【コミュニケーション教育として、SSTの可能性を考えてみる】2005.03/15


 ・はじめに

  先日、Lovelesszeroさんをぼんやり巡回していたら、こんなお話が紹介
 されていた。 

競争原理をよりいっそう教育現場に取り入れろということか。競争の対価を
として得るものがなんなのか昔より不透明になったからこそ、競争から降りる
若者が増えているのだと思うのだが。競争の先の希望を提示できないなかで、
旧来の構図そのままの競争に駆り立ててもよけいにドロップアウトする若者を
増やすだけのような気がしてならない。

                                   (引用元:オリーブの牧枝さま)

  中山文科相が、「教育現場における競争が足りないからニートやフリーター」
 が大量発生しているんではないかとコメントした事に対して、批判的な見解が
 示されている。主催者yodakaさんは、文科相が想定しているような競争(学力
 だのスポーツだのなんだろうか)が激化することには疑問を表明し、より曖昧な
 コミュニケーション上の競争こそが問題とされるとほのめかされていた。

  では、そのコミュニケーション上の競争が想定されるorコミュニケーション
 上の不足・格差が想定されるとして、それをどう是正するなり補うなりすれば
 良いのだろうか、という疑問がすぐに沸いてくるだろう。以前、Lovelesszero
 主催・秋風さんは以前、“義務教育の一環としてのコミュニケーションに関する
 教育”に言及していたが、実際、それは可能なのだろうか?また、可能だと
 すればどのような形のものになるのだろうか?この問いは私自身、個人の
 適応能力の向上という観点からも興味を持っていたが、敢えて答えることを
 避けていたような気がする。

  なぜなら、個人の適応を向上させるという命題を解決する最適解と、集団の
 適応を向上させる・格差を解消させるという命題を解決する最適解は、異なって
 いるのではないかという気がしてならないからである。故に、私のサイトのオタク
 の適応能力向上の為の方法論はいずれも、悩みを持った個人だけを対象とした
 ものであり、集団を対象としたものではあり得なかった。うちのnerd study
 書いてあることは、個人の脱被差別オタには示唆的かもしれないが、集団に
 対して(ましてや教育の現場で!)適用可能なものかというと、疑わしいと感じて
 いる。この疑わしいと思う点については、後続のテキストにて。


 ・それでも集団を対象とした方法論は存在する。例えばSST。

  とはいえ、集団のコミュニケーションスキルを向上させる方法論が、私の
 身近に転がっているので今回紹介・考察してみようと思ったわけである。
 今回例としてとりあげたSST(social skill training)は、精神科リハビリテーション
 の一手法として用いられるもので、集団で行われるソーシャルスキル向上の
 為の方法である。これを候補として、より拾い領域でも流用出来るのか否か
 について、その可能性や問題点についてまとめていく。

  精神科で行われるこのSSTというリハビリテーションは、統合失調症などの
 精神疾患を罹患し、ソーシャルスキルが落ちた(或いは育たなかった)患者さんを
 対象とした社会適応能力向上の為の手法である。対人コミュニケーション技能
 も含めた、様々な生活技能の獲得を目標としている※1。獲得目標となる技能
 は、円滑な会話・対人関係上の問題解決の手法、買い物や外食・公共交通機関
 の利用の手引きと実習など多岐にわたる[→別表1] が、これら全てを逐一指摘
 ・アドバイスしながらやっていくのは量的に困難なので、大きな問題や、教唆的な
 問題に的を絞りながら行われていく事が多い。指導者がただ講義をすればいい
 というものではないので、実際に患者さん同士でロールプレイをしてみたり、
 時には外出して実地で体験を重ねて貰ったりしながら様々なソーシャルスキル
 を身につけてもらう。SSTを中心とした広汎な活動・治療を通して(この中には
 薬物療法も含まれる)、最終的には、患者さんが自分ひとりでも会話したり、
 余暇を過ごしたり、地域生活に再参加できるようにすることが目標となっている。

