第1章 衝動買い
いすゞ ジェミニを廃車してしまい、ぽっかりあいた心の隙間に付け入るかのように、1997年の春が訪れた。”盛岡に行きませんか??” 角田氏がささやいたのは、そんな春先のある日のことだったように思う。当時はまだ、ネットオークションも未発達で、ニフティの個人売買などが幅を利かせていた。そんな折、岩手県でフィアットX1/9が20万円で出品されているというのだ。うーん??おー、イタ車じゃないか。しかもオープンカーだ。私の心は、すでに盛岡に飛んでいた。
早速2人で1997年4月上旬、現地へ飛ぶ。まずは名物”わんこそば”初体験。名前だけ知っていても、食った事の無い食べ物の典型である。イヤー、やってみると、意外と食えないもんだな。2人とも、だいたい67杯づつ食ったのが限界だ。
うーん、と満腹したところで、いよいよオーナー氏と会う。早速試乗して、あちこち問題があるも、なんとか東京まで自走できそうだ。場所を変え、喫茶店で商談を行う。オーナーの人の良いことに乗じ、さらに盛岡までの交通分を気持ちよく割り引いてくれ、めでたく入手。18万円で入手成功である。さて、いよいよ東京まで陸送だ。ひとまず壊れずに持ってくれよ、と祈るように走る。
それにしても、遅い(笑)。見た目はかっこいいが、これほど遅いクルマも珍しい。エンジンが回らないし、ホイールベアリングのゴーゴー音がやかましい。まあよい、まあよい。そのうち片っ端から直してやるぞ。勇んだまでは良いが、しかし600Km弱の道のりは険しく遠い。あれほど運転好きな2人ではあるが、この時ばかりは、お互いに進んで運転を休みたがった。
盛岡時代の現車。この写真だけで購入決意(笑)
やっとの思いで東京に戻ったとき、コイツの行く末を暗示するように、天気は大雨であった。しかしルーフの雨漏りが無かっただけでも幸いであった、と思うのは強がりか。
ひとまずはX1/9を新居に鎮座させる。早速、帰り道に悲鳴をあげていたホイールベアリングと、切れたサイドブレーキワイヤ、これを調達せねばならない。
こりゃGWはどっぷりコイツで遊べそうだ。このときはまだ、私の心は無邪気にはしゃいでいるだけであった。
いろいろ調べて見ると、神奈川のとある外車ショップで部品を買えることがわかり、ホイールベアリングとワイヤーを発注。その間にもX1/9の構造をいろいろ調べて、ちょいちょいいじってみる。サービスマニュアルも必須だが、これは前オーナーがいろいろ親切にくれたものの中に、へインズのマニュアルがあった。これは、大変ありがたかった。
さて、GWに入る直前、そのショップに発注した、サイドブレーキワイヤ、 ホイールベアリングが入荷。取りに行くと、値段の高さにビックリしながらも部品を引き取る。ワイヤー1本9千円、ベアリング1万5千円也。まあ、背に腹は換えられん。
早速、現物交換が必要な各部をかるーくチエックしてみる。 うー、ヘインズで構造を予習しつつも、これは下に潜って行う作業が多そうだなあ。
まあ、とりあえずは、基本としてオイル汚れのひどいエンジンを掃除しておこう。
それにしても、結構オイル汚れがひどいなあ。何処からオイルが漏れてるんだろう?
ヘッドガスケットでないことを祈るのみである。まあ、経験的には 補機のパッキンからの漏れと思われるが・・・。
この油落としには、クレ・フォーミングエンジンクリーナに私は絶大な 信頼をよせている。コイツで油ヨゴレをきれいにすると、オイルがどこから漏れているかを発見するのが、たやすいのだ。(要するに綺麗にして、又、オイルを漏れさせて発見する。)
さて、本日の作業はこれくらいにして、名義変更に必要な書類を確認しましょう。前オーナーのの書類、俺の書類、お金・・・。
1997年4月28日、名義変更を行いに多摩陸事へ。ん??セルがまわらなくなっている。バッテリーが弱ってる。
しかし、その原因はすでに見切っている。キャブクーリングファンに違いない。何せイグニッションオフでも
キャブにあるセンサーが働くうちは、モーターブロアが作動するのだから・・・。
コレは古いキャブ車の場合、走って止めて,完璧に冷える前にエンジン再始動
させるとき,エンジンがかかりにくくなるのを防ぐためのシロモノであるが、
きっと無くても大丈夫そうである。よって、ブロアの配線を外してしまった。
駄目なら戻せばよい。だいたい日本車にはこんなの無いぞ。
自宅の車からジャンプコードで電気を分けて、エンジン始動。毎度おなじみ陸運支局へ行く。今日は連休前のせいか、構内は混み混み。
しかし、手馴れた陸事、手続き自体は訳なく完了だ。
さて帰るぞ、・・・セルがまわらない。 しょうがないので、隣の整備工らしい方に笑われながら、電気を分けてもらった。
やれやれと、昼過ぎには家にもどる。 さあ、整備開始だ。まずはサイドブレーキワイヤ交換。
しかし、小一時間で終わるモノと思っていたのが甘かった。 手順はまず,シフトロッドを外し、ワイヤを直角に曲げるプーリーボックス
を外す。その後、アジャスタをゆるめてワイヤーを外す。 コレだけのことであるのだが。。。。
ここで第一関門。なんとプーリーの取り付けボルトが13ミリだ。普段、日本車ではこのサイズを使わない。
たまたま手持ちの安物工具が13ミリであったので、使う。 工具あれば、安物でもないよりマシである。ちゃんとした奴は後日買おう。
今度はワイヤーのアジャスタナットをゆるめる・・・・・しかし工具が入らない。
なんで、こんな所をボデーの袋状の中に隠すのだろうか?結局、指先でナットをこじってゆるめる。
ところで、切れていたのは右側のワイヤーだけであるが、どうせなら、ということで
左右セットでワイヤーを交換する準備をしていたのが大正解。なんと左側のワイヤーも、虫の息であった。
思わず背筋がゾー。
さて、部品の取り付け。外す逆であるが、コレには又困った。プーリーのセンターシャフトは,
プーリーを収納しているプーリーボックスと、車体とを結ぶボルトと共締めなのだ。プーリーの仮止めも出来ない。工具が入らないから、ワイヤーのアジャスタを締め込んでからプーリーボックスを取り付けようとすると、プーリーがワイヤに引っ張られて外れてしまう。
アジャスタのナットを外しておくと、当然、後で指が入らない。 うーん、イタリアの洗礼を早速頂戴してしまった。でも、後者の方法を基本に、格闘すること40分。逆さまの格好で腕が痛くなりながらも、プーリーボックスと、アジャスタまでは何とか取りつけた。
さて、アジャスタをどうやって締めようか・・・・。 見つけた方法は、狭いメンテナンスホールの中に、エクステンションバーをつっこみ、テコの原理でイコライザを引っ張りあげて、緩んだアジャストナットを指で締め付けることであった。
さて試乗。おぉ、前よりはサイドブレーキの効きが良いぞ。でもリアブレーキが、もともと片効きしているようだし、ブレーキの効き自体は恐怖な状態に代わりは無い。ホイールベアリングも早く替えなければ・・・。
そんなこんなで転がしつづけると、ありゃ、登り坂でエンジンぐずるぞ。加速ができない。なんだかガソリンが足りない感じだ。加速ポンプがおかしいかも・・・。さあ、大変。明日はキャブまで
手を出さねば・・・。
かくて1997年の連休は、コイツとの格闘の日々の序章となった。

