第五話『抗い、そして、もがくもの』
渓谷の狭間に荒涼とした廃墟が立ち並ぶ広大な大地があった。すでに原型を留めていない石造りの建物の中心に、明らかに最近建てられたと思われる巨大な建造物があった。
円筒形のその表面は、細かい文様がびっしりと描かれており、それに沿って規則的に光が走り、薄暗い大地を照らす不気味な居城。これこそが人類を絶滅の危機に晒している『司=マーフェス』が幽閉されている『星護座』であった。『緊急入電! 魔力流レベル3! ヨーロッパ主要都市を破壊!
なおも勢力を強めつつあります!』
『ロサンゼルスにて空間断裂! 出現した異形により被害が続出しています!』
『オセアニアにレベル5! 津波による被害! 規模は……測定不能です!』
『停泊中の海軍母艦内に魔力流発生! 次々に破壊されていきます!』
『アジア大陸部に烈震! 各都市、ほぼ壊滅状態!』ブツンッと、電源が切れる独特の音とともに、オペレーターたちの慌しい様子を映していたスクリーンが暗転する。
次に、室内の電灯がつけられ、コの字型に並べられた机に座る十数人の男たちの姿が明らかになる。
男たちは、五十代から六十代くらいで、深いしわの刻まれた顔は、一様に暗く、険しく歪んでいた。彼らは、全世界から集まった要人たちだった。
それも、世界の裏側にも深く精通しており、国連を動かし、今回の『対司=マーフェス選出者選定トーナメント』を開かせた張本人なのである。「以上が、現状だ」
要人たちの中でも、抜きん出て高い地位にいる男が席から立ち上がり、他の者を見回した。
「ここの現状は、どうなっている?」
「異常は見られない。
感知されている『司=マーフェス』も依然、休眠状態のままだ」
「しかし、今までにない魔力流の発生とそれに伴う破壊。
加えて、時空震による異界からの異形の出現も増加している」
「原因は、『司=マーフェス』でないということか」
「そうだ。すべての原因は、この者にある。」
リーダー格の男が手元に備え付けられた操作パネルに触れると、再びスクリーンに光が灯る。
そこには、鉄球のついた鎖でがんじがらめにされた少年−奉の姿が映し出されていた。スクリーン上の奉の身体中に巻きついた鎖の合間から見える素の手足には、いくつもの痣と乾ききらない血の跡が見受けられ、その虚ろな目から、長時間に渉る暴行を受けた後だということがわかる。
「奉=カーディス!」
「選定トーナメントの優勝者か!」
「私たちの招きにも応じず、祝賀会を辞退し、姿を消していたと聞いていたが?」
「現在、星護座に向かい進行中だ。
報告によると、大会直後、"光もたらすもの"と"神に似たるもの"と接触し、消滅させたそうだ」
リーダー格の男の答えに、男たちの顔に戦慄が走る。
「……やはりか」
「予定より早過ぎる」
「だから、早く始末しろと言ったんだ!」
「しかし、最低でも、奉=カーディスを越える者でなければ、司=マーフェスを制する事は不可能」
「だが、あの二体を倒すのは、予定では、我々が『星御座』を手に入れてからのはず!」
「そうだ! 至高界とコキュートスから、あの二体がこんなにも早く現れるとは、予定外だ!」
「……『忌み子』に引かれたということか」
スクリーンの奉に、男たちは、忌々しげな視線を向けた。
「これでは、我々が巨財を投じて、『星護座』を建造した意味がないではないか!」
「この計画に、いったい、どれだけの時間を費やしたと思っているのだ!」
「あの研究所に情報を流し、研究資金を投じ、いくつもの非合法行為をもみ消してきたのも、すべて水の泡だと言うのか!」
「我々の計画もここまでなのか?」
「落ち着け、諸君! まだ、手がないわけではない!」
口々に騒ぎ出す老人たちに、バンッと机を叩き、リーダー格の男が声を上げる。
「要は、この『奉=カーディス』を近づけさせなせればいいだけの事。
そのために、ここには、よりすぐりの精鋭と主要都市を陥落できるほどの軍備を用意してある。
『忌み子』とはいえ、所詮は、人間の子ども。
近づけんよ、この『星護座』にはな」
にやりと笑う男の顔は、他の老人たちを黙らせるほど、陰惨なものだった。「サイッテーの会議やわ。聞いてるだけで、気分、最悪や」
