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エジプト

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2001年4月12日から17日に行ってきました。
バンコクからはMS(エジプトエアー)のダイレクト便で7時間です。


画像が多く、重い画面です。


 時差は4月ですので5時間、日本とは7時間の時差になります。
 この飛行機は成田出発でフィリピンのマニラを経由、バンコク、カイロと飛んで行く飛行機で、私たちがバンコクで乗った時、日本から来ている人は疲れ気味でした。
 さすがに、エジプトは遠いですね。
 エジプト入国にはビザが必要ですが、イミグレーション(入国審査)へ向かう途中にある銀行で、ビザ用印紙を購入します。
 入国審査時に、この印紙とパスポート、入国カードを出しますと、その場で一ヶ月以内滞在のビザスタンプをパスポートに押してくれます。
 パスポートに買った印紙が貼り付けてありました。

カイロに着き市内を走り、エジプト考古学博物館へ

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 市内を歩いていると、パン売りのおじさんが居ました、けっこう美味しそうでしたが、買ってる暇が無かったのが残念でした。
 エジプト考古学博物館は膨大な展示があり、1日では見切れない所ですが、クフ王の像とかツターンカーメンのマスクは必須で見ました。
 ツターンカーメンはマスクで有名ですが、実際王家の墓から出土した埋蔵品はものすごい量で、棺だけでも何重にもなっていてものすごく大きく見ていて感心しました。
 イギリスの考古学者ハワード・カーター卿によって発見されたツターンカーメン王に属する墓は、1992年に18年もかけて発見されました。
 2500点あまりの品物、地ターンカーメンの内棺だけでも110Kgの純金が使われ、これだけでもいかにすごかったか想像できますね。


ギザの三大ピラミッド、スフインクス、メンフィス、サッカーラの階段ピラミッド。


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 有名なギザのピラミッドはサハラ砂漠にある・・しかし町のすぐ側にありました。
 道路を隔てた対面は街です、ちょっと拍子抜けな感じでした。
 

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 ピラミッドへ入る前に、近くのレストランで食事しました、写真はレストラン前で演奏していた楽器を子供が触らせてもらいました。


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 ギザのピラミッドは約4500年前の古王国第4王朝の頃に造られました。ギザの世界遺産はクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドを中心とした墳墓群です。
 エジプトに残るピラミッドの中で、最も完成度が高く、保存状態がよいのがギザの3つのピラミッド。
 クフ王の第1ピラミッドの高さは本来146メートルだったが、現在は頂上がなくなっており137メートル。
 底辺は長さ220メートル。四角錐の各面は正確に東西南北を向いています。
 入り口から急傾斜の通路を抜けると、クフ王が埋葬されていたと考えられている王の玄室に出ます。
 カウラー王の第2ピラミッドは高さ143メートル。保存状態は3つの中で一番よいようです。
 このピラミッドの東側にある葬祭殿から参道が延び、河岸神殿に通じており、その横にスフィンクスがあります。
 メンカウラー王の第3ピラミッドは高さ65.5メートル。3つのピラミッドが並ぶ姿は圧巻でした。

ここで、らくだに乗れたので乗ってみました。

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 タイでは象に乗り、エジプトではらくだ、うちの子供は「次はいるかにと」贅沢なこと言ってますが、実際らくだに乗ってみるとすごく高い位置で見下ろすことになります。
 これは怖くなければとても気持ち良いですが、さすがにエジプト真昼間に長い間乗りたいとは思いませんね。
 スフインクスは三つのピラミッドより古いそうで、発見された時はほとんど埋まっていたそうです。
 顔は真東を向き、顔の部分はだいぶ破壊されています。
 人間の欲とは恐ろしい物で、ピラミッドのような目立つ物は盗掘にあって、なにも残っていない。
 エジプト考古学博物館で、ほんの小さなクフ王の像が対象的でした。
 よく考えてみると、王様の持ち物は、庶民や他国からの略奪(奪取)した物なので、芸術性を置いておくと盗掘も仕方が無いのか?
 それよかひどいのは、先進国(主にヨーロッパ)が国外へ持ち去ってしまった物が一番多いのは皮肉です。

