【“スキル”から“スペック”へ――コミュニケーションスキルという語彙の問題】
 2005.08/19

  ちょっと面倒なことになった。というか、ここが年貢の納めどきか。

  “コミュニケーションスキル”という単語が、はてなのキーワードに遂に登録
 されてしまった。しかもネット界一般で使用されている意味にかなり近い。
 blog界やビジネス界で用いられる“コミュニケーションスキル”という語彙の
 意味は以前から何となく決まってしまっていたような気がするが、はてなの
 キーワードに書かれているものは、そうした意味の最大公約数としてバランス
 のとれたものだと思う。さらにGoogle検索の結果などを調べてみる事を通して、
 この語彙がどんなニュアンスで流通しているのかを改めて私は認識した。


  このサイトは、オタクや男女の社会適応についてまとまらない考察を延々と
 繰り返してきたが、開設当初のコンセプトは“コミュニケーションスキルを
 何とかすれば、オタクだって侮蔑されずに生きていける!”というものだった。
 脱オタにまつわる諸テキストは、まさにこのコミュニケーションスキルの向上を
 目論んで書かれたものだったわけだが、自分が“コミュニケーションスキル”
 という曖昧な語彙にどんな意味を込めているのか、あまり自覚的ではなかった。
 2000年当時の私は未だコミュニケーションスキルという言葉にネットや書籍で
 出会う事もなく、“コミュニケーションを円滑に進める為の汎用技術の総称”
 として当サイトのキーワードにしてしまった。

  しかし、自分自身も脱オタを推進しながら議論を進めていくうちに、すぐに
 問題にぶちあたることとなった。“コミュニケーションスキル”とはいうものの、
 実地で円滑なコミュニケーションに要請されるファクターは、果たしてどこまで
 “スキル”という名に値するのか?“スキル”という単語の意味は、技能・熟練
 という意味を持っている。ファッション、身だしなみ、敬語、語彙力、姿勢制御、
 相手の立場を想像する、等々に関しては、確かにコミュニケーション“スキル”
 という語彙がよく似合う。トライアンドエラーを重ねながら修得に励めば、少し
 づつなりとも技能が向上していきそうな印象を受ける。殊に、スキルという
 語彙だけでなく“技術(テクニック)”と表現され得る一部分野に関しては、
 ハンダごての使い方やパスタのおいしい茹で方と同様、マニュアルを作って
 その通りに覚えて貰えば誰でもマスターすることが出来る。

  ところが、サイトを更新しながら実地でコミュニケーション※1の研鑽を続け、
 患者さん達のSST(social skill training)に取り組んでいくうちに、どうやら
 ある程度汎用性のある適応を達成するにはコミュニケーション“スキル”
 だけでは駄目なのではないかと感じるようになっていった。或いは、コミュニ
 ケーションの可否を決定づける要素として、“スキル(技能、熟練)”という
 言葉だけを論議するのは片手落ちと感じるようになったと言うべきか。

  このため、自サイトで用いる“コミュニケーションスキル”の定義は、次第
 に“スキル”という単語に似つかわしくない因子をも含んで膨れていった。
 具体的には、“性格傾向”“経済力”“知的機能や学習上の素養(おそらく、
 ある程度まではIQというモノサシで推定出来る)”“人的ネット”“体格”“自信”
 などに接近しないと、オタクの社会適応や男女交際の成否を推定出来ないと
 考えるようになり、それらを整備・向上させていく事もコミュニケーション上手に
 なるうえで重要と考えざるを得なかったのである。技能・技術・熟練というターム
 が実に不似合いなこれらの要素だが、現実には残酷なほどにコミュニケーション
 に影響を与えている。殊に、侮蔑されやすいオタク達が思い悩むようなコミュニ
 ケーションシーンにおいては、これらの要素達は決定的な影響を与えがちなの
 ではないか?そもそもが、トライアンドエラーを推進出来るか否かやトライアンド
 エラーの効率を規定するのも、これら“甚だスキルっぽくない”要素ではないか?
 “スキル”という単語のよく似合う要素(ファッション、敬語、相手の立場を考える
 癖など)を手にする為には、“スキル”という単語の似合わない要素を考慮して
 いく必要がある事を、私は実地で痛感させられたのだ。※2

