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かまくら颱風 2

わたしたち3人は脇道に入って正面に見える白亜のレストランを目指した。
ところで、表通りから眺めたときは木立に隠れていたが、小道をたどるにつれて、左手にログハウス風の一軒家が姿を現し、そこは気さくなパスタランチを提供するイタリア料理店だった。開放的な広い窓の向こうで談笑する観光客の食事風景にわたしたちの心は一瞬揺れたが、前日の夕食のうらぶれ加減を払拭するには、一品で満腹するペンネ・アラビアータやきまぐれリゾットよりも、「テリーヌやムースやスフレやガスパッチョを一口ずつ取り合わせた可愛い前菜、うまみたっぷりの魚介コンソメもしくは生クリームふんだんの根菜ポタージュ、近郷農家の鎌倉野菜による温野菜をはさんで、メインは仔牛だか子羊だか雛鳥だかの真空調理法・一昼夜かけたソース添え、小さな丸いパンは狐色の皮がつややかな焼きたて胡桃入り、そのあとは軽い焼き菓子と旬の果物と出来たてアイスクリームの盛り合わせか、熟した白カビのチーズでまとめるかなぁ、食後は灼熱のエスプレッソも悪くないけど、胃に優しいハーブ・ティーか、いっそ煎茶が出てきたらめっちゃオシャレかも。」的な気分を満たしてくれるに違いないヌーベル・キュイジーヌに一発逆転のカードを託した。わたしたちは歩調をそろえ袋小路に向かって直進した。

はめ込み小窓のある扉をゆっくり押すと、まず目に入ったのはアンティークのレジスターとマホガニー調のカウンターだった。その奥に厨房の出入り口が開いていて、コック帽をかぶったヒゲの中年が配膳台を前に腕組みをし、助手に何事か指示を与えていた。ヒゲ料理長の横顔はちょいと渋く険しく、これは仕事に妥協を許さない職人の気迫に違いないと想像をふくらませて狭いホールに3人ひしめき合っていると、横手から天パをひらひらさせた長身の青年がひょいと現れて、給仕服の胸ポケットから伝票を取り出し、棚台の丸盆をつまみ上げて、手首を効かせ軽く回転させ、キャッチしたあと小脇に挟み、小首をかしげて3名様ですかと尋ねた。

天パひらひら君の誘導に従って続き部屋に移動すると、そこは坪数の割に椅子とテーブルが密集しているダイニングであり、わたしたちは蟹のように椅子の背と背の間を縫って、奥付の角のかなり窮屈な席を与えられた。大きな旅行鞄を苦労して足下に置き、ひらひら君からメニューと冷たい水をもらって一息つくと、全部で8卓あるテーブル席は窓際の1卓を残してすべて先客で塞がっていることに気づいた。見上げた活況であり盛況である。わたしたちは、お昼時にやや遅れて入店したのだから、狭い席の割り当てに不平を鳴らすべきではないと了解した。

メニューには、お昼向けに構成された3段階のコース料理が提案されていた。お値段は3000円をベースラインに1000円単位で上昇し、お支払いの楽な方からA、B、Cとランク付けされている。いささかお高くはあったが、一発逆転のための投資であれば腹をくくらねばならなかった。
さて、ABCいずれのコースも、主菜の動物性タンパク質は、牛か魚か客の好みで指定できるらしく、たとえばBコースならば、グリーンサラダの前菜、西洋ネギのスープに続き、メインに牛を選択するならば、ロース肉のシンプルな炙り焼き・マデラ酒とフォンドボー仕上げ、魚の場合はフライパンで焼き目をつけた後、釜で蒸し焼きにした白身魚の、欧州の僻地の漁港の名を冠せられたソース添えであり、甘いお菓子はスキップするが、食後のコーヒーとパンが付くという構成だった。わたしたちはAコースもCコースも併せて吟味し、印刷された文字から味と内容を精一杯想像したが、ある意味限界を感じ、当たっても外れてもリスク分散型のBコースを選択することに衆議一決した。友人の一人は牛を、わたしともう一人の友人は魚を選択して、ひらひら君を呼んで希望を伝えた。

さて。料理が到着するまでの間、わたしたちがグラスの冷水をすすりながら横目で観察するに、どうにも先客たちのはき出す空気が重く沈滞している。それは多くのテーブル席で前菜の皿やスープのカップが、終わったあとも片付けられることなく放置されているからであり、皆、頬杖をついてメインディッシュの到着を待ちあぐねているからだった。顧みれば、この倦怠感こそ壁一枚隔てた厨房で進行中であった「事件」が引き起こしたものだったが、わたしたちは前日おじゃんになった観光スケジュールを取り戻そうと早朝から休憩なしに歩き回っており、ねばった足腰を背もたれのある椅子に委ねて回復の心地よさに浸っているところだったので、けだるい空気はむしろ内なる疲労に由来すると解釈し、それ以上の詮索をよして暢気な雑談に興じることにした。