配管が無数に張り巡らされた作業用通路で、一人の少女が翡翠色の髪をかきあげ、気だるげに言った。その耳に当てられた小さなアンテナの立った小型のイヤホンからは、老人たちの声が漏れ聞こえていた。
彼女の名は、ポー。ポー=アルティアフ。
たぐい稀なる霊力を持ち、世界を渡り歩くトレジャーハンターであったが、超古代の遺跡にて、その遺産である魔導具と出会い、それ以来、遺跡の護人(ロスト・ガーディアン)の使命を背負った少女。
活発的な印象を受ける容姿、衣服から覗く素肌は、健康的に日に焼け、各所にポケットが付いた機能的な作りになった服で細身の身体を身に包み、両腕には、鎖が螺旋状に巻きつき、両手には、鎖の握りである金と銀の珠を握り締めていた。星護座が建造された土地は、有史以前に存在したといわれる超古代の文明の遺跡都市があった場所であり、それは、ポーが護るべき土地なのである。
あの研究所が忌み子を引き連れて、この地を探り当て、ポーの抵抗もむなしく制圧され、研究所の壊滅後は、国連が徴発し、残されたデータを元に星護座が建造されたのである。
ポーは、護るべき遺跡を強奪され、古代遺跡の廃墟が乱立するこの土地に似合わない無粋な建造物が立てられた後も、身を隠し、監視と調査を続けていた。「つまり、あのトーナメントは、『司=マーフェス』を倒すためのものやないちゅーことか。
『星御座』―つまり、莫大なエネルギーを秘める『司=マーフェス』を手ぇに入れて、天使や悪魔に代表される高次生物(ハイスピリチュアル)をも捻じ伏せて、世界を思うがままにするために『司=マーフェス』を制御できるもんを探しとった。
そのために、あの研究所のせいで、いったいどれだけの命が犠牲になってきたと思ってんのや。
あいつらが何もせぇへんかったら、こないに大きぃ騒ぎにならんかったのに。
その上、我が身可愛さで、『星護座』ん中に引き篭もっている。
あいつら、何様のつもりや。なぁ、奉」
半ば怒ったような調子で、ポーは、隣にいる小柄な少年―奉の方を振り向いた。
「……奉? どないしたん? 気分、悪いんか?」
何でもないと無言で首を横に振る奉だが、まだ幼いその顔は蒼ざめ、額にはびっしりと汗が浮いていた。
「だいじょぶ……って言っても、心配だよね。
でも、ホントに、だいじょぶだから、ちょっと、ここの気に当てられたみたい……すぐに慣れるよ」
「分かった。そこまで言うんやったら、もう何も聞かへん。覚悟して、ここまで来たんやもんね。
なら、どうするん? どないして、この『星護座』を落とすつもりなん?」
問われて、考え込む奉に、ポーは、自分の耳のイヤホンを外して、そっと差し出す。
「事前調査で、ここん中に盗聴器、仕掛けてあんねや。
ジジイどもがさっきからごちゃごちゃゆうとんのも丸分かりや」
「いい。必要、ないから。
軍備の更なる強化と精鋭たちへの警戒を通告。
あ、自分たちのいる部屋の周りを護衛で固めるみたいだね」
ポーがイヤホンを耳に戻すと、奉が言ったとおりの会話が聞こえてきた。
「ホンマや。なんで?……って、そうやったな。
ここで、あんたが知りえんことは、何もないんやったな」
「ゴメンね。ここに、こんなもの建てさせちゃって…………ボクを恨んでる?」
「恨んどったら、ここに居ない」
悲しげな顔で見上げる奉の問いに、ポーは、すぐさま首を横に振る。
「でも、あの時、もっと耐えて、ボクがこの場所を示さなかったら……」
「あの研究所にいたアンタや。なにもでけへんかったんは分かってるつもりや。
あん時のアンタは、度重なる暴行でボロボロやった。
憎むべきは、全部知った上で、あの研究所の暴挙を黙認して、事態をここまでに追い込んだ、この会話のクズジジイどもや。
こんなんが全人類のトップかと思うと、人間であることが恥ずかしいわ」
「ポーさん。この子たちが今の人類そのものってわけじゃないからさ。
確かに、人類の悪いところを凝縮したような子たちだけど、世界には、優しい人とか、まだいっぱい居るはずだよ。
だから、そんなこと言ったらダメだよ」
「甘いことゆうんやない。
実際、あんたをひどい目に遭わしたんは、事実や。
理想論だけで、夢見とったら、あんた、そのうち壊れるで」
「言ったでしょ。覚悟してきたって……
