萌えの歴史的変遷・私家版β(2005.08/15)
 (暫定版、こんなの満足いく出来になるのはいつになるやら)

Ver.0.92beta(2006.03/01)


 今後の萌えの状況がどうなるのかを考える前に、これまでの“萌えの歴史的変遷”についてまとめておくのも悪くないと思い、私の知り得る範囲で一応まとめてみたのがこのテキストである。オタク界隈の歴史的変遷については、既に優れた論者達が幾つものレビューを発表しているが、“萌え”、特にセクシャルなニュアンスを含んだ狭義の“萌え”に特化していて、なおかつ当サイト的視点に深く関連したレビューが見つからなかったので自前で用意してみた次第である。

 なお、本企画がオタクのセクシャリティを対象にしている事もあって、この年表はギャルゲー・エロゲー界隈に偏った内容になっている。それ以外の部分については喫茶ぱらだいす☆あ〜み〜さま所属の、こちらをかなり参照させて頂いている。この《ぱら☆あみ》さまは歴史あるサイトだけあって、用語集などもかなり充実している。興味のある人はのぞいてみるといいかもしれない。

 では早速、年代別に各時代の特徴や代表的な萌えものについて挙げていこう。年代分けも作品タイトルもあくまでシロクマが選択したものであり、作品・現象に関する解説が若干前後している部分もある点はご了承下さい。また、この手の年表や解説を創る際に指摘されがちな『あれがない!』についてはどうか勘弁してやってください





 ・『萌え』という言葉が流通する以前の時代(1990年以前)

 この時代はまだ、萌えゲーと呼ばれるべきゲームは存在せず、当然ながら“萌えゲーのお約束”のような方向性もはっきりしていなかった。萌えに供されるアニメ作品も、現在よくある“萌えオタをターゲットに狙ってみちゃいました”といった洗練(と退廃)は未だみられていない。メディアミックス戦略に関しても、その萌芽こそあれ、萌えオタをあざとく狙い撃ちした企画はまだまだ普及しきっていなかったと記憶している。だが、消費する側のオタク達はというと、今でいう“萌える”に近い形で異性キャラに既にアプローチし始めていた。例えばガンダム系キャラのハマーン・カーンやエルピー・プルなどに激しく傾倒したオタク達は、萌えなイメージを増幅するに適した商品(ドラマCD、キャラの描かれた下敷きetc)を購入し、彼女達を対象とした“今でいう脳内補完”を既にやらかし始めていた。同様の現象は他のアニメ・ゲーム分野でももちろん確認されているが、いずれの場合であっても、いわゆるアニメ絵柄の女性キャラが受けており、劇画タッチな女性キャラや、アメコミ風女性キャラ、ディズニー女性キャラは“萌え”の対象として人気を博する事は無かった。

 一方エロゲーの世界では、未だパソコンの性能不足・普及不足もあって黎明期もいいところな状況が続いていた。1983年にエニックスが出した『ロリータ・シンドローム』や、『天使たちの午後』『スーパーリアル麻雀P3』といった、後のエロゲーに関連の深い作品が出現し始めていたものの、アニメ絵のキャラクターが登場するゲームだけでなく、劇画タッチのエロゲーなんてものも結構存在していた。パソコンでエロゲーを楽しむオタク達の性情がまだ分かっていなかった為か、それとも当時エロゲーやってた人の質が今とは全然違っていたのか…確かなところはよく分からない。そうはいっても次第にエロゲー世界は「ロリコン・少女趣味・従順・目のでかい娘」といった現在のものに近いフォーマットに進みつつあった。

 まとめると、「この時代は萌えの源流となるべき重要な作品がそれなりに存在していたが、流通・消費の手法も洗練されず、方法論もはっきりとしていなかった」と言うことが出来る。パソコン通信もコミケのような集まりも、所詮特権階級やエリートオタクだけのものだった時代、殆どのオタク達(やその卵達)は地元のオタクな繋がりや、オタク雑誌の投稿欄などを通してしか情報を交換する事が出来なかった。それでもなお、現在の萌えに近い消費形態と、それに見合った作品嗜好が地方レベルのオタク達の間ですら生まれていたから面白い。それを証明するように、後の時代に萌えオタ達同士がniftyserveやインターネットなどで繋がった時、この時代の作品について比較的共通のボキャブラリー・インプレッション・文脈を交換する事が出来ている。ニュータイプやログイン等の雑誌が流通していた事を差し引いても、作品の選び方と消費の仕方にある種の類型が既にあった事は注目に値することと思う。


 ☆看過できないエロゲー
 ・ロリータ・シンドローム(初期エニックスが出した、ロリ系エロゲー)
 ・天使達の午後シリーズ(時代を風靡した当時代表的エロゲーの一。)
 ・はっちゃけあやよさん(この時代の後期に開花したエロゲー。TVにも登場)
 ・スーパーリアル麻雀シリーズ(アニメーション表示され、オタク達の股間ry)


 ☆看過出来ない非エロゲーム
 ・ドルアーガの塔(アーケードゲーム界に出現した最初期の萌えキャラ・カイ)
 ・イースシリーズ(色んな意味で、キャラ萌えに適した女性キャラ&シチュ)
 ・ワルキューレの冒険&伝説(この時代後期の作品。同人なども含め、現在に至るまでファンは多い)


