先日私は、池袋の女性オタク達がどんな生態なのかを見て回って、その概略をテキストにしてこのサイトに置いておいた。幾らかのお手紙を頂き、いまさら髪にカラーを入れているかどうかなんて古いだとか、服装を含めた総合的な評価のもとに判断を下せとか、まあ、当たり前といえば当たり前のご指摘を頂いた。もちろんそれらの指摘は適切だが、出掛ける先で服装を変える女性という標本に対して服装を評価対象にする事のリスクや、髪にカラーを入れることが女性の間で黒も含めて陳腐化している状況における、(洗練されてない)黒髪の意義と意味や、評価手段上の限界を考えれば、あのラフな調査のうえでは一番マシな評価方法だったと考えている。誰かがもっと綿密で素敵な追試をしてくれれば有り難い限りですけどね。

 一方、あの池袋の女性オタクに関するテキストに対しては、その内容に対して共感や支持を表明するお手紙も幾らか頂いた。面白いことに、支持的なお手紙を下さったのは、オタク趣味から離脱してしまった人達orオタク趣味を維持しつつもそれを表面に出さない人達が中心だったように見受けられた。彼らもまた私同様、オタク服へのコンプレックスやオタクな容姿による差別などで苦しんだことがあるのだろうか?ともかくも、そのような脱オタク組・偽装オタク組とおぼしき人々からのお手紙には、どこかしらオタクである事orオタクであった事に対する葛藤を感じさせる雰囲気が漂っていた。いやいや、それは私がこれからも背負わざるを得ないその手のコンプレックスの“投影”かもしれませんが。

 さて、前置きが長くなってしまった。
 ここで、以前にアップすると書いていた、一オタク女性の見解をあげてみようと思う。彼女は二十代前半の私の実妹でもあり、良くも悪くも愚兄の影響を受けているとは思う。だが、私とはろくすっぽ会って話をしたこともないうちに勝手にやおいにはまった等、私とは一定の文化的距離を保ってオタクをやっている。長い年余に渡って女性オタク達を観察してきた彼女は、その界隈の流行やイベントや人間模様にも詳しく、且つあまりにもオタクオタクしているとリスクが大きすぎるという事情もよく理解している。オタクであることのコンプレックスを幾らか抱えつつも、偽装オタクを続ける一女性として、彼女のコメントを紹介してみようと思う。



 【以下、一女史の個人的なコメント&シロクマ突っ込み】

 こっちのテキストで指摘されている、オタク女性達の安っぽく見える服のなかには、マルイワンや原宿で見られるエミリーテンプルキュートや、MILK等(女性ドル声優、特に堀江由衣等が好んで着ているような服)の生地や仕立が値段の割に良くない服が混ざっていると思う。実際にわたしが普段服を購入しているビッキーやインディヴィとかに比べて値段が高いのに、服の質自体は悪い。この辺りのブランドを選んでいるのは、やや少女趣味を狙ってるんだけどロリータまで思い切れない層が着ているんだと思う。勿論、ロリータの方に進んでいくお嬢さんもいくらか混じっておられるが…。それとごく少数、女性声優をまねている人も混ざっているらしい。これは、女性オタク界独特のファッションの流れだとわたしは思ってます。昔からMILKを知っている一人として見ると、ここ数年でオタク向けの色が濃くなったような?とにかく、服を気にする、という事についてのベクトルが一般女性とずれているような気がする。ただ、この手のファッションが女性オタクの世界で流行り出したのはここ何年かの話だ。昔はそうじゃなかった。

 これでも、昔よりはファッションにお金を掛けている人間が増えた。私と同年代のオタクは、今の若いオタクよりもファッションに対してお金を掛けている子達が多いように思える。これは、同人誌の印刷代が安くなったり、同人誌入手が簡単になることによって、その他の所にお金を掛けることができるようになったからだと思われる。あくまでも、この辺は実体験の色が強いかな。


 ※シロクマ注:この辺りは、実際にどうなのかは分からないので、彼女の言葉を一応信用したほうがいいと思っている。とはいうものの、彼女及び同年代の二十代オタク達は、中→高→大学と進学するにつれて金回りが良くなっているだろうから、ファッションに対してお金を回す余力が自動的に増加するだろう、という要素も補足したほうが良さそうだ。今回の池袋調査では、特異な超高齢女性オタクは別として、十代女性オタクよりも二十代女性オタクのほうが服飾に投資している傾向がみられた。もし彼女のコメントする同人誌関連の出費減少だけが原因ならば、より若い世代のオタク達も、数年前よりもお洒落になっていていることだろう。



