第11回からはこちら


思いつきノート
第10回:一大天文ショー

  思いつきノート、今回は、時事ネタで。

 火星の大接近。一番の接近は、8月27日だったそうである。ニュース番組でも、必ず取り上げられるくらい、何となく盛り上がっていた。
 確かに、肉眼で「あ、アレが火星だ!」とはっきり分かるというのは、かなり珍しいので、久し振りに楽しませてもらった。特に都会では、周りの明かりが強すぎて、普通の星ですら見え難いので、あそこまではっきり肉眼で見る事が出来ると、何だか嬉しくなって来る。
 今回くらいの大接近は79年振り。次の大接近は今回より距離が近く、284年後に起こるそうである。火星そのものは、地球に近い事もあり、3年弱に一回は、けっこう接近しているらしい。が、今回はより近い、と言う事で話題になっているようだ。
 こんな風に宇宙に関する関心が高まるのは、やはり何かしらイベントが必要なのだろう。スペースシャトルに日本人が乗った、ハレー彗星が近づいた、ロシアの宇宙ステーション「サリュート」が寿命を迎えて墜落した、ハッブス宇宙望遠鏡が打ち上げられた、「ボイジャー」が打ち上げられた、スカイ=ラブ計画、惑星直列、「アポロ計画」で人類が月に到達した、などなど。にわか天文学マニアがぞくぞく誕生するのもこんな時であり、「ボイジャー」の頃は、カール=セーガン博士の『COSMOS』や、NHKの『パノラマ太陽系』など、その手の番組も多かったので、知識の収集には事欠かなかった時期でもあった。
 やっぱり宇宙はいいよ。ロマンだよ。「最後のフロンティア」だよ。<Where No One Has Gone Before.>だよ!(←?)


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第9回:自慢になるか?

  思いつきノート、前回の次がこれでいいのか?

 我ながら、「ダメだよなー」と嘆きつつ、それでも買ってしまいました
新スタートレックDVDコンプリート 完全限定スペシャル・プレミアム・ボックス』全7巻!(爆)。
 7シーズンに渡って製作された全エピソードを網羅した、ファン待望の究極のコレクターズアイテム。1シーズンごとにボックス分けされており、それぞれのボックスには特典映像として、メイキング映像、スタッフ及びキャストへのインタビューが収められた、至れり尽くせりの内容。
 作品的には、勿論文句なし。原語版は5.1chサラウンド、吹き替え版はテレビ放映時そのままのキャストと、まさに「完全版」。
 そんな「完全版」(しつこい?)を鑑賞していた時、突然、吹き替えの声が途切れて聞こえない部分があった。何度か巻き返して観てみたが、やはり音声が途切れる。
 「もしかして、放○禁止用語か?(笑)」
とも思ったが、字幕で確認してみたところ、何の事はないフツーのセリフであった。
 バグか?と首を捻っていたところ、メーカーサイドから通知が届いた。曰く、 「アレのソコにバグが発見されました。バグディスクを郵送してくれれば、修正版を返送します」と言うもの。
 そこで、私達ダメ夫婦は考えた。
 『もしかして、「完全版」(くどい!)のバグって、持っておけばプレミア物?』
 そんなイカレポンチな理由で、結局は交換しなかった。
 自慢になるのかそんなものが?


思いつきノート
第8回:命について

 思いつきノート、今回はちょっとマジメ?

 つい最近、私の実家にいた三毛猫・ふみちゃんが亡くなった。享年17歳。猫としては、かなり頑張ったのでは?亡くなる2週間前までは、いつも通り元気に飛び回っていたそうである。家中の戸(それが引き戸でも、ノブのついたドアでもお構いなく)開ける知能の持ち主で、
「こいつ、もしかしたら猫又になるんじゃないか?」
と本気で思わせるほど、賢い猫だった。
 しかし、やはり天の摂理は、全ての生き物に平等に働いた。直接の死因は、どうやら肺炎らしい。ヒトが老衰で死ぬ死因ナンバー1。つまりは、天寿を全うした、ということだろう。ふみちゃんが一番なついていた我が母は、流石に寂しそうであったが、これまでに何度も一緒にいた(飼っていたとはあえて言わない)動物に先立たれているので、そこはクールに振舞っていた。
 仏教では、この世に存在する全てのものに命が存在する、と説いている。「山川草木悉有仏性」といって、この世の中全てのものに、仏となる種がある、すなわち「命がある」と断言している。
 命って、一体なんだろう?
 「命」の定義は、「@生物の生きてゆく原動力。生命力(by『広辞苑)』」とある。これは、いわゆる「生きている」という意味での命である。しかし、日本人に生まれた我々には、そんな「命」とはまた違った「いのち」がある事を知っている。「魂」、とはまた違った「いのち」。
 故人が「まだ生きているような気がする」と思うのは、故人の「たましい」がそこら辺をふわふわ漂っているのとは違う、「自分の心の中に、故人の想いが残っている」ということである。故人の想いが生きている限り、その人は「まだ死んでいない」のではないか、と思う。逆に言うと、
「忘れられた時が本当の死」
ではないか、と思えるのである。
 「忘れる」
というのは、「故人の死、あるいは故人の遺志によって生者の行動が縛られる」ことがなくなる時、である。その段階に来て、人は初めて「成長出来る」のであろう。
 しかし、「命は永遠だ」という意見もある。これも、私は、これからの人生に対して必要な知識を指して、「永遠のいのち」と言うのだと思っている。いのち、と言うものは、決して感傷を誘うだけの物ではない。
 たかが猫の死、されど猫の死。「死」と「いのち」について、思わず考えてしまった。残念ながら、しっかりと納得できる答えは出ない。おそらく、自分か、自分の一番大事な人が死なない限り、その端っこにも触る事は出来ないかもしれないが…。だったら、分からないままでいいか、などと思ったりもしている。