  SSTには幾つかの長所があるが、そのなかでも強調したいのは簡便さだ。
 狭義のSSTに絞ってならば、専門家一人に対して複数人を対象にすることが
 できる。もちろんこれは、質的に比較的近いウイークポイントを抱えた患者さん
 が集まった場合に限っての話なのだが、実現した場合、コミュニケーション上の
 問題が起こった時に複数の患者さん同士で問題点をシェアしたり、話し合ったり
 することができる事ができる。これは、マンツーマンのやり方に比べて遙かに
 効率的なうえに、専門家然とした押しつけがましさを排除して、その場にいる者
 同士で問題点を抽出・認識するような雰囲気をつくりだす事もできる。

  またSSTを通して、医療スタッフや家族は、患者さん(或いはクライアント)
 コミュニケーション上の問題点や弱点について認識を深めることが出来る。
 SST内で起こった具体的な会話や外出時のインシデントを通して、苦手なもの
 を避けて通りがちな患者さんの問題点を把握しやすくなる。例えば入院中の
 患者さんの場合、医者や看護師が大抵の問題に気づくと思う人もいるかもしれ
 ないが、必ずしもそうではない――入院中とか外来診療中ってのは、限定された
 状況下でしか患者さんと会うことができない――ので、病院の外で初めて問題
 に遭遇するという事も少なくない。診察室とか病棟では気づき得ない問題を
 抽出するチャンスが得られるのもSST(とそれと関連した精神科リハビリ
 テーション)の長所として挙げられる。このような長所は、精神科の患者さん
 からより広い層に対象が拡大した時にも役立つものではないかと思われる。


 ・SSTの問題点

  しかし、SSTにも幾つもの問題点がある。とても現状では満足のいく成果が
 あがっているとは言えず、効果にも限界がある。それを少し挙げてみると、


 1.集団相手の場合、個人個人の異なったニーズに対応しきれるか否か。
  コミュニケーションの技能がそれほど障害されていない人・相当に障害されて
 いる人・異性だけがダメな人、などなど問題点が様々なのは精神科とて同じ。
 マンツーマンではなく、集団と対象としているが故に、個々のケースの問題に
 焦点を合わせることはSSTだけでは困難である。ただし、SST単体では
 どのみち時間もやれる事もたかがしれているわけで、細かい部分については
 担当医や家族、地域のスタッフなどが歩調を合わせることによって、より個別的
 な対応は可能となりうる。よって、これはまだ何とかなる可能性の高い欠点だ。


 2.教えられる事は実際には限られている
  別表1を見て、大変素晴らしいとはみないで、玉虫色の空論じゃないかと
 勘ぐった人もいるかもしれない。その通りで、実際に、これらの問題を全て
 逐次伝えて学習に組み込むことなど出来はしない。別表1に書いてある事は
 理念としては適切だが、実践の対象としてはあまりに広汎且つ曖昧なもの
 なっている。また、個々の技能について指摘し、その技能を向上させる事は
 出来ても、それら個々の技能をどう使い分けていくのかという問題に対して
 SSTが具体的な手法をどこまで示せているのか、甚だ怪しいものがある。
 2ちゃんねるで言うなら、「空気嫁」に該当するような微妙なニュアンスのような
 ものを判断・把握する能力は、SSTのような方法論でどこまで伝達・学習できる
 のか、疑問を感じざるを得ない。そして悲しむべきことに、「分からないなら、
 分からないまんまでいいんだよ」という言葉でごまかしのきかないような能力も、
 この中には含まれているような気がするのだ。


 3.効果は本人の意欲によって影響を受ける(家族などの意欲も含めて)。
  SSTというよりは、学習というもの全般に存在する大きな問題。あらゆる学習
 プロセスは、意欲がなければ十分な効果を発揮しにくい、という問題がある。
 嫌々の参加でも若干の効果があるかもしれないが、大きく効率は落ちるだろう
 し、SSTの場全体のモチベーションも低下する。そもそも長続きする筈が無い。
 さらに、SSTやそれに関連した生活全般のトレーニングに関わるスタッフ・家族
 ・担当医などの意欲もこれに影響を与える事が多い。特に、本人と一番長く
 接している家族が社会技能訓練を許容しない立場をとっている場合や、「お前
 は薬だけ飲んで一生入院してろ」みたいな態度をとっている場合、SSTは
 本人にどう映るだろうか。或いは、社会技能を改善させるというスローガンが
 どう映るだろうか。ちょっと想像してみて欲しい。