グラスの表面を紗に曇らせていた霧の微粒子が玉の汗になり、アメーバ状に形を崩して重力に逆わずダラダラ流れ出しても、わたしたちのテーブルには何一つ届かず時間が過ぎた。退屈と空腹が不機嫌の虫に蹴りを入れ始めた頃、厨房の方角からひょいと現れたひらひら君が、両の手で合計3つの皿をささげ持ち、蟹歩きでこちらに近づいてきた。それはわたしたち待望の一皿目であり、食のプロ演出による野菜の競演であり、店のお手並みを拝見できる最初の機会のはず、だった。
ひらひら君の給仕にかしこまり、居ずまいを正して、わたしたちは精一杯の敬意をもって料理を迎え入れた。しかし、ひらひら君は、食材の由緒来歴、その日の趣向、シェフが示唆する賞味のポイント等々をなんら語ることなく、彼らしからぬ三角形の目をして、あたふたと蟹走って再び厨房に引きこもってしまった。

そもそも、ひらひら君とはひらひら君として存在するだけで天然の愛嬌を放ち、背はすらりとして顔も悪くなく、薄茶色の天然パーマは風によくなびき、真面目で健気でひたむきで、かつ未熟で間抜けが本領であった。彼が醸し出する「ドジだけど憎めないわね」感は、その日、女性客の比率が圧倒的であった店内で徐々に認知され、サービス係として明らかにヘボな点は、彼の健気さを際だたせるスパイスとして作用していた。
そんなひらひら君がVターンで立ち去った後、わたしたちは彼の素っ気なさと挙動について2,3の感想を口に出し合ったが、それよりも優先すべきは、ようやく姿を現した料理との対面であった。わたしたちは、おもむろに両手を合わせ、いただきますの感謝を天地人に捧げてフォークを取り上げ器の中身を突き始めた。

はたして、そのグリーンサラダは、緑色という点でグリーンであり、生野菜という意味でサラダの類ではあったが、少なくともリヨン風とかニース風とかではなく、それ以外の何風であるかの詮議を受ける前に、おままごとの雑草ごはんを彷彿とさせる外観と、鼻腔から侵入してこめかみを粉砕する酢の刺激臭に、わたしたちは言葉を失った。
わたしたちは目をぱちぱちさせながら、裁断された野菜の一片一片をフォークで採取し、口へ運んだ。人は理解不能に追い込まれたとき、しばしば自分の理解力について自信を失い、相手の非ではなく先ず自分の責を問う。はて、わたしたちの感性は、干からび摩耗し衰え、時代の潮流からとっくに置き去りなのか。わたしたちは虚空の一点をにらみ、しゃこしゃこと顎を上下させ、五感を駆使して、そこにあるはずの「シェフの企み」的エッセンスをつかみ取ろうと努めた。
5〜6分だったろうか、無言のまま検証の時間が過ぎ、器の中身がすべて胃の腑に移動すると、わたしたちはフォークを静かに横たえ、握った拳を振り下ろして断言した。やっぱ、まずい。

昨今、コンビニサラダですら10品目とか15品目の素材をそろえ、味と栄養バランスと美観のための手間を厭わないのに、ここでは器ばかりブランド品で、筋張った青菜と気の抜けたキュウリと生ニンジンの千切りが全てとは、つまりはウサギの餌ではないか。下手にドレッシングにまみれている分、ウサギでさえイヤイヤをし、屁をこいて逃げ出すだろう。わたしたちも、空腹であったからこそ不覚にも平らげたが、本来であれば、ちゃぶ台を叩き割って薪にして付け火の燃料である。

それでも私たちは冷静沈着、あくまで常識と礼儀作法の人であったことを誇りに思う。暴れず騒がず厳かに掌を合わせ、ごちそうさまの挨拶を空の食器に捧げた。それは菜っ葉やキュウリの無念を弔う祈りでもあった。彼らは畑で育ち収穫された時までは、きっと健やかで無限の可能性を秘めていたにちがいない。ついでにわたしたちは、これからわたしたちを見舞うであろう運命をも危ぶんで瞑目した。この水準でコースが進み、最終、お会計の場で漱石4枚(当時・しかも外税方式)を徴収されるのであれば、店はコストパフォーマンス的に笑いが止まらなくても、客はくやしさの淵をまっさかさまである。台風に祟られた昨日の穴埋めにと一発逆転を賭けた大勝負だったが、早くも惨敗の二文字が見え隠れし始めた。

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