えらーい人達
十一人目    ウィルヘルム・フルトヴェングラー(FURTWANGLER,Wilhelm)
                     (1886〜1954 ドイツ)
Furtwangler 1886年に有名な考古学者を父に、豊かな画才を備えた母を両親にベルリンに生まれる。幼少より楽才を示し作曲を行うが、二十歳時に生計の為にブレスラウ市立歌劇場の合唱指揮者となり指揮者のキャリアをスタートさせる。その後マンハイム歌劇場のポストを経て、1922年(36歳時)にベルリン・フィルの第3代の常任指揮者に選ばれる。
その後ナチスが政権を握り様々な支配が音楽界にも及ぶがユダヤ人音楽家を擁護していたフルトヴェングラーはことごとくナチスから目を付けられるが、楽壇で絶大な権力を持つ彼はひるむことなく、又演奏活動も「政治と音楽は無関係」と主張しつつドイツに終生止まった。しかし戦後これがナチスへの協力容疑となり約2年間演奏活動を禁止されもした。1947年に有名な復活演奏会を持って楽壇にカムバックした後は、全ヨーロッパを舞台に大活躍し最高の名声を博すが、1954年10月にウイーン・フィルとワーグナーの「ヴァルキューレ」を録音した翌月に肺炎により68才で没した。
若い頃取り憑かれたようにこの人が残したライヴ盤に狂ったことがある。一度はまってしまうと他の演奏が聴けず、何とか抜け出すのにえらく時間がかかった。フルトヴェングラーが演奏で放つ悪魔的な尋常ではない空気には、一度聴いてしまうとこれでないと承知出来なくさせてしまうある意味麻薬的な効果を感じてしまう。しかもこの人が主に活躍した時代背景に戦時中だったという点がある。(こればかりは後生の指揮者が絶対に真似の出来ない点だ) 考え得る最も異常な背景の中でフルトヴェングラーの演奏は益々悪魔的な表現を帯びたものだろう。
加えてこの人を考える場合に抜きに出来ないのが戦時中の彼の行動である。当時のドイツはナチスが支配しユダヤ人狩りが吹き荒れていたのは周知の通りで、そんな中多くの音楽家にもその手が及んでいた。有名な所ではユダヤ人ではないものの「ユダヤ人的な音楽を書く」として目を付けられていた。「画家マティス」はもともとはナチスに上演禁止処分を受けた歌劇で、その後前奏曲や間奏曲を挿入した交響曲に書き換えられたものである。フルトヴェングラーは早速この交響曲を演奏したところこれをきっかけにフルトヴェングラーも巻き込んだ攻撃の矛先を向けてきた。これに対しフルトヴェングラーはヒンデミット擁護とナチス批判の論文を発表し、ベルリン・フィルと国立歌劇場の指揮者を辞任する旨公表する。超有名音楽家の彼はナチスにとっては広告塔的な存在でもあったわけだ。結局ヒンデミットは耐えきれずに亡命したのだが、この他にもフルトヴェングラー助力によって国外に脱出することが叶った音楽家の数は多数だったそうだ。しかしフルトヴェングラー自身は「政治と音楽は無関係」と自説を決して曲げず、「私が逃れるのは簡単だが、残される多くのドイツ国民はどうなるのだ」と終戦間際までドイツ国内で指揮活動を行った。しかし、そんな彼の行動が逆にナチスへの協力容疑となり、疑いが晴れるまで2年以上の間連合軍によって活動禁止の処分を受けることとなってしまう。

