・Bさんの、ゲーム開発会社時代 2年目

 私はこの時期突然、脱オタを決意する。なぜ転機が訪れたのか。直接の原因は詳しく覚えていない。確かその頃、行きつけだったゲーセンの仲間とウマが合わず、もっとコミュニケーションがうまくなりたいと痛烈に思ったのがキッカケだったと思う。23歳にもなって童貞であることも、私を焦らせた。結局、これまでの自分のコンプレックスが一気に噴出したのだろう。

 コミュニケーションスキルUPを決意した私は、「1からはじめるファッション入門マニュアル」というサイトを発見した。ここの煽り文を見て学生時代の苦い経験を思い出した私は、今度こそコンプレックスを克服してやろうと、固く決意した。そして、私の脱オタが始まる。それは、私のこれまでの価値観を180度変化させることに他ならなかった。



・そして脱オタ時代へ

 脱オタを決意した私は、まず丸井に向かった。幸運にも、ちょうどセール期だった。セールである程度の服を買い揃えた私は、原宿・渋谷・代官山・中目黒と、活動範囲を広げていった。美容院にも行った。バカにしていたファッション誌も、毎号複数誌買って研究した。金に糸目はつけなかった

 この時期、「1からはじめるファッション入門マニュアル」には、本当にお世話になった(ROMだったが)。この場を借りて、感謝したい。




 ・第一の女性

 見ためを改善した効果は、予想をはるかに超えたスピードで現れた。脱オタ開始から2ヶ月ほどが過ぎた頃だっただろうか?ある日突然、会社の靴箱で私のスニーカーを見た同僚のデザイナー女性が、興奮気味に私に話かけてきたのだ。「あのスニーカー、どこで買ったの!?」私は知らなかったが、そのスニーカーの柄は「イームズ」という、素晴らしい椅子を作るブランドが使用していることで有名なだった。彼女はその柄の愛用者だった。普段とてもクールな彼女がスニーカーを見ただけで興奮しているという事実に、私はとても驚いた。

 ファッションに無関心だったときには気付かなかったが、彼女はとてもお洒落な女性だった。ジルサンダー, マルタンマルジェラ, APC あたりを着ていることが多かったが、エイプやナンバーナイン等、裏原系の服を着ていることもあった。「エイプやナンバーナインが、こんなに若者に人気出るとは思わなかったのよねー。恥ずかしくて、もう着れない。」彼女はこんなことを言って笑った。

 彼女は、会社にもファッションの話ができる友人が欲しいと思っていたそうだ(ゲーム会社にそういう話ができる人間は少ない)。私達は親しくなり、ファッション以外にもいろいろな話をするようになった。話しているうちに、全く違うと思っていた二人は、意外と価値観が近いこともわかった。高校の頃からクラブへ通い、遊びなれていた彼女との会話は、私にとってとても刺激的で面白かった。また、好奇心旺盛な彼女にとっては、オタクな私の話も逆に新鮮だったようで、けっこう興味をもってくれた。

 ある日二人で会社に泊まり込みで仕事をしていた夜、私は彼女と一緒に近場のファミレスへ夜食に出掛けた。私はこれまでの生い立ち(ここまで書いてきたようなことだ)を話し、「モテるようになりたいんだけど、どうすれば良いんだろう?」と(恥ずかしい話だが)涙ながらに相談した。普通の女性なら引きそうなところだが、彼女は相談に乗ってくれた。彼女は、女性にモテたいなら、クラブとか女の子がたくさん集まるところに遊びに行くのがよいとアドバイスしてくれた。“もう充分お洒落だしカッコイイから、モテモテになれるよ”と励ましてもくれた。

 ある日私は、彼女と一緒に服を買いに行った。生まれて初めてのデートだった。とても嬉しかったことを覚えている。私は彼女を好きになり、ホワイトデーに指輪(東急ハンズのキットで自作した)をプレゼントし、告白した。それは叶わなかったが、彼女は喜んでくれた。その一週間後、私達は青山の洒落たバーへ行き、その夜私は童貞を捨てた。なりゆきだった。だが結局彼女とは、最後まで友人のままだった。

