・シューティングゲームに登場する美少女達の歴史
    ――フェリオスからエグゼリカまで――


 ・はじめに

 まだドット絵が粗かった頃から、シューティングゲームには二次元美少女達が登場し、薄暗いゲームセンターの一角に華を添えていた。特に、ハードウェアが進歩しある程度のCGが描けるようになった1990年以降、美少女キャラクターが(殆ど全員が男性で占められる)シューターにお色気を振りまくという場面が少しづつ増加していったような気がする。気付けば21世紀。果たして、シューティング界隈は美少女キャラクターに溢れた世界になってしまっていた。これはどういう事なのだろうか?本テキストでは、シューティングゲームに登場する美少女キャラクター達の歴史を追ってみようと思う。また、各年代ごとに、美少女ゲームを幾つか紹介していこうと思う。




【1990年以前】

 1980年代は、ハード上の制約などから、魅力的な女性キャラクターを描画する事がそもそも困難だった。“かわいらしい雰囲気の作品”ならば、『ファンタジーゾーン』や『スカイキッド』等あったにせよ、色気を感じさせる女性キャラクターはなかなか出現しなかった。しかし、1988年頃から、十分に色気のある女性キャラのドット絵が遂にシューティングゲームに登場しはじめてくる。例えば『フェリオス』などある。シューティングゲームに登場するドット絵キャラクターが異性として男オタクを発情させ得るに至ったのは、私の記憶する限りこれが最初だと思う。

 注目すべきは、アルテミスの役どころである。彼女はあくまで囚われの身であって、面クリアごとに登場するエロいグラフィックは「拷問される美女」なのだ。昨今のシューティングゲームのように、美女自らが戦うわけではない。戦闘するのはあくまで男性たるフェリオスである

 同時代には、女の子が戦闘機に搭乗する『プラスアルファ』も登場していたものの、こちらはほんわかした世界観に覆われており、“戦う美少女”というイメージは未だ生まれていない。

【フェリオス】
 当時のドット絵水準で、どうやって色気を出すのかという命題に果敢に挑み、成功した作品。彼女は色々拷問された姿で登場するのだが、服のはだけ具合というか、エロく描こうという執念のようなものがグラフィックから感じられた。彼女が原風景になっているオタクさんも多いようで、今でもフィギュアや同人誌となってアルテミスさんは活躍している。




【1990年〜1995年】

 アンモナイトの如く奇形的に進化したシューティングゲームが栄華をきわめた後、急速に衰退していった時代。だが、1990年代前半はシューティングゲームの美少女達にとっては曙の時代だった。ハードウェアの問題はクリアされつつあり、美少女を丁寧に描画する敷居は低くなりつつあった。だが、この時代のシューティングはまだまだ硬派なつくりのものが中心で、色気を微塵も感じさせない作品が多数派を占めている。戦う女性キャラもぽつぽつ登場しはじめているが、「あくまで男キャラクター数人のなかの一人」という感じで、しかも彼女達の殆どは“戦闘機に乗っていて素肌を晒していない”(ただし、『ガンバード』の女性キャラ達は、箒や雲に乗って出てきている

 この時代には“囚われの姫”というテーマはまだ生き残っていた。『ゼグゼクス』は、クラウス・パッヘルベルに囚われたお姫様を助けにいくというストーリーだった。男性シューターが、お姫様を助けにいくロマンを夢見ることが出来た時代だったということだろうか。


【コットン】
 はじめて女の子が戦場に赴き、面クリア後のドット絵で「かわいらしさ」をも表現したのは1991年の『コットン』あたりが最初だろうか。以後、『ソニックウイングス』の真央まお・『魔法大作戦』のチッタといった具合に、戦う女の子キャラクターがポツポツと出現するようになる。なお、このコットンは、女の子が戦場に素肌を晒している同時代における例外的な作品だが、プラスアルファ同様、メルヘンチックでコメディな世界観故に“戦う美少女”という印象はあまり受けない。

【ゼグゼクス】
 描画能力は日々装いを新たにし、女の子のドット絵はどんどん美しくなっていった。『ゼグゼクス』はゲーム作品全体のドット絵クオリティが当時としては高い作品だが、勿論女の子もがんばって描いていた。しかも、囚われの姫の声を(ナウシカの声優の)島本須美さんがやっているというクオリティには驚く。

 当時コナミはツインビーシリーズに関する一連の企画も遂行しており、“女の子キャラを女の子として意識”させようとしていた意図は明らかだ。「そっち系のオタク」を意識した作品づくりをしていたのはほぼ間違いないだろう。





