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かまくら颱風 3

ひらひらくんがやってきて、空のお皿を片付け厨房に退いた後も、サラダの残像はテーブルクロスの上に留まり続け、わたしたちを不吉な連想で苛んだ。それはウサギの餌のイメージに触発された動物の餌シリーズで、お猿さん御膳や、ロバ向けアラカルトや、はたまたアルマジロ仕様スペシャリテなどであった。さて次にひかえる一品はいかなる試練であろうか。お猿さん御膳のバナナやリンゴはぎりぎり許容範囲内としても、ロバやアルマジロが日常なにを食しているか、想像するだにおそろしい。

しかしながら、つらつら鑑みるに、旨い不味いの判定はヒトの感性の産物であり、物質が空間に三次元的に存在するような客観性に乏しく、数値や量の計測による絶対化が難しい。ならば、眼前の皿に盛られたのが仮にアルマジロの餌だとして、それに何ら客観的理由を付さずに、ただアルマジロの好みだからとして一顧だにしない態度は、はたして是と言えるのか。文化文明の粋を尽くしてなお「まずい」の立証が不可能である現状と、未だ人類が「うまい」の合理的認識を一致させられずにいる現実をないがしろにして、アルマジロの新しい(かもしれない)感性を軽んじるのは傲慢のそしりを被らないか。なによりも、アルマジロ諸兄に対する尊敬の念を欠いているのではないか。ならば次の料理が何であれ、己を無にして有り難く味わうべきではないか。でも、アルマジロの主食って、たしか、その辺を歩いている虫とか蛇だっりするんだよね。いや、虫って、案外良質なタンパク質なんだよ。でも、アンヨとかは硬いから、よく見ると蟻も食べ残してるみたいだね。なんにせよ、とりあえず熱はよく通しておいて欲しいものだね。

次なる敵の攻略に有効と思われたアルマジロ理論だったが、交戦の前に敗北感にまみれてしまった。先を憂うことに疲れて欠伸をひとつ繰り出すと、悲しいわけではないが角膜がじんわり潤ってくる。マブタをシバシバさせると、視界が光で乱反射して眩しい。そのまま部屋を見渡すと、向こう側の壁際で唯一空席となっているテーブルの、その背後の西洋窓からガラス越しに外の風景が明るくぼやける。涼やかな木陰に見え隠れするのはお隣のイタリア料理店だろうか、食事を終えて出てきたと思われる人影がゆらぎ、さんざめいていた。

かえすがえすも羨ましい光景だった。ここへの道中、ログハウスの前で感じた誘惑に殉じて、素直にペンネ・アラビアータと気まぐれリゾットで腹ごしらえしていれば、わたしたちも今頃は心地よい満腹感とともに、元気いっぱい午後の観光スケジュールに復旧していたのだ。ここで空費された時間は60分をはるかに超えており、わたしたちの食事はまだ序盤であった。帰りの列車の座席を予約していたわたしたちは、時計の文字盤に目をやり、残された余裕が刻一刻蚕食されていることを意識しだした。

熱いスープ皿がパン籠を伴い、ひらひら君の運搬によって、ようやくわたしたちのもとに届けられたのは、常識的な午餐の時刻を過ぎて、ややもするとお八つタイムにさしかかろうかという午後2時15分、堪忍袋はとうに臨界点に達していたが、どこかで安全装置が作動しているらしく、幸い爆発には至っていない。

しかして、この西洋ネギの図太い茎から抽出された琥珀色のコンソメが、予想に反して実に旨くできていたので、一同は驚きを新たにするとともに料理人の韜晦戦術に首をかしげ、だったら最初からやる気を出せよと評価を上方修正したのであるが、後から振り返るにやはり、この一皿のみが全体の均衡を破って無駄に美味であった。垂れ込める雲の裂け目から一条の光明を地上に漏らし、レンブラント光線の如き慈愛をわたしたちのテーブルに注いでしまったことの功罪が今こそ問われなければならない。それは不運な出来事続きの鎌倉旅行における唯一の慰めであったか、不毛の荒野にあたら希望の種を蒔き、笛を吹いて村人を踊らせた小悪魔の悪ふざけであったのか。
教訓として後世に伝えるべきは、紛れもなく後者であった。

一方、パン籠のパンは、原形を想像するに全長約70センチメートル、グリップ径約8センチメートル、バゲットの名前で知られ、町のパン屋さんに頼めば1本300円前後で入手可能な堅牢な小麦加工食品であったが、これは客が怒りに駆られて振り回すのを恐れたためか、とんとんと5センチメートル間隔に筒切りにされて、そのうち3片がわたしたちへの配給として籠に盛られていた。焼き上がってから、いささかの時間が経過していると思われ、オーブンで温め直してオリーブオイルを刷毛塗りすれば気が利いているのに、などという要望も思い浮かばないではなかったが、それはもはや邪欲であって、パンの割り当てにあずかったこと自体、至上の幸運であったと、わたしたちは知るべきであった。事実、わたしたちは後刻それを知ることになる。

ともかくわたしたちは、コンソメとパンを小腹の慰めとし、ひとときの満足を味わった。ちょうどその頃だっただろうか、ひらひら君の案内で、二人連れの若い女性客が窓際の空席に座る様子を目の端が捕らえたのは。屈託なく笑みをこぼし上品な内装や清潔なテーブルクロスに目を輝かせる姿は、まるで1時間前のわたしたちである。同情含みのいささか複雑な感情が彼女たちに対して生じたが、もちろんジロジロ眺めるなどという不作法は封印である。

ところで、この新しい仲間の登場をきっかけとして、レストランの客たちに思わぬ一体感が醸成されたのは誠に希有なことであった。未だ事情に不案内な彼女らを、ヒナを見守る親鳥のような暖かい視線で包んだのはわたしたちだけでなかったことが、あちらこちらのテーブル席の何気ない挙動から読み取れたのである。同じ日、同じ時刻、同じ空間に偶然同席し、一蓮托生を運命づけられた客同士の連帯感が、お互いに言葉を交わさずとも静かに芽生え、根を張りつつあったことが、彼女らを触媒として、はからずも浮上したのだった。

と、いったん厨房に引っ込んだひらひら君が、せかせかと客たちの間を縫って彼女たちの席に歩み寄り、何事かを告げた。彼が発した言葉は、彼女たちの保護者であるわたしたち全員の耳にも当然届き、それは要約すると、ただいまご注文頂いたコース料理において提供をお約束したパンであるが、実は払底してしまって本日中の補給が間に合わない。よって、パスタをもってその代替品といたしたいのだが、あなたがたにおかれてこの提案にご承諾をいただけるであろうか否か、といった問い合わせだった。
どうやら、このレストラン最後のパンを、わたしたちが食べてしまったらしい。今しがた喉を通り、消化管の暗がりの底でしどけなく眠りにつこうとしていたバゲットが、みぞおちのあたりで反転したような心持ちがしたのはともかくとして、ぱすた? どうにも座りの悪い響きである。違和感の原因に誰もがすぐに気づいた。国籍違いである。

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