思いつきノート
第7回:カップめん、侮りがたし

 思いつきノート、第7回は、不健康食品。

 食べ過ぎて、身体にいい事はない。それは良く分かっている。しかし食べたい物、それが(?)カップめんである。日清がチキンラーメンを世に出して以来、カップめん(即席めん)は、日本の偉大なる発明品として、全世界に広まっていった。
 世界最初の即席めん=チキンラーメンは、日清食品創業者(現会長)の安藤百福氏が、昭和33年に生み出したらしい(『チキンラーメン公式ホームページ』参照)。それ以後、日本人は随分とこのインスタント食品にお世話になったものである。その昔、スキー場に満足なレストラン(「ゲレ食」と言った)も無かった頃、日清の「カップヌードル」を、プラスチックの小さいフォークで食べるのが、最高のご馳走であった。今でも何故か、スキー場で食べるカップヌードルは美味しい。
 最近は、その製法にも色々な工夫が盛り込まれ、格段の進歩を遂げている。「ヘタに不味い店で食べるより、カップめんのほうがよっぽど良い」と思えてしまう事すらある(実際、カップめんより不味いラーメンを出す店を知っている)。そんな私の最近のオススメカップめんは、
 『おすすめの逸品 至極の塩』by寿がきや
 これである!名古屋コーチンだしにノンフライめん、そしてワンタン入り。
 これは、かなりのおすすめである。インスタント食品が嫌いでなければ、是非いっといてもらいたい。
 ちなみに、明星『中華三昧』シリーズ、カネボウ『周富徳プロデュース 広東麺』シリーズ、日清『とんがらし麺』シリーズあたりもおすすめである。 


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第6回:君にはあの虹が見えるか?

 思いつきノート、第6回は?

 また浜田省吾ネタでスマン。
 去る平成15年3月19日(水)、浜田省吾を題材にしたゲーム『OMR(Over The Monochrome Rainbow)』が発売された。2001年12月14日、大阪アリーナでのコンサートの時に、会場で盛んに広告が打たれていたので、実はかなり期待していたのですよ。このゲームのキャッチコピーが、「君にはあの虹が見えるか?」なのである。
 私は自他共に認める「浜田省吾好き」である。そんな私の目から見て、このゲームは、
 「ちょっとキビシイ」。
 特典の360°ムービーは、編集出来る、と言う面も含めてかなり面白い。特に、古村敏比古のかましっぷりは、特筆モノである。
 また、ゲーム中に演奏した浜田省吾楽曲は、ゲーム終了後も様々な編曲が可能、というのもいい感じである。
 だが、しかし。昨今のPS2のソフトと見比べてみた時、思わず首をかしげてしまう部分がある。
 その最大の部分は、
 「ポリゴンキャラの動きがあまりにもしょぼ過ぎ!」

というところである。

 じっくりやれる、と売り文句にある。その通り。難易度はもの凄く低い。普段ゲームをやらない人でも必ずクリアー出来る、親切設計。しかし、じっくりやるにはロードが長すぎ、あのグラフィックではやる気が萎えかねない。
 ゲーマーはお呼びじゃない、と言えばそれまでだが、もうちょっと表現方法に工夫があっても良かったのではないだろうか?