【1996年〜2000年】

 シューティング業界が激しい淘汰に晒され、いよいよ下火になってきたかに見えた時代。しかし、コアなファンと制作者によってシューティングの灯火は大切に守られていた。『バトルガレッガ』『怒首領蜂』『レイストーム』『レイディアントシルバーガン』といったこの時代の傑作硬派シューティング群が、その後のシューティングゲームの趨勢を決定づけていく。

 この時代はリリースされたシューティングゲームの作品数そのものが少なく、美少女キャラクターを全面に打ち立てた作品の絶対数そのものも少ない。『ティンクルスタースプライツ』『バトライダー』のような、1995年以前と同様の(美少女的)特徴の作品もまだまだ多い。即ち、女の子がファンタジックな世界で暴れているに過ぎない作品や、女の子が戦闘機やメカに搭乗しているタイプである。

 しかし、新しいカテゴリーの美少女達がシューティングゲームに搭乗し始めたのもこの時代である。即ち、『エスプレイド』『ぐわんげ』『戦国ブレード』の女性キャラ達のように、女の子が戦闘機から降りて、自ら武器を振るって戦場で凄惨な殺し合いをやるようになったのである。これまで、戦闘機やファンタジーによってそれとなく回避されていた“男の代わりに女が戦場で戦う”という禁則は遂に破られた。シューティングゲームを支配してきたマッチョイズムが、遂に崩壊した瞬間である。


【エスプレイド】
 現在ではむしろ多数派にすらなっている、“戦闘機やメカに乗らずに人間そのものが戦うタイプ”のシューティングゲームの代表作。以後、CAVEをはじめ多くのメーカーが生身の人間が弾幕に晒されるゲームをリリースしていく。女性キャラクターも例外ではなく、いろりは、“そのままの姿で浮いている”のだ。今でこそ、弾避けシーンを素肌の女の子が回避する描写は当たり前になっているが、その傾向は1990年代後半に生まれていたと推測される。




【2001年〜現在】

 年表の関係で2000年からで区切ってあるが、実際は2004年後半あたりで大きく分かれている。2004年以前は、女の子が出てくるシューティングは、せいぜい『プロギアの嵐』『式神の城』ぐらいだった。しかし、2004年後半の『虫姫さま』以後、シューティングゲームの世界は女性キャラクターによって一気に席巻されていく。もはや、戦いに赴くのは男の子ではない。助けを求めていつまでも拷問され続ける姫君も存在しない。臆することなく弾幕に突っ込んでいくのは、21世紀のグラフィック技術で美しく着飾った少女達だ。しかも彼女達の多くは、戦闘機や戦闘メカに守られるまでもなく、身一つで戦場に赴くのだ。

 『虫姫さま』以降にリリースされた作品のうち、まともに女の子が登場しない作品はたった二つ、『アンダーディーフィート』と『雷電3』だけである(たったの17%!)十年前は女の子が登場する作品を探すほうが大変だったのに、今では女の子が登場しない作品を探すほうが大変だ。時代はすっかり変わってしまった。今や、シューティングゲーム界隈は若い果実の芳香に充ち満ちている(←うわ、キモい表現!)


【虫姫さま】
 ゲームそのものはしっかりとした出来の弾幕シューだが、とにかく「女の子」を意識させる作品。クリアすると出てくるレコの寝姿その他は、とても綺麗に描かれている。また、声が凄い。鼻にかかったような甘ったるい声がゲーセンに響き渡る。あと、やられた時の叫び声がゲーセンじゅうに木霊するのはかなり恥ずかしかった。

エプスガルーダU
 ボタン操作で男の子と女の子にキャラクターが入れ替わるシューティングゲーム。勿論このゲームも弾幕シューとして高いクオリティを誇っており、キャラの魅力でごまかすような卑怯な商売はしていない。このゲームには、美少女のほかに美少年キャラ(ショタキャラ)が登場する点に注目。プレイヤーは、美少女キャラとショタキャラのどちらかお好みのほうに自らを重ねることが出来る。

鋳薔薇
 そもそも、シューティングゲームの老舗・CAVEが美少女キャラゲーしか出さなくなった影響は大きい。鋳薔薇は、クリア時の女の子の絵がボスパーツの破壊状況によって変わるようなシステムになっていた。太くて長い波動ガンをボスにねじ込むさまは、まるでボスキャラを強姦しているような錯覚をプレイヤーに与える。