 あと、女性の場合、中学卒・高校卒・大学卒の際に、脱オタクする傾向が強いと思う。これは、新しい環境に慣れるまでの数ヶ月間、オタク活動をする暇がないからフェードアウトしていく傾向があるような気がする。女性は男性以上に周囲にオタクを隠そうとする傾向が強く、それを契機にオタクをやめる、及びオタクとしてのランクを下げる事が多い。(ランクを下げる、とは同人活動が、書き手から読み専に…等である。)特に、大学、就職を機にやめていくケースが多い気がする。一人暮らしを始め、自分のお金で何でもやりくりせねばならない環境になったり、就職して、ある程度、自分の生活を自分の金銭で行うようになる人間の方が大学入学や就職によってやめていく傾向がある。人付き合い等に、時間やお金がかかるのも原因の一つじゃない?逆に、自宅から通勤、通学をしている人間の方がオタク活動を続ける傾向が強い。(これは経験則であって必ずしも当てはまらないわけで、例えばわたしは一人暮らしでも細々とオタク活動を続けている)女性だと、一人暮らしの生活を守るための最低限の金銭を確保して生活していかなければならない。そうしないと、色んな意味で生きていく事ができないからだ(ここは男性オタと違い、生活を犠牲にしてまでオタク活動を行おうとしない傾向が強い気がする)。一つ言えるのは、もし同収入ならば、自宅にいる人間の方が、一人暮らし等親元を離れて生活している人間の方よりもオタク活動に掛ける金額が大きいことが多い(勿論、オタク度にも依るが…)



シロクマ注:ここで彼女の文章は終わっている。起承転結を欠いているとか、指摘が飛び飛びで全体像が掴みがたいなどの問題点もあるが、そこは文章制作に慣れていない身、致し方ないところだろう。そこで彼女の指摘をまとめると、

安っぽく見えて実は高い値段の、比較的オタク女性に需要のあるブランドが存在する。彼女達はちゃんとお洒落だ。ただ、お洒落の方向性がかなり風変わりなだけである。

女性は卒業や生活環境の変化によって脱オタ・隠れオタを余儀なくされることが多い。また、一人暮らしか否かもオタク趣味にかけられる金額の多寡に影響している。(エンゲル係数にあたるような、オタク趣味投資比はどうなのか?)

新しい環境に順応する際に、これまで引きずっていたオタク趣味に手が回らなくなりやすく、これもオタクフェードアウトの大きな要因になっている?


 このぐらいだろうか。

 彼女が指摘するところを参照にすると、まず服飾に関する限り、私には洗練が感得できないような、オタク女性文化圏特有のファッションスタイルが存在して、それに大きな投資している一群が存在すると想定できそうだ。男性オタクのなかにも勘違いファッションがみられるが、女性でも同じなのだろうか?男の私から見てどこがいいのかわかりにくいファッションでも、女性オタク文化圏では好評を博するスタイルがあるのかもしれない。とはいえ、男性オタク文化圏だけで好評を博し得る服装が、女性からはけちょんけちょんにけなされがちなのと同様、それらのオタク女性文化圏特有のスタイルは男性(或いは非オタク女性)に対してはファッションとして機能しないものなのかもしれない。もし、同性オタクの間だけで流通しうる“ファッション記号”が、男性女性の各オタク文化圏にそれぞれ固有に存在しているとしたら、こいつは色々と示唆的だが、今回それは置いておこう。

 また、彼女の発言は、オタク女性のフェードアウト現象についても幾らか示唆的である。人生の節目に遭遇し、ライフスタイルを変更しなければ苦しい状況に遭遇すると、多くの女性オタクはオタク趣味を縮小したり中止したりすることを躊躇しないように見える。あるいは、躊躇など許されない環境の中に、彼女たちは生きているということなのか。だとすれば、女性オタク人口が年々減っていくような人口ピラミッドの説明もつくというものである。

 男性と異なり、生まれた時から“他人にみられる・他人に評価される”という圧力のもとに育てたれてきた彼女たちにとって、他人からどう評価されるのかは、環境に適応していくうえで死活問題と考えられる※1。男性よりも遙かに他人からの評価に鋭敏な彼女たちの世界では、趣味だのなんだのに拘泥するあまり、他人から悪すぎる評価を貰うことは禁忌に近いのではないだろうか。男性、特に理工系の職種に進んだ男性ならば、とりあえず仕事ができて口をきくことが出来れば何とか働いていく事が出来るが、女性はそれだけでは生きていけない。女性らしさ、などという言葉を使うのもおぞましいような、ややこしい情報・評価・うわさ話の動的ネットワークの中で振動し続ける彼女達は、仕事が出来て日本語が喋れるだけでは職場に居続けることが難しい。少なくとも殆どの女性がそうであることを考えると、望むと望まざるとに関わらず、オタク趣味への投資を減らして適応に賭けなければならない度合いが強いのかもしれない。オタク趣味に時間とお金をかけることがいかに楽しいとて、そのままでは新しい環境に適応しきれない場合、彼女たちは新しい環境に伴って発生する要請に(男性オタクに比べれば)スマートに応じるのではなかろうか?

