭和十四年十二月〜昭和十五年QTView版

*注:一部ルビがふってありますが、ブラウザのフォント設定によっては、ルビがずれて表示されることがあります。ルビがずれている場合は、お使いのブラウザの「表示」→「フォント」から、フォント設定を調節してご覧下さい。


ひとりごと
 自由律俳句というのは、俳句と言うより散文詩だな、と読むたびに思います。正直な話、俳句として読むのは抵抗があるのですが、詩としてなら好きなものが沢山あります。  種田山頭火の句をはじめて読んだのは、多分、就職してから2〜3年目くらいの頃だったと思います。ひょっとしたら、学生時代に読んでいたのかもしれませんが、少なくとも記憶には残っていません。
 私の場合、自分の限界というのが見えて来たのに伴って、山頭火の句に引かれて行ったように思います。山頭火の自己の弱さを自覚しつつも、それを自己修復できない弱さや、酒に溺れた破天荒な生活ぶりというのは、正直に言って、あまり好きではありません。けれど、自己の弱さも醜さも、全てを肯定したところから来たのだろうと思われる“潔さ”や、「やつぱり一人がよろしい」と言ったあとで、「やつぱり一人はさみしい」と考え直す“素直さ”に、読む毎に心を揺すぶられる想いがします。


種田山頭火(たねだ・さんとうか)〔1882〜1940〕について
  • 漂泊の生涯と独特な自由律俳句(五音・七音の音数形式や一七字の形式、季語にとらわれないで自由に読んだ俳句)によって知られる俳人。本名正一。
  • 1882(明治15)年12月3日、山口県に生れる。早稲田大学文学科中退後、1913(大正12)年より自由律俳句の荻原井泉水に師事、《層雲》で活躍した。その後生家の破産や父弟の死にあい、1925(大正14)年に熊本報恩寺にて得度。翌年より西日本を中心に生涯にわたる行乞流転の旅に出る。1939(昭和14)年9月末日に四国遍路の旅に出、同年12月、松山市城北の御幸寺境内の納屋を改造、“一草庵”と名付けて住み始める。1940(昭和15)年、四国松山の一草庵にて10月10日に句会を行い、その翌朝に脳溢血で死亡。享年58歳
  • 句集に《草木塔》、紀行文集に《愚を守る》などがある。


『草木塔』について
 1940(昭和15)年4月、東京の八雲書林より発行された自選句集。1925(大正14)年の得度以後から1939(昭和14)年9月までの701句からなる。
 1932(昭和7)年から1940(昭和15)年までに刊行された経本仕立ての7冊の小句集(「鉢の子」「草木塔」「山行水行」「雑草風景」「柿の葉」「孤寒」「鴉」)を1本にまとめ、改稿及び追加削除を行った一代句集。

『草木塔』以後について
 1939(昭和14)年10月から亡くなるまでの約1年間に読まれた山頭火の句作は、ほぼ未定稿のままで残された。ここに載せた物は『山頭火全集』(春陽堂書店、昭和61年刊)を底本として「山頭火文庫」の編集部が選び、年代順に配列したもの。
 1939(昭和14)年12月から1940(昭和15)年の句は、山頭火の死後、1941(昭和16)年8月に刊行された紀行文集『愚を守る』の俳句編「松山時代」によるもので、“一草庵”に住み始めて以後のもの。

[文車目次]