【エグゼリカ】
 「我々シューターはついに到達した……っ!!『エグゼリカ』に到達した!!」という感じのロリロリシューティングエグゼリカ。二次元美少女の色香を売り物にしようというストラテジーの極北。ロリ、スクール水着、メカと女の子、きわどいカメラアングル。そのくせ、作品はシューティングゲームそのものとしても意外とよく出来ていたりする。そうは言っても、ここまで来るともう露骨すぎて脱衣シューティング状態だ。かつて、硬派なものとされていたシューティングゲーム界隈は、遂にロリオタが諸手を挙げて歓迎するような作品を輩出するに至った。これはすごい。




【考察】

 このように、シューティングゲームに登場する美少女の傾向は時代とともに移り変わっている。大雑把に傾向をまとめると、

・1990年代前半まで:囚われの美少女を男性主人公が助けにいく。

・1990年〜2000年:男性キャラクターに混じって、女性キャラクターも一緒に戦う。しかしあくまで戦闘機に乗って。

・1990年後半〜:女性キャラクター自ら、女の子の姿のまま戦うようになる。

・2004年〜現在:どこもかしこも戦闘美少女だらけ。

 ということになるだろう。この変化は、シューティングゲームと美少女を消費するオタク側が期待するシューティングゲーム像・美少女キャラ像の変化に伴うものだと私は考えている。

 1990年前半は、まだシューティングゲームは硬派な男の戦いというイメージがあったし、シューター達は硬派な男性性をシューティングゲームに託していた。一部の例外はあるにせよ、『F/A』『ガンフロンティア』『雷電』、さらにアイレムの一連のゲーム群は、アーケードゲームプレイヤーの「戦う強い男でありたい願望」にがっちり応えていた。戦うのは男で、戦場に立つのも男。女の子はあくまで男の子に救助されるべき存在として期待されていた。
 
 だが、少しづつ少し様子が変わってくる。おそらくは格闘ゲーム界からの影響もあっての事だろうが、戦う男達のなかに「女の子パイロット」が混じるようになってくる。女の子キャラクターを混ぜたほうがインカムを稼げるだろうという読みもあったのかもしれない。とはいえ、まだまだ戦場は男のものだった。彼女達は、素肌を戦場に晒さず、あくまで戦闘機のコックピットのなかに閉じこめられていた。あるいは守られていた。それ故、少なくとも1990年代の中頃ぐらいまでは「硬派な男の世界」というマッチョイズムが浸食されることは無かったし、浸食されることを期待する向きも少なかった

 そして1990年代後半になると、戦闘機を降りて自ら戦う美少女が戦場を疾駆するようになる。『ぐわんげ』の小雨や『式神の城』の小夜など、もはや男性シューターのマッチョイズムを牽引するには全く相応しくない存在が頻繁に登場するようになり、シューティングゲーム界に定着していった。アーケード至上主義を掲げ、硬派と技術力を旨とするシューター達からの反発も相当のものだったにせよ、戦場は次第に美少女達によって占められるようになっていった。そして2004年の『虫姫さま』以降、この傾向は決定的なものとなり、『エグゼリカ』のような脱衣麻雀めいた作品を生み出すに至ったわけである。

 もはや、“男が戦場で戦い女を守り助ける”という古典的なマッチョイズムはシューティング界隈から消え失せたのだろうか?いや、そんな事は無いだろう。伝統的に、シューティングゲームの世界は男性性を重んじ技と力を重んじる体育会系のノリを未だ保持している数少ないオタクニッチなので、軟派な美少女キャラの跋扈を嫌うシューターは数多い(私も実はその一人である)。にも関わらず、自らを“戦う美少女に仮託する”“女の子に戦って貰う”願望を持ったオタクには好都合な作品が跳梁跋扈するに至ったのは何故か。

 可能性は幾つかあると思う。まず一つに、メーカー側が、新規のシューター開拓の手段として美少女を投入した可能性。シューティングゲームというオタクニッチは、1990年代の淘汰の波のなかで絶滅危惧種にまで追いやられていた。そんななか、美少女という餌によって新しいプレイヤーをオタク界隈から引っ張ってこようという思惑があったのはほぼ間違いなく、そしてその思惑は幾らかなりとも成功していると思う。しかも、古参のシューターは、美少女キャラだろうが何だろうが関係なく遊んでくれるお客さんなので、美少女だからといって離れていくわけでもない(いや〜な顔はされるにしても)。質の高い弾幕さえあればシューターはゲームから離れないだろうし、事実、『虫姫さま』以降の美少女シューティングゲームはこうした古参シューターの需要にも応えていると思う。

 もう一つ考えられるのは、現役シューター達の願望そのものが変化していった可能性だ。この十年間で、二次元美少女を消費するオタクの姿勢は大きく進化した。即ち、これまでの「男として欲情する対象としての美少女」という消費の仕方だけではなく、「自分自身を美少女に重ねるナルシシズムと倒錯の夢※1」の悦楽が男性オタク達に普及するようになったわけだが、この影響をシューティングゲーム界が受けている可能性は無いだろうか?っていうかメーカーもそこの所を理解したうえで作品をリリースしているっぽい。