それより、これから、どうするかだよ」
「くっ……」
何もかも覚悟しきった顔の奉に、ポーは、悔しげに歯をかみ締めた。
「ま、まあ、ええわ。それよりも作戦やね。
現在、この中に配置されてる兵士は、約二百人。
装備は、特殊警棒にコンバットナイフ。
内部構造を傷つけないために銃器類は、支給されとらんらしいわ。
あのジジイどもが居る場所は、ここの最上部に近い一室。
『司=マーフェス』が居るはずの『星御座』は、幽閉した直後にその区画ごと移動したみたいで、繰り返しの調査にも関わらず、場所は、未だに特定できてへん。
エネルギー反応だけは、感知してるみたいやけど、分かるのは、休眠状態にあるということだけ。
探そうとすると、すぐに逃げ出してしまうらしいで」
「前にも言ったけど、ここを造る元になったデータは、研究所で、ボクから引き出されたデータ。
つまり、この『星護座』は、ボクそのもの。
ボクを建物として建てたっていうのが一番近い表現だね。
『司=マーフェス』は、ボクにしか何とかできない。
誰にも接触させたくないっていう気持ちがそうさせてるんだろうね」
「なるほどな。ま、そゆことなら、あんたなら『星御座』の場所が特定できるっていうわけやね」
「特定っていうか……」
奉がそう言ってと手近の壁に手をかざすと、その一面が正方形に切り取られたように蒼白い光が走り、ゴグゴォンという重い音とともに動き出した。
開かれた壁の奥は、蒼白く光る通路が続いており、そのさらに奥からも先ほどのように思い音が響いていた。
「こことの同調を強めれば、区画ブロックを移動させて、『星御座』までの道を造り出せるし、今、『星御座』周囲の区画も移動させてるから、そう歩かなくてもいいと思うよ」
「ちょ、ちょっと待ちぃや!
こないな大移動なんしたら……」
「すぐに各所に配置された兵士たちが押し寄せるだろうね。
他の区画も移動させて、到着を阻んでるけど、ポーさん、迎撃は任せたよ」
「先に言わんか!
行くで! 『星御座』まで一直線や!」
ポーは、奉の手を引き、通路の奥へと走り出した。
ギィンッ!金属同士がぶつかり合う耳障りな音が通路内に響き渡る。
いち早く通路にたどり着いた兵士の振り下ろした特殊警棒を防ぐと、ポーは、身を沈ませて、起き上がる反動を活かし、フェイスガードの下から蹴り上げる。
「でゃぁっ!」
「ぐぉ!」
その一撃で、顎を砕かれて、兵士は、昏倒する。
ポーは、それに見向きもせず、腕に巻き付いた鎖を伸ばし、後方から聞こえてくるいくつもの足音に備える。
「奉ぃ、あんた、とんでもないことしてくれたなぁ!」
「もう時間がないからね。手順を踏むのも面倒だったし、それに、ポーさんの腕、信用してるしね」
「恥ずかしいこと、真顔でさらっというなや」
少し頬を赤くさせ、ポーは、鎖を振り回した。
「時間、ホントにないん?」
「ないね。時空震による異形の出現。地震や津波、それにもうすぐここに魔力流が集中する」
「なっ! ど、どういうことや!」
とんでもないことを真顔で言う奉に、ポーは、慌てて声を荒立てる。
「魔力流の正体は、この世界が今まで打ち捨ててきた歪みが行き場をなくして出来た巨大なうねり。
『司=マーフェス』をここに封印したことによって、行き場をなくした魔力流が大気が循環するみたいに地球を一周して、再びここに集まろうとしているんだ」
「つまり、魔力流は、『司=マーフェス』を狙っとるってことなん?」
「その逆。魔力流が狙うのは『星護座』そのものなんだ。
星護座は、文明を終わらせるもの。
それは、その文明によって生まれた歪みを封じて、浄化することを意味しているんだ。
だから、歪みのうねりである魔力流は、星護座にひかれる。
だけど、全て歪みが浄められるということは、それを生み出した世界にも反作用が起こる。
そうなれば、世界の半数のものが壊滅することになる。
今まで、いくつもの文明がそうして滅んできた。
どの文明も星護座の出現を止めることが出来なかった」
奉は、悲しげに眉をひそめ、小脇に抱えた古びた書物をきつく抱き締めた。
「星護座は、世界を滅ぼす。
それは、本当のこと。
でも、そうしなければ、取り返しのつかない本当の破滅が訪れることに……」
「解説は、そこまでや!