メンフィス・ラムセス2世の像です。
 
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 横に居る人間の大きさから、像の大きさが判ると思います。
 最初に上下エジプトを統一したナルメル王が造営した首都メンフィスです。
 現在はほとんど廃墟となっていて、ここに、2階建ての建物に収納された横たわった状態のラムセス2世の像があります。
 カイロのラムセス広場にある  高さおよそ15mの巨像は、ここにある像と同時に発見され、対になっていたものだそうです。
 メンフィスに残されたものは足の部分と冠が破損していて、全体が12m弱です。
 1820年に発見されたときは左側を下にして横たわっていた。そのためか左半身の損傷が激く、頭部の周囲には二重王冠の一部も置かれています。
 王が額にしているコブラの飾りはウラエウスといい、下エジプトの中心だったブトの守護神で、統一以来、上下エジプトの王権の象徴ともなったそうです。
 また、付け髭の紐がこめかみから頬を通っているのは、シュメール人など髭の生える民族がエジプトを支配していた時代の名残だろうと言われています。
 ベルトに短剣を差し、バックルにはラムセス2世の名前がカルトゥーシュに囲まれたヒエログリフで刻まれ、豊かな厚い胸板、逞しい腕、大きく踏み出した左足など、王の力強さと威厳、偉大さを表現した素晴らしい像です。


モハメド・アリ・モスク
 

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 カイロのイスラーム地区の要塞シタデルの中にあるモスク。別名アラバスター・モスク、1857年に完成したこのモスクは、イスタンブールのモスクをまねて作ったアラバスター(大理石)のモスクです。
 19世紀半ば、当時オスマントルコの支配下にあったエジプトの近代化の基礎を築いたモハメド・アリによって建てられました。
 このモスクはイスタンブールのモスクを模して造られたため、巨大なドーム、2本の高いミナレットが特徴的です、これは、エジプトの他のモスクにはほとんど見られない特徴だそうです。
 巨大な外観は街中からも望むことができます。
 きらめくシャンデリア、幻想的なステンドグラスなど贅を尽くした内装も豪華です。
 80mほどの塔の中には螺旋階段があり、昔は塔の上から礼拝の呼びかけをしました。
 中庭にはモハメド・アリが当時のフランス国王にルクソール神殿のオベリスクを1本贈ったお返しである時計台がありました。
 ちなみにこのオベリスクはパリのコンコルド広場に現在も立っているそうです。
 モスクの中にはたくさんの火が灯されていました。
 床には絨毯が敷きつめられていて、観光客はみんな靴を脱ぎ、座ってガイドさんの話に聞き入っていました。


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ちょっと一服、水タバコ
 

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飛行機でアブ・シンベルへ
 

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 アブ・シンベル大神殿、ラムセス2世の巨像が入り口にありその巨大さに圧倒されます。 
 「太陽の子」と呼ばれた、ラムセスU世が建てた大神殿です。
 アブ・シンベル神殿は1813年にスイスの探検家ルードヴィッヒ・ブルクハルトにより発見され、1817年にイタリアのジョバンニ・ベルツォーニによって発掘されました。
 入り口の像は各20mの高さがあり、中央入り口の上には、太陽神ラーのレリーフとそれに向かって拝礼しているラムセスU世が彫られています。
 中にはいると、ラムセス2世の8本の柱が列ぶ大列柱室、前室、至聖所と続きます。
 至聖所にはプタハ神、アメンラー神、ラーハラクティー神とともに神格化されたラムセスU世の像があり、年に2度だけ太陽の光が射し込むように設計されています。
 この神殿はアスワンハイダムの建設でナセル湖に一部水没しましたが、ユニセフが中心になり60mほど上に移築されました。


アスワンハイダムと未完成のオベリスク
 

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 アスワンダムとハイダム建設によって、沈んだイシス神殿、現在はフィラエ島からアギルキア島に移築されていますので、船に乗って見に行くことが出来ます。
   未完成のオベリスク (エジプト・アスワン)
 高さ:41.75メートル
 重さ:1185トン
 底辺:4.2メートル
 材質:赤色花崗岩
 上エジプトのナイル川東岸アスワンの石切り場に、三面が切り離されていて一面のみ残されている古代エジプトのオベリスクがあります。
 完成されて建立していれば最大級のものである。工事の途中で柱身に亀裂が入ってしまったので、やむなく放棄したと言われています。
 ハトシェプスト女王の命によるものか、トトメス3世の1本のラテラン・オベリスク(ローマ)の片方として製造されていたものか、その詳細は不明だそうです。
 ルクソ−ル神殿のオベリスクに対抗してハトシェプスト女王がその対面に作らせようした説は女の嫉妬、権威なのか歴史の闇に閉ざされています。



飛行機でルクソールへ行き、宿泊
 

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 ルクソールの宿泊は、川の中州にある「LUXOR HILTON」でコテージタイプ、敷地内に動物園があり子供は喜んでいました
   移動移動で疲れる旅ですので、ここで2泊少し一服です、ホテルの敷地内の川べりがとてもきれいでした。


