もくじ 

猫屋敷クロニクル 1


I
二十歳の頃、白と黒のぶち猫を飼っていた。家の前で拾い上げたときは片手に載る大きさだったのが、見る間に筋骨隆々の巨大猫に育った。彼は、当初、「タマ」とか「ぶち」とか適当に呼ばれて名前が定まらなかったが、のっそりとした体躯で、夏は板の間で魚河岸のマグロの如く、冬は膝の上で蒸かし饅頭の如く、ただひたすら惰眠をむさぼり、覚めては食うばかりの生活態度から、いつしか「よたろう」と呼ばれ、それが彼の終生の名前として定着した。

II
よたろうが我が家にやってくる十数年前、よたろうの柄と同じく、頭のてっぺんから背中にかけて漆黒で、四肢と腹側が白い猫が近所に住んでいた。家の裏が近所の猫の通路になっていて、いろいろな猫がここを通ったが、この猫もしばしば姿を見せた。やはり、大柄な雄猫で、飼い主を持たずに生活しているらしく、目つきや毛の色つやが荒んでいた。たぶん、町内を仕切る親分猫だったのだろう。歴戦の兵の古傷が体中に刻まれていた。

当時、隣家に住んでいた老人は、若い頃は腕のいい旋盤工で、引退後は多趣味な隠居生活を送っていた。明治生まれの職人らしく、小学生であった私をつかまえて、時々、渋い洒落や蘊蓄を伝授してくれた。 老人は、この猫を「ナベカツギ」と呼んでいた。カマドで煮炊きをしていた時代の鍋は、熱効率のために煤で底を黒く塗ってある。その鍋をひっくり返して担いで歩くという見立てである。

III
ナベカツギの風貌は、軟弱な家猫どもとは一線を画し、人に媚びない狷介孤高のの趣があった。
そんな彼を見て、父が賭を持ちかけてきた。あの猫を籠絡し、抱き上げることが出来たら500円やるというのだ。挑発を受けて立った娘は、母に隠れて台所の煮干しの袋を持ち出し、狷介孤高の懐柔につとめた。撒き餌ををすること3日目に、ナベカツギはカタクチイワシの美味に参って、あっけなく腕の中に陥落した。心は許していないが、煮干しの味と人に身を預けることの因果関係を彼なりに理解しているようだった。難しい顔をして、子供の不安定な抱き方にこわばった体をゆだねていた。

私が手にした懸賞金はたちまち母に取り上げられたが、母はその500円で私名義の口座を開いて、自分で管理するようにと通帳を持たせてくれた。この通帳は、数十回の繰越しを経て、現在も使い続けている。

よたろうの名前が二転三転していた頃に、「なべかつぎ」も候補に挙がったが、鍋を背負って歩くのは、やはり、漂泊のボス猫にこそふさわしく、坊ちゃん然としたよたろうにはついに馴染まなかった。

IV
よたろうの話に戻る。
植木屋さんに庭木の消毒に来てもらったとき、機材の物々しさに怯えたよたろうが、松の木にかけ登って、消毒作業が出来なくなったことがあった。職人さんが口笛を吹き鳴らし、あの手この手でバカ猫に投降を促したが、埒があかないので、乞われて私が説得することになった。庭先に降り立ち両手を腰に当て枝を見上げ、「よたろう、ご飯やでっ」と一声呼ばわると、よたろうはするすると枝を降り来て、職人衆の失笑を買った。

また、この頃に、親戚の思惑で引き合わされた見合い話がどんどん進み、相手を自宅に招待せざるを得なくなった。よたろうは、歓談の席で、婿候補が箸で取り上げた唐揚げを、婿候補ごとなぎ倒さんばかりの猫フックで強奪し、乗り気でなかったその縁談を瞬時に白紙に戻してくれた。
阿鼻叫喚の宴の幕が降り、家人も寝静まったその日の深夜、台所の隅で私はよたろうに残った唐揚げを好きなだけ食べさせ、その恩に報いた。

V
鶏や魚を好むのは猫の特性として当然ながら、よたろうの特筆すべき好物は、カボチャとキュウリと大根だった。
カボチャは、蒸かしたものをそのまま与えると、ヒゲの根本がオレンジ色で目詰まりするまでがつがつ食った。やがて、煮物用にと面取りして下ごしらえしてあるものを、くわえて持ち去って、物陰で食い散らかすようになった。

キュウリは、うなきゅうの、ウナギ欲しさにねだるので、一口分を手のひらに載せて差し出すと、ウナギとキュウリの区別なく呑み込んだ。ならば、うなぎ抜きのキュウリのみなら如何かと試したら、食った。さらに、生の青キュウリを食ってみるかと尋ねたら、薄切りしたものを一本分見事に平らげた。

大根は、最初は刺身のツマが欲しいとせがんだ。小皿に三角盛りにして差し出すと、千切りの糸の塊を、そばを食うように、引っ張り出しては咀嚼して飲み下し、またずるずると引っ張り出しては噛みしめて飽くことがなかった。生臭さの移った大根を魚と錯覚しているのだろうか、それにしても淡泊なものをと呆れていたら、翌日風呂吹き用に買ってきて、投げ出しておいた青首がでこぼこに囓られていた。

VI
当時、私の家は住宅街のまっただ中で、ぽつねんと歯科医業を営んでいた。我が家の歴代の猫はみな、一歩外へ出ると、近所の人たちから「歯医者の猫」と呼ばれていた。

歯医者の猫は甘やかされていたので、診察時間中も治療室や待合室を自由に闊歩した。よたろうは、覇気のない面相と、猫ばなれした体格で、患者さん方に珍しがられ、可愛がられた。癒し系の先駆だったかもしれない。
ただ、当然、世の中の人全てが猫好きというわけではない。ある気の毒な猫嫌いの患者さんは、麻酔中によたろうに膝の上に飛び乗られ、そのまま丸くなって昼寝を始めた巨大猫の恐怖に悲鳴をあげることも出来ず、金縛り状態で抜歯手術を受け続けた。

VII
歯医者の猫と言えば、昔飼っていた茶虎の猫について、未だに悔やまれることがある。
茶虎は、ある日、ほっぺたをビー玉大に腫らして外から戻ってきた。皆は、蜂に刺されたのだろうと笑って注意を払わなかった。ところが、3日ほどして、猫の具合が急に悪くなった。慌てて獣医さんに担ぎ込んだが、可哀想なことに、手遅れだった。
獣医師の話によれば、腫れは蜂に刺されたのではなく、歯茎が化膿したせいだという。その毒素が全身に回って衰弱したらしい。猫は、化膿の傷にとても弱い。
その晩、猫は、毛布を敷いた段ボール箱の中で息を引き取った。

歯医者の猫が歯槽膿漏で死んだ。
泣いていいのか笑っていいのかよくわからないうわさ話が近所に広まった。

つづく

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