 ☆看過出来ないアニメ・漫画
 ・みゆき(あだち充作品の一。タッチと並んで後世に影響)
 ・きまぐれオレンジロード(やはり後世の様々な作品に多大な痕跡を残す。絵柄・展開ともにアレで、ハマった人多数)
 ・風の谷のナウシカ(ファリック・ガールにモロ該当。エロが徹底して除外された作品だが、激しいエロ妄想や恋愛妄想に身を委ねるオタクが多数出現)





 ・PC9801/9821時代、まだパソコン通信の時代(1990年〜1995年頃まで)

 いよいよ萌えという言葉が使われ始めた時期で、現在の萌えにまつわるバックボーンがこの時代にほぼ確立したと言える。(一つ前の時代もそうだが)挙げても挙げきれないほど重要な作品が揃っているので沢山列挙したくなるが、きりがないので我慢。History of Moe(from古今格闘技連盟さま)などを参照しながらグーグル検索してみてください。

 1995年までには“萌え”という言葉が流通し始めていたのは殆ど間違いない。そのルーツについては恐竜惑星起源説・セーラージュピター起源説・ファンロード起源説など様々な事が言われているが、由来が何であれ、現在“萌え”が意味する内容と殆ど同じ意味で使われ始めていた事には注目して良いと思う。ことに異性キャラへのリビドーが募り募って辛抱たまらん時には、“萌える”という言葉がはっきり発せられていたと記憶している。これは、現在の“萌え”の狭義の用法と殆ど違わない。

 また、キャラ属性という言葉こそ存在しなかったものの、どのようなキャラが萌えに供されるのかが次第にはっきりしてきたのもこの年代である。劇画タッチのエロゲーは姿を消し、エロ漫画もアニメ絵柄のデザインのものが主流となっていく。漫画やアニメの美少女キャラも、現在の萌えキャラに類似したキャラクター達が萌えものとしてはっきり消費されるようになり、参加者が20万人を超えたコミケにおいては様々な同人作品が、オタク達をいい感じに汗ばませていたようだ。

 この時代は、アニメ・漫画・エロゲー・非エロゲーにおいて重要な作品が次々出現しており、1970〜1980年代生まれのいたいけな少年達が冥府魔道に堕ちるきっかけとなった、良質の作品が燦然と輝いている。後の萌えゲーや萌えアニメの作品展開・キャラ属性の元型もこの時代に大体出揃っており、データベース(属性)組み合わせによる作品生産・消費が一般化していないとはいえ、その源は既に誕生しつつあったと言える。ときめきメモリアルや同級生2、ナディア、そのほか作品を挙げればきりがないが、昨今の萌えコンテンツの源流を築いた作品群は、windows95出現までに大体揃っている。“沙織〜美少女たちの館”摘発事件や、幕張メッセからのコミケ締め出しといったトラブルもあったとはいえ、後代の“萌え”の飛躍はこの時期にかなりのところまで準備されていた印象を受ける。

 私見では、オタク市場を支えてきたメイン世代(団塊ジュニア〜ちょっと後ぐらいまで・東浩紀先生の分類で言えば第三〜第四世代オタク)は、この時代から次の時代までの期間に何らかの萌えイニシエーションを受けていたと推測している。たといそれが、Vガンダムのシャクティにグラッときちゃった程度のものであっても(まあ、あのシャクティに引っかかるようなら、その後の人生は推して知るべしですけど)


 ☆看過できないエロゲー
 ・同級生&同級生2(オタク達をまとめて萌えの煉獄に放り込む・ストーリー重視)
 ・沙織〜美少女たちの館(以後、エロゲー界に自主規制)
 ・ランスシリーズ(性的願望に直球勝負。しかし高いゲーム性と両立)


 ☆看過出来ない非エロゲーム
 ・ストリートファイター2以後の2D格ゲーブーム(アーケードゲーム界からの、萌えへの誘い)
 ・出たな!ツインビー(ファン倶楽部・ラジオ・声優との連携を含んだ作品)
 ・プリンセスメーカー(パラメータいじり系ゲームの祖先。幼女萌え)
 ・ときめきメモリアル(ギャルゲーの一般化。脳内補完、おやすみシーツ等)


 ☆看過出来ないアニメ・漫画
 ・美少女戦士セーラームーン(少女マンガ→大きなお友達にも人気)
 ・魔法戦士レイアース(CLAMPが男性オタクにアプローチ。以後も搾取を続ける)
 ・ふしぎの海のナディア(キャラ萌え・演出などで後世の萌え世界に多大な影響)






 ・エヴァの衝撃、パソコン通信からネットへの移行期(1995年〜2000年頃まで)

