4.永易ウキもと作

2001.12.23記

 

昭和40年代半ば の、

大阪市東住吉区の 「桃ヶ池」 にて撮影。

左が当時小学生の。右が、亡き親父

古いモーターファンならご存知の、

ホンダCB250。

は、両手にタナゴ・小ブナ・シラサエビを
持っている。

 は運動おんちだったが、息子が言うのもヘンだが、手先は驚くほど
器用だった。家の中の棚・本立て・ちょっとした物など、ほとんど自分で
作った。

 正直、当時小学生の、それがすばらしいものであるということを
知らなかった。気づかなかった。友だちの家の家具が立派に、上等に
見えた。・・・既製品が・・・。

 家へ来た友だちに、の 「発明品?」 を見られるのが、恥ずかし
かった。今は、そんな自分を恥じることができる。

 写真のオートバイは、この後、手製のマフラーに替わり、カワサキの
WI もびっくりという轟音バイクに変身する。今なら、親父の後部に乗り

「〜オヤジー、もっと飛ばせや、ィエ〜イ!」

と、うなっていただろうに・・・。

 親父に、永易ウキを作ってほしかった・・・。


      Suminao Moto

            2001.12月 淡路島にて。

 

 ピンクレディの全盛、キャンディーズの引退の当時。写真(左が)の
ような18才で、高校を無事卒業。

 物理が思い切り苦手だった赤点をとり、追試を受けるも、スレスレ
の線。ハンドボール部の顧問もされていた物理の先生に拝み倒し、3年
生に進級。

 図工・美術からも逃げていた。そんな私が、自作ウキなど作れるこ
とすら、夢のまた夢という
・・・ことなのだが。

 脱線するが、16才からの愛煙家。同時期より赤玉ハニーワインから
入門。でも、柔道部だけは挫折せず、3年生の夏の引退後も入試直前
まで稽古に顔を出した。見た目ヤサ男で、少々グレているように写って
しまっている20数年前の写真だが、もちろん柔道も強くはないが、好き
であったというだけである。

永易ウキもと作 「純」 1978年3月高校の卒業式にて
 今夏、小松康宏氏から永易ウキをご紹介いただき、半年が
過ぎた。材料のみ、気持ちのみありはするものの、さっぱり手が
出なかった。
 今・晩秋、のべ4日間を費やし、1本の・生まれて初めての、
「自作ウキ。」・・(
マネしだけれど)
永易ウキ

 理屈は今なお飲み込めないが、この形状に、なぜか夢を感じた。
 使い方・性能等も全くわからない私だが、このウキで1尾のチヌ
をかける夢を見るとともに、そのことよりも、このウキが大空高く舞い
上がり、青い海に吸い込まれていくさまを思うだけで、胸がジンと
してしまう。

 世界中に、ただ1本しかない 「自作ウキ。」
 
「ウキにも、1つひとつに顔がある。」 とは、小松氏の言。
 その顔がわかるようになるには、あとどれほどのウキを作ればよ
いのだろう、
私は。

 この第1作に、名前を付けた。
永易ウキもと作 「純」
これからも、自分の好きな字の名をつけていこうと思う。

 世界中に自分にしか持っていないものがひとつある。
 「自分」という人間の存在である。
 たった一つしかありえない自分を大切に。
 数百億の人間の存在・個性、数億万・無限の生命、形あるもの、
 そして、形の無いもの・・・、
 それぞれが、互いに慈しみ、支えあい、仲良く、日々を送れたら・・・。

 そんな思いがあらためて胸をよぎった・・・。

  ・・・・・・・・この永易ウキで・・・。

 

もと作: 「直」  「菜」

 

「友」 「和」

夢への自作ウキへ。

 


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