ルクソール西岸
 

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   最初の写真はこの地で、盗掘をする為に出来た町だそうで、泥棒街の人たちが住んでいます・・・と言うか泥棒してお金を稼いだ人はここに残っていませんね?
  王家の谷はさすがにすごいです、ツターンカーメンのお墓も見て来ましたが、彫刻装飾は見事です。
   お墓は死者の為に作った物でしょうが、当時の人たちは本気で復活を信じていたのでしょうね。
 人間だけが死後の世界を考える、私がもし幽霊とか見たなら、死は無ではないとの証明になるので喜びます。
 こんな考えは不謹慎なのかと・・年取ったなーと思うこのごろ。
 ハトシェプスト葬祭殿、ここを訪れると、まず最初に切り立った断崖が目にはいります。
 まさに断崖を背に堂々と建っているという感じがします。
 この葬祭殿は史上初の女性ファラオ、ハトシェプスト女王のもので、立派な建物を見るとかなり強大な権力を握っていたのだなというのがよくわかります。
 本によると、ここでのハトシェプスト女王は常に男装した姿で表されているため、ヒエログリフを解読したシャンポリオンが気づくまで、女性であることがわからなかったそうです。
 たしか、ここで1997年観光客を襲ったテロがありました、お亡くなりになった人の冥福を祈ります。
 最後の写真・・・なんだったけ?美人(スタイル良し)の女神様でお気に入りなのですが・・・
 


ルクソール東岸
 

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 ルクソール神殿、カルナック神殿
   いけない、この辺になってくると、記憶と写真があいまいになっていて、困った。
 とりあえず、書いてますが間違っていそうです。
 やはり、旅行記は帰ってきたらすぐ書かないといけませんね、何年もほかってあった、反省!
 カルナックのアメン大神殿の付属神殿として建てられたルクソール神殿。
 カルナックの南約3キロメートルに位置し、2つはスフィンクス参道でつながっていたそうです。
 第1塔門の前には2体のラムセス2世の座像がある。塔門前には1本のオベリスクが立っています。
 もとは対になっているものだったが、1819年、モハメド・アリが1本をフランスに贈った(これは今でもパリのコンコルド広場にある)。
 ラムセス2世の中庭には、ラムセス2世像がズラリと並んでいます。  ほかにも第2塔門、アメンホテプ3世の中庭、列柱室、アレキサンダー大王の間など見どころが多いです。
 神殿の左右の壁に残るレリーフもすばらしいのでしっかり見ないと。

   ルクソール東岸の最大の見所です、かつてテーベと呼ばれ、都であったルクソールはアメン・ラー神信仰の総本山でした。
 古代エジプトでは太陽の登るナイル東岸を生者の町とし、神殿等を造り、太陽の沈む西岸を死者の町とし、王家の谷をはじめとする墓等を造っていました。
 そのナイル東岸に造られたカルナック神殿は数々の王が増築を繰り返して造られた神殿だそうで、規模予想を上回るものでした。
 カルナック神殿の中でも最大規模のアメン神殿に行きました。
 まず入口の前には羊の頭をしたスフィンクスが両側に並んで私たちを出迎えてくれます。
 昔はカルナック神殿からルクソール神殿まで、このスフィンクスが並んだスフィンクス参道がつながっていたそうです。
 神殿には10の塔門があり、その間にはハトシェプスト女王やトトメス1世のオベリスク、ラムセス2世像等、歴史に名を轟かせるファラオたちの建造物が建ち並んでいます。
 その中でも圧巻なのが、134本の柱が建てられている列柱室です、絵やヒエログリフが刻まれた柱は迫力満点です。
 カルナックにはいくつかの神殿がありますが、そのなかでもアメン大神殿はエジプトで最大規模の遺跡です。
 アメン大神殿だけで幅105m、奥行き352mの大きさがありますが、さらに他の神殿の敷地を総合すると東西500m、南北1500mという広大さになります。
 聖なる池の手前に置いてある大スカラベがあります。
 スカラベはコガネムシの一種で創造の神ケプリの化身とされています。
 このスカラベのまわりを3回まわり、1周ごとに台座にあるレリーフに触れると、必ず幸福が訪れるという伝説があります。
 私も子供と、40度の気温の中回ってきました、立ち寄った際にはぜひ、お試しください。

 



カイロに戻り、ナイルクルーズ
 

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 カイロの馬車、ホテルの近くにあるカイロタワーまで歩いて行って来た帰り、馬車が居ましたのでホテルまで値段交渉、まあまあの値段になりましたので乗りました。
 子供は、運転席に一緒に座ってカイロの町を眺めていました、うーん、自分の子供のころは海外旅行は夢にも思っていなかったです。
 今の子供は、これが当たり前と思っているのかな?これは普通ではないと念押ししておかなくては。
 ナイトクルーズは豪華な船で食事しながらベリーダンスショー、日本円と言うか日本の経済力に感謝。
 
 覚書のような、旅行報告(いつも)あんまり参考になりませんが、やっとUPします。



また行きたいです!では




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