【汎用性の高さがコミュニケーションを制する時代――昨今注目の高まる“コミュニ
 ケーションスキル”と、ポストモダン的状況の関係についての一考察(3)】2006.01/24


 このテキストは、こちらの続きです。未読の方は(1・文化ニッチ編)から順にどうぞ。


  現代社会のような文化ニッチ細切れの状況においては、人は、手助けしてくれる
 共通基盤や共通理解が乏しいままにコミュニケーションを行わざるを得ないことが
 多い。よってそうした共通項が乏しい状態でも通用しやすいようなスキル・スペックが
 今まで以上にコミュニケーションの可否を左右する要素として重要になると先のテキ
 ストで述べた。では、共通項が乏しい状態でも通用するスキルやスペックは一体どの
 ようなもので、どういう条件を満たすスキルやスペックこそが“コミュニケーションスキル
 /スペック”という名に相応しいと言えるのだろうか?このテキストでは、そこに焦点を
 あててみたいと思う。その後、幾つかの補足を付け加えたうえで、いったんテキストを
 区切ろうと思う。



 【“コミュニケーションの基軸通貨”たる条件を満たすもの】

  コミュニケーションスキル/スペックは、その性質上、文化的ニッチの如何に関係なく
 二者の間をとりもちコミュニケーションの円滑化・最適化を助けるものでなければなら
 ない。どのような対象であれ、自分がコンタクトをとりたいと思う対象に対して『出来る
 だけ好ましい印象を与え、出来るだけ伝えたい情報を的確に伝え』、『出来るだけ
 不信感や不快感を与えず、出来るだけおかしな情報伝えないようにする』機能を果た
 さなければならない。アニメオタクには有効でも、公園デビューする若奥様に通じない
 ようなスキルやスペックは、基軸通貨としての条件を満たしているとはとても言えない

  よって、コミュニケーションスキル/スペックと呼ぶからには、コミュニケーションを
 とろうと思う対象すべてに対して有効に機能するような情報伝達形式や情報そのもの
 でなければならない。また、異なる文化ニッチに属する対象から誤解や不快感を被る
 ことを極力回避できるものでなければならない。例えば“清潔感の提示”などは、貧弱
 ながらもコミュニケーションスキル/スペックとしての要件を十分満たしていると言える
 だろう。なぜなら清潔感は、世代や性別や文化に関係なく万人が求めるものであり、
 それが阻害されると殆どの場合疎まれやすくなるからである(初対面時は特に決定的)
 対して、“釣りの上手さ”はコミュニケーションスキル/スペックと呼ぶことは出来ない。
 なぜなら、現代においては魚釣りの上手さは釣りマニア以外の多くの人にとっては
 割とどうでもよい事であり、マニアやプロ(漁師・あるいは漁村の人達)だけが評価軸
 として用い得るものだからである。

  このような考えを極限まで延長すると、最も普遍的で汎用性の高いコミュニケーション
 スキル/スペックはホモ・サピエンスという動物種に普遍的なものだろうという推測に
 行き着く。文化や時代に関係なく流通し、共通基盤や共通理解の有無に関係なく
 通用する非言語中心のプリミティブなコミュニケーションスキル/スペックなら(それ
 こそ言葉の意味すら専門用語混じりで通じにくいポストモダン的状況下の)異文化間
 のコミュニケーションにおいても常に有効で、故に重要視されるだろう。文化ニッチ
 の細切れ化・人的流動性の拡大によって、会話内容、ことにセンテンスそのものの
 内容だけに頼って相互理解や相互確証を持つことは益々困難になってきている今、
 相手の所属文化ニッチの確認すら困難な状況下で、限られた時間・場面で有効な
 “異文化コミュニケーション”を行おうとする場合、言語という“バイト数の少ない情報”
 だけに頼っては、相手がどのような人間なのかや相手が何を考えているのかを把握
 するのは非常に難しい。しかも、言語は文化ニッチ断絶の影響でどこまで通じるか
 怪しいとすれば、身振りや表情などのプリミティブな非言語コミュニケーションが相互
 の情報出入力を補完する手段として重要になってくるのも当然の成り行きではない
 だろうか。