来たで、奉!」
叫ぶと、ポーは、二本の鎖を投げ放った。
「ぎょぉ!」
「ぐあぁ!」
通路の奥で、男たちの叫び声が響くと同時に、ポーが鎖を引き寄せると、首に鎖を巻き付けて、兵士が宙を飛んで、床に転がった。
『だぁぁぁぁ!』
ポーは、すぐさま鎖を引き上げると、声を張り上げて向かってきた兵士に向かって、身を躍らせる。
鎖を巧みに操り、警棒を手にした兵士たちの腕に次々と絡ませ、動きを封じると、もう片方の鎖を振るって浮き足立った足をなぎ倒し、両の鎖を引き寄せつつ、首に絡ませていき、
「はぁっ!」ゴギギキュッ!
気合とともに、鎖を一気に引くと、頚椎がへし折れる鈍い音が響き、悲鳴を上げる間もなく兵士たちは、息絶えた。
「甘いわぁ!」ギギィンッ!
その奥から、鈍く輝く幾本ものナイフが飛んでくると、ポーは、鎖を振るって、次々に叩き落とした。
それと同時に襲いかかる男たちを蹴り倒し、顎や鳩尾、天頂やこめかみといった人体の急所を的確に打ち据え、その命を確実に奪っていく。
しかし、その奥からも兵士たちは、なおも続々と迫ってくる。
「ちぃっ! 奉、きりないで!」
「待ってて!
区画を移動させて、通路を分断して、『星御座』をすぐそばまで引き寄せる!」
言いながら、奉が通路の壁に再び手をかざすと、迫りつつあった兵士たちは、通路ごと移動し、進むべき前方に大広間が現れた。
だが、そこには、すでに招かれざるものたちが控えていた。その部屋は、とてつもなく広く、いくつもの配管が張り巡らされていた。
その中央には、緑の液体で満たされた台座のようなガラス製の大きな容器があり、その中には、金の髪をなびかせた一人の少女が薄絹に身を包んだ姿で、眠るように目を閉じて浮かんでいたこの場所こそが『星御座』。
神子が座り、新たな世界が始まる場所。
「これが『司=マーフェス』……このように美しい少女だったとはな」
感嘆の声を上げるのは、世界を裏で支配する老人たちであった。
身辺警護役の兵士たちがその周囲を固めていた。
彼らは、奉が特定したことにより、この『星御座』の場所を知ったのであろう。
「くっ……奉……どないするんや?
…………ま、奉!」
呼んでも答えない奉の顔を横目で見て、ポーは、全身に鳥肌が立つのを感じた。奉は、笑っていた。
それも、優しげな微笑ではなく、残忍な微笑で。
「よく来たな。忌み子に、ネズミ」
不遜な男の声に我に返り、ポーは、老人たちに視線を向ける。
「……気付いとったんか、うちが忍び込んでたことに……」
悔しそうなポーに老人たちは、見下した嘲りを投げかけた。
「全部、キミたちは、知っていた。ボクが生まれてから、ずっとボクのことを監視し続けて、あの研究所の愚行すら手の内で転がしていた」
感情の起伏の感じられない声で、奉は、老人たちに話し掛けた。
得も言われぬ、威圧感を感じて、老人と兵士たち、そして、ポーさえも怯んだ。
「世界の裏から影まで知り尽くした結果なんだろうけど、なら分かってるはずだよね。
このまま、このまま行けば、世界がどうなるか。本当の破滅が訪れること。誰にも抗うことが出来ない虚無が全てを消し去る」
「だから、お前が起こす災いを受け入れろというのか!
そのせいで世界の半分が壊滅することは、動かしようのない事実だ!
貴様が行おうとしていることは、人類の間引きに他ならない!
誰も、そのような運命、受け入れるわけない!
