・Bさんの小学校時代

 当時、私は勉強ができた。小学校に上がる前、自分では知らない間に、小学校の勉強を全て済ませてしまっていたからだ。

 まだ幼かった私に、小学校の教師をしていた祖父は、「まんがで学べる算数」のような本を、主要5科目全てそろえてくれた。私は本がぼろぼろになるまで、夢中になってそれを読んだ。小学校の授業は、それの復習に過ぎなかった。小学校で習うことは、ほとんどが既に知っている知識だった。

 小学6年生のとき、私はいじめを受けた。恐らく、私が教師に気に入られているのが気にくわなかったのだと思う。その教師は、生徒から人気がなく嫌われていた。だが、私はその教師が好きだった。勉強ができる私は、彼からよく誉められていたし、授業も面白く、私は熱心に聴いていた。そして教師は、そんな私をますます気に入っているようだった。だから周りの者が彼の悪口を言っても、それを肯定するようなことはなかった。それが私を「教師側の人間」だと周囲に思わせたのだろう。私には、クラス内に一人も友人がいなかった。

 友人がいないにも関わらず、私の家は級友の溜まり場となっていた。私の持つゲームソフトが目当てだった。彼らは私の家からゲームソフトを盗み、中古屋に売っては遊ぶ金に換えていた。

 当時の心境はよく覚えていないが、昼休みをどう過ごせばわからなかったことは、よく覚えている。図書室に行くか、ひとり鉄棒にぶら下がり、楽しそうに遊ぶ級友を眺めて時間を潰していた。友人のいない私は、学校から帰るとファミコンばかりやっていた。毎日、4〜5時間は遊んでいたと思う。

 6年生以前のことはよく覚えていないのだが、やはり友人はほとんどいなかったように思う。席替えは、恐怖だった。クラスのどこのグループにも属していない私は、班を作るときに余りがちだった。この時代、私が他人とコミュニケーションを取る機会に乏しく、この面で同世代と差がついていったことは、想像に難くない。





 ・Bさんの中学時代

 友人がいないことにコンプレックスを持っていた私は、クラスのリーダー的存在のグループに、強い憧れを持っていた。私も、彼等と友人になりたかった。

 しかし、友人がほとんどいない状態で小学生時代を過ごした私は、その資質に乏しかった。そんな私が唯一彼等と接点を持つ方法は、自分が道化になることだった。私は道化を演じることで、クラスの人気者になった。この立場は強いストレスを伴うものだったが、友人がいないよりは、マシだった。私は何人かの友人を作ることができたし、そのうちの何人かとは、今でも交流がある。

 私は人気者だったが、相変わらずいじめられっ子でもあった。トイレの個室に閉じ込められ、ホースで水をかけられたこともあった。用務室でボールをぶつけられまくったこともあった。教室で裸にされ、つばを吐きかけられたこともあった。

 しかし、そういったことすら、私は道化の材料にしていた。いじめられていても、これは遊んでいるのだと自分に言い聞かせた。いじめられたとき、私はよく泣き笑いをした。笑うことで、自分は平気なのだと周囲と自分にアピールしていたのだ。太宰治の「人間失格」を読んだとき、私は太宰と同じだと思った。

 自殺を考え、遺書を書いたこともあった。私のプライドは、ぼろぼろになった。小学校時代のリードがあったので、勉強はできた。ゲームも毎日やっていた。






 ・Bさんの高校生時代

 高校は、公立の進学校へ進んだ。

 この時期のことは、ほとんど覚えていない。ただ一つ記憶に残っているのは、孤独だったということだ。さすがにこの年齢になるといじめられることはなくなったが、私には一人も友人ができず、クラスのどのグループにも入ることが出来なかった。

 学校でいじめのアンケートがあった。「いじめられる側にも責任があると思う」という回答が上位にきているのを見て、こんな考えの連中とは一緒にいたくないと思った。

 2年生のとき、学校を休みがちになった。勉強も全くついていけなくなり、クラス順位は最下位独走状態だった。なんとか進級するだけの日数は出席したが、これ以上この学校へ行く気はおこらなかった。

