(3)河川の生態系調査

 首都東京を流れる大きな川は、多摩川である。奥多摩と奥秩父の境にある笠取山(標高1953m)に降った 雨粒が、東京湾に流れ込むまで、138kmの旅をする。人生に例えれば、まさに美空ひばりの歌う 「川の流れのように」であろうか。この歌を演歌だと言って、馬鹿にすることは出来ない。なんとなれば、この歌は、高校の音楽教科書に載っているからである。欧米の歌 曲を高校の音楽の授業で習った方々には信じられないだろうが、今は堂々と高校の音楽の授業で演歌が歌われて いるのである。
 山頂に降った一滴の雨粒は、重力に従って下流に流れて行く。これは山頂に降った雨粒の持つ位置エネルギーが運動エネルギーへ転換したからに他ならない。まだ見たことがない のであるが、流域が長く、平坦な下流域がその多くを占める大陸の大河は、流れているのかどうか解らないほどゆったりと流れるそうだが、日本の河川は、下流域が無く、ほ とんどが、滝の如き急流である。しかしそれでも、多摩川ほどの河川になると、多くの支流を持つし、笠取山の山頂に降った雨粒は、蛇行した川の中の瀬(平瀬・早瀬など)や 深い淵を流れ、ワンドに留まり、結構な時間を掛けて、河口に辿り着くのであろう。その間に、田や畑を潤し、流域に棲む多くの生き物を養っているのである。山頂に降った 雨粒は、地表を流れるだけではない。地中にしみ込んで地下水となり、流れていく。そして、ところどころで湧水となって、地表に顔を出す。
 子どもの頃は、埼玉県の荒川の支流・入間川の上流の名栗川に掛かる大きな堰のある飯能河原へ近所の 悪ガキ達とよく泳ぎに行ったものである。近くの浅い小川で水遊びをする時は、半日掛けて、草や枯れ枝で堰を作り、水を溜めて、フルチンで泳いだ。八王子に移り住んでから、こういった手作りのプール (?)を八王子の奥の方で見掛けた時、何とも言えない子どもの頃の懐かしさがこみ上げてきたものである。川は子ども達の大切な遊び場だったのである。
 東京都立教育研究所(現在は、東京都教職員研修センター)の夏期の研修の自由研究で、東京都の西に位置する五日市町(今はあ きる野市)を流れる秋川上流部の瀬と淵を調べたことがあるが、奥多摩有料道路(現在は無料化されて 奥多摩周遊道路 と名称を変更している。)の工事で押し流された土砂で秋川の上流部が埋まり、浅くなってしまい、昔から○○淵等の名の付いていた深い淵が皆膝ぐらいの深さの浅瀬になってしまっていたのには驚いた。 五日市町は、昔から、秋川で穫れる アユ(鮎)で有名な ところである。江戸時代、秋川のアユは幕府の御用鮎で、穫れたアユを上納鮎と言い、鮎籠につめて、手馴人 足の手で、陸路、五日市街道を通って江戸表まで届けていたのである。調査をしている時に出会った地元の 漁師が、魚が減り、昔に比べ、あまり捕れなくなってしまったと嘆いていた。
 現在の河川工事は、山頂に降った雨水を如何に早く、海に流すかを考えているだけのような気がする。その結果、一滴の雨粒の生涯が、昔は長寿だったけれども、今はあっと いう間に過ぎ去り短命で終わってしまう。丸で、暴走している若者が、事故であっという間に人生を終えてしまうのに似ているようだ。
 河川の評価を、水質検査だけで決めるのでは無くて、豊かな水量(流量)を持つか、水鳥や魚類や水棲昆虫が数多く棲んでいるか、岸辺の緑は豊かだろうか等の河川の持つ 総合的な自然度で評価すべきだろう。人間の生活から隔絶した、排水路でしかない河川はごめんである。

荒川の生態系調査
【リンク】荒川流域ネットワーク
         埼玉県自然史博物館 入間川(埼玉県)

多摩川の生態系調査
【リンク】多摩川流域リバーミュージアム とうきゅう環境財団

秋川・平井川・浅川の生態系調査
【リンク】秋川の生きもの 平井川の生きもの 浅川写真散歩

川口川の生態系調査
【リンク】秋川街道・小峰峠越えと五日市への道  川口川を歩く  川口川
八王子の湧水(八王子市)

河川の生物
【リンク】淡水魚図鑑  河原の植物  日本産水草図鑑 

河川の総合学習
【リンク】 河川局 Kids Web  川で遊ぼう  じゃぶじゃぶ川ネット!

関連学会
【リンク】■日本生態学会  ■日本陸水学会  ■日本水文科学会
  ■日本魚類学会


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