 でも個人的には、けっこう好きだったりする(ファン心理?)。


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第5回:ルパン三世

 思いつきノート、第5回はルパン。

 ルパンと私との付き合いは、小学校1年生の頃の『旧ルパン』再放送である。ウチの父親が変っていて、
 「俺が見られないような、ガキ番組は見るな」
と、ガキだった私に言う訳ですよ(笑)。アニメなどは教育上好ましいもの以外はダメ。しかしそんな許可番組の中に何故か『ルパン三世』『宇宙戦艦ヤマト』は入っていたのだ(笑)。
 私個人的には、緑ジャケットの所謂『旧ルパン』が好きである。それも、宮崎駿が本格的にカラーを打ち出して来る前の、ハードボイルド性が全面に押し出されていた頃のものが。幼い頃から父親の影響で、クリント=イーストウッドやスティーブ=マックイーン、ジョン=ウェインなどを見ていたせいか、クールなタフガイに魅力を感じる体質になっていたらしい。
 特に第二話『魔術師と呼ばれた男』、第九話『殺し屋はブルースを歌う』などは出色の出来。ルパンと不二子の乾いた愛の形は、今でも充分通用するスタイルである。
 また、ワルサーP−38を代表とする銃器についての知識も、この作品が火付け役である。確かに、ワルサーP−38は扱いやすく、良い銃である。しかし、この頃はまだ、そういった細かい銃や車にこだわる事が、特にアニメではなかった。そういった意味でも、ルパンはいいのである。
 ただ原作は、子供の私にはちょっときつ過ぎた。今読めば、かなり印象も変っているだろう。今度実家に帰った時に、読み直して見る事にしよう。


思いつきノート
第4回:ワイン

 思いつきノート、第四回目はワイン。

 ある行きつけの蕎麦屋の大将が、店がヒマな時にワインの雑誌を見ていた。そのときに発した「大将、ワイン飲むんですか?」というなにげない質問から、今までに至るワイン・ロードが始まった。
 その大将に、いろいろとワインの薀蓄を説いてもらったが、ワインに関して全くの無知の私は、当然良く分からない。そこで、大将はあるワインに強いお店と、とりあえずコレを行っとけ、というワインを一本教えてくれた。
 さて、そのワインを見つけてきて、飲んでみると、なんと、コレが美味しいではないか!?今までは、コンビニでも売っているような、良くて800円くらいのワインしか飲んだことがなかったが、その時飲んだ2000円くらいの赤ワインが、ビックリするほど美味しかったのである。今まで飲んでいたワインは、一体何だったんだ?と思えるほどのカルチャー・ショックであった。
 最近は、1994年、1996年物を良く飲んでいる。本物のワイン愛好家ならば、「何年物が良い」とか「ボルドーは……」とか「ブルゴーニュは……」とか色々とこだわりがあるのだろうが、生憎とこちとらそんな事には無頓着なので、とりあえず良さそうなものをカンで選んでいる。蕎麦屋の大将も「ワインだけは、飲んでみないと分からない」と言っていた。
 とにかく、ワインは「ある程度のお金を出さなければ、美味しいものに巡り合えない」というのが真理らしい。かと言って、法外な高い金を払ったから、美味いものが飲めるとも限らないのだが…。


思いつきノート
第3回:こだわりその1

 思いつきノート、第三回目は、「こだわり」。

 我が家では、カレーがこだわり料理である。インドで、現地人だけが食べに来る様なドライブインで食べたカレーの旨さに、カレーの作り方ががらりと変ってしまった。さらに、「COCO一番屋」というカレー屋さんのメニューを参考に、我が家のオリジナルカレーが出来上がった。ウチのこだわりはこうである。
 1.鳥肉を使う。
 その訳は、脂肪分が少なくヘルシーだから。などではなく、
 「インド人は(宗教上の理由で)牛を食べない。(あるいは値段が高くて)牛肉は買えない。だから鳥肉」という、とんでもなくいい加減なもの。でも、鳥の脂は、味をそこはかとなく丸くしてくれるので、いい感じです。
 2.野菜はバリエーションに富んだものを使う。
 とにかく色々使う。たまねぎ、にんじんに始まり、ブロッコリー、ヤングコーン、しいたけ、しめじ、えのき、竹の子、レンコン、なす、アスパラ、マッシュルーム、トマト、ほうれん草などなど。入れられそうな物は、気分に応じてどんどん入れる。どかどか入れる。ただ、じゃがいもは入れない。これは、3番目のこだわりにも関係してくる。
 3.サラサラにする。
 「カレースープ?」と思うほど、さらさらにする。インドで食べたカレーは、小麦粉を使っていなかった(小麦粉は高いので)。ところがこれが、日本語の分からないインド人に、思わず日本語で「うまい!」と叫んでしまうほどうまかった。なのでうちでは、そのままでカレーうどんに出来るほど、サラサラに出来ている。じゃがいもを入れると、こうはならない。
 4.カレールウ、カレー粉にもこだわる。
 カレールウは、「SBディナーカレー 辛口」と決まっている。これが、市販のルウの中で、最も辛くて味もいい。グ○コの「L○E」などは、辛い代わりに味わいがイマイチ。
 ここに下味で、「SBカレー粉(缶入り)」を使う。香りと辛さがバランスよく整っているのは、やはりSBである。

