えらーい人達 | |
七人目 ブルーノ・ワルター ( WALTER, Bruno ) (1876〜1962 ドイツ → アメリカ) |
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1876年にベルリンの地味なユダヤ人の家庭に生まれた当初は父親の性であるシュレジンガーと言う名であった。非凡才能に気づいた母親によって始めたピアノで頭角を示すが当時ベルリン・フィの常任指揮者だったハンス・フォン・ビューローを聴いて指揮者になる決心をし、歌劇場からの修行のキャリアスタートとなる。そんな中ハンブルク歌劇場でそこの音楽監督だった大作曲家マーラーの下で働き運命的な出会いを持つ。(ちなみにワルターと言う名はこの時にマーラーの忠告で改姓したもので、ワーグナーの楽劇「マイスタージンガー」の中の主役ワルターが由来らしい)マーラーとは亡くなるまで強い友情を保ち、彼の最大最良の理解者、擁護者として終生その作品の演奏普及につとめることになる。その後順調に輝かしいキャリアを積み、欧州の超一流の楽団、歌劇場を総なめに振っていくが、その絶頂期にナチスのユダヤ人根絶政策と第2次世界大戦によりユダヤ人である彼は欧州を脱出せざるを得なくなる。そんなワルターはアメリカに迎えられ当然のような大活躍をする。晩年は彼だけのために編成されたコロンビア交響楽団とのレコーディングやたまの演奏会での指揮をこなしつつ、1962年にビヴァリー・ヒルズの自宅で二度目の心臓発作で亡くなった。 |
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最初に抱いていた印象。それはよく言われる穏和な、柔らかく暖かい演奏といったものだったが、その後様々な演奏を聴き込んだ後の印象がこれ程変わった人は珍しい。最も驚いたのは随分昔に古い中古のLPで聴いたフランス国立管弦楽団とのブラームス:第2交響曲のライヴがそれだった。ここで聴いた演奏はなんとも言えない熱気に包まれたもので、とりわけ終楽章のコーダでの追い込み方は尋常ではないもので、その手のご本家とも言うべきフルトヴェングラーにも勝とも劣らないテンションの高さだった。そうワルターの才能は”穏和な”等と言い片づけられるものではなく、演奏の随所に彼ならではのひらめきとはち切れんばかりの音楽性が張り巡らされているものだと思う。彼のモーツァルトを聴けばそれは最も分かり易い。細かなところになんと独創的なニュアンスが付けられていることか。確かに彼の演奏の響きには暖かいものがあるが、それはワルターの演奏では常に耳に真っ先に入ってくるBASSである。どの曲でもそれは変わらない特徴である。しかも演奏のニュアンスのバロメータであるかのようにBASSのパートは表情が豊かだ。モーツァルトの40番の交響曲でウイーン・フィルと振ったライヴで聴かれる切り込み鋭い低弦の表現は凄みのあることこの上ない。一般的な評価に比べると僕の中のワルターはずっと表情の強いエスプレシーヴォな音楽家である。![]() ワルターの演奏でいつも驚かされる点がある。それは微妙なテンポの変化というか操作がそうだ。前述したウイーン・フィルとの晩年のライヴでのモーツァルトやマーラー、ブラームス演奏でより分かり易く聴けるのだが、フレーズの中心や、次の部分への推移部分等でワルターはほんの僅かにルバートと言うかテンポを少しずらすような揺らしをよく加える事が多い。(特にライヴでは顕著!)それは抜群のタイミングと聴き手にとって微妙にフィットした感覚で加えられるもので他の指揮者でこのような事を粋にやってくれる人はクレメンス・クラウスぐらいしか思い浮かばない。これはそう簡単に真似して振れるものではなく、ワルターがいかに優れたオーケストラドライヴを行える人であったかを感じさせられる。その意味で彼のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーは掛け値無しに素晴らしい聴きものである。 |
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マーラー:交響曲「大地の歌」 | |
この曲の数ある録音の中でもクレンペラー盤と双璧をなす超名盤である。ワルターの録音中の紛れもないベスト・ワンと推したい。この曲は交響曲としても、歌曲としても超一級品の作品のためか歌手、指揮者、オケの全てが揃った名演というのは意外に少ないものだけれど、ここでの三者は凄い!テノールのパツァークは純ウイーンのオペレッタが本領の人なのだけれどここではそのクールな歌唱が逆に凄みとなって現れている。アルトのフェリアーは徐情味と深さ満点の絶唱を聴かせてくれる。そして凄いのはワルターとウイーン・フィルである。李太白や猛古然の詩で書かれた千変万化の表情を持つこの曲の表情を余すことなく描ききっている。しかもその表現のなんと自然なことか!特にテノールの歌う第1楽章と、アルトの歌う終楽章「告別」にゾッとするものを感じてしまう。マーラー初心者の人にも是非聴いて欲しいCDである。 テノール:ユリウス・パツァーク、アルト:カスリン・フェリアー、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団録音:1952年 ウイーン、ゾフィエンザール MONO録音 DECCA POCL4491 |
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モーツァルト:交響曲第25番、40番 | |
40番は上記の「大地の歌」をメインに据えたウイーン・フィル定期。25番はザルツブルク音楽祭での実況録音である。どちらもワルターをウイーン・フィルでしかも十八番中の十八番のモーツァルトを聴ける最大の楽しみを与えてくれる素晴らしいライヴである。しかしここで聴かれるモーツァルトは言葉では言い尽くせない程ドラマティックである。例えば25番の、あの第1楽章のシンコペーションの第一主題の裏で鳴っている拍頭のリズム打ちのなんと強烈なことか!40番の第1楽章や終楽章はもはや吹き荒れる嵐の如きである。今ではモーツァルト演奏は古楽器によるシャープなものが当たり前だが、だからといってこの様な歴史的巨匠の名演が色あせるものでは断じてないと言い切りたい。 演奏:ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団 40番(1952年5月18日ウイーン楽友協会大ホール 40番(1956年ザルツブルク祝祭大劇場)MONO録音:LIVE (購入時はSONYの25DC5196だが現番号不明) |
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彼の録音で大変に残念なのがシューマンの交響曲が無いことだ。彼のようなロマンティックな資質の音楽の持ち主であればシューマンには打ってつけである。第3番「ライン」なんてのをワルターで是非聴いてみたかった。さぞかし充実したシューマンが味わえたろうに・・・返す返すも惜しいものである。しかもワルターには彼が最も得意としたオペラの録音が無さ過ぎる。ウイーン辺りでのライヴがどっかから掘り返されたように出てこないものかしら。「魔笛」辺りが出来れば聴いてみたいと思うのは僕だけではないだろうから・・・・・・ | |
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