■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ チャップリンの”街の灯”・・・・・・ City Lights ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1931年:アメリカ(モノクロ、サイレント映画)
製作・監督・脚本・作曲・・・・チャールズ・チャップリン
音楽助手:アルレッド・ニューマン
出演・・・・チャールズ・チャップリン
ヴァージニア・チェリル

喜劇王チャップリン最後のサイレント作品。世間のトーキー化に対し頑固なまでにパントマイムによるサイレント作品を作り続けたが、この作品を最期に次回作の「モダンタイムス」のラストで歌われる「ティティナ」でとうとう自らの歌声をスクリーンで披露し、以降トーキーでの製作に踏みきることになる。

STORY

 冒頭、街の繁栄を祝って設置されたモニュメントの式典でいきなり幕の中から登場の流浪者チャーリーが、街で出会った花売り娘は盲目で、治療費を稼ぐため懸命に花を売る姿にチャーリーは例によって一目惚れと同時に何とか一肌脱ごうと一念発起する。酔った時だけチャーリーを親友と接する訳のわからない金持ち男の所にやっかいになったり、ボクシングの試合で稼いだり(このシーンが傑作大笑い)しながら頑張って娘にお金を届けてあげるのだが、金持ち男の金を盗んだ容疑をかけられて投獄されてしまう。チャーリーが稼いだ治療費のお陰で目が治った娘は一体どんな紳士が自分を助けてくれたのか心を巡らしている。
そこにボロボロのみすぼらしい姿で出所したチャーリーが偶然出くわしたところに何も知らない娘は手を差しのべるのだが、握った手の感触で始めてこの男こそが自分の目を治してくれた恩人だと知ることになる。
娘「あなたなの・・」 チャーリー「うん。治ったんだね」 娘「・・・・」ここで映画は終わってしまう。

ひとこと

映画史上屈指の感動的ラストシーンが有名なのだが、よく考えてみると何とも残酷なシーンでもある。目が治った花売り娘が考えていた恩人は男前の紳士だったのである。しかし最期に判明した事実は全くの逆で自分を助けてくれたのは見るも哀れなボロボロ姿のルンペン男だった。チャーリーを見る娘の目は呆然とた表情で手放しに喜んでいるのではない。最期の娘の表情は困惑の表情と言えるのではなかったのだろうか?貧乏が人から見られる目までもを濁らせてしまっているのだろうか?そう言えばチャップリンは「貧乏こそ最も嫌うものだ」と言っている。ロンドンの貧民街で育った彼はその映画の中で”貧困”を賛美するような事はしなかった。貧乏人を善方に据える事はあっても描かれているのは金持ちへの憧れが多いように思う。このラストシーンはそんな自身が経験した「貧乏」への痛烈な嫌悪感のような気がしてならない。
ところでこれが製作された当時、映画は音声が入ったトーキー化が世間では主流を締めつつあったのだが、チャップリンは頑なにそれを拒みパントマイムにかけた映画作りを押し進めた。真ん中辺りで出てくるボクシングのシーンなどは今見ても大笑いの超傑作パントマイムである。又、酔っぱらった時だけチャーリーに己の人生を嘆く金持ち男とのやりとりも面白い。酔った時だけは食事から現金まで振る舞うのだが、酔いがさめると途端に記憶が無くチャーリーを無碍もなく追い出してしまうこの男の存在は、金持ちの身勝手さが一身に描かれている。
要所要所で聴こえる美しい主題曲「ラ・ヴォレテラ」はチャーリーの自作ではなくイタリアかどこかの民謡を用いたものだそうだ。音楽も映画もとにかく一級に名作と言えるこの傑作を是非ご覧になってみてほしい。最期のラストシーンは何度見ても僕が涙を我慢できない数少ない名作なので・・・
 

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