昇華・逃避ver.1.10(2006.03/05)


 昇華(sublimation)

 多くの知性化と同じく昇華もまた、衝動や欲求が文化的・社会的に有用で創造的な目的に転換される営みとされている。主として転換されるのは、「性欲や攻撃性→スポーツや芸術やビジネス等へと転換」らしく、知性化と昇華は相当のところまで重複している(昇華のうち、知的活動の多くは知性化のカテゴリにも含まれる)

 一般的な昇華の例としては、高校の部活動や芸術家の活動などが該当するが、昇華に失敗して手痛い打撃を受ける人も数多く、「防衛機制の理想」といわれるほど霊験あらたかなものとはちょっといい難い。昇華と世間で言われる活動は、スポーツにしても芸術にしても競合的な営みが多い傾向にあり、昇華と呼ぶに真に相応しい結果を出せる人間は限られている。そして(昇華に心のチップをどれぐらい賭けたかにも依るが)、力を出し尽くし、競合に打ち勝とうとして叶わなかった多くの人間は新しく生み出された挫折と劣等感に直面することとなる。こうして昇華に失敗した場合、むしろ挑まなかった者よりも悲惨な状況になる者が後を絶たない。なかには摂食障害などの大マジな症状を呈するようになる者すら、時には認められる。

 オタク分野においては、知性化に該当するような活動が多いため、知性化に該当せずになおかつ昇華に該当するような活動はやや少ない印象を受ける。しかし、各ゲーム分野のスコアラー・対戦者・同人クリエイター・AA職人のなかには、昇華に該当するようなケースが多々見受けられる。アーケードゲームの分野においては、スコアラーや高レベル対戦者達はスポーツに近い感覚でゲームに臨んでいるし、同人クリエイター達もまた芸術をやっている人の如く、作品を捻り出す…これら、栄光に輝いた時の充足感は非常に高い一方、試みが挫折した時に手痛い打撃を受けるという点でも、これらのオタク的活動は非オタク分野の昇華と類似した性質を持っている。勝利の栄光を目指した者が心理的意味合いで挫折した時(必ずしもイコール勝負に負けた時、ではない)、奈落が待っているというのはオタク世界でも変わらない。だが、オタク界隈では昇華に該当する活動は比較的競合的ではないかもしれない。アーケードゲーム分野で全国一のスコアや対戦成績を出そうとするとさすがにキツいが、ニッチの細分化が進んだ同人世界なら芸術界で業績をあげるよりは楽かもしれない

 とはいえ、昇華が昇華たるだけの結果を伴ったものになるのはやはり難しく、合理化などに比べると達成出来る人はやはり限られる。素晴らしい同人作品や圧倒的なハイスコアに触れる時、私は業績に圧倒されながらも、そこに昇華の強い痕跡を見出さずにはいられない。そして、本人をそこまで駆動した強いナニカが背景にあると考えずにいられなくなるのだ。特に「素養」という言葉だけでは説明がつかなさげな時には尚更である。





 逃避 (escape)

 適応しきれず葛藤を生みだしがちな状況や、不安・恐怖・屈辱などのマイナスの情動場面から逃げてしまって直接的に距離をとる防衛機制で、シンプルで理に適っている。物理的に遁走してしまうだけでなく、観念のうえで脳内逃避するようなパターンや、頭痛や腹痛を介して不利な現状から撤退するようなパターンのものも逃避に含まれ得る。この防衛機制も、私達の誰もがごく普通に、しかもとりわけ意識することなく選択している代物とされるが、通常は僅かなりとも「逃げてるなぁ」と意識される事が多い。というか殆どの場合、微かに意識をチクチクされる事となる※1

 オタク達においては、社会適応上様々なハンディや劣等感・自己不全感を抱えている者にほど観察されやすい傾向にある。適応しきれない環境・耐え切れない情動・葛藤を回避する上で、この防衛機制はシンプルだがそれ故に確実に有効である。自分がうろつく街(例:秋葉原はOK、六本木はNG等)・店舗・コミュニケーション場面の選択において、(誰もがそうであるように)オタクは葛藤状況の強そうな場所を避けることが出来る。また、現実から意識を一時的に逃がす上でも、脳内補完現象の一部・萌えコンテンツ消費の一部・ロボットものや軍事オタ情報・メイドカフェ・ネトゲ消費などといったオタク関連コンテンツは役に立ちやすい。これらのコンテンツは、現実よりも接近しやすい課題に逃げこんだり、白昼夢への逃避を可能にしたりすることで、厳しい心理的状態からオタクを(一時的とはいえ)逃がしやすくする

 ただし防衛機制は「その場の心のダメコン」としてしか働かないので、長期的展望に立脚して不利になるかどうか考慮されずに発動される。知性化や昇華はともかく、逃避が純然たる逃避としての傾向が強いほど、そして逃避が乱発されるほど、当事者の長期的な適応をむしろ悪化させやすくなってしまう現代社会においては、逃避に該当する行動選択を乱発させているようでは、長期的に適応を向上させるのは難しい。この防衛機制をあまりに乱発して社会適応を駄目にしてしまったオタクの例としては、ネトゲオタの引きこもりなどが該当するだろうか。

 また、電波男において「護身完成」と記述されているもまた、“性衝動に関する葛藤”からの逃避という文脈で捉える事も出来る(勿論他の補償など、他の防衛機制の文脈でも捉えられる)。女性への接近を願望していても、不安や屈辱に直面するのは目に見えている→ならば「降りてしまう」。コンフリクトが発生する可能性のある恋慕状態を予め避けきって二次元に遊ぶのが「護身完成」である。このやり方は、願望と現実とのコンフリクトを何とかする為の防衛機制としては第三者からカラクリが丸見えかもしれないが、コンフリクトを避けるという視点からみれば非常に積極的志向を持ったものとして捉えられる。この「逃避と呼べなくもない特別な手法」は、オタク・女性側の当事者双方がマイナスの情動場面から救われるという点で、効率の良い葛藤の解消法と言えるかもしれない。ただし他のテキストでも何度も触れたが、「護身完成」がしっかりできあがってなければかなり辛いだろうし、誰もがその境地に達する事が出来るのかは疑問が残る。






 【※1微かに意識をチクチクされる事となる】

 「正常な防衛機制というやつは100%葛藤を解決したり遠ざけるというよりも、ある程度軽減させるだけ」という原則はここでも適用される。

 それに対して、病的な逃避(例えばヒステリー性の心気状態・身体化・遁走など)においては、全く意識されないうちに逃避が発動しがちで、ホントの本当に“逃げている”という自覚がなくなってしまう事がある。ここでは、葛藤への直面は見事なまでに無意識下に押しやられて本人には気づかれないこととなる。

 そして、逃避によるベネフィットと逃避によるコストの費用対効果は、こうした病的な場合ほど極端な悪化を呈しやすい傾向にある。