こんなにもヒューマニズムな行動を身をもって示した音楽家が他にいるだろうか?当時のドイツのナチスに反論すると言うことがどれほどの意味を持つか考えてみれば容易に理解できる。いくら政治に疎いと言っても下手をすれば”死”を意味することである。フルトヴェングラーの演奏に尋常ならざる雰囲気がまとっているのはまさにこんな異常な人生経験を重ねているからこそなのだろう。
音楽家と言う以前に、一人の人間として尊敬に値する人だと思う。
フルトヴェングラーの演奏については書き尽くされている感さえあるので個人的所感にしておこう。ここにおもしろいエピソードがある。ベートーヴェンの第5交響曲(いわゆる「運命」)の第1楽章冒頭のフルトヴェングラーの指揮についてベルリン・フィルとウイーン・フィルの楽員の会話で、出だしのタイミングについての話題である。
 ベルリン・フィル楽員「ユラユラ揺れる棒が地面と垂直になったら出るんだ
 ウイーン・フィル楽員「これ以上我慢できなくなったら出る
これを知って実際の演奏を聴くとよく解るのだが、第5交響曲の出だしの音の重量感は尋常ではなく、思えば弾かれる寸前の緊張感が尋常ではない事が理由なのである。
これと同じ様な音が聴けるのが同じベートーヴェンだと第3番「英雄」や第7番の冒頭出だしである。実にハイカロリーなこの上ない重量感溢れる音で大交響曲が開始される。

また、彼の演奏でその魅力となっているのが劇的なテンポ変化である。しかしむやみに動かしている箇所はほとんどなく、動くべくして動かされていると言える。それは即ち音楽的にテンションが上昇する箇所で加速され、逆に落ち着いていく箇所で減速されて行くという点である。言い換えればこれは聴き手の感情の波に即した自然なものなのである。こういうテンポ変化を伴う演奏はともすれば前時代的と揶揄されがちだがフルトヴェングラーの演奏は決して古臭さは伴わない。これらのスタイルはフルトヴェングラーにとっては当時の演奏様式に起因するものではなく、あくまでも彼自身が楽譜から感じ取った感情から来る、いわばごく自然な結論だからなのだと思う。
そう言えば現代の演奏ではクレッシェンドで加速するような演奏を耳にすることが希有になった。果たしてこれが古臭いと言えるのだろうか?感情の流れに素直に従うフルトヴェングラーの演奏こそ普遍的と言えないだろうか。

フルトヴェングラーの演奏で象徴的なものをあげておきたい。それは序曲「レオノーレ」第3番の、序奏からアレグロへの移行部分である。リタルダンドしつつディミニュエンドをし、消えかける寸前でアレグロの主部にゆったりと入る。アレグロの主題は奏されながら徐々に音量、速度を増しながら堂々たるアレグロ主題を形成していくという、まるで奇跡のような演奏箇所である。彼の演奏の神髄はまさにこのような混沌から形成されていくような箇所にある。同じベートーヴェンでは第5の終楽章への移行部、シューマンの第4交響曲や、ブラームスの第1交響曲等々多数の名演奏で垣間見ることが出来る。
お気に入りBEST3本来ならば3枚に絞れるようなものじゃないんですが・・・・
ベートーヴェン:第9交響曲(バイロイト祝祭管弦楽団他)
1951年の戦後初のバイロイト音楽祭での記念公演に於ける天下周知の名演ライヴ。
第9のトレードマーク的演奏とさえ言える。いつも思い起こすのは終楽章中程のテノールの独唱による行進の場面の出だしである。まさに遙か遠くからかすか聞こえる足音の大太鼓の音が、かすかなピアニッシモ(この弱音が凄い!)でゆったりと凄い静寂の中から始まる箇所である。ここは一度聴いたら耳から離れない。
シューマン:第4交響曲(ベルリン・フィル)
これはライヴではないいわゆるスタジオ録音なのだが、ライヴに勝るとも劣らない緊張感がスタジオ録音特有の緻密さの中で展開されるとんでもない名演。特に終楽章を導く序奏の緊張感とカロリーの高さは尋常ではない。シューマン特有のほの暗いロマン性がこれほど発散された演奏は他には聴かれない。
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲):ワーグナー
                    (フラグスタード、ズートハウス、フィルハーモニア管弦楽団他)
前奏曲等はいくつか単独演奏の物が聴けるが持っておくなら絶対にこの全曲盤。ワーグナー屈指の濃厚なロマン性で貫かれたこの名オペラにはフルトヴェングラーの濃厚な音楽性が史上最高のマッチング。前奏曲からして不健康かつむせかえるようなエロチックな雰囲気を満載している。それにしてもイギリスの名門オケからこれほどドイツ的な音色を引き出しきる秘術は何なのだろうか?組み物で少々お金はかかるが音楽が充満したかけがえのない超名演。
 

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