 この手の適応上の要請が、濃ゆい女性オタク達を一定の年齢で脱オタクあるいは隠れオタクへと転身させる淘汰圧になっているのではないか?一方、男性オタクではこの淘汰圧が女性オタクのそれに比べて少ないからこそ、脱オタク・隠れオタクを余儀なくされるオタクが少ないのではないか?一人の女性オタクの見解を読んだだけでここまで推論するのは冒険に過ぎるんだけど、直感はこの性差による圧力差を支持してやまない。性別による文化的な圧力の差が、男女のオタクライフに大きな影響を与えているという考えを、私はどうしても捨てられない。むろん、この圧力差は男女オタクの予後にも大きく影響しているであろうし、男性オタクや女性オタクの心的傾向について考える際のヒントになるようにも思える。

 とはいえ、文化的な圧力だけに注目しては、見落としも出てくる。例えば女性のほうが新しい環境に順応しやすいという生物学的な特性も、男女オタク人口ピラミッドの差異をはじめとする諸現象に一枚噛んでいる筈なわけで。新しい環境に順応しやすい女性だからこそ鞍替え出来るのか?新しい環境に出会ったら素早く鞍替え出来る女性だからこそ、順応しやすいのか?どちらが卵なのかは私には分からないが、女性が男性に比べて変わり身が素早く、上手くこなせる事、嘘を隠すのも見つけるのも上手いという特徴を持っていること、等々の進化生物学的知見を無視して、全てを文化的要因だけに帰するのはやはりまずかろう。一現象というものが沢山の問題やシステムが関与して形成されている以上、この問題も多岐に渡る要素群によってできあがっていることは間違いなく、その中には生物学的特性も大いに含まれていることだろう。そして生物学的性差と、新しい環境に際してスッパリと脱オタ・隠れオタしてしまう女性達の変わり身の早さには矛盾しないものが含まれているように見える。文化的圧力と生物学的特性、時代背景、その他の諸要素も色々複合して、男女のオタク人口ピラミッドの差異が生まれているとは言えそうだ。そして今回指摘した文化的な圧差が、そのなかで大きな割合を示しているとまでは言ってしまえそうである。

 ああ、随分と文章が長くなってしまった。今回投稿して頂いたテキストをもとに、あれこれと随分考えさせて頂いた。女性オタクは状況に合わせて変わり身が出来、擬態も上手く、逆に男性オタクはなかなか変わり身がとれず、擬態もへたくそな人が多いという事実には、生物学的要因もさることながら、文化的圧力がかなり関与していると改めて痛感した次第である。前のテキストでは、これらの男女差についてピンとくる主要素が浮かんで来なかったが、今回は私なりに暫定的な総括が出来たような気がする。オタクの男女差を規定するのは、当然といえば当然ながら、オタクに限らず全ての男女にみられる諸々の差異に基づくものだと言っていいだろう(異なる文化圏を想定した話を始めるとややこしくなるので、アメリカの事情とかは割愛します)。そしてこのような差を踏まえて考察・提言していくことが、適応上の不得手を抱えて悩んでいるような一部男性オタク達にアプローチするヒントになればいいと思っています。

 ☆妹である一女史氏ならびに、私にお手紙を下さった皆さんに深謝申し上げます。色々と参考になりました。





 
【※1死活問題と考えられる。】

 もちろん、死活問題と考えないのも一つの方法だし、実際にそうしている女性オタクも少数ながら存在することはに挙げた。が、彼女たちが少数派であること、オタク趣味だけに埋没した高齢女性オタクがどのようなものなのかを思い出して頂ければ、他人からどう評価されるのかという評価軸を重視したほうが適応の幅が広くなることは間違いなかろう。ちなみに、そういった他人からの評価なんぞを無視しても、同性異性を惹き付け得る凄い女性がこの娑婆世界には少数ながら存在する。そういうスーパーウーマンはどうにも特別製なので、その手のとてつもない能力者はこの限りではない。極めて稀なとんでもない能力者は、結局のところずば抜けた素養によってなんでもかんでも何とかなってしまうので。