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008 童話「カタツムリの恩返し」  

前夜の雨があがり、朝、外に出ると、乾ききらないアスファルトの車道の上を、大きなカタツムリが這っていました。車に轢かれてしまってはかわいそうだから、殻をつまみあげて、ネズミモチの枝に移動させてあげました。

ところで、私が下心なしに、こんな親切を施すわけがありません。義理堅いカタツムリは、きっと恩を返しにやってくるはずです。いったいどんな恩を返しに来るのか楽しみです。

その晩のことです。戸口をカツカツと敲く音に応えてドアを開けると、今朝のカタツムリが、ガーリックバターを口いっぱい詰めて、玄関灯の淡い光の中、佇んでいます。そして「夜分に恐れ入ります。しばしアナタの家の台所をお借りいたします」と、とても礼儀正しく挨拶をしました。

「ここが台所です、カタツムリさん。」
私が案内すると、彼は部屋をぐるりと見回して、悲しげな目で私を見上げました。
「お手数ですが、アナタ、あのガスオーブンの扉を開けてもらえませんか」
私は言われるままオーブンの扉を開けました。すると、カタツムリはゆっくりと這って、オーブンの中に入っていくではありませんか。
「さあ、扉を閉めて! そして点火して!」
テフロン加工のプレートの中央に座り込んだカタツムリは、暗がりから私に命令しました。
「勇気を出して扉を閉めるのです!」ためらう私を叱責するようにカタツムリはたたみかけます。
言われるとおり私は扉を閉じました。そして 耐熱ガラスの窓越しにのぞき込むと、カタツムリは何か叫んでいるらしく、口がぱくぱく動いています。おそらく「さあ、火をつけて」と言っているに違いありません。

その時です。勝手口を突き破って、カタツムリの子供達がなだれ込んできたのは。彼らは、めざとく自分たちの父親を見つけ、わらわらとガスオーブン前に集って、口々に「とおちゃん」「やだ」「帰ってきて」と叫びます。
父カタツムリは、すでに観念の心を決めておりましたが、子供たちに気づくと扉に駆け寄り、ガラスにへばりついて、必死に何かを伝えようとします。
「とおちゃんっ」「とぉちゃんっ」
子供達は扉をドンドンたたいて嗚咽しながら父カタツムリの名を絶叫します。
父カタツムリも懸命に子供達に話しかけるのですが、その声は厚い耐熱ガラスに阻まれて、子供達にうまく聞こえません。
でも、それはきっと
「母ちゃんを頼んだぞーっ」
と叫んでいるのに違いないのです。

いくら、恩返しでも、こんなのはちょっとなぁ。

っていうか、これ、童話なの?

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