  互いの表情や声音、姿勢、身なり、目つき、などの非言語コミュニケーションは、
 その多くがホモ・サピエンス共通の“情報媒体”であり、国や地域や時代により若干の
 違いこそあれど、基本的には全人類に共通のものである(ましてや現代日本に限れば
 殆ど共通と言い切って構わないだろう)※1。プリミティブな非言語コミュニケーション
 スキル/スペックは、文化ニッチ断絶の有無に影響されず、付き合いの長さにも関係
 なく通用するし流通する。怒っている人を見て喜んでいると思う人はいないし、泣いて
 いる人を見て爽快そうだと思う人もいない。共通理解や共通基盤の少ない相手との
 コミュニケーションにおいて、流暢に非言語メッセージを入出力出来る人はそうでない
 人に比べて大きなデータバスを確保して情報をやりとりすることが出来る※2し、その
 単位時間あたりのデータ量(あるいはバイト数)たるや、センテンスだけに依った言語
 コミュニケーションとは比較にならない。しかも、言語と違ってプリミティブな非言語の
 データ出入力は文化ニッチ断絶の影響を殆ど受けないのである。付き合いが浅く
 文化ニッチの異なる相手と、限られた時間でコミュニケーションをしなければならない
 場面においては、通文化的な情報データバスを短時間で太くより精密に確保出来る
 人間が優位に立ちやすいのは当たり前であり、そのためにはセンテンスとしての言語
 の入出力技能だけでなく、様々な非言語コミュニケーションの能力が求められよう。
 俗に「場の空気を読む」と呼ばれる一連の機敏も、純粋なセンテンスレベルの言語
 コミュニケーションに依る部分よりも、それ以外の経路で入出力される非言語コミュニ
 ケーションに依るところが大きい。そしてこの非言語コミュニケーションを読み切れない
 者には「空気読めない奴」という称号が与えられ、意に介さない者には「天然」という
 称号が贈られるのだ!

  そして現代都市空間においては(ビジネスやオフ会などにみられるように)、付き合い
 が浅く文化ニッチにズレのある他者と、短時間で出来る限りマシなコミュニケーションを
 構築しなければならない場面があちこちで頻繁に発生するのである。都市化の進行と
 携帯電話・インターネットなどのテクノロジー進歩はこうした機会をますます増加させて
 おり、 “お互いの基軸通貨となり得る”コミュニケーションスキル/スペック抜きには
 とてもじゃないけどコミュニケーションが円滑に進行しない状況が頻発するようになった。
 文化ニッチのバラバラな者によって営まれるこの手のコミュニケーションシーンに
 おいては、相手を選ばず親密さも問わない汎用性の高いコミュニケーション能力の
 質と量が問われる。即ちホモ・サピエンスに普遍的なコミュニケーション能力――
 多くは非言語コミュニケーションで占められ、短時間で情緒レベルでの距離を埋める
 のに向いている――がどれだけ達者なのかが問われることになるのである。
 頭が良い人も悪い人も、秋葉原のアニメオタクも六本木のお嬢さんも、初対面の人も
 十回目の人も、人類共通の最もプリミティブなコミュニケーション能力は相手を問わず
 必ず通用するし、通用するからこそポストモダン的状況においては非常に重宝する
 ことになると思われるのだ。それを持つ者と持たざる者、富める者と貧しい者の機会
 格差のなんと大きいことか!


 【補足:そのほかの、コミュニケーションを補佐するスキルや機能について】

  ちょっと脱線するが、最もプリミティブな人間共通の部分以外の機能・技能・知識に
 ついても触れてみる。“標準基軸通貨”たるプリミティブなコミュニケーションスキル/
 スペックほどの汎用性は望めないにしても、幅広い文化ニッチにまたがって有効な
 様々な機能・技能・知識は、ポストモダン的状況下においてもある程度までコミュニ
 ケーションを補佐してくれるだろう。例えば食・グルメに関する知識は相当広い文化
 ニッチ所属者が関心を抱き得る分野なので、食・グルメの話題や知識は共感や理解
 を短時間で促進する材料としやすいかもしれない※4。技能面でも、「さしすせそ(裁縫・
 しつけ・炊事・洗濯・掃除)」などは汎用性が高いうえに多くの人が興味を抱き得るので、
 比較的広い対象とのコミュニケーションにおいて潤滑油として機能しそうである※5
 食・グルメにせよ「さしすせそ」にせよ、あるいはネコや犬の話題にせよ、あらゆる
 文化ニッチ所属者に絶対に通用するというわけではない。しかし他の多くの話題に
 比べればこれらは幅広く通用する可能性を秘めており、よってコミュニケーションに
 おける“準基軸通貨”としての利用価値があるかもしれない