我々は、貴様に滅ぼされるために生きてきたわけではないのだ!」
「そうだね。それは、人間として当然の反応だと思うよ。
必死で生きようと懸命にあがく。素晴らしいね。
だけど、ボクは、この世界に虚無を導くわけには行かない。
世界を護るために、ボクは世界を、この文明を滅ぼす。
許してくれなんて言うつもりはない。
心の底から、恨んでくれて構わない。
だから、そこをどいて。
世界の歪みが近付いている。
『星御座』ももう限界に近い。
それに、なによりキミたちじゃ、『司=マーフェス』は、抑えられない」
「貴様のような化け物に説かれたくないわ!」
「こ、この悪魔めぇ!」
「貴様さえ、現れなければ、このようなことは起こらなかったのだ!」
「そうだ! 貴様こそ、この災厄の元凶ではないか!」
「この『司=マーフェス』も貴様さえいなければ……」
「止めやっ!」
口々に罵声を浴びせ掛ける老人たちに、ポーは悲鳴に近い声で制した。
兵士たちが、いっせいに警棒やナイフを構え、老人たちを守るため立ち塞がった。
「止めゆうとんのや!
あんたら……死ぬで……」
叫ぶポーの身体は、震えていた。奉の膨れ上がる殺気を間近で受けて、ポーの本能が生命の危機を告げているのだ。
「違うよ。それは、違う」
うつむき、怒りに耐える声で、奉は、言った。
「キミたちがボクを放って置けば、こんなことにはならなかった。
たとえ、あの人たちに出会ったのが予め定められた運命だったとしても、誰も巻き込まずに、ボクは、独りで星護座に……キミたちにそれを責めることは許さない。
誰にも許さないっ!」
怒りに歪んだ顔を上げ、奉は、老人たちをきつく睨んだ。
「ひぃっ!」
奉の殺気を感じ、老人たちが小さく悲鳴を上げる。
「絶対に『司=マーフェス』を自由になんかさせない!
あのひとをなんとかするのは、ボクだ!
それがボクの役目だ!
誰にも邪魔させない!
それが……たとえ、キミたちの命を奪うことでも……」
「か、かかれぇぇぇぇぇ!」
恐怖に耐え切れなくなり、老人たちは、兵士たちをいっせいにけしかけた。
「邪魔だよ」ぎぃむっ!
暗く呟いた奉の一言で、空間が軋み、襲いかかる兵士たちのすぐ目の前に気弾が生じた。
「消えろ」どぉんっ!
そして、容赦のない一言で、気弾を炸裂させ、声も上げさせずに兵士たちを吹き飛ばした。
「自分たちで向かう勇気もない。
人をけしかけて、自分たちは何もしない。
人を自分の好きにすることを当然のことと思っている。
神様だって、そんなことはしない」
淡々としゃべりながら、奉は、怯える老人たちにゆっくりと歩み寄る。
「『力』を持つものは、余程のことがない限り、自分から動くことはない。
自分の行動がどんな結果を引き起こすか熟知しているから。
だから、キミたちに『司=マーフェス』を抑えることはできない。
たとえ、ボクを越えるものをキミたちが見つけることが出来たとしても、それは、キミたちじゃない。キミたちみたいな腰抜けの下衆野郎の自由にはならない」
「つ、『司=マーフェス』は、我らのものだ!
その『力』を使い、人類は、真の意味で世界の支配者になるのだ!
神も悪魔も貴様が消し去った!
今や、世界は、我々人類が導いていかなくてはならん!
災いそのものである貴様ごときに人類は、屈しない!
『忌み子』が、我ら人類の喰いものの分際で、思い上がったことをいうな!」
「……人類? 人類、人類、我ら人類?
思い上がってるのは、キミたちの方だ。
全人類の代表にでもなったつもりなの?
キミたちは、富や権力、暴力で、他の人間より、他人を自由にできるだけ。
それが『力』だと勘違いしているただの人でなしなだけだ」
そして、老人たちの目の前まで迫ると、手にしたボロボロの書物を開き、その中に記された不可解な文字の羅列を指でなぞった。
「そんなキミたちをボクは救うつもりはない。
今、この場で、見捨てさせてもらう」
奉が本のページから指を離すと、インクが剥がれたように文字が奉の指の後を追って、宙に舞った。
「この『禁書・言霊綴』で、キミたちの真名を綴り、キミたちの魂を砕く」
「だ、ダメや! 奉ぃっ!」ジャギィッ!