 そしてエヴァンゲリオンの現れた1995年から、萌えの世界は絶頂期を迎える。アニメではエヴァ・ナデシコ・カードキャプターさくらといった具合に、萌えの観点から見過ごすことの出来ない大ヒットが続発し、“大きなお友達”を萌えと散財のどん底にたたき落とす。エロゲー界隈においては、leaf・keyがビジュアルノベルという新システムに強力なストーリーを乗せて市場を席巻したものの、アリスソフトやelfといった老舗も十分健在で、これまた活気のある一時代を築いた。ときめきメモリアルの成功とハードウェアの進歩は、コンシューマ市場においても“ギャルゲー”というジャンルを確立させ、萌えに供する事を前提とした作品が中古店にも溢れはじめた。windows95の出現、パソコンの低価格化、ネットの普及、コンシューマ機の性能向上は、こういった現象に好都合に働いたことだろう。

 コミケが40万人になったという事からも分かる通り、萌えを消費する男性はこの時期に一気に増加したか、一気に濃くなった可能性が高い。1990年〜1995年までに萌えオタになった世代に加えて、エヴァや葉鍵から萌えオタに流入した世代が加わり、さらに良質の作品が次々誕生したこともあって、この時代の萌え界隈は飛ぶ鳥を落とす勢いだったと回想される。そういえば、秋葉原が美少女ゲームや18禁ゲームの街としての色彩を強めたのも確かこの時代あたりからで、“オタクっぽいもの”で一儲けしようと考えている人達の皮算用が、しばしばテレビや雑誌に掲載されていた。

 エヴァがグッズをかなり売り込んだことからも分かる通り、関連グッズの販売が洗練と退廃を極めていったのもこの時代の特徴である。ドラマCDやフィギュアといった既存の路線だけでなく、よりマニアックで少数の需要に応えるグッズが雨後の竹の子のように市場に沸きまくった。ときめきメモリアルのおやすみシーツの流れを組む、“抱き枕”というご機嫌なグッズが全盛期を迎えたのもこの時期で、同人界と零細企業群によって名作と呼ばれ得る抱き枕が次々誕生した(例:おねねんね)。その後も抱き枕はマニアックな需要に応え続け、現在でも同人界を中心に小さいながらもしっかりと市場を形成している。

 この頃、作品制作の分野では、東浩紀氏『データベース』消費という言葉がいかにも似合いそうな、萌え属性・萌えストーリーなどを組み合わせて作品を創り出す手法が一般化し、メディアミックス的販売戦略も当たり前になり始めていた。この副作用で、萌え属性こそきちんと与えられてはいるものの、“どこかで見たストーリー”“立ちきってないキャラ”“作画などの手抜き”の粗製濫造が目立ちはじめてきた。『データベース消費』という言葉で狭義に示されるデータベースの組み合わせだけでは、良い作品も良い脳内補完も必ずしも生み出せないという限界は、この時期の駄作群で既に証明されていたと言える。

 こうした問題点の指摘は当時のユーザーからも既にあったものの、台所事情の苦しいメーカーや優れたクリエイターのいないメーカーは、既存属性と月並みなテキストを貼り付けただけの“地雷作品”を量産し、萌え作品の平均的品質を低下させていった。そういえば、ガンドレスやロストユニバースのような伝説的欠陥アニメが出現したのもちょうどこの時代だったか。多くのオタク達は“地雷作品”を避けて評判の良いゲームやメーカーを志向せざるを得なくなっていき、ネットやパソコン通信で評価の高い作品に一層的を絞った作品選びをしていく。当時のエロゲー界隈は、いくら冒険心のあるオタクでもうんざりするほど地雷ゲームに満ち満ちていた。

 さらに、これだけ萌えコンテンツの消費者が増え、消費者と同人界隈との距離が比較的密になってきたせいか、同人界での盛り上がりや脳内補完を前提とした作品展開が目立つようになってくる。KANOSOのような、本編とペアで楽しむと強烈な威力を発揮する傑作や、徹底的に手の込んだ同人コンテンツも次々に生み出されるようになると、本編の出来映えだけでなく、同人界隈でどんなコンテンツが生産され得るかも、作品の命運を分けるポイントとして無視できなくなってきた。以後の作品では、「本編では露骨な性描写を避けたとしても、同人界や脳内補完でエロく消費されやすそうなギミックを盛り込めば、エロ需要にも応える事が出来る」等、同人界の二次創作を予測して送り出せば、消費のされ方に多様性を持たせる事が可能となっている。例えば同人出身のCLAMPなどは、こういった本編と同人界の二重消費構造に敏感な作品をつくるのが昔から上手かった(今もツバサとかあこぎですよね)。上記のような同人界を意識した作品制作の傾向は、現在にまで引き継がれていく。


 ☆看過できないエロゲー
 ・Leaf系エロゲー(ビジュアルノベル分野の確立。そしてその後の衰退)
 ・Key系エロゲー(データベースやギミックのばらまき。残りは脳内補完で宜しくだったが、オタク達は脳内と同人で見事なまでの消費っぷりを見せてくれた)
 ・殻の中の小鳥(メイド属性を定着させたゲーム。また、調教・監禁ジャンルのはしりとしても重要かも)
 ・加奈(妹属性・病弱属性を一気にクローズアップさせた作品。泣きゲー。)