 4.効果は本人の能力によって影響を受ける(家族の能力も含めて)。
  また、潜在的な能力によって、学習を通して獲得される能力は大きく異なる
 というのも、学習という営みには避けて通れない課題である。例えば特殊な
 認知機能障害が存在するケース(広汎性発達障害・一部の統合失調症など)
 場合、コミュニケーションに関連した一部の能力が極端に欠落している事がある。
 こういった実際の脳の障害によって発生している障害に関しては、障害されて
 いる機能を学習に補おうと思っても、それに対応した脳の機能が無いならば
 普通は補う事が出来ない。その欠落を他の機能で代償する為の試みもあって
 然るべきだが、大幅に高い(時間的・精神的・金銭的)コストを余儀なくされて
 しまうわけで、この遠回り自体が大変な負担となる事は覚悟しなければならない。
 現状の精神科のレベルではケース数自体が少ないので、こういった試みを行う
 余地はまだ残っていることもあり、広汎性発達障害にはそのようなアプローチが
 しばしば有効だが、対象が広い場合にはそうもいくまい。

  広汎性発達障害のような例は極端にせよ、個人の学習能力は向き不向きや
 出来不出来は常にまちまちである。SSTの効果もこの影響を受けざるを得ない
 のは忘れてはならないだろう。実際のSSTを見ていても、同じ程度の意欲で
 あっても、スキルアップの効率は個人によってかなり違う



  ・こんなSSTを、精神科の外に持ち出すとしたら?想像してみる。

  以上のような長所と弱点を持ったSSTを、精神科の外に持ち出してコミュニ
 ケーション教育として採用するならどうなるかを考えてみよう。むろん、精神科と
 同じ内容ではまずいので何らかのアレンジが必要だと思うが、とにかく外に持ち
 出すとしたら、どんな事が出来るだろうか。

  まず、SST単体持ち出しに関しては、他のより大規模なコミュニケーション
 トレーニングの方法(精神科デイ・ケアや社会復帰支援施設)に比べて設立が
 容易かもしれない。常勤でスクールカウンセラーがいる学校※2なら、スタッフを
 補ったり訓練したりする必要もあまり無い。スクールカウンセラーの臨床心理士
 が担当して、教室や教室外実習でやればいいのだ。勿論、実施に際して授業
 時間をどこかからひねり出す必要が出てくるだろうが※3金銭的なコストも、
 スクールカウンセラーがいる限りではあまりかからないし、外から心理士を
 呼んだとしても比較的マシなコストで済むというメリットがある。SSTを実施
 する場所自体は教室でもいいし、教室の外に出て実習してもいい。

  内容はどうだろうか。コミュニケーションを円滑に行う訓練としては、精神科に
 おけるSSTよりも対象年齢を意識した造りで、疾患によるハンディを取っ払った
 内容にアレンジされるべきだろう。どうせ沢山の時間が割けるものとは思えない
 以上、内容は基本に限られるだろうが、コミュニケーションにおいて、より相手
 に伝えやすく&相手から伝わりやすくする為の方法(これには、おそらく身振り
 やアイコンタクトといった非言語コミュニケーションの表出と解釈が含まれる)
 大きな問題として取りあげられるべきだろう。精神科SSTと比べて器質的・
 脳機能的ハンディの少ないことをメリットとして、精神科SSTよりも高度な
 内容を取り扱う事が期待できる。例えば、男女差の問題や男女間コミュニ
 ケーションは精神科SSTでは大きなテーマとしてあまり採りあげられにくいが、
 実際に二次性徴以降の男性と女性は随分と異なるコミュニケーションを得意と
 していく事などを考えると、相互理解・相互伝達のトレーニングの一環として
 男女間コミュニケーションについてSSTを行うのは意義があるような気がする。
 それが、ごくごく初歩的で、(良くも悪くも)ステロタイプを呈示するようなものに
 なっても、である。性同一性の問題を尊重しつつも、現実にありがちな男女間の
 様々な相違や問題について話し合い、イニシエーションの契機を最低限は確保
 する事は、多くの若い男女にとって建設的な営みのような気がする。尤も、
 余程上手に実施しない限り、別の多くの男女にとっては馬鹿らしいカリキュラム
 になりそうだが…まあ、それはここではおいておこう。