  ファッションもまた、完全ではないにせよ自分の属する世代(時には全世代)に対して
 汎用性の高いコミュニケーション補助効果をもたらすかもしれない、僅かではあっても。
 流行と対立しないようなファッションは、そのファッションが有効な世代に対して流行に
 対立しない期間だけ有効となる。もちろんファッションに関しても文化ニッチ細切れの
 ポストモダン的状況はみられ、様々なブランドの乱立に象徴されるとおり万人にとって
 最高のファッションというものは存在しない。だが、万人に対して「あれ、私の好きな
 方向じゃないけどなんとなくいいなぁ」とか「少なくとも悪くない」という印象を与え得る
 スタイルは存在するかもしれない※6。同世代の日本人なら誰が視てもそこそこ良い
 印象を受ける(または悪い印象を回避しやすい)スタイルは、限られた少数に強烈な
 印象を与えるには不向きかもしれないが、幅広い対象に対してそこそこの効果を得る
 には向いている。限られた対象に対して強烈な効果を狙うのか?それとも汎用性の
 高い服飾をとるか?これはケースバイケース&人それぞれだろうが、ファッションの
 方向性のなかに文化ニッチを問わない(効果こそ微弱だろうが)汎用性の高い一群が
 存在することには、着目する価値があると思う

  こんな感じで、広い文化ニッチにまたがって有効な機能・技能・知識は文化細切れ
 状態下のコミュニケーションシーンにおいて役立つかもしれない。プリミティブな非言語
 コミュニケーション能力に比べれば汎用性や柔軟性に欠けるかもしれないが、それら
 の技能はある程度の範囲の文化ニッチにまたがって有効で、見知らぬ相手との会話
 において話を合わせる具になるかもしれない。また、これらはプリミティブなコミュニ
 ケーションスキル/スペックに比べて努力によって獲得しやすいという点でも着眼に
 値する。コミュニケーションスキル/スペックが非言語コミュニケーションを多く含み、
 (顔面の形態や認知機能の特性のように)先天的要素や幼少期の環境の影響を被る
 とすれば、後天的学習によって十分獲得可能なこれらの“準基軸通貨”はコミュニ
 ケーションスキル/スペックが不十分な人達がコミュニケーションの不得手をカバー
 する一手段として精通する価値があるかもしれない。


 【補足2:非言語コミュニケーションに求められる、即時性の問題】

  付け加えるが、汎用性の高いコミュニケーションスキルがどうこうといったところで、
 対象&自分の観察結果に合わせてリアルタイムに対応を変更するフレキシビリティ
 がなければお話にならない事は付け加えておく。リアルタイムのコミュニケーション
 シーンにおいては、中心話題、各人の気分や思惑、疲労の度合いなどは刻一刻と
 変化する。特に情緒的で非言語レベルの交流や評価は、その時その瞬間の相手の
 状態に即した情報出入力を行わなければ、橋渡しがなかなか成立しない(これは、
 相手の呼吸に合わせる・周囲の空気に合わせるという極意に通ずるものだと思う)
 
  よって、特に情緒レベル・非言語レベルを介したコミュニケーションにおいては、
 即時性を可能とする素早さ・フレキシビリティの有無が極めて重要になってくる事に
 留意しなければならない。センテンスはともかく、感情や疲労などの次元においては
 人間の状態(ステータス)はめまぐるしく変化する。それらに合致したコミュニケーションを
 的確にこなすには、各人の状態や場の流れ(呼吸・空気)を素早く把握し自分の情報
 入出力をフレキシブルに変化させる能力が要請されることだろう。実際私の知る限り、
 コミュニケーション巧者はいずれも即応性に優れており、本を読むような速度でしか
 対応出来ない人間がコミュニケーション巧者であった試しが無い

  面識が浅く文化ニッチが異なる人間とプリミティブな非言語コミュニケーションを
 展開していくには、非言語コミュニケーションの速度に追従するための即応性を
 セットで要請されることを付け加えておく。よって、現代都市空間におけるコミュニ
 ケーション巧者は、情緒レベルの非言語コミュニケーションを扱い、場の空気や相手
 の呼吸に対する即応性を持った人間が多くを占めると推測されるのだ※7。トロトロ
 しているようで、現代コミュニケーションシーンの質と速度に応えきれないことだろう。