 ☆看過出来ない非エロゲーム
 ・サクラ大戦(この時代を代表するコンシューマ機のギャルゲーの一)
 ・センチメンタルグラフィティ(データベース消費とメディアミックスが早くも迎えた終末点。以後は、単なるデータベース&メディアミックスでは駄目)
 ・ファイナルファンタジー6(大手メーカーの作品も、萌えに供される時代に)


 ☆看過出来ないアニメ・漫画
 ・新世紀エヴァンゲリオン(トラウマ・謎・サブカル風味・社会現象。オタクを満足させ得るクオリティ。その他、とてもここには描ききれず。)
 ・カードキャプターさくら(萌える幼女。本来の女の子向け需要を満たすと同時に、幼女萌えしそうな記号とギミックをたっぷり盛り込み、大きなお友達を獲得)
 ・ラブひな(データベースブチまけ萌え漫画。ベタな展開と属性バラまきは散々叩かれつつも、結局同人界隈やエロ界隈でも激しく消費されまくる)






 ・そして大作の不在へ。インターネットと巨大掲示板の時代(2000年〜2004年)

 エヴァンゲリオンの社会現象化と各分野で大作に恵まれた事も手伝って、2000年頃までは萌えの世界は右肩上がりの成長を達成していた。しかし、2000年にAirが出たのを最後に、決定的な人気を博するゲームや、カリスマとして崇め奉られるようなキャラクターはそれほど出現しなくなった。以後は、カリスマ的作品やカリスマキャラがオタク総出で消費されるような“事件”は次第に少なくなり、一方でキャラクターや作品が消費されて忘れ去られていくスパンも次第に短くなっていった。

 恋愛ゲームZEROの研究を参考にしながら私見を述べると、その要因としては以下のものが考えられると思う。


 1.データベース組み合わせの濫造と、その限界

 1990年代後半には確立していた、(属性をはじめとする)データベースの組み合わせによる作品制作の限界。既存データだけをとっかえひっかえしただけでは、結局「どこかで見たような寄せ集め作品」が出来るだけになってしまうという現実を前に、萌えに「飽きる」「醒める」しかないオタクが増加したのではないか。大抵のオタクは、どこかで見たデータベースをただ寄せ集めただけの作品を前にしても、以前のようなカタルシスを味わう事が出来ない。真に優れたクリエイターなら、同人や脳内補完で自前でカスタマイズ出来るかもしれないが、そこまでのオタクは稀だし、そういう人は元々コンテンツに依存せずとも楽しい事を見つける事が出来るエリートに限られている。

 にも関わらず、1990年代後半以降、データベースをただ組み合わせただけの駄目作品が萌え界隈にはあまりにも溢れすぎていたわけで、これではユーザー離れをくい止めきれないのも無理はない。既にメイド・幼女・幼なじみ・セーラー服など、多くの属性が月並みになっていたこともあって、単純に属性を羅列するだけではオタクを満足させる事は不可能になっていた。エロゲー界では、エロ度を高くする・新しい属性を投入する等のプラスαによって差別化に成功した作品がそれなりに売れる事はあったが、それらの新属性やエロも、あっという間に“陳腐化した記号の一つ”へと転落する運命を免れず、狭義の「データベース組み合わせによる生産と消費」は、閉塞した萌え界隈では行き詰まりをみせつつあったと考えている。


 2.萌えジャンル・萌え属性の細分化

 2000年頃までには、数多くの属性と企業(と同人市場)が“萌えの世界”に乱立する状況ができあがっていたと言える。消費者たるオタクのニーズは一層多様化し、それら小さめのニッチを狙った作品群の供給が企業や同人サイドからしっかり為されるようになっていた。プロ作品のリリース数も1990年代とは比べものにならないほど充実し、それらの作品には同人市場から出てくる二次作品群が恒常的に乗っかっていた。このため、オタク達は自分の最も好むデータベースが集積された作品を数多くの選択肢の中から選び抜くことが出来るようになり、場合によってはコミケや秋葉原で同人に頼るという手段に訴える事も可能となった(2chやネットにおける情報共有や情報検索の普及がこれに拍車をかけたことは言うまでもない)

 ちょうどデータベースの寄せ集め的作品が増えていた事もあって、オタク達は自分の好みのデータベースが集積しまくった作品を狭いニッチから選び抜くことが可能となっていたのだ。どんなマイナーな属性・テーマ・フェティシズムでも、きちんと探せば何らかの佳作を見つけることが出来る――こうした背景もまた、幾つかの大作に人気が集まるというよりも、それぞれの狭いニッチのなかでそれぞれの佳作が誕生するという構図を生んだと思われる。事実、歴史に名を残すような大作は2000年以降あまり生まれなかったかもしれないが、各ニッチを代表するような佳作は色々生み出されている。しかも、コミケ東館を彷徨したり地雷ゲームに手を出さなくても、ネットで調べてアマゾンに注文すれば、簡単にそれらにアクセスできてしまうのだ。


