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003 すたばの雪隠 1  

私がお昼ご飯をよく食べに行くスタァ・バクスの雪隠は、とても広々としています。一室のみではありますが、店の奥まった位置に、余裕あるスペースを割いて設えらえられています。中に入っていったん扉を閉めれば、外の喧噪は遮断され、静謐が満ち満ちてまいります。わたくしの中における年間ベスト・オブ・雪隠と言い切ってよいでしょう。もし、この厚い扉の外に次の待ち人がいなければ、畳を敷きつめ茶室にし、直ちに一客一亭の茶事を催すところです。それほどに、この閉じた空間は憩いに満ち、何時訪れても、清潔に磨き上げられているのです。

そんなある日、わたしは、雪隠ルームで一枚の張り紙を発見しました。それは、店当局から利用者各位に向けて発信された「おねがい。みんなのトイレだから、きれいに使ってね。」的なメッセージでした。
なんということでしょう。文面から推し量るに、この聖域を、なにがしかの方法で汚す輩がいるというのです。その程度も頻度も、店当局がビラをもって注意を喚起せざるを得ないほど極まっているというのです。なんと、嘆かわしいことでしょうか。

省みれば、雪隠は古来より低下したモラルの吹き溜まるポイントでありました。ご不浄などと蔑まれ、母屋から切り離されて、不当に虐げられた年月を送っていたのです。しかし、近年、その陰の属性を一掃し、次世代雪隠のあり方を模索しようというムーヴメントが俄に勃興いたしました。研究は進み、各種商品が開発され、個室空間における快適度向上の重要性は再認識を繰り返され、思想として成熟しました。
そして、雪隠に設備投資可能な資力及び発想が一流の証であるというコンセプトが一部上場企業レベルで確立されるに至って、雪隠はようやく過去の柵から解き放たれ、日の当たる場所へと一歩を踏み出したのです。裏を返せば、雪隠に重きを置かぬ輩は二流であるばかりか、トイレの花子さんと一蓮托生、没落を運命づけられたも同然との強迫観念をも産みだしているのです。

しかし、企業がいかに近代的雪隠構想を指針に掲げたところで、それを実現し維持するのは現場です。雪隠の清掃というものは、姑が妊娠中の嫁に対し「掃除に励めば美しいやや子が生まれる」等と何の根拠もない俗信をタテに強権的に押しつける例に見られるように、また、しばしば罰ゲームもしくは本物の罰として採用される事実から見て、あるいは、社内雪隠の清掃のほとんどがヒラの当番制であることからも明らかなように、それは、強制的事情がないと、いまひとつ関わる気になれない根元的性質を帯びているのです。
しかるに、わたしの行きつけである当該スタァ・バクスの雪隠は何時如何なるときでも水準を保っており、これは、マニュアルをはるかに越えた熱意がなければ、実現出来ないことであるに違いないのです。
かくして、壁に貼られた何気ない平凡な注意書きの紙を前に、わたしは、現場を支える裏方の心意気に思いを馳せ、深く深くシンパシーを感じたのです。

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