 退学したい旨を学校に伝えると、通信制の高校を紹介された。その高校は、週1回の出席でよく、あとはレポートで単位がとれるという。流されるように、私はその高校へと転入した。

 通信制高校へ転入し時間ができた私は、バイトとゲームに明け暮れるようになった。バイトで稼いだ金で、ゲームを買う。この繰り返しだった。特に、アーケードゲーム(ゲーセンのゲーム)には熱中した。このころ、「バーチャファイター2」がアーケードシーンを席巻していた。私もブームに乗り、毎日ゲーセンで対戦に明け暮れた。

 バイト先は、公立高校時代から続けていたファミレスの厨房だった。長く勤めた甲斐あって、仕事はそこそこできたが、バイト仲間からは浮き気味だった。イケメンの高校生が入ってきて、バイト仲間の誰々と付き合ってるというような話を聞くのがつらかった。あんなヤツのどこが良いのか?仕事は俺のほうができるのに、と思っていた。

 1年留年して19歳のとき、私は通信制高校を卒業したが、就職活動も受験勉強もしていなかった私は、フリーターとしてバイトを続けるしかなかった。




・Bさんによる、12年間の総括

 小中高校時代を思い出すことは、今でも本当につらい。自然と涙が溢れてくる(今も泣きながらこの文章を書いている)。この時期は、私の暗黒時代だ。一生で一番戻りたくない時代を聞かれたら、私は迷わずこの時代を挙げる。






 シロクマ注:

 学習面では周囲の同級生に抜きんでた成長を示しながらも、同級生とのコミュニケーション・協調の分野で上手くいかなかったBさん。いくら勉強が出来ても、周囲とのコミュニケーションや協調、共同作業が出来なければ、色々と支障をきたしてしまうさまが生々しく描写されています。中学時代にピエロを演じた時期も含めて、Bさんのクラスメートとの交流は高校時代まで上手くいかず、結局そのことが退学へと繋がっていっています。一般に、年齢が進むほど子供同士のコミュニケーションや人間関係は複雑になっていくので、小学生時にコミュニケーション上の問題が既にあったBさんの場合、中学・高校でそれを挽回するのが非常に難しかったものと推測されます。

 しかし、小さい頃にコミュニケーションスキル/スペックが発達しなかったのは何故でしょう?養育環境、遺伝形質、運、など根元的な幾つかの単語を並べることは出来ますが、それ以上の事は私には解りません。ただし、子供時代までの様々な経験や性質は、拭いがたい刻印としてその後の人生に影響を及ぼし続けるだろうとは想像できます。

 Bさんはその後、通信制高校&バイトという生活に移行し、通信制高校を卒業しますが、口達者なイケメンとの遭遇を通してバイト先でも葛藤を生じています。社会で生きる限り、コミュニケーション技能や人間関係の得手不得手はどこまでもついてまわるのです――引きこもり等の、それが求められないような特異な状況を除いて。コミュニケーションを巡るBさんの苦悩は、その後も延々と続いています。

 そんな時代のBさんにとって、ゲーム(オタク趣味)とは一体どんな意味を持つものだったのでしょうか?何を与えてくれるものだったのでしょうか?この頃のバーチャ2は彼にとって無意味だったのでしょうか?ただひとつだけ言えることは、自己実現も自尊心もぺしゃんこの状態だったかもしれないBさんも…ジョイスティックを握って、対戦している真っ最中にはぺしゃんこではなく、対戦相手と対等なプレイヤーだったであろうという事です。コミュニケーションコンプレックスを持っていたBさんも、ゲームセンターでは負け犬根性ではなかった筈で、この事が、後の時代の様々な挑戦や達成に影響していたものと私は思っています。

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 ※本報告は、Bさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Bさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。