  家族との参観や面接においても、SSTは何らかの役割を担いうる可能性は
 あるかもしれない。一般学習面以外の問題に関しても、学校の先生方はかなり
 把握をしたうえでご家族と話し合っていると私は信じている(たい)が、異なった
 状況・異なった試みのなかで問題を発見・改善したり出来る可能性はない
 だろうか。特に、学校の先生が気づかない事や臨床心理士や精神科医の
 視点から(スクリーニング的なレベルでではあるが)指摘する事が出来る場合、
 一層このメリットは間違いなくあると思われる。スクールカウンセラーを持った、
 贅沢すぎる学校でなければ実現不可能な話だが、そこまで出来るなら、学校内
 の精神科的問題を有した児童・生徒をスクリーニングする機能も獲得出来る
 のでとてもいい感じだ。ただ単に生徒全体のコミュニケーション教育を行うに
 留まらず、精神疾患の専門家に紹介しなければならないケースの早期発見
 にも繋がるならとても便利そうである。

  と、例えばでよさげなポイントを挙げてみたが、実際にこれが実現可能な
 ものなのだろうかというと、やっぱり怪しいような気がする。まず、スクール
 カウンセラーをはじめとする心理職・精神科医といった人材ををどこから確保
 するのか。多くの地域では心理職も精神科医も足りていないわけで、スクール
 カウンセラーを確保するのはかなり大変な筈である。彼らの雇用コストもかなり
 高いのが現状で、実際に予算を確保出来るかというと怪しいところだ。一部の
 私立ならともかく、国公立では簡単には手が出ないのではなかろうか。

  次に時間の問題。ゆとり教育がここまで叩かれ、そうでなくても私立では思い
 っきり授業時間たっぷりの情勢下で、いったいどの時間帯に「コミュニケーション
 教育」をねじ込ませるというか?愚かな私には、見当もつかない。運動会や
 修学旅行、社会見学といった、本来SST的役目を少しは担っているものを削って
 充てろという話になりそうな悪寒がする。授業や学校行事と競合的に時間を
 奪い合う(ついでに予算もか)ような光景を想像すると、そこまでのコストを
 「コミュニケーション教育」に投下する前段階として、相当な効果エビデンスを
 呈示できていなければなるまい。よしんばコミュニケーション教育が十分な
 効果エビデンスを獲得したとて、競合する授業や行事を削ってどこまで時間が
 充てられるのか?

  さらに、もしも心理・精神系の専門家がどうしても雇えず、やむなく教職員が
 SST的指導を代行するとするならば、いったいどれぐらいの負担とトラブルが
 発生するのか、という問題もある。どれだけ臨床心理士や精神科医を量産
 しようとしたところで、学校全てをカバーする人数が集まるとは到底思えない
 のでこういうアイデアも浮かんでくるわけだが、これはこれで一つのハードルに
 なりそうだ。果たして、何とかできるのだろうか。

  学校は素人の私でさえこんなに問題を提起できるのだ、現場の先生なら
 よりシビアで大胆に指摘出来るんじゃないだろうか。SSTのような、精神科の
 技法のなかでも簡便なものでさえ、導入へのハードルはとても高く厳しいような
 気がする。ついでに言えば、精神科医がどこまでこういった「病院に来ない、ごく
 普通の子供達」とか「ニートには非常になりそうだが精神疾患に罹患しそうには
 ない子供達」とかに関心があるのか、或いは介入や発言を許されるのか、にも
 疑問を呈しておかなければならない。導入そのものの具体的なハードルばかりで
 なく、教職界や精神医学界の問題、やんごとなき人達の意図・モチベーションが
 絡んでいるのもたぶん間違いなく、下っ端の私には見るのも難しいハードルが
 実際は幾つも隠れていそうだ。これらを超えて、SSTに類似した手法や代替
 手法が導入され得るのか、可能性を云々しているうちに目眩がしてきた。