 3.続編モノとメディアミックス的展開の副作用

 続編モノや外伝モノをだらだらと作り続けたり、メディアミックス的展開でかつての大作や各ニッチを代表する佳作を長く消費させようとする戦略が目立ったのもこの時代以降である。或いは、大作や佳作がデータベースの組み合わせだけでは容易に作れないという事に、萌えコンテンツ制作者も消費者も気づいたという事なのか?同人界隈も含め、1990年代後半に繁栄を遂げた佳作・大作の残滓に頼ったコンテンツの生産/消費が著しく遷延したのも2000年以降の特徴である。AirやKanonは2003年頃まで同人界隈では根絶されず、ダ・カーポやシスタープリンセスや君が望む永遠といったこの時代のメジャータイトルもまた、様々な形で再生産・再消費を繰り返された(しかも、ある程度のオタクが律儀にもついていったのだ!)。既に定評のある作品のコピーや発展版などを繰り返しリリースする傾向は、新作で冒険するよりは安定していて労力も少なくて良い等、メーカー側には嬉しい事も多いだろうが、そんな戦略でもモノが売れてしまっていた。

 こうした、続編モノや一つの作品をメディアミックス的手法も交えながら長期間食いつぶす戦略が一般化してきた事も、新しい大作の出現を阻害したかもしれない。ただし、この視点はどちらが鶏でどちらが卵か分からない部分もある――こうした手法が定着したから大作が生まれなかったのではなく、大作を生み出せなかったからこうした手法に頼らざるを得なかった、という可能性を、私は否定することが出来ない


 4.世代交代の問題と少子化の影

 もしかすると、これこそが2000年以降の萌え世界の衰退の最大要因なのかもしれない。萌えコンテンツを消費するのがエロゲーやギャルゲーなしには生きていけない男ばかりなら、今後数十年間に渡って萌えオタ人口はひたすら増え続けたに違いない。だが、実際に萌えコンテンツを消費しているのは、ルサンチマン剥き出しの駄目オタクや、誰からも侮蔑されるようなオタクばかりではない。なかには脱オタしたり結婚したりする者もいれば、元々多趣味の中の一選択肢としてたまたま萌えコンテンツに触れていた消費者も存在していたため、彼らが飽きたり(加齢や結婚に伴って)萌え界隈から離れたりすれば、パイの大きさはその分縮小してしまう。しかも前述したように、萌え界隈は2000年以降は全体としては話題作や大作が減少傾向にあり、そのうえ地雷作品がゴロゴロしていたので、エヴァブームでオタク世界にたまたま入ってきた人達が見切りをつけたとて仕方のない状況にあったと言えよう。

 そして、人口ピラミッドのいびつさ加減もまた、萌え界隈の衰退に関連したと思われる。1990年〜2000年に萌えの世界にハマった人達というのは、団塊ジュニア世代よりちょっと若いぐらいを中心とした、±10歳程度の層によって多くが占められていたと私は感じている。こういった団塊ジュニア前後の萌えコンテンツ消費者達が、前述の理由によって2000年以降に萌え市場を徐々に見限れば、萌え界隈が冷却化する事は避けられない。各年代の人口が一律で、なおかつ作品の魅力が毎年同程度なら、

 {新たに加わる萌え消費者−萌えから離れる消費者=萌え消費者の増減数}
 の値は毎年正の数になるが、残念ながら現実はそうはならず、少子化の影響を受けていたと考えられる。

 団塊ジュニア世代以降の少子化が進行した事や、エヴァ時代ほど作品に恵まれなかった事もあって、新規に萌えの世界に足を突っ込む消費者は(少なくとも人口のうえでは)減少の一途を辿っている。プリキュアやねぎマ!や月姫など、より若い年齢層もしっかり獲得した萌え作品はそれなりに出てきているが、さすがに人口動態の変化を覆すほどの大ヒットには至っていない。一方、もともと萌えコンテンツに接していた人達は、萌えデータベース消費に飽きてしまったり、新しいフィールド(仕事、家庭、ネトゲetc)に労力を割り振るようになった者が後を絶たず、萌えコンテンツから離れるか、少なくとも以前ほどコストを投入しない傾向が強まった。これまで萌え界隈を支えてきた世代は、鈍重な一部のオタク達だけを残し、萌え界隈から距離をとっているように見える。さらに悪いことに、萌え界隈に踏みとどまった比較的高齢のオタク達の一部は、脳の硬化からか、新規話題作にcatch up出来なかったり、古い作品のリメイクや関連コンテンツを消費しがちになってきている。これを証明するかのように、同人界隈やネット界隈では未だに旧作関連コンテンツがそれなりには生き延び、彼らの要請に応えちゃっている。

 こんな具合に古い世代の萌え離脱(または旧作しがみつき)が進行し、新しい世代の流入が減少すれば、萌え界隈の活気が衰えるのも致し方ない。世代交代の問題は、2000年以降の萌え界隈に確実な影響を与えているし、今後も影響し続けるだろう。


 5.ネットゲームの台頭に伴うユーザーの流出

 さらに近年になって、コミケでエロ同人に10万以上ぶっこんでいるようなオタク達を萌えコンテンツから遠ざける事態が発生してきている。MMOをはじめとするネットゲームの普及である。ネットゲームは実際はエヴァ・葉鍵時代から徐々にではあるが普及しており、ディアブロやUOの頃から先行オタク層を中心にプレイされていた。しかし、萌えオタ達の多くも本格的にネトゲに手を染めるようになったのは、2000年前後ぐらいからという印象を受ける。