 【総括】

  以上、ポストモダン的状況といわれる文化ニッチ細切れ状態の進行と、それと同時
 に起こっているコミュニケーションスキル/スペックへの着目の関係について書いて
 みた。また、コミュニケーションスキル/スペックとして要請されているもののなかに
 プリミティブな非言語コミュニケーションスキル/スペックが多く含まれる事とその理由
 についても書いてみた。要旨をまとめると、以下のようになる。

 1.現代都市空間のポストモダン的状況においては、文化ニッチが細切れ化・蛸壺化
 している。地域社会の結びつきは希薄になり、他方、テクノロジーによって物理的距離
 の問題は解消された。これらが相まって、共通基盤・共通理解を持たない対象と一から
 コミュニケーションをこなさなければならない場面が増加している(それが無理な人間は
、文化ニッチの蛸壺に閉じこもることになる)。特にビジネスや男女交際などの分野に
 おいてはこの傾向は顕著であり、文化ニッチの断絶を克服出来ない者は競争力の
 大幅な低下を余儀なくされるだろう。

 2.このような文化ニッチの細切れ化と物理的距離の解消を受けて、多様な文化ニッチ
 住人の間を橋渡しするような“基軸通貨”がコミュニケーション場面において求められ
 るようになる。初対面や未知の対面が増え、旧い付き合いが後退するこの状況では、
 相手を問わず短時間で可能な限り親しく正確なコミュニケーションを営める能力が要請
 され、昨今流行の“コミュニケーションスキル/スペック”はまさにこの要請を満たすもの
 と期待されているれる。

 3.限りなく細分化し、お互いの共通理解・共通基盤が希薄なポストモダン的状況に
 おいて“基軸通貨”たりえるコミュニケーションスキル/スペックとは、あらゆる人間が
 最低限の共通基盤として持っている(&期待されている)ホモ・サピエンスに普遍的な
 非言語コミュニケーション・情緒的コミュニケーションと想定される。コミュニケーション
 スキル/スペックと持て囃される“空気を読む力”なども、実際これに合致しており、
 視覚・聴覚などの言語以外の情報経路も介した、多元的なアプローチによって
 コミュニケーションは補佐されることになる(今後一層そうせざるを得なくなる)

 4.センテンスレベルの言語コミュニケーションに非言語コミュニケーションが加わる
 ことによって、大きなデータバスをコミュニケーションの出入力に用いることが可能に
 なり、コミュニケーションや対象評価を多角的に遂行することが可能になる。他方、
 言語以外のチャンネルを情報出入力の手段とする能力には個人差があり、リアル
 タイムで対象の状態や心境を把握・対応出来るだけの即時性やフレキシビリティも
 同時に要請されることだろう。


  以上の1.〜4.がある程度合っているとするなら、それらを様々な現象に当てはめて
 みると面白い考察が出来るかもしれない。また、ポストモダン的状況が一層進行した
 将来の展望も一部呈示出来るかもしれない。だが、このテキストはあまりに大きくなり
 すぎてしまったため、各論的なdiscussionはまたの機会とし、いったん筆を置くことに
 しよう。オタク研究サイトの手前、1.〜4.を踏まえて“文化ニッチに閉じこめられる
 オタク達とその未来”についてテキストを書きたくてウズウズしているが、それも今度
 の機会ということで。


 汎用性の高さがコミュニケーションを制する時代、以上――2006.01/24
 →(1・文化ニッチ編)
 →(2・スキル編)
 →(3・総括と補足):本テキスト


 →adjustment studyのページへもどる
 →汎用適応技術研究トップにもどる

 ★今後以下のようなdiscussioを計画していますが、力尽きたので後日にします★
 【文化ニッチの檻に閉じこめられたオタク達】
 【コミュニケーションスキル/スペックと性差、今後予測される相対的な男性の後退と女性の進出について】
 【適応に要するコストの上昇と、過剰適応&適応障害の関係について】
 【ポストモダン的状況と、それに伴うコミュニケーションスキル/スペックの台頭が
  もたらす未来を展望してみよう】