  またそもそも、こういったコミュニケーションスキル向上の方法を本当に学校が
 担当すべきなのか、という事にも常に疑問を挟んでおく余地がある。文の都合で
 私は学校という場を想定して書いてきたが、実際は幼稚園、家庭、地域(都会に、
 子供や大人が認識しうる“地域”と呼べるものがあるのかは私の知るところでは
 ないが)、保健所、塾※4、などなど他にも担当すべきor担当が得意そうな組織
 があるかもしれない。きりがないので深く言及はしないが、学校という組織・
 立場が、そもそもコミュニケーション教育というものの責任の主体となるべき
 なのかに関しても、(もし実践されるなら)盛大な議論が起こって然るべきだろう。
 いや、既に起こっているところでは起こっているか。ただし、建設的な議論では
 なさそうではあるけれど。


 ・おわりに

  今すぐに思いつくコミュニケーションスキルの普及方法として、精神科SSTを
 想定した方法について考えてみた。実行が可能か否か、実行出来るとして
 どんな事が実際に可能か、実行に際しての課題は何かについて考えてみたが、
 一定の効果が見込めるものの実行はかなり大変そうだと改めて痛感した次第
 である。精神科SST・それに類するものは、幾つかのハードルを越えれば実行
 可能と推定されるが、お金やその他色々の問題もあって、ハードルは高く険しい。

  また、SST的技法においては、少なくとも精神科SSTのレベルではコミュニ
 ケーションスキルのなかでも限定的なエリアに対して限定的な効果を持つのが
 現状であり、その傾向を踏襲するならば学校等で行うSSTも、コミュニケーション
 スキルの中でも限定的な分野に対してのみ効果を有するものと思われる。
 故に、空気嫁のような微妙なニュアンスが、本当に必要な人に本当に必要な
 形で行き渡るのかについては疑問が残るため、過度の期待は禁物だろう。

  このように、「無理じゃないかもしれないけど、それなりにコストがかかって、
 しかもコミュニケーション教育が可能な範囲は限定されているよ」という、
 ごく当たり前の見解が、この長々しい文章の身も蓋もない結論である。
 いや、なんとなくこうなるんじゃないかとは思っていたけど、精一杯真面目に
 考えてみてやっぱりそうだった。

 →SSTなどのコミュニケーション教育は、コミュニケーション弱者−強者の
  格差を減少させうるか。に進む

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 【※1生活技能の獲得を目標としている。】


  教科書的には、『SSTは単に生活技能を身につけるだけでなく、生活技能の
 獲得を阻止している認知の障害・学習の障害にも対応する技法を組み込み、
 一歩一歩技能を形成していく系統的・構造的治療である』とされているが、真に
 系統的・構造的にやっていくなら、継続的でしかも生活のかなり広範囲をカバー
 するものでなければならない気がする。患者さんが狭義のSSTに参加している
 僅かばかりの時間だけでは、十分な効果が得られるとは考えにくい。

  実際にSSTをやっている現場では、そのような広範囲をカバーする事は出来
 ないので、SSTが実行されているその時間しかスタッフは指導を行うことが
 できない。内容と理念が系統的でも、活動内容がおっつかない。しかし、
 SSTの場で教育される事と類似したことを、担当医・病棟スタッフ・家族・精神科
 デイケアスタッフ等々の様々なスタッフが足並みを揃えて実践できた場合、
 SST的なアプローチが患者さんの生活の相当な部分を包み込むことができ、
 より高い効果が期待できる。