耳障りな音とともに、叫び声を上げたポーが放った両手の鎖が文字を綴らんと振り上げた奉の腕に絡みつき、その動きを封じた。
「邪魔をするの?
ポーさん。キミならボクの気持ち、分かってくれると思ってたけど……」
振り向きもせず、問い掛ける奉の言葉の一つ一つがポーの身体を恐怖で凍えさせていく。
しかし、奉を止めなければと、ポーは、勇気を振り絞って言った。
「た、大切なもの。
護るべきものを、奪われた気持ち。
分かるつもりや。
けど、けどなぁ、奉、あんたは、こんなことしたらあかん!
あんたは、この世界、最後の良心や!
たしかに、こいつら、救いようがないクズ共なんは事実や。
せやからこそ、怒りに任せて、あんたが手ぇ下したらあかんのや!」
鎖の握りであり金と銀の珠を握り締める手は、冷たい汗で濡れ、奥歯を噛み締めて、必死に恐怖に耐え、ポーは、力の限り、鎖を引き続けた。
「そんなことしたら、この世界から、本当に優しさが消えてしまう。
あんたが、あんただけが、最後の希望なんや。
この世界で、あんただけが全てを受け入れてくれる。
優しく、包んでくれる。
自分がどんなに傷ついたとしても、みんなを癒してくれる。
あんたにとって、それは、つらいことやけど、それでも、うちみたいな半端者には救いなんや!
……それに……あんたに関わったものは、不幸になる……それが、あんたの……運命……」
殺気が膨らむ!
「ひぃっ!」
奉から発する怒りがポーを飲み込み、まるで、世界から切り離され、たった独り、暗黒のさなかに捨て置かれたような悲しみがポーを襲った。それは、奉の悲しみに他ならない。
奉は、こんな絶望的な孤独感を常に心に住まわせていたのだ。「……あ、あんたの悲しみ。苦しみ。孤独。
その全てが忌み子としての運命なんや。
今生で、あんたに何があったか、うちは知らない。
けど、この地にある遺跡に漂う古代の残留思念で、うちは、知った。
いつの時代も忌み子に最初に出会ったものたちは、悲惨な運命を遂げる。
そうなることで、忌み子は、その使命に目覚め、世界を浄めて、新たな時代のために『神子』を導く。
すべては、仕方のない、ことなんや」
「……れでも……クは……い……たかった……」
「……ま、奉?」
振り上げた腕を下ろし、肩を震わせる奉に、ポーが声をかける。
「それでもボクは逆らいたかったんだ!」
血を吐くような悲しい叫びが広間に響いた。
「……こんなの……こんなの運命じゃないって!
最初から決められたことじゃないんだって!
忌み子としてしか生きられないなんて……そんなの違うんだって思いたかった!」
涙に震える声で、奉は、叫んだ。
「今度こそ、独りで生きていこうと思ったんだ。
でも、ダメだった……いつも、そうだった。
ボクの好きな人たちが不幸になって、それがボクのせいだって、ボクが忌み子だからなんだって分かったときには、もう遅い。
ボクがいなけなれば、みんな幸せになれるんだって、分かってたのに、みんなから離れることが出来なかった。
独りになるのがイヤで、みんなにけなされても、嫌われても、殴られても、ボロボロにされても、みんなと一緒に居たかった。みんなが好きで……ボクは、忌み子なのに…………」
膝を付き、奉は、書物を床に落とし、両手で顔を覆って泣き出した。
「あの時、お母さんは……ボクを拾って、育ててくれたお母さんは、言ったんだ。
ボクの首を締めながら、『お前さえ生まれてこなければ』って。
『そうすれば、こんなに苦しむことはなかった』って。
お母さんは、能力者だった……あの研究所が送り出した感応能力に特化した。
その能力で、ボクが忌み子だって分かったとき、これ以上、ボクが悲しい思いをするのがあまりにも可哀想だからって、ボクを…………殺そうとしてくれたんだ。
だけど、ボクは……お母さんを殺してしまった!