 ちなみに、私の索敵範囲内に引っかかり得る萌えコンテンツ消費者で、何らかのネトゲに大量の時間をぶっこむようになった者の割合は、標本数30ほどのうち、「2人程を除く全員」で、パーセンテージとしては90%を優に超える。いやまあ、きっと私の周りが偏っていたんだと…信じてますけどね。

 元々、萌えコンテンツのヘビーコンシューマ達は、本編で取り扱ったような劣等感の強いオタクが多かったり、オタクコンテンツの消費以外の趣味への親和性に乏しかったりする者が多い。そんな彼らにとって、1995年〜2000年頃までの萌えの全盛期は夢のような時代だったかもしれないが、萌え界隈は前述の通り荒廃の一途を辿っていった。たまたまか必然か、この時期は萌え界隈だけでなく、コンシューマゲーム機界隈やアーケードゲーム界隈でも息切れが目立ちつつあり、オタクコンテンツから離れることの出来ないモノカルチャーなオタク達の間で、新しい楽しみに飢えている雰囲気があったことと思う。

 丁度こんな感じでオタク界隈全体に閉塞感が広がった頃、ネットゲームは颯爽と登場し、彼らを退屈から救い、萌え界隈からネットゲーム界隈にさらってしまったのである。PSO、FF11、ラグナロク等といったゲームは、ネットゲームのプレイ人口増加に大きく貢献し、彼らに新しい自己実現の疑似体験・寂しさの解消・性欲解消(の可能性というか幻想)・同じ趣味の者同士のコミュニケーションの場などを提供する事に成功した。萌え界隈のコンテンツがキャラ⇔オタクの間で一方向的関係に終始し、結局は自己愛的営みを誘導するだけの娯楽だったのに対して、ネットゲームは曲がりなりにも他人との付き合いや関係性を提供する(或いは強いられる)娯楽だった所が、元気の無い萌え界隈に飽きていたオタク達にはとりわけインパクトがあったのかもしれない。

 しかもネットゲームにおいては、彼らが劣等感を持っている諸要素(対異性のリソース不足や、コミュニケーションスペック)を問われずに対人関係を築く事が出来、時間さえかければ確実に努力は成果になって返ってくるときている。劣等感が強いほど、自分に自信が持てないほど、リアル生活に不全感を強く持っている人間ほど、こうした諸要素はたまらなく魅力的だった事だろう※1。ネットゲームの持つ魅力は、萌え界隈の住人達をも超えて沢山の廃人を生みだすに至った。

 ネットゲームの普及に伴って、ヘビィなオタク達の多くは、萌え界隈から完全撤退する事はなかったにしても軸足を完全にMMOに移してしまった感がある。幾らヘビーなオタク達のフットワークが鈍いとて、閉塞したエロゲーやギャル漫画より面白そうなものがあれば引っ越すぐらいの事は可能なわけで、彼らは萌え界隈に時間とお金をあまり割かなくなってしまった…それも、萌えに色々ぶっこんでいたオタクの相当の割合が、である。これではギャルゲーや萌え漫画のオタク界隈に占める割合が低下するのは避けられない。そのうえネットゲームは時間は食うものの、お金は食わないというメリットも持っている。ああ、そういえば2chの一部なんかもネトゲと類似した性質とメリットを持っているかもしれない。

 2000年以降を総括すると、様々な要因が重なって“萌え”が衰退した時代、と言って良いと思う。個々のエロゲーニッチではかなりの佳作が生まれ、萌え漫画/アニメもまずまずの品質のものを輩出してきたにも関わらず、市場の縮小とニッチの蛸壺化を免れる事はなかった。エヴァ当時の遺産と勢いはもはや萌え市場に残存せず、無為無策にデータベース(属性、お約束等)を組み合わせただけではオタクは萌えないという厳しい現実が、制作者側に突きつけられた。この時代に光を放った“萌え”作品は、萌え界隈のデータベースにまだ載っていないギミックを上手に用いた作品(月姫、君が望む永遠、マリア様がみてる)や、ある程度特化したニッチな作品(シスタープリンセス、はじめてのおるすばん)お約束的要素が強いにしてもそれを巧みに組み合わせたり品質を維持した作品(ふたりはプリキュア、ダ・カーポなど)に限られている。大ヒットが不在※2の時代が到来し、データベース集積にプラスαの工夫や品質維持を盛り込めた作品だけが生き残る時代がやって来たと考えられる。



 ☆看過できないエロゲー
 ・君が望む永遠(ハーレムを許さない疑似双方向性恋愛ストーリーが一部から叩かれたが、全体的に高水準。システム・演出・マーケティングでも高評価)
 ・月姫(2000年以後、おそらく唯一の大ヒットだが、これまでのヒット作とヒットの経緯がかなり異なる。※2も参照のこと。)
 ・はじめてのおるすばん(幼女&どエロというニッチに特化し尽くした作品。高い評価を得るも、ヒロイン非処女事件がエロゲー界隈で大騒ぎとなった)