 この後、私は彼女のアドバイスに従いクラブへ足を運び、夜な夜なナンパに精を出すようになるのだが、その話は次回に持ち越したいと思う。






・Bさんのゲーム会社が解散

 話は少しさかのぼる。私が脱オタに夢中だった頃、同時進行で会社の仕事も当然あった。だが、当時の私にとって人生の最高優先順位は、脱オタにあった。

 私の勤める会社は、裁量労働制を採用しており、仕事さえできれば出社・退社は24時間いつでも構わない(出社しなくてさえ構わない)という体制だった。私はこれをいいことに、プログラムが適当に動いた時点でデバッグもたいして行わず、毎日街へと繰り出しては服を買い、クラブへ通った。価値観転換期の真っ只中にいた私は、職場にいてもストレスで全く仕事に集中できなかった

 このことが、完成間近の時期になって仇になった。納品時期はとっくに過ぎているにも関わらず、デバッグが終わらなかったのだ。結局、4ヶ月ほど納期が遅れたのだろうか?零細開発会社にとって、この遅れは致命的だった。会社は解散となり、社長だけが会社に残ることになった。

 前述の女性とも、連絡が取れなくなった。会社解散後も私がしつこく電話していたせいで、あきれられたのだ。

 結局、私が会社を解散に追い込んだようなものだ。脱オタ期の努力が実って私は現在幸せだ。このことを後悔してはいない。だが、私の幸せはこういった多大な犠牲の上に成り立っているということを、忘れないようにしたい




・この時代の総括

 脱オタ期。
こうして振り返ってみると、いろいろな人に迷惑かけてますね・・・・・・ゲーム会社時代の関係者の皆様、大変申し訳ない。もしここ見てたら、許してくれないだろうな・・・・・・

 なんにしろ、私の価値観が180度転回したのがこの時期でした。後悔は、ありません。





 シロクマ注:

 色んな幸運が重なってますね。たまたま脱オタを開始した時期にゲーム会社にそういう女性がいた事(ゲーム会社とう環境柄も手伝ってでしょうけど)、Bさん以外にファッションの話が出来る男性がいなかった事、そして何より、出会った女性が、おなかをみせたBさんを搾取しようと思えば出来る状況でもそうせず、当時のBさんが必要としていたものを殆ど全て差し出してくれた事、これらの幸運が全てがBさんに味方したと考えます。

 しかし、この幸運は、症例1のAさんの時と同様、自ら呼び込んだ幸運だったと言えます。

 1努力の実行

 2アプローチするだけの勇気

 3諸スキルに対する積極的意志と時間的金銭的投資

 4オタク趣味だけに縛られない、新奇なものにトライできる若さと柔軟性

 は、Bさんの場合においても全て揃っていました。幸運に数えられる要素のひとつひとつは、確かに運が無ければ逃してしまうものではあっても、上記を必要条件とします。そして、これまでの苦渋に満ちた歴史のなかでBさんはそれを少しづつ積み重ねて獲得してきたのですから、私には、このケースを「運のいい奴」で片づけてしまうことができません。血塗れになりながらよくここまでやりぬいたなと、感心します。

 しかし、この変化には犠牲が伴っていることにも触れておきましょう。Bさんはこの犠牲を受け入れつつも、犠牲に伴って周囲の人にかけた迷惑や世話になったことを申し訳無く思っています。変化による犠牲は、多かれ少なかれ『脱オタさん』に付き物と推測しますが、犠牲はあなた自身を傷つけるだけでなく、周囲の人や恩人に及んでしまうかもしれません。それでもあなたが変化を望むなら、やはり自分の脚で前に進むしかないと私個人は思います。ただ、その時は、感謝の気持ちや贖罪の気持ちは、必ずひき連れてって欲しいと私個人は思います。Bさん、オタ時代の仲間や恩人のことを忘れないでくださいね。

 →続きを読む


 ※本報告は、Bさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Bさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。