大切な人だったのに、ボクが……生きたいって思ったから、お母さんをボクは……ボクは……殺して…………」毎日のように夢に見る。
『ごめんね』と何度も言いながら、首に手をかける涙に濡れた顔を。
そして、(生きたい)と願った瞬間、その人は、奉の傷跡から漏れた黒い触手―今まで忌み子が背負ってきた罪過―にその身を貫かれ、奉の腕の中で、息絶えた。
忌み子として、奉の魂に刻まれた記憶は、いつもそこから始まる。
『もう苦しむな』と剣を振り上げる人。
樹海の奥深くの大木に縛り、置き去りにする人。
側に居ることに耐え切れず、売り渡そうとする人。
他人を求めることを止めさせようと暴行を加える人。
見てはいられないと、牢獄に閉じ込める人。
その誰もが、忌み子を愛していた。
愛しているが故に、忌み子の辿る悲惨な運命に耐え切れず、破滅していった。
悲しみと生きていることへの罪悪感が心を蝕んでいき、最愛のものから浴びせられる非難と罵声、暴力、そして、拒絶を受けた瞬間、忌み子は、真に忌み子として目覚めるのであった。
「……お姉ちゃんがボクを殴った。
ボクとは違う、お姉ちゃんは、お母さんの本当の子ども。
『お前さえ居なければ』って、お母さんを殺したボクを、今度は、本当の意味で、拒絶して、ボクの忌み子が……目覚めたんだ」あの時感じた激しい怒りと憎悪は、今でも奉の心にこびりついて離れない。
「し、死ねぇぇぇぇぇぇ!」
崩れ落ちたのを好機だと思ったか、リーダー格の老人が足元に転がった警棒を拾い、奉に殴りかかった。
「ぎゃぅん!」
振り下ろされた警棒は、奉の額を割り、そこから真っ赤な血が噴き出した。
その一撃に、老人たちは、堰を切ったように奉に襲いかかる。
「い、忌み子がぁ!」
「思い知れぇ!」
「このっ、悪魔!」
「死ね、死ねぇ!」
「誰が滅びるか!」
「そうだ! この世界は、全て私のものだぁ!」
警棒やナイフ、あるいは、素手で、足で、次々に奉を痛めつける。
「うがぁ! ああ! ぎゃん! ひぐぅ……があぁぁぁぁ!」
「……ま、奉ぃ!
止めぇ! 止めや、貴様らぁ!」
悲痛な叫びに我に返り、ポーは、老人たちに向けて、鎖を振るった。ばぢぃっ!
しかし、老人たちの身体から噴き出した黒いオーラが阻み、鎖を跳ね返してしまった。
「なんでや! この『戒鎖』と『縛鎖』で捕らえられんものはないはず!
あの黒いもんは、いったい……ま、まさか!」老人たちから噴き出した黒いオーラは、『穢れ』であった。
忌み子が背負う『罪過』の正体は、これである。
心を持ったものが、負の感情に突き動かされるたびに『穢れ』は生まれる。
それが発したものの心から溢れ出るほどになると老人たちのように黒いオーラとして、その身から噴き出し、そのものを喰らう。「うっ、ぐあぁぁぁ!」
「な、なんだぁ! これは、身体、身体が!」
「飲まれる! 嫌だ! 嫌だぁ!」
「た、助けて! 助けてくれぇ!」
「死にたくない! 死に、死にたくないぃ!」老人たちは、断末魔の叫びを上げながら、噴き出した『穢れ』に飲み込まれる。
そして、後に残った黒い『穢れ』たちは、無言で互いを喰いあい、一つになり、ついには、世界中のどの生物にも似つかない不気味な姿になる。
それは、『穢れ』から生まれ、全てを飲み込む存在『怪異』。
「……あ、あかん……今のうちじゃ、『怪異』なんかに適うわけない。
ま、奉?
奉を、助けんと…………奉ぃ!」
その惨状を見て、ポーは、叫んだ。
思案するように動かない『怪異』の足元で、奉は、仰向けに倒れたままでいた。
子どもらしい幼い四肢は、異な方向に折れ曲がり、刃物による傷口からは血が流れていた。
「奉ぃ、奉? 起きんか、奉ぃ!」
駆け寄って、抱き起こし、ポーは、何度も名前を呼んだ。
《ぐるぅるるるるるぅぅぅぅぅ……》
「ひぃっ!」
頭上からの唸り声に、ポーは、悲鳴を上げる。
『怪異』が奉たちに目標を定め、ゆっくりと動き出したのだ。
顔らしき部分を睨みつけ、ポーは、鎖の握りをきつく握り締めた。
「……もう……ダメだ……」
弱々しい声で、奉が呟くように言った。
「そんなこと言うんやない!