  したがって、はてなキーワードで書かれている「対人関係を円滑に進める
 技術を指す」という表現や、コミュニケーションスキルの“スキル”という修辞
 が不似合いな諸要素を含めて考察していくには、最早コミュニケーション
 スキルという単語に頼れないと判断するしかないと思う。コミュニケーション
 に関連していて、且つ“技術”“スキル”という単語の似合いそうな諸要素に
 関しては、今後も遠慮なくコミュニケーションスキルという単語を用いていこう
 と思う。だが、このサイトでコミュニケーションスキルとか技術群と呼んでいた
 際に意図していたような、“技術”“スキル”という単語が似合わなそうな諸要素
 を含んだシロモノを考察の対象としていきたいと思っている以上、何か別の
 表現を用意しなければならない。『コミュニケーションスキルと関連要素群』?
 いや、これではあまりにも長ったらしい。名が実をあらわすような一言の語彙
 を用意しなければやってられない。

  そこで考えた言葉が、“コミュニケーションスペック”だ。コミュニケーション
 の成否を規定する要素群を総体として呼ぶ場合には、スペックという言葉が
 よく似合う。“コミュニケーションスペック”と呼ぶなら、コミュニケーション
 スキルも含めた、その人が持っているコミュニケーション関連要素群の
 総体としての仕様を指すことができる。そう考えたのだ。

  これなら、コミュニケーションスキルの意味を含みつつも、その他の諸要素
 を無視せず取り込む事が出来る。姿勢・ファッション・学習能力・バストサイズ・
 出身地・趣味・食生活・文化も含むような広い要素群を指すには、コミュニ
 ケーションスキルという語彙は最早適当ではない。よって、コミュニケーション
 スキルの上位概念に相当するものとして“コミュニケーションスペック”という
 単語をこのサイトでは使用していこうと思う
 このサイトで書かれたテキストにおける“コミュニケーションスキル”の用法は、
 実際は殆どが“コミュニケーションスペック”に該当する上位概念を指しているので、
 ニュアンスの違いについて警告したうえで、今後少しづつ書き換えていく予定。


  場の空気を読む・相手の要求を的確に把握し、それに対してきちんと答える
 という営為は、“スキル”“技術”という単語の似つかわしくない諸要素を少な
 からず含んでいる。男も女も、上司も部下も、“スキル”“技術”という単語が
 相応しくない要素をアナライズしながらコミュニケーションを行っているのが
 現状ではないか。そして個人の短〜長期的適応を規定する要素のうち、
 “スキル”“技術”と表現出来る要素はどの程度の割合を占めているだろうか?
 狭義のコミュニケーションスキルは、確かに男女交際やビジネスの場で大いに
 役立つし、引きこもりのように極度にスキル不足になるのは致命的だとは思う。
 だが、スキルや技術でコミュニケーションの成否が全て規定されるわけでないし、
 さらにそのスキルや技術をどれぐらいの効率でどれぐらいまで獲得出来るかも
 「コミュニケーションスキルという言葉が似合わない要素」によって強く規定され
 がちだ。やはり、狭義のコミュニケーションスキルだけへの着目は片手落ちの
 印象を拭えず、より広範な要素群をひっくるめた語彙も必要ではないだろうか?

  よって私は、ネット上で使われているコミュニケーションスキルという単語の
 上位概念として、コミュニケーションスペックという語彙を暫定的に使用して
 いこうと思う。これに該当するもっと便利な語彙を誰かが用意してくれるなら、
 すぐにそれに乗り換えてしまおうとも思うが、今のところ良い奴を見たことが
 無い※3のでとりあえず、コミュニケーションスペックを使っていこう。どうも、
 コミュニケーション“スキル”に着目しすぎると『スキルや技術にさえアクセス
 すれば誰でも何でも出来る』『上手くいかないのはスキルが足りないせいで、
 つまりお前の努力不足』といった議論が発生してしまいそうで怖い。よって、
 コミュニケーションスキルという言葉を包含する上位概念にも着目し、
 “スキル”“技術”がいかにも不似合いな、あの要素群を無視しないように
 努めていく次第である。

 (論者諸氏皆も実際は意識してますよね?>スキル以外の諸要素
 語彙上の問題だけですよね?)


 ・補足:コミュニケーションスペックとコミュニケーションスキルの具体例

コミュニケーションスキル
の一例
姿勢制御
ファッション
言葉の選び方・語彙力
語学力
相手の立場を想像する癖
場に合う表情
コミュニケーションスペック
の一例
姿勢制御、体格、身長
ファッション、顔面の形態、バストのサイズ
言葉の選び方・語彙力、言語性IQ
語学力、現在いる場所に対する出身地
相手の立場を想像する癖、動作性IQ
場に合う表情、空気嫁(の一部)
パーソナリティ、経済力、文化的ニッチ、年齢etc

 こんな風な意味をコミュニケーションスペックという語彙に託しています。


 補足:動作性IQと言語性IQとは?

