◆ 鯉のぼり

 

 

   鯉のぼり

 

1 いらかの波と 雲の波

  重なる波の 中空を

  橘かおる 朝風に

  高く泳ぐや 鯉のぼり

 

2 開ける広き その口に

  舟をも呑まん 様見えて

  ゆたかに振う 尾鰭には

  物に動ぜぬ 姿あり

 

3 百瀬の滝を 登りなば

  忽ち竜に なりぬべき

  わが身に似よや 男子と

  空に躍るや 鯉のぼり  

文部省唱歌      

「富士山と鯉のぼり」

朝霧高原・猪之頭にて

 

 

鯉のぼり」の曲を聴く

(バリトン歌手 山本健二氏

 

 『柳多留』に、「五月雨が晴れると鯉の竹のぼり」という川柳がありますが、端午の節句に、

滝ならぬ竹をのぼって、空高く悠然と泳ぐ「鯉のぼり」の姿は、眺めていても実に気持ちがよ

いものです。そこで、今回は、この鯉のぼりにまつわる話を紹介いたします。

 「鯉のぼり」の3番の歌詞に書かれている百瀬の滝を 登りなば 忽ち竜に なりぬべき」は、「鯉変じて龍となる」という竜門伝説の故事にちなんでいます。そのため、中国では、このことを

俗に「六々魚(ろくろくぎよ)変じて九々鱗(くくりん)となる」などとも言っています。【鯉の側線には36枚のウロコがあり、竜の測線上には81枚のウロコがあることにちなんでいます】

 

室内に飾られる「内飾り」

 

戸外に飾られる「外飾り」

 

 端午の節供に鯉のぼりが屋外に立てられるようになったのは江戸の中期と言われています。

 武家階級において、端午の節句は、「菖蒲(尚武)の節供」として重んじられました。この時に飾られる「武家飾り」には鎧兜や太刀・また鍾馗人形などを室内に飾る「内飾り」と、家紋をしるした旗差し物や、幟、吹流し、武者人形などを戸外に飾る「外飾り」があります。

 その中でも、男子誕生の喜びを広く世間に知らせるという目的から、玄関前に「外飾り」を並べ立てることが、流行していきました。

 これに対抗して町人層では江戸中期以後、武具の代わりに鯉幟を立てる風習が生まれました。これには、中国の故事にちなんで菖蒲幟に鯉の絵が描かれていたことも影響していたようです。

 この鯉は、もともと小さな紙製のものでしたが、幟の麾(まねき)(小旗)に用いられ、江戸の市中を売り歩く鯉幟売りも登場しました。

市中を売り歩く鯉幟売り

 

 しかし、江戸では火災がたびたび起こり、戸外の幟が消火活動の妨げになるということ、また飾り物が華美になり競い合う風潮が生じたために、贅沢を戒めるという点から、「外飾り」は禁止されるようになってしまいました。そのために、「室内飾り」が豪華なものへとますますエスカレートするようになり、資産家の町人などは、大金をつぎ込んで芸術品と言えるような飾り物が登場していきました。

 鯉のぼりが、再び戸外に立てられるようになったのは、明治・大正時代からですが、これには、当時の軍国主義的な時代の影響を受けています。

 鯉のぼりには、吹き流しがつけられていますが、これは滝や雲を表しています。また、吹き流しに使われている「青・赤・黄・白・黒」の5色は、五行説に由来し邪気を払う霊力があるとされていますが、鯉を捕って喰おうとする竜は、この色が苦手で近づく事が出来ないことから、竜から鯉を守るという意味合いも持っています。 

 

 

 

 

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