 単に性的願望をぶつける対象としての美少女キャラクターならば、囚われの身の美少女をどんどん登場させたほうが消費者に喜ばれるだろうが、昨今のオタクな消費者はそれに飽き足らず、自らを美少女に重ねる愉しみをも知っている。自分自身を美少女に重ねるナルシシズムをも享受したいならば、美少女そのものをプレイヤーが操作する形式のほうが都合が良い。それも、戦闘機のコックピットなどに引っ込んでないで、美しい姿も顕わに戦場を駆けめぐったほうが良い。勇ましく戦う美少女達は、性的願望をぶつける対象としても、自分自身を重ねて陶酔する対象としても消費可能な便利な媒体と言えるし、だからこそ次第に勢力を拡大してきたのだろう。そして、現在オタク界隈に留まっているオタク達は両方の消費形式に長けており、シューターの少なからぬ割合もまた、それなりに二次元美少女オタクとしての性質も掛け持ちしているのである※2


 【おわりに】

 以上、シューティングゲームに登場する美少女達の歴史を紹介し、その変遷の原因について考察を付け加えてみた。シューティングゲーム界隈で美少女達キャラクターが増加している直接の要因は、メーカーによるユーザー開拓に起因する部分が大きいと思われる。

 一方、メーカーがリリースする美少女の質的変化――捕まった姫君→戦闘機に乗った美少女→戦闘機を降りて戦う美少女――は、プレイヤー達の消費志向の変化を反映していると考えられ、オタク界隈における二次元美少女消費形式の変化に概ね沿ったものと考えて良さそうである。即ち、“性的願望をぶつける対象”としてだけでなく、“自分自身を重ねるナルシシズムを牽引する対象”としても美少女を消費し得る、昨今の二次元美少女オタクの消費様式が、シューティングゲーム界にも影響を与えていると私は考えるわけなのである。



 【参考サイト】
これらのサイトの熱意とご経験に支えられて、本テキストは制作されています。


 AC版「フェリオス」ギリシャ神話旅紀行
 あっくんの基盤の館
 レトロゲームジェネレーション
 wikipedia「シューター」

 特に、鋭意作成中さんは凄く重宝しました。ありがとうございました。









【※1自分自身を美少女に重ねるナルシシズムと倒錯の夢】

 二次元美少女ゲームの消費様式は、当初、「男たる俺が女をみて欲情する」というものが中心で、“男が女を捜し選ぶ・男が女を犯す”という能動性が比較的保持されていた。保持されていたというよりも、“それ以外の願望が含まれている事にクリエイター側がまだまだ鈍感だった”だけのような気もするし、漫画・同人界隈はもっと早くから“女の子に自分を重ねたがるオタクの願望”を受け止めていたように思えるが。

 しかし『ときめきメモリアル』が登場した頃から、“女が男を選ぶ”という受動的な立場がゲーム界でも登場するようになり、さらに、ショタキャラや美少女キャラに自分自身を重ねるような倒錯願望を受け止められる作品も増えてきた(例:はじめてのおるすばん、マジカルウイッチアカデミーなど)。一度自らの願望に気付いたオタク達は、その後、男性性を一方向的にぶつけるだけの対象として美少女を消費するのみならず、自分自身を美少女に重ねることでナルシシズムと倒錯の快楽をも(屈託無く)享受するようになっていく

 オタク自身が、美少女キャラクターに自分自身を重ねていくさまについては、詳しくはこちら【異性キャラへの同一視・ショタキャラへの同一視】が参考になるかもしれない。



 【※2掛け持ちしているのである。】

 むろん、このような傾向が少しづつ古参シューターに染み渡ってきた事を強調するだけでは片手落ちだろう。『式神の城』『虫姫さま』『東方シリーズ』などによって、比較的新しくシューティングゲームに引っ越してきてくれた人達のなかに、二次元美少女オタ属性の強い人達が比較的多かったことは忘れてはならない。こうした新規流入組によってシューター全体の質的変化が促されたことも指摘しておく。

 美少女シューティングゲーム群は、実際、美少女に惹かれるようなオタク達を他のオタク分野から引っ張ってくることに成功している。硬派な姿勢でアーケードシューティングゲームに取り組む古参シューターが徐々に質的に変化しただけでなく、新しい萌えの作法を身につけた新しいプレイヤー層が増大することによってシューター集団全体が大きく変質した可能性にも注目したい。