 我が家の特製カレー。他の人々にも好評です。但しみんな「辛い!」という。うーむ、人様用に作るカレーは、我が家では「辛さひかえめ」なのだが…。


思いつきノート
第2回:都市伝説

 思いつきノート、第二回目は、「都市伝説」。

 ルーシー=モノストーンという名前を知っているだろうか?アーティストにしてテロリストという肩書きを持ち、アメリカでは都市伝説にすらなっているそうである。通称「7人のルーシー」と呼ばれる残酷童謡で、7番を歌うと7人目のルーシーが本当にやって来てしまう、というもの。
 @:下水道のルーシー
 A:キャット・イーター
 B:ミキサー車のルーシー
 C:ベビーシッターと二階の男
 D:ボーイフレンドの死
 E:不明
 F:不明
 以上。
 「ルーシー=モノストーンは実在するのか?」という論議がネット上で闘われ、意見は二分、細かいディテールが分かっている事などから、実在説を取る人も多い。
 が!
 実はこれ、ご存知の方も多いと思うが、「多重人格探偵サイコ」というマンガに出てくる創作である。時として、リアルな設定が一人歩きをする場合があるが、これなどはその典型であろう。ネットの世界では、既に「ルーシー」は実在の人物と見なされかけている。将に都市伝説!
 こういった都市伝説は、古今東西後を絶たない。杉沢村、貞子、トイレの花子さん、午前0時の合わせ鏡、口裂け女、人面犬etc…。また、真夜中のダム湖、やはり真夜中の峠道、挙句には引っ越した先の家の押入れ、などなど、なんとなくぞっとするような話を含め、この手の話は、多彩なバリエーションを持って、膨大な量に及ぶ。
 「ルーシー=モノストーン」、そしてこの手の都市伝説を調べていて、ふと思ったことがある。隠れ里、お岩さん、頑張り入道、おはぐろ、付喪神、置いてけ堀、七人岬…。そうか、「妖怪」というのは、昔の人の間で生まれた都市伝説だったのか。いやむしろ、現代の都市伝説とは、妖怪の別の姿、ということだろうか?江戸の昔には、「殺人鬼」も妖怪と同列に扱われている。件の「ルーシー」も新しい形の妖怪、と取れなくもない。
 「現代は昔のような闇がない」「妖怪には住みづらい世の中になった」と、妖怪博士達(笑)は口を揃えて言う。しかし、街に闇がなくなった分、人の心の闇は濃くなり、妖怪は新しい姿を得て、世を徘徊している。
 妖怪は、都市伝説に姿を変え、今も生きている。

 「都市伝説」で検索をかけると、秋の夜長を涼しく過ごせる「都市伝説サイト」に辿り付ける。ある意味、変な怪談より怖い。訪ねてみては?


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第1回:浜田省吾

 思いつきノート、栄えある第一回目は、ずばり「浜田省吾」。

 私と浜田省吾の出会いは、結構古い。といっても、きっかけは、我が兄、エアウルフ(仮名)が、ラジオなどで良く聞いていたのを、横で聞いていた、というもの。この頃、浜田の曲『風を感じて』が、日清カップヌードルのコマーシャルに起用されるなどして、新進気鋭のロックミュージシャン・浜田が注目されていた頃だ。残念な事に、この頃の私はまだ小学生で、浜田の歌は全く理解出来ていなかった。『愛の世代の前に』という歌が、核の力を背景とした、世界の冷戦構造に対する批判を込めたメッセージソングだったことすら気づかぬほど、ただ漠然と聴いていたに過ぎない。

 私が浜田と二度目の、そして劇的な再会を果たすのは、高校三年の時に、親戚からたまたま回ってきた「野外ライブin渚園」のチケットによってであった。そこで見た浜田は、恐ろしいまでにエネルギーに溢れ、丁寧で、親切で、そしてかっこ良かった。将に一目惚れ状態であった。
 それからはずっと、浜田一本。他のアーティストを聞く場合でも、浜田を基準に考えるイカレ様。

 浜田の歌は、リアルである。他の歌手の歌の評価として聞かれる「リアル」とは、根本的に違う何かがある。私は評論家ではないので、この場でもっともらしい解説をする気は無いが、浜田の歌の何がどう「リアル」なのか、を知りたければ、以下の曲を聴く事を強く勧める。

 マキシシングル『詩人の鐘』
 一曲目:詩人の鐘
 二曲目:陽はまた昇る

 この曲を聴いて、一人でも多くの人が、浜田省吾を理解してくれたら、嬉しい限りである。