逃げるんや!
うちらと一緒に生きるんや!」
必死で言うポーに奉は、クスッと笑い、小さく首を横に振る。
「……違う……限界なのは……『星御座』……」
「えっ?」
『怪異』の向こうにある緑色の液体が満たされた台座のようなガラス製の大きな容器から、まばゆい光が放たれた。
「目覚める……『司=マーフェス』が……」ピギィンッ!
ガラスが砕ける音が響き、溢れる光の中に人影が浮かんだ。
蜂蜜色の金の髪が揺れ、すらりと伸びた手足、あどけなさの残る容姿は美しく、その瞳がゆっくりと開かれる。
「……あ、あれが……神子……『司=マーフェス』……」
その身から放たれる『力』は、研ぎ澄まされたポーの霊感を忌み子発する殺気とは違った意味で怯えさせた。神々しいのだ。
その気は、まさに神の放つ神気。
それにさらされたら、神の被造物である全てのものは、畏敬にも似た感情に包まれるであろう。
『司=マーフェス』は、ふわりと床に下りると、身を包んだ薄絹の裾を翻して、『怪異』に歩み寄り、
ずどぅむっ!
《ぐぎゅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!》
『司=マーフェス』の放ったえぐり込むような一撃が『怪異』の身体に巡り込み、激しい光が弾け、身の毛もよだつ悲鳴とともに『怪異』は、跡形もなく消し飛んだ。
「……か、『怪異』を……一撃で……これが神子の『力』……」
呆然と呟くポーの腕から身を起こし、奉は、ふらつく足取りで、『司=マーフェス』に近付いた。
「……やっと……やっと会えた……」
老人たちによってつけられた傷や怪我が見る間に治っていく。
『司=マーフェス』は、奉に気が付いたのか、ゆっくりと向き直ると、その胸倉を掴み、絞り出すような声で言った。
「……奉……奉=カーディス!」
怨嗟のこもった声が響く。
「お前のせいで……お前のせいで、母さんは!」
美しい顔を憎しみに歪め、『司=マーフェス』は、片腕で、奉を吊り上げた。
「……か、『母さん』って……まさか、つ、『司=マーフェス』は……」
「なんで、こんなトコにいるんだ!」
瞳から大粒の涙を流し、『司=マーフェス』は、叫んだ。
「なんでよ! なんでなの! お前は、母さんが、あんなになってまで……」
「……ごめんなさい……ごめんなさい……お姉ちゃん……」
苦しげに声を絞り出して、忌み子『奉=カーディス』は、かつて、姉として慕った神子『司=マーフェス』を見つめ、涙を流した。
イメージソング
Sweet Nothing
Song by.Weiβ
長い月日 君と離れ
僕は 虚しさに 溺れた
夢はただの皮肉だよと
街の ざわめきに 捨てたはずさ
汚れた魂 かきむしって
あの日に戻る 痛みになれ
彷徨う魂 探しに行こう
遠く 遠く 遠く
虚ろで優しい 時代にさよならを
甘い媚薬 切れた世界からは
聞こえない 鼓動(ビート)さえ
憎むことと 愛することの意味
陽炎に 揺れて踊る
すり切れた糸 たどりながら
僕は 君へと 旅を続け
抱き締める日を 願いながら
遠く 遠く 遠く
廃墟の街を 優しく鳩が飛ぶ
きっと昔 おきた奇跡のよう
この星に 口づけ
生まれること 消え去ることの意味
黄昏に 滲み沈む
甘い媚薬 切れた世界からは
聞こえない 鼓動(ビート)さえ
憎むことと 愛することの意味
陽炎に 揺れて踊るよ
予告
つらくて 苦しくて ボクは泣いていた
捨てられ 嫌われ いつも泣いていた
寂しい 助けて 飲み込んだ言葉
でも ボクは 在ることを望んだ
そして 信じた
ボクを あのヒトを みんなを
ボクは みんなが 好きだから
『BLESS&CURSE外伝〜戒〜』
最終話「戒〜imashime〜」
この傷が癒える時を信じて