  断っておくが、もちろんこうした状況は理想であり、実際はこんなに包括的な
 アプローチが全職種&本人&家族が足並みを揃えられる事は少なく、SSTだけ
 がぼんやりと行われてみたりする事も多い。後述する通り、もちろんそんなのでは
 効果が無い。参加者みんなのモチベーションと継続性は、常に問われる問題だ。
 勿論、当事者自身のモチベーションがなければすごく駄目。



 【※2常勤でスクールカウンセラーがいる学校】

  さらりとここで流してしまっているが、現在の教育現場の人材と予算を考えると、
 常勤でスクールカウンセラーを雇うなんて言える小中学校というのは、際だった
 ぜいたく学校と言うべき存在のような気がしてならない。




 【※3ひねり出す必要が出てくるだろう】

  ゆとり教育バッシングや教育水準低下批判がさかんな今、授業時間をいったい
 どこからひねり出すんだろうという疑問が当然わいてくる。ただでさえ欠乏気味の
 基礎教育に充てる時間。もしこれを割いてコミュニケーション教育をやるとする
 なら、それって長い目で見てどうなんでしょう?私にはそこら辺は分かりません。

  そもそも、昔はコミュニケーション教育が問われるような、コミュニケーション
 能力の問題が顕在化しなかったのに、どうして今はこうなのか?昔はコミュニ
 ケーションスキルを身につける機会が学校の外で沢山得られたからなのだろう
 か、それとも単にコミュニケーションスキルが必要なかっただけなのだろうか。
 様々な推量が可能なこの問いだが、私は自分なりに満足のいく結論をまだ
 見いだしてない。

  ここまで書いていてふと、思い出したことがある。
 小学生の頃、担任の先生はしばしば授業を潰して近所の街に私達を引率し、
 スーパーや地元の商店街を歩いたり、近所の漁師さんの話を聞きに行ったり
 したものである。小学生の歳でもこれはまずいという事を街の人にしようもの
 なら、先生が(本気で!)怒り、街の人に子供と一緒に頭を下げたりしていた
 記憶を思い出したのだ。今思い返すと、あれはもしかしてSST的な効果を私の
 クラスにもたらしていたのかもしれない。そういえば、社会見学なんて言葉も
 あったっけ。玄田氏の『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』に書かれて
 いた富山県の体験労働の話は(目的そのものはコミュニケーションスキル向上
 ではないにせよ)なんとなくSST的な効果の得られそうだと思えてしまった。
 しかし、時間を捻出するのは本当に大変そうだ。生活科とかをアレンジして
 それっぽくする?いやいや、ここら辺は先生じゃないから想像の及ばない所だ。




 【※4塾】

  案外学校よりも私塾のほうが向いているのではないか?とふと思った。
 予算の問題やカリキュラムの問題、人材確保の問題などで私塾のほうが
 遙かにカスタマイズがしやすそうだし、コミュニケーション教育が必要な人には
 必要なだけコミュニケーション教育を施し、不要な人にはそれをしないとか、
 色んな追加オプションとかが(地獄の沙汰も金次第だが)用意できそうだ。

  ちなみに、私塾というよりはコミュニケーションのトレーニングとしての場や
 引きこもり脱出の場を提供する団体は既に存在するので、実際は私がここで
 改めて指摘するほどのものではない。ただし、現在の団体におけるコミュニ
 ケーション教育の内容は玉石混淆であり、自称心理カウンセラーがやっている
 ような怪しげなものや、戸塚ヨットスクールの粗悪コピーのようなものまで
 混じっていることは指摘しておかなければならない。そして、そういった団体
 を開くにあたってのガイドライン・資格なども現況では全くといっていいほど
 整備されていない。或いはその辺りだけでも何とかして貰えれば、もうちょっと
 私塾レベルのコミュニケーション教育の質・量を確保しやすくなると思うの
 だが、どんなもんなんでしょうか。

  それにしても、お受験だけでなくコミュニケーションスキルまで塾通いで子供
 達が学ぶ時代が来たとしたら?色々な事を人は言ってますが、それって何かが
 破綻してるんじゃないでしょうかね?