 ☆看過出来ない非エロゲーム

 ・Ever17(小説ではなくゲームである事を生かしきった、凝りに凝ったシナリオ)
 ・2000年以降、多数のPC萌えゲーがコンシューマ機に流入するようになり、コンシューマ機オリジナルの萌えゲーがヒットする事は珍しくなってしまう。以後、コンシューマとPCエロゲーという垣根は希薄に。

 ☆看過出来ないアニメ・漫画

 ・シスタープリンセス(荒唐無稽だが特化した妹系。アニメ・漫画に分類したが、正確にはコンテンツ複合体としか呼びようがない)
 ・魔法先生ネギま!(属性の取り扱いに長けた赤松先生の作品。オタクが喜びそうな萌えの使い方をよく知っているうえに、実はクオリティも侮れない)
 ・ふたりはプリキュア(王道路線ながらも、手抜かりのないつくり。日曜朝の洗礼!)





 ・そして現在。“萌えブーム”“電車男”(2005年周辺)

 そして2005年現在、萌えは“電車男”や“メイド喫茶”、さらには幾つかの事件に関連した批判的言説を通して再び衆目に曝されている。エヴァの時と同様、萌えは再び黄金期を迎えるのだろうか?

 私にはとてもそうは思えない。
第一に、現在の“萌えブーム”が作品不在で進行しているという点が気になる。1990年代後半のブームでは、エヴァやときメモや葉鍵といった怪物的作品がブームを牽引し、これまでオタ世界にいなかった人達すら作品を消費したが、現在そういった機関車的コンテンツは市場に見あたらない。健闘をみせるネギま!などの良作もあるものの、往事の大作ほどに広く消費される事は至らず、一般層を巻き込んだムーブメントになり得る作品は存在しない。唯一、格ゲーやライトノベルとのタイアップで成功している月姫がそれに一番近いといえば近いが、そもそもアーケードゲームやライトノベルという分野そのものが非一般的なオタク分野であるという狭さを抱え、しかも月姫の賞味期限は既に終わっている。電車男やメイドカフェは、金儲けに血眼になっている人達を(一見すると繁栄しているかに見えて実は衰退している)萌え界隈に惹き付けるかもしれないが、電車男などで外から引っ張ってきた人達を捉えて萌え界隈に居残らせるだけの
 コンテンツが無ければ、萌え界隈の本当の発展には繋がらない。

 よって、このままでは現在の“萌えブーム”はオタク世界に定住する人をあまり生み出さないと見込まれ、「マスコミと女性が飽きたらそれまで」の一過性の花火で終わってしまう可能性が高いと私は推測する。テレビ版の電車男をみていると、今後一部オタクコンテンツや2chが一般化する可能性は見込まれるものの、萌えに供されるコアなコンテンツや萌えな活動自体は、今後も変わらず軽蔑されるか、見せ物扱いされそうな印象を受ける。現在マスコミが取りあげる萌えコンテンツの扱いやキモオタの扱いから、“こいつらの営みを嘲笑してもいいですよ♪”という態度を感じ取るのは、被害的に過ぎるだろうか。いやね、リアルでも色々やらかすオタクが一部混じっているのは分かっていても、ね。

 第二に、少子化の影響がにっちもさっちもいかない。オタク世界に堕ちてくるいたいけな子供達はまだまだ後を絶たないが、絶対数自体は少子化の影響で減少していくのは避けられない。一方、人数的に萌えを支えてきた団塊ジュニア世代周辺のオタクや、萌えの黄金期にオタク世界に飛び込んだオタク達は、萌えに対する情熱を既に失っており(性欲と性機能もね!)、今後は以前ほど激しく萌える事も無いと思われる。ネットゲーム・脱オタ・結婚・仕事に伴う中途脱落組も多く、本当にどうしようもないコアなオタクでない限り、萌え界隈と距離を取って付き合うのがこの世代のオタク達の一般的傾向となっている。よって、新規参入する人<飽き足り醒めたりする人 という減少傾向は止めきれないと思われるのだ。

 そして第三に、データベース消費・属性消費が洗練と爛熟を超えて、限界に達しつつあるという事も挙げておこう。この世界に入りたての人達はともかく、一定期間以上萌え界隈に滞在した人は、既存の属性やデータベースを組み合わせただけの凡庸な作品では自慰すらおぼつかなってしまう。単なる属性消費と自前の脳内補完でオタク達が盛り上がれたのは、せいぜいセンチメンタルグラフィティやときメモの時代までで、以降はデータベース(属性、記号、お約束他)に加えて、テキスト・画質・意外性・未知の属性やシチュ・メディアミックス的巧妙さ等々のプラスαが必須となってきている。よく考えてみれば、このプラスαに相当するものは萌えの黎明期から要請され続けていたわけで、萌えバブルとも言うべき1995年〜2000年頃の状況が異常だったとみるべきかもしれない。そしてプラスαを持った作品を仕上げるコスト、ことにニッチな作品以外で仕上げるコストを考えると、そんな作品がホイホイ生み出されるとはとても考えられない。いい加減な事をしても作品がはけた時代(つまり、萌えバブルな時代)には、最早決して戻れない。