  ちなみに動作性IQ(PIQ)、言語性IQ(VIQ)というのはいわゆる知能検査に
 おいて算出される下位尺度である。言語性IQは【知識、類似、算数、単語、
 理解、数唱】から、動作性IQは【絵画完成、絵画配列、積木模様、組合せ、
 符号】から評価される。トータルIQがどんなに高くても、バーバルなコミュニ
 ケーションを構成する言語性IQ(構成要素群)とノンバーバルなコミュニケーション
 を下支えする動作性IQ(構成要素群)が低ければバランスのとれた適応は達成
 しにくくなる。実際の知的機能検査(WAIS-R等)を見る限り、言語性IQに含まれる
 諸項目は学習によって向上しそうな要素を多く含むが、動作性IQに含まれる
 諸項目は学習してもあまり変化しなさそうなものが多い。

  精神科における知的機能検査の印象では、学力や進学校進学率、合理的
 思考能力などは言語性IQの高低と相関している印象が強く、コミュニケーション
 や社会適応、空気嫁などは言語性IQの高低と相関している印象が強い。
 他にも細かい事を色々説明したい気もするが専門的すぎるのでここまでに。


 知的能力の測定に関しては、こちらの説明が比較的まとまっていて良いかと。
 IQというモノサシは、知的能力を評価する唯一神ではないが、一つのモノサシ
 としては有効なモノサシだと思って私は一定の役割を期待している。


 →adjustment studyのページへもどる

 →このサイトのトップにもどる



【※1実地でコミュニケーション】

  コミュニケーションとは何か?そういえばこの単語もまた、意味を確認する
 ことなく使っている事が多いような気がする。私が最も気に入っている
 コミュニケーションの定義として、

 “行動学で言うコミュニケーションとは、他個体の行動の確率を変化させて
 自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである”
                     ジャレド・ダイアモンド博士の言葉より

 を挙げておこうと思う。人間に当てはめて言い換えるなら、

 “対人コミュニケーションとは、他人の行動の確率を変化させて、自分または
 自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである”

 となるだろうか。コミュニケーションスキルとは、このプロセスを成功させたり、
 大失敗に至らないようにする為の技能を指すことになる。



 【※2私は実地で痛感させられたのだ。】

  いや、本当に私だけだろうか?
 いわゆる脱オタ成功者達、即ちコミュニケーションスキルの不備を挽回して
 侮蔑されるオタクからそうでないオタク(または非オタク)になった人達の多くが
 最低限の素養を持っていた点について、私は思いを馳せずにいられない。
 当サイトの症例検討では、症例1〜症例4に至るまで、コミュニケーション
 スキルこそ低い状態にあったものの、性格的な問題点や、容姿の致命的
 ハンディなどは背負っていない。それどころか、知的水準の高さや容姿の
 アドバンテージ、若さや性格的な良さなど、何らかのアドバンテージを隠し
 持っていたケースばかり揃っているような気がしてくるのだ。控えめに言っても、
 彼らはコミュニケーションスキルこそ極端に低かったものの、苦境から挽回
 する為の諸要素(まさにコミュニケーションスキルという単語が似合わない
 諸要素)においてはそれほど不利ではなかったような気がするのだ。

  毒男板用語集の用法を借りるなら、彼らは毒男類イケメン科か毒男類
 フツメン科に属し、知的機能・若さ等のディスアドバンテージも少なかった
 可能性が高いと推測される。少なくとも毒男類ブサメン科では無かった、
 と表現出来るだろうか。
 参照→こちらの「ど」を調べて下さい



【※3今のところ良い奴をみたことがない】

  結構使われていて、なおかつしっくりしたものがあれば流用させて頂きたいの
 だが、本当に見たことがないような気がする。唯一近いかもしれないと思った
 のは、古典的な表現“コミュニケーション能力”である。“能力”という表現なら、
 先天的な素養や形態学的特徴を含めた要素をカバー出来るので、“技術”
 “スキル”といった表現よりは私の要請に合っている気がする。だが、実際
 には経済力や社会的ニッチや趣味などもコミュニケーションを左右する要素
 として無視出来ず、それらは“能力”という言葉がしっくり来ない。故に、殆ど
 どんな要素であっても包含できるコミュニケーションスペックという語彙を
 暫定的に選ぶことにしたのである。