 【※1基本的には全人類に共通のものである】

  人間の非言語コミュニケーションはどこまで通文化的で全人類に共通のものなのか?
 については、進化心理学・進化生物学の重要なテーマのひとつとして追求されている。
 目下のところ研究は途上の段階にあり、まだまだ判明していない事だらけだが、多くの
 非言語コミュニケーションシグナル(表情など)が通文化的でホモ・サピエンスに普遍的
 なものと考えられている。従来、文化依存的または非本能的・非本性的と考えられて
 いた幾つもの行動や現象が、通文化的で人間の遺伝形質に関係しているとする説が
 近年さかんに発表されている。

  多くの人達の反論・批判はあるものの、私は進化生物学関連の研究成果を重要視
 しており、21世紀の科学・思想などに大きな影響を与えると考えチップを賭けることに
 している。もし進化生物学の学説が(かつての社会進化説の愚行を犯さず)適切な論証
 と知見を重ねることが出来たなら、人間を題材としたあらゆる学問や文化に大きな影響
 を与えるに違いない。

  進化生物学関連の人間に関する入門書籍としては、進化と人間行動(長谷川寿一・
 長谷川眞理子著)をお勧めする、というか私はまずこれを読むよう勧められた。
 興味のある方は、まずこの本をご一読のうえ以下の本などをご覧になっては如何
 でしょうか。

 適応技術と関連した分野の進化生物学の書籍としては、以下など如何でしょうか?
 心の進化――人間性の起源を求めて(松沢哲郎:編)
 なぜ美人ばかりが得をするのか(ナンシー・エトコフ:著)
 人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り(ジャレド・ダイアモンド:著)

 また、普遍性云々や文化依存的/通文化的の問題は、癖の強い本がお望みなら、
 スティーブン・ピンカーによる難癖が面白いかもしれない(この本は主張が行きすぎて
 いるような気がする。注意!Amazonの書評を読み比べましょう)。この分野の書籍の
 大半を実家に預けてしまったせいで、今すぐ参照出来ないことが歯がゆい限りだ。





 【大きなデータバスを確保して情報をやりとりすることが出来る※2】

  センテンスとしての言語だけから情報を入出力するよりは、声音をも評価に含めた
 情報の出入力のほうが、対象の言わんとしている事や対象の思惑を多角的に検討
 (入力)する事が出来る。また、対象に伝えたい事を多角的に伝達(出力)することが
 出来る。しかも、声音というのは音楽のように音の大小・高低・ビブラート・抑揚などを
 伴うため、単位時間あたりのバイト数としてはセンテンスの言語onlyよりも遙かに多く
 の情報をに脳に入出力する事が出来る。勿論、そういう自覚を持って声音を入出力
 している者にとっては、の話だが…。

  ここに視覚的情報が加わるとどうなるか?相互コミュニケーションは一層多角的と
 なり、情報の出入力は激しくなる。もちろんこのような激しい情報出入力の程度・限界・
 偏りには明確な個人差があり、先天的素養と後天的訓練によってまちまちだろう。
 世の中には相手の視覚的情報から「せいぜい喜怒哀楽ぐらいしか」読み取れないor
 読み取らない人もいれば、嘘の有無・価値観・社会的ステータス・パーソナリティなど
 の傾向まで嗅ぎ付ける人もいる。また、自分自信の必要性や疲労に応じて情報
 出入力のデータバスを大きさを意識的に広げたり狭めたり出来る達人も存在する。

  ちなみに、[センテンスとしての言語]に[聴覚]や[視覚]を追加していく如く、情報出入力
 のバリエーションを増やすほどデータバスを大きくすることが可能になる。その極北に
 位置するのは性行為であり、閨房は個人情報の恐るべき交換所としても機能し得る
 (それが可能な男や女にとっては)閨房においては、味覚・触覚・視覚・聴覚・嗅覚が
 全て非言語コミュニケーションのデータ経路として機能する。非言語情報量の多い
 この場において嘘をつくことは至難の業だし、逆にそれでも嘘をつけるなら恐るべき
 ステルス性を誇ることになる。五感全てで情報を漏らす男達は、あらゆる本音や本性
 を女達に暴かれ、ステルス性能の高い悪女はベッドの上で可憐な嘘をまき散らす
 いやいや、恐ろしい限りです。