 よって、現在の“萌えブーム”に乗じて萌え界隈が賑わう事はあり得ないと私は結論づけよう。メイド喫茶や2chが一般娯楽として認知される可能性こそあれ、Studio e.go!の作品はやっぱりオタっぽいと言われるだろうし、赤松健先生の作品もまた痛い痛いと言われ続けるだろう。少子化の影響や属性ニッチの蛸壺化もあって、萌え界隈は一層縮小していきかねない。

 しかし、決して暗いニュースばかりというわけではない。同人界は今でも一定の規模と活気を保っており、快作や名作がむしろ同人界隈から沸いてきている。それらは既存のデータベースを組み合わせたシュミラークルが殆どだが、歴史に名を残すような同人大作は、物凄く上質の組み合わせを達成していたり、大多数の萌えオタにとって未知の要素を外界から採り入れる事に成功していたりしている…プラスαを見事に採り入れているのだ。同人界隈の勢いも手伝ってか腐女子の跳梁跋扈もあってか、コミケ入場者はまだまだ多い。そういえば、萌え界隈だけでなく、シューティング等のマイナーオタク分野においても同人界の飛躍が著しい。そして何より、同人界には未だに活気がみなぎっている。

 確かに市場規模だとか一般ムーブメントだとかいった視点では、萌えは衰退を運命づけられている。これはもうどうにも避けられない。だが、先人達から営々と受け継がれる本当にコアなものや、本当に大切な何かは、2005年現在も(他の多くのオタクジャンルにおけるのと同様)同人という揺り籠の中で大切に守られているような気がする、制作する側にも消費する側にも。たとえ“萌えブーム”が去ってお金儲け大好きな人達がそっぽを向こうとも、一部のオタクコンテンツだけが一般化してコアなコンテンツが差別されようとも、萌えはおそらく絶滅だけはしまい。市場規模を小さくなったとて、その精神や姿勢・脂っぽさ・コミケの盛り上がりなどは、きっと後代にも継承されていく。メジャーな同人グループが企業ベースに乗ってしまって逐次すりつぶされようとも、混沌の坩堝は新しい作品や人間を吐き出し続けはしないだろうか。そういう期待感を最後に表明して、本テキストの筆を置こう。






 【※1たまらなく魅力的だった事だろう】

 ネットゲームの世界では、容姿も運も知的スペックも運動能力もリアル世界における経験値も全く問われない。ウルティマオンラインなら若干問われるかもしれないが、少なくともラグナロクなんかでは全くと言っていいほど問われない。ただプレイ時間だけが問われ、それによって様々な自己実現を疑似体験できるタイプのネットゲームは、自分に自信のない者や自己実現の乏しい者の心のスキマにジャストフィットのツールと私は考えている。そして、萌えオタ達をはじめとするオタク趣味耽溺者の少なからぬ割合が、こうした“心のスキマ、お埋めします”的なツールが現れた時に飛びついてしまったのではないだろうか?

 なお、心のスキマを埋めるツールの常として、ネットゲームもまたaddiction(依存)を形成する余地があると思われる(というより、あると断言してまえ!)。がんばれアディクションと家族!と言いたいところだが、ネット依存はともかく、ネットゲーム依存については斉藤環先生以外はあまり発言していない。じゃあお前が発言しろよと仰る方もいるかもしれないが、現戦力の私には無理。

 ネットゲームの魅力がもたらす諸問題に関しては、ラグナロクオンラインの廃人についてのテキストが当サイト内に存在するので、お暇でしたらどうぞ。





【※2大ヒットが不在】

 そうは言っても、月姫は萌えオタ界隈の住人の多くが一度は触れるほどの普及を示すに至ったという点で、大作と言えるかもしれない。2005年現在、渡辺製作所(現フランスパン)のメルティブラッドの威力もあって、往事の葉鍵ゲーム並みの広い範囲に月姫は普及している。既に終了したコンテンツの筈なのだが、余熱がくすぶっている。

 しかし同人からスタートした事もあって、月姫の初動はかなり遅かった。2000年の冬コミには早くも登場していた本作品が広い裾野に広がるまでには数年かかっており、しかもその間に大量のメディアミックス的付属品をアニメ・ゲーム・ライトノベル界に撒き散らしている。本編の出来が良かっただけでなく、関連コンテンツのクオリティが終始高レベルに維持されたという点が驚きであり、ここがエヴァ時代の大作とは一線を画している。エヴァ時代においては、本編は優れていても、メーカーからのメディアミックス的付属品はあくまでオマケ、ショボいものが比較的多かった。しかし月姫自体が初めから同人の生まれで、なおかつメルティブラッドを渡辺製作所が担当したお陰もあってか、本編後も高いクオリティを維持する事に成功している。むしろ、それらの付属品も本編と対等な取り扱いを受けていると言ってしまっていいかもしれない。今後、萌え界隈で大ヒットを飛ばそうと思ったら、手抜きなメディアミックスはもはや許されないという事だろうか?ここらを検討する為にも、月姫並みに盛り上がる新しい作品の出現に注目したい。(2006年注:Fateシリーズとひぐらしのなく頃は、こうしたセールス戦略と高クオリティを踏襲していると思う)