 【様々な非言語コミュニケーションの能力が求められるだろう※3】

  所謂「場の空気を読む」といわれる機敏も、純粋なセンテンスとしての言語コミュニ
 ケーション以外の経路でやりとりされる非言語コミュニケーションに依るところが大きい。
 というよりも、言語は建前で本音は非言語という現象が現代日本ではあまりにも多い。
 海外ではどうなのだろうか?この辺りは、日本文化固有の特徴とみなしたほうがいいの
 かもしれない。海外ではセンテンスとしての言語コミュニケーションは日本におけるソレ
 よりもしっかり機能するんでしょうかね?海外に疎い私には、ちょっとわかりません。
 (海外で非言語コミュニケーションが流通していないなんて言うつもりはありませんよ)




 【※4短時間で促進する材料としやすいかもしれない。】

  故に、話題や知識を共有するばかりか体験の共有をも可能にする会食や飲み会は、
 異文化コミュニケーションにおいて極めて重要な一シーンと位置づけざるを得ない
 オフ会にせよ外交交渉にせよ、異文化の交わるところには食の共有が催されるという
 現象は、私の論法においても(勿論それ以外の多くの論法においても)道理に適った事
 として捉えることが出来る。ここにアルコールが加われば、一層お互いの垣根を低く
 して交流することができるのだ。




 【※5潤滑油として機能しそうである】

  このような「さしすせそ」がコミュニケーションの具として有効なのは20代後半以降の
 既婚男女が中心だろう。特に女性の場合、独身であっても話題としてのぼりやすい
 洗濯・掃除は服装に影響を与えるため、その技量がファッションや衛生面にも影響を
 及ぼしやすく、話題云々抜きにしてもコミュニケーションシーンに僅かながら影響を
 与え得るスキルと言えるだろう。身だしなみを不潔にすることがコミュニケーションの
 場面で失点になりやすい現代コミュニケーションシーンでは、洗濯・掃除は多くの人が
 気を配る分野なので、会話のなかでこうした話題にちょっと触れるのは比較的“安全”
 と考えられる。

  さらに進んでお互いの家を訪問するような近しい仲になった場合、これらのスキル
 はより一層問われることになる。炊事、掃除、などのスキルは日常を快適かつ豊かな
 ものにするうえで必要不可欠なものであり、伴侶選びの際などには無いよりはあった
 ほうが喜ばれやすく、“ちゃんとできる人”という印象を与えやすいだろう。




 【※6与え得るスタイルは存在するかもしれない】

  実はこの点に関してはユニクロという選択肢はなかなか抜け目がない。ユニクロで
 「格好良い」感覚を与える事は困難だが、ユニクロは無難ではあっても汎用性が高く、
 安価な投資によって「誰に対しても無難」というニュートラルな評価を呈示する事が
 出来る。加えて女性モノのレパートリーのなかには幾らかのアクセントを含んだ商品も
 存在しており、よってその価値は決して侮れない。

  ただ残念ながら、(2006年現在の)思春期まっただ中の男女においては、服装は
 「ニュートラルではなくプラスの評価を」という競争圧力が思いのほか強く、このため
 ファッションを巡る状況はインフレ気味である。特に大都市圏ではこの傾向は顕著で、
 ユニクロではアベレージより下になってしまいやすい(少なくとも男性モノはリスクが大)
 よって大都市圏でユニクロを運用すると「街のアベレージよりは下の服飾」という印象
 を確実に与えてしまうリスクを負う事になる。もちろん田舎ではまだまだ十分だが。

  この、都市圏における思春期男性が「見た目の強化」に狂奔する状況もまた、彼ら
 が現代コミュニケーションシーンを乗り切る為にコストを強要されているという文脈で
 捉える事が可能だ。だが、彼らのファッションインフレ現象にはそれ以外の幾つかの
 要素が介在しているとも私は疑っている。この疑問はこの疑問で注目すると面白そう
 なテーマだが、今回は紙幅の都合で諦める。




 【※7多くを占めると推測されるのだ。】

  実際、私が知っているコミュニケーション巧者は、その技量が卓越している者ほど
 即応性と情緒レベルの入出力に長けている。これは若くてピチピチしている者だけに
 言えることではなく、歳とった達人や落ち着いた態度の人間についても合致している。
 私の知っている年輩の達人はとても落ち着いた人だが、場や情緒の把握は常に的確
 で、発せられる言動は即時性が高く場の雰囲気や呼吸に配慮したものであった。
 その人は歳ゆえに情報出力の速度こそゆっくりだが、その精度と即応性には微塵の
 翳りもみられない。だからこそ、あらゆる立